デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
8款 早稲田大学
■綱文

第45巻 p.348-352(DK450137k) ページ画像

大正7年10月27日(1918年)

是日、当大学創立三十五年記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK450137k-0001)
第45巻 p.348 ページ画像

集会日時通知表 大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
十月廿七日 日 午後一時 早稲田大学へ御出向(同大学創立卅五年記念祝典)


竜門雑誌 第三六六号・第五六頁大正七年一一月 ○早稲田大学創立記念祝典(DK450137k-0002)
第45巻 p.348 ページ画像

竜門雑誌 第三六六号・第五六頁大正七年一一月
○早稲田大学創立記念祝典 早稲田大学にては、去十月廿七日応用化学実験室の開館式を兼ね、同校創立三十五年記念祝典を挙行し、前田幹事挙式を宣し、次で校歌合唱あり、終つて平沼学長の式辞報告、大隈総裁・青淵先生の祝辞演説、校友総代埴原氏の祝辞、及来賓中橋文相の祝辞、並に前記実験室の寄附者たる森村男の代理として令嗣開作氏の挨拶あり、式後一同該室を観覧し、別室に於て立食の饗応ありたる由。


早稲田学報 第二八五号大正七年一一月 創立三十五年紀念祝典(DK450137k-0003)
第45巻 p.348-350 ページ画像

早稲田学報 第二八五号大正七年一一月
    ○創立三十五年紀念祝典
大正七年十月廿六日より同卅一日に至る六日間に亘りて、本大学創立三十五年記念祝典を挙行す。年所よりすれば昨大正六年が恰も創立三十五年に相当せしも、種々の事情の為めに延期せられ居りし処、今回新校規も出来し、学長の就任をも見るに至りしを以て、折柄森村豊明会の寄附に係る応用化学科実験室の建築新に成りたるに依り、其開館式を兼ね、之れが紀念祝典を挙行したるなり。
    ○式典
式典は祝典の第二日、即ち十月廿七日之を挙ぐ。式場はレコード破りの称ある例の芙蓉峰形大天幕を鵬翼の如く中央校庭に張り拡げて之れに充て○中略
維持員渋沢男爵
 閣下諸君、満場の学生諸君、本大学の三十五年記念の式典に参列いたしてこの壇上に登るは私の無上の光栄といたす所でございます、本大学が今日この式典を挙行するに至りました次第、及今日までの歴史は新学長より詳かに御述べになりました、又本大学創立以来の趣旨精神及経過に就きましては今総長大隈侯爵閣下より頗る興味ある御演説がありました、私も演説をすることにはなつて居りますけれども私如き学問界に縁故の乏しいものは、実はかゝる場合に演説をする資格を有つて居りませぬ、併し唯今侯爵より五十年の友人である、此学校に対して聊か力を尽したと仰せられた、而かも或る点に於ては私の実際の尽力よりも大分懸値ある御賞讃を戴きまして、甚だ恐縮いたしたのでございます、声聞過情、君子恥之と云ふこ
 - 第45巻 p.349 -ページ画像 
とがある、私は君子でないから恥ぢぬでも宜いが、今の総長の御言葉に対しては聊か赧然たらざるを得ないのでございます。しかしこれは呼出しを掛けられたやうなもので、今の御言葉によつてなほ一層の努力をせねば相済まぬやうな感を起したのでございます。微力殊に自分の財産は甚だ乏しいために、とても自己の力を以ては十分に尽せませぬ、所謂人の褌で角力を取る、人の物で義理を尽すと云ふことより外に致方はないと思ひます
 私は前に申上げました如く演説は出来ませぬが、唯所感を述べますのでございます、私は夙に身を実業界に入れまして、教育の事は昔風の事より外は存じて居りませぬ、今侯爵は私が論語を読むと仰せられた、四書五経の中で論語を重に読んで来ましたから、全くの無教育とはまうしませぬけれども、新教育は一向存じませぬのでございます、明治初年の教育は今日では新教育とは言へぬでせう、諸君は之を旧い教育と思召すであらうが、その所謂旧い教育すら私は無いのであります、しかしながら実業界に居りまして段々考へて見まして、この国の真正なる富を起し真正なる力を進めるには、教育でなければとてもいかぬと云ふことを深く感じましたのでございますしかし教育とまうしても、明治の初めのやうに政治法律のみに力の入つて居たものは、私実業界の者として片腹痛いと思つてゐたのでございます、たびたびまうすことでございますけれども、今の高等商業学校ができましたのが明治七年で、その当時は商法講習所と云つたのでありましたが、それがだんだん進んでまゐりまするはずであつたのに進歩が甚だ鈍かつたのでございます、もつともその当時は商業の学校のみならず、科学的教育を施すものは洵に乏しかつたのでございます、政府の設備も乏しいし、民間にもこれに注意する者が甚だ少かつた、私は前まうす如く無学ではあるが、どうも実業界に働く者を無学で置くことはいかぬと云ふことを深く感じましたために、国家のみに依頼せぬで、民間でも良い学校を設立したいと思つて居りました、慶応義塾に続いて当早稲田大学が起つたのでございますが、私はその趣意如何は顧みる所ではない、とにかく立派なものゝ成立つことを深く望んだ為にその設立を大に喜んだのでございます、今侯爵から故伊藤公が懺悔をなすつたと云ふ御話を承りましたが、私は実業界にあつたために早稲田の学校を危険思想を有つて居るとは思はなかつた、観念の如何は暫く措いて、民間の学校が是非欲しいものだと思つたのでございます、私は明治三十五年に亜米利加へ旅行して、学校の状況を視察しまして、日本の学問は甚だ狭隘で、思想も貧弱で、甚だ情ないと云ふことを切に感じたのでございます、多くの御方は御聞及び若しくは御覧になつたらうと思ひますが、亜米利加の学校はその頃からして官学・州学よりも寧ろ民学の方が設備が整つて、学生も優等であつたと云ふことは私の如き門外漢にも見誤まることのできなかつた事実でございます、これ等のことからして、私はどうか日本の学校を今一層進歩せしめたいと思ふと同時に、学校は官立のみが満足な者ではないと云ふ感を深くいたして、従来御懇命を受けて居る大隈侯爵が総長をして居らる
 - 第45巻 p.350 -ページ画像 
る此早稲田大学に聊か微力をいたしました次第でございます、さりながら物には積極があれば消極がある、陽があれば陰がある、私が此学校に関係いたしたとまうしても、実はその力は甚だ微々たる者で、先づ俗にまうす御勝手元の味噌摺用人に過ぎないのでございます、侯爵の如き頗る積極的の御方を有する側に私の如き消極的の者があつて、集まつた金の一銭たりともなるべく無用にならぬやうに適当の方法によつて使はなければならぬ、之を集めるにはどうしたら宜からうかと云ふことを考へる、これは決して無用のことではないであらうと思ふのでございます、漢の高祖は陳平・張良よりも蕭河を重んじた、又徳川家康の側には井伊・本多・酒井・榊原の四天王以外に本多作左衛門の如きがあつた、金穀の事に長じた人があつたために徳川家が大いに発展を致したと考へます、これによつてこれを観ると消極が積極を援け、陰が陽を助けると云ふことは決して無用なことではないと思ふのでございます、こゝに於て余命の続く限り本大学のために力を尽したいと存じます、私はこの場合に於て一言、主として学生諸君にまうしあげて置きたいことがございます今まうしあげましたる私の観念の起つたのは、侯爵に長い間御眷顧を蒙りましたに就いて、義務として力を尽さなければならないと深く感じた故でありますが、また広い意味からまうせば、国民の一人として命の終るまで国家のために尽力するの責任があると思つて居ります故でございます、前に申した如く私は積極的のものではありませぬ、消極を主義として己れの欲せぬことは人に施さぬと云ふことを努めて居りますので、あくまでも義務責任を重んじて行動をしたいと思ふのでございます、而して今日の若い学生の一般の状態を見ますと、働き掛ける権利には大分力を入れて進むやうでありますが、受身になる義務責任にはどうも欠ける所が多い、これは一般の通弊ではないかと思ひます、果して然らば国のために慶ばしいことではないと思ふのでございます、他人はイザ知らず、学生諸君は義務責任と云ふことを深く心に銘じて置かれることを望みます、働き掛ける学問は教場で先生が教へて下さるでありませうが、義務責任と云ふことに就いては、今日この式典に際して私は精神を籠めて学生諸君に御注意まうすのでありますから、この一言はどうぞ御忘れないやうに深く希望いたします
との演説あり。○下略


半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編 第二九九―三〇〇頁昭和七年一〇月刊(DK450137k-0004)
第45巻 p.350-351 ページ画像

半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編 第二九九―三〇〇頁昭和七年一〇月刊
 ○第一篇 第四章 拡充期
    第九節 創立三十五年祝典
○上略
 二十七日○大正七年一〇月午後一時から大講堂で創立三十五年記念祝典を行ひ、併せて応用化学科実験室開館式を挙げた。平沼学長・大隈総長・渋沢基金管理委員長の演説、校友総代埴原正直の祝辞、文部大臣中橋徳五郎の演説、森村市左衛門代理森村開作の挨拶があり、午後四時に式を閉ぢた。二十八日には記念講演あり、夕暮から上野精養軒で中央
 - 第45巻 p.351 -ページ画像 
校友大会を開き、二百五十余名の来会者があつた。二十九日には第十三回水上大運動会があり、三十日には功績者墓参があり、三十一日第四十二回陸上大運動会を行ひ、十一月二日職員慰労会、三日温交会を開いて、創立第三十五年記念祝典はめでたく終りを告げた。
   ○大正七年十一月七日ヨリ大正十年九月十五日ニイタル間ノ「集会日時通知表」ニ記サレタル当大学関係ノ資料ヲ参考トシテ左ニ掲グ。他ニ之ト関係セル資料ヲ見ズ。(大正八年六月十日ヲ除ク)。



〔参考〕集会日時通表知 大正七年(DK450137k-0005)
第45巻 p.351 ページ画像

集会日時通表知 大正七年       (渋沢子爵実所蔵)
十一月七日  木 午后五時半 早稲田大学ノ件(芝紅葉館)
十一月八日  金 午後三時  早稲田大学維持員会(大学恩賜館)
十一月十三日 水 正午    早稲田大学基金管理委員会(大隈侯邸)
十一月十六日 土 午前十時  早稲田大学祝捷会(同校)
十二月三日  火 午後一時  早稲田大学ノ件(恩賜館)
十二月十日  火 午後二時  早稲田大学維持員会(恩賜館)



〔参考〕集会日時通知表 大正八年(DK450137k-0006)
第45巻 p.351 ページ画像

集会日時通知表 大正八年       (渋沢子爵家所蔵)
 一月十五日 水 午后二時  早稲田大学定時維持員会(恩賜館)
 一月十六日 木 午后三時  早稲田大学北沢氏来約(兜町)
 六月十日  火 午后二時  早稲田大学定時維持員会(同大学恩賜館)
 六月廿三日 月 午前十一時半 早稲田大学基金管理委員会(大隈侯邸)
 六月廿九日 日 午後四時  早稲田大学ヨリ御案内(ホテル)
 七月三日  木 午后二時  早稲田大学維持員会(早大恩賜館)
 九月八日  月 午後三時  早稲田大学維持員会(同大学恩賜館)
十一月八日  土 午後二時  早稲田大学維持員会(恩賜館)
十一月十二日 水 午後一時  早稲田大学基金管理委員会(大隈邸)
十二月八日  月 午後二時  早稲田大学定時維持員会(恩賜館)



〔参考〕集会日時通知表 大正九年(DK450137k-0007)
第45巻 p.351 ページ画像

集会日時通知表 大正九年        (渋沢子爵家所蔵)
 一月十五日 木 午後二時  早稲田大学維持員会(恩賜館)
 二月七日  土 午後二時  早稲田大学定時維持員会(恩賜館)
 二月十二日 木 午後二時  早稲田大学維持員会(恩賜館)
 四月八日  木 午后二時  早稲田大学維持員会(恩賜館)
 九月十五日 水 午後三時  早稲田大学定時維持委員会(恩賜館)
 九月三十日 木 午前十一時半 早稲田大学基金管理委員会例会
             (大隈侯邸)



〔参考〕集会日時通知表 大正一〇年(DK450137k-0008)
第45巻 p.351-352 ページ画像

集会日時通知表 大正一〇年        (渋沢子爵家所蔵)
 二月八日  火 午后二時  早稲田大学定時維持委員会(恩賜館)
 三月十六日 水 午后二時  維持員会(早大恩賜館)
 五月九日  月 午后二時  早大定時維持員会(恩賜館)
 六月八日  水 午後二時  早稲田大学維持員会(恩賜館)
 - 第45巻 p.352 -ページ画像 
 七月六日  水 午前九時  早稲田大学ノ件(大隈侯邸)
 七月八日  金 午后二時  早稲田大学定時維持員会(恩賜館)
 七月十日  日 午后三時  早稲田大学得業証書授与式(同大学)
 九月十五日 木 午后二時  早稲田大学定時維持員会(恩賜館)



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正八年(DK450137k-0009)
第45巻 p.352 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正八年         (渋沢子爵家所蔵)
六月十日 雨 冷気
○上略 午飧後早稲田大学維持委員会ニ出席ス○下略