デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
12款 東京帝国大学関係 1. ヘボン氏寄付講座
■綱文

第45巻 p.473-475(DK450174k) ページ画像

昭和5年4月9日(1930年)

是月、エー・バートン・ヘボン夫人来日ス。是日栄一、同夫人宛ニ書翰ト共ニ記念品ヲ贈ル。


■資料

(エー・バートン・ヘボン夫人) 書翰 渋沢栄一宛一九三〇年四月四日(DK450174k-0001)
第45巻 p.473-474 ページ画像

(エー・バートン・ヘボン夫人) 書翰 渋沢栄一宛一九三〇年四月四日
                   (渋沢子爵家所蔵)
          The Kyoto Hotel
           Kyoto, Japan
My dear Visconnt :
  Many years ago when you were dining with Mr. Hepburn and me I promised you that I would let you know when I visit Japan. I arrived at Kobe on the Steamship Columbus April 3rd. I shall return to the ship in the harbor of Yokohama Monday afternoon April 7th after visting Kyoto, Nara and Miyanoshita, Tuesday Apr. 8th I shall spend the day sightseeing until five o'clock in Tokyo, Wednesday morning I go to Nikko returning Thursday. Friday at noon I sail for Honolulu.
  It would give me great pleasure to see you again. I hope
 - 第45巻 p.474 -ページ画像 
 that you are in good health.
              Most sincerely yours,
              (Signed) Emily E. Hepburn
                    (Mrs. A. Barton)
April 4th 1930.
  I have written Mr. Takagi.
(右訳文)
                 (別筆)
                 四月廿七日御一覧済み
 東京市                 (四月七日入手)
  渋沢子爵閣下
                京都ホテルにて
  一九三〇年四月四日       エミリ・イー・ヘボン
                  (バートン・ヘボン妻)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば先年閣下が亡夫ヘボン及び私と御会食中私事日本訪問の際には御一報申上ぐる様御約束申上候、私事四月三日汽船コロンバス号にて神戸に到着、京都・奈良及び箱根宮の下を回遊の後、月曜日四月七日午後、横浜港内の同汽船に帰着可仕候、火曜日四月八日は午後五時迄東京見物に費し、水曜日朝日光に赴き、木曜日帰着、金曜日正午ホノルルに向け出帆の予定に御座候
再び拝光の栄を得ば此上もなき仕合せに御座候、閣下が益御健勝ならんことを祈上候 敬具
追伸
高木氏にも御一報申上候 草々


渋沢栄一 書翰 控 エー・バートン・ヘボン夫人宛一九三〇年四月九日(DK450174k-0002)
第45巻 p.474-475 ページ画像

渋沢栄一 書翰 控 エー・バートン・ヘボン夫人宛一九三〇年四月九日
                    (渋沢子爵家所蔵)
  (別筆)
  本書は直接英文にて認め白石秘書役の承認を得て発送せしものゝ訳文に候
 東京市帝国ホテル
  エー・バートン・ヘボン夫人様
   一九三〇年四月九日          渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば京都ホテルに於て御認めの本月四日付御芳書正に落手仕り、甚だ意外なる喜びを覚え申候、嘗つて紐育市に貴邸を訪問致し、御鄭重なる御款待を忝ふせる記憶は、老生の胸中に今も尚ほ新たに残居候、健康にして接客可能に候はゞ、ホテルに貴女を訪問申上ぐるか、或は茅屋に御迎ひ申上ぐべきの処、誠に遺憾なるは去る一月初旬以来、さしたることには無之候得共病気にて籠居罷在候儀に有之候、恢復捗々しからず困却致居候得共、高齢のためと存じ気永に養生致居候
御来旨に依れば日光見物に赴かせらるゝ由に付、東照宮に関する記念品御持合はせ有之候はゞ一層御興味を惹かるゝことゝ存じ、爰に拝呈致候次第に御座候、約十六年前東照宮三百年祭挙行の際、老生祭典委員長たりしを以て、此盛典記念の為め記念品の調製を提案致し、委員会の決議によりて実現せるものが即ち御贈呈申上候品に有之候、和英
 - 第45巻 p.475 -ページ画像 
両文の説明を附しあり候へば容易に御諒解可相成候
右は当時有名なる画伯狩野探幽の描ける絵の写真に御座候、同画伯は徳川初代の名将軍徳川家康公の御一代を描写せられ候、東照宮は家康公のために建立せられたるものにて、此原画は最も貴重なる宝物として保存せられ、此写真も売品には無之候
貴女に対する老生の寸志として、且又日本に御来遊の記念として御受納被下ば欣幸の至りに御座候、末筆ながら御帰航一路御平安を祈上候
敬具


報知新聞 第一九一二三号 昭和五年四月九日 ヘボン博士の未亡人来朝(DK450174k-0003)
第45巻 p.475 ページ画像

報知新聞 第一九一二三号昭和五年四月九日
    ヘボン博士の未亡人来朝
帝大へ五十万円のヘボン講座を寄附したヘボン博士未亡人は、八日来朝突然帝国ホテルに投宿した、これを聞いたヘボン講座主任の高木教授は速刻ホテルに駆けつけ、すぐに渋沢子爵に電話し、取りあへず午後三時工業倶楽部で日米協会主催の大歓迎会を開くことにした、正午は帝大で午餐会を開き、ヘボン講座の実状を案内した、未亡人は語る
 私はコロンブス号で世界周遊の途中ちよつとお寄りしたので、別に寄附した講座を見に来たのではないから公式の御通知もしなかつたのですが、こんなに歓迎して頂いたことは、亡夫も喜んでくれることゝ思ひます