デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
13款 財団法人私立高千穂学校
■綱文

第45巻 p.530-533(DK450199k) ページ画像

昭和5年5月27日(1930年)

是ヨリ先、当校ニ於テ、琵琶歌「青淵先生子爵渋沢栄一」ヲ作リ、福沢錦凌ニ作曲セシメ、是日当校創立第二十七周年記念会ニ際シ弾奏セシム。


■資料

(川田鉄弥)書翰 渋沢栄一宛 昭和四年九月二五日(DK450199k-0001)
第45巻 p.530-531 ページ画像

(川田鉄弥)書翰  渋沢栄一宛 昭和四年九月二五日 (渋沢子爵家所蔵)
               (別筆)
               昭和四年九月廿五日川田鉄弥氏来状
一筆啓上仕候、先以益々御清穆之御儀奉恭賀候、先日巌谷小波様に二三ケ処添削いたゞき別紙の通にいたし候、其内なるべく竜門社例会又は総会席上、永田錦心先生の高弟福沢輝水氏に演奏いたさせ、御一同に御きゝいたゞき御批評相蒙り度、何卒阪谷男爵とも御話合の上右御
 - 第45巻 p.531 -ページ画像 
許容奉願上候 頓首
  九月二十五日               川田鉄弥
    青淵先生
       御左右
(別紙)
琵琶歌青淵先生子爵渋沢栄一
志士仁人《シシジンジン》はかしこくも《(昔より)》
    先天下之憂而憂、後天下之楽而楽《(とかや)》
《大干》『玆に従二位勲一等子爵渋沢栄一は』《中干》『幕末天下多事の際、心の駒に鞭《ムチ》うちて、南船北馬西東《ナンセンホクバニシヒガシ》、備《ツブ》さに艱苦《カンク》をなめつゝも、渡り着きたる一ツ橋』民部公子《ミンブコウシ》の御供《オントモ》に、万里の濤《ナミ》を蹴破《ケヤブ》つて文化を誇《ホコ》る欧洲に《中干》『学びの船を進めけり』《中干》『時しも慶応三年の、神無月《カンナツキ》なる十四日、将軍徳川慶喜《ヨシノブ》は、世の大勢を達観し、その政権を奉還す』かくて復古の業成りて、芽出度き御代《ミヨ》となりしかば、四方《ヨモ》の山辺《ヤマベ》に紅葉《モミヂ》する、戊辰《ボシン》の秋のたゞ中《(末つ方)》に《中干》『御国に帰りたまひけり』やがて富岳《フガク》の麓《フモト》なる、駿府《スンプ》の里《サト》に赴かれ、宝台院《ホウダイヰン》に蟄居《チツキヨ》せる、慶喜公《ヨシノブ》に拝謁《ハイエツ》し《吟変》
『昔《ムカシ》をしのび行末の、想《オモヒ》に胸は満ち溢れ、そゞろにむせぶ暗涙《アンルイ》に、袖をぞぬらしたまひける』
嗚呼明治維新の大業は、我が列聖の御遺訓《ゴヰクン》と、明治大帝の御稜威《ミイヅ》とに基くものといひながら、慶喜公《ヨシノブ》のかしこくも、我が天朝を尊びて《(消ス)》、只一言の恨みをも、泄《モラ》せしことのなかりしは、《中干》『如何でか之を忘るべき』《大干》『明治三十七年の』《中干》『六月初《ミナツキハジメ》の頃かとよ、君大患《キミ》に臥せし時、おそれ《(改行)》多くも大君《オホキミ》は、御心悩《ミココロナヤ》まし奉り《(給ひ)》、御菓子御下賜あらせらる』、君天恩《キミ》に感泣し、病の床《トコ》に端坐《タンザ》して、
  伏せ屋漏《モ》るうめきの声の思ひきや雲の上まで聞ゆべしとは、とそのまごころを詠じけり、《吟変り》『慶喜公もこの時に君を訪《ト》はれて暫くは、目と目を見合はすばかりにて、無量の涙に暮れにけり』。
その後自ら資を投じ、君心血《キミ》を注がれて、公の伝記を編纂《ヘンサン》し、世の人人《ヒトビト》に頒《ワカ》ちける、《中干》『主従の道を重んずる、昔忘れぬ赤心《セキシン》は、げに末代の鑑《カガミ》なり』。
つらつら想ひめぐらせば、明治の帝《ミカド》に仕へして、五ツ年励《トセハゲ》み野に下り《中干》『第一銀行を創立し、民間の業にいそしみつゝ、公共慈善に身を砕《クダ》き世界の平和に貢献《コウケン》す』、その功勲《イサヲシ》は赫々《カクカク》と、後の世までも照すらん。
  義利何時能両全 毎逢佳節思悠然
  回頭愧我少成事 流水開花九十年と
声朗《ホガラ》かに吟じつゝ儒風を以て世に立たれ、常に論語を繙《ヒモト》かれ、『静かに孔顔《コウガン》の真趣《シンシユ》を追ひ、徐《ソゾ》ろに廉洛《レンラク》の遺風を慕ひ』経済道徳の合一を、大声疾呼し給ふ、《中干》『心の中こそ気高《ケダカ》けれ《(尊)》』《(止メ「心の中こそ尊けれ)》
  《(以下抹殺ス)》君のよはひ万代《ヨロヅヨ》までと神々も御国のために守りますらん
《止メ》『御国のために守りますらん』


(川田鉄弥)書翰 渋沢栄一宛 (昭和四年)一〇月二〇日(DK450199k-0002)
第45巻 p.531-532 ページ画像

(川田鉄弥)書翰  渋沢栄一宛 (昭和四年)一〇月二〇日
                   (渋沢子爵家所蔵)
 - 第45巻 p.532 -ページ画像 
                (別筆)
                10/20川田鉄弥氏来状
一筆啓上仕候、先以益々御清穆之御儀と奉存候、其内高千穂学校にて試に演奏御許容希上候、尚彼此よろしく御指導相蒙り度先は伏して右迄如斯に御座候 頓首
  十月二十日               川田鉄弥
    青淵先生
       御左右


(川田鉄弥)書翰 渋沢栄一宛 (昭和五年)二月一一日(DK450199k-0003)
第45巻 p.532 ページ画像

(川田鉄弥)書翰  渋沢栄一宛 (昭和五年)二月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
一筆啓上仕奉候、先以益々御清穆之御儀と奉存候、別紙琵琶歌高千穂学校にて演奏いたし、職員生徒一同
青淵先生 の恩義を重んじ給ふ御高風に感じ入り申候、来る五月二十七日高千穂学校創立満二十八周年紀念会当日御臨席相願《(七)》、演奏いたさせ申度候、今一応御一談伏して奉願上候 頓首
  二月十一日              川田鉄弥
    青淵先生
       御左右


(川田鉄弥)書翰 渋沢栄一宛 昭和五年四月六日(DK450199k-0004)
第45巻 p.532 ページ画像

(川田鉄弥)書翰  渋沢栄一宛 昭和五年四月六日 (渋沢子爵家所蔵)
              (朱書)
              昭和五年四月八日
                     川田鉄馬氏《(川田鉄弥)》
一筆啓上仕候、五月二十七日午後一時より高千穂学校創立満二十八周年記念会開催仕度候《(七)》、席上琵琶歌演奏恩義を重んじ給ふ徳風子弟にも相伝へ申度心組に御座候、当日御繰合の上御臨席奉願上候 頓首
  四月六日                川田鉄弥
    青淵先生
       御左右


高千穂学校書類(DK450199k-0005)
第45巻 p.532 ページ画像

高千穂学校書類                 (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、来る五月廿七日火曜日不拘晴雨午後一時より、大久保町高千穂学校講堂に於て、本校創立満二十七周年記念会挙行可仕候間、御家族御同伴御来臨相蒙度、此段御案内申上候 敬具
  昭和五年五月七日     高千穂学校長川田鉄弥
    高千穂学校創立満二十七周年記念会順序
○中略一七、青淵先生 琵琶歌 福沢錦凌○下略


(川田鉄弥)書翰 渋沢栄一宛 (昭和五年)五月一一日(DK450199k-0006)
第45巻 p.532-533 ページ画像

(川田鉄弥)書翰  渋沢栄一宛 (昭和五年)五月一一日
                   (渋沢子爵家所蔵)
一筆啓上仕候、別紙青淵先生琵琶歌
    作歌 高千穂学佼
    作曲 福沢錦凌
 - 第45巻 p.533 -ページ画像 
といたし、何卒竜門雑誌へ御掲載なし下さるゝやう御心添伏して御願申上候 頓首
  五月十一日              川田鉄弥
    渋沢子爵閣下
          御左右
  ○別紙略ス。


(川田鉄弥)書翰 渋沢栄一宛 (昭和五年)五月二五日(DK450199k-0007)
第45巻 p.533 ページ画像

(川田鉄弥)書翰  渋沢栄一宛 (昭和五年)五月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
一筆啓上仕候、二十七日午後二時別紙琵琶歌青淵先生演奏仕るべく候
                            頓首
  五月二十五日              川田鉄弥
    渋沢子爵閣下
         御左右
  ○別紙略ス。