デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
15款 二松学舎 2. 財団法人二松学舎
■綱文

第45巻 p.576-579(DK450217k) ページ画像

大正9年11月6日(1920年)

是日、麹町区富士見軒ニ於テ、当学舎主催栄一八十寿祝賀会開催サル。栄一病気ノタメ、嫡孫敬三代理トシテ出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正九年(DK450217k-0001)
第45巻 p.576 ページ画像

集会日時通知表  大正九年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月六日 土 午后四時 二松学舎主催渋沢子爵八十寿賀宴(富士見軒)(令夫人共)
○御引籠リ


二松学報 第二号・第二三―二八頁大正九年一二月 二松学舎長渋沢子爵八十賀宴(DK450217k-0002)
第45巻 p.576-578 ページ画像

二松学報  第二号・第二三―二八頁大正九年一二月
    二松学舎長渋沢子爵八十賀宴
大正九年十一月六日午後四時靖国神社畔富士見軒に於て、我二松学舎長子爵渋沢栄一翁八十の祝賀会を開く、是より前十月二十二日付を以て其発起人男爵大倉喜八郎・尾立維孝・佐倉孫三・池田四郎次郎・速水柳平五氏より案内状を発したるは、首賓渋沢子爵・同令夫人を始め凡そ百八十四人に及びしが、渋沢子爵は感冒の為めに出席せられず、名代として令孫敬三氏来臨あり、又此日此時恰も慶応義塾大学医科病院の開業式挙行せられたるが為めに、本会に欠席する者多かりき、其定刻に至り来臨せられたる賓主左の如し
 渋沢敬三 子爵岡部長職 男爵大倉喜八郎   藤井幸槌
 明石照男   小牧昌業   嘉悦孝子    山本悌二郎
 増田明六   城井道太郎  小倉常吉    岩渓晋
 山岸覚太郎  国分三亥   田代其次    松木多賀司
 大城戸宗重  弓削元健   恒川泰次    宮内黙蔵
 児島献吉郎  安田繁太郎  中山真治    鈴木庄助
 林直方    安井小太郎  田畑大蔵    久保輗次郎
 長谷文    山田璋    池田清秋    石川治部
 渡辺大治郎  上田彦次郎  三島広     斎藤良一
 富塚徳行   五弓安二郎  柳荘太郎    勝村醇
 - 第45巻 p.577 -ページ画像 
 平野猷太郎  佐木熊四郎  高橋与四郎   橋本武
 岡田起作   荘田要二郎  浜隆一郎    笠井彰
 東城芳男   勢多章之   角弥太郎    大塩忠夫
 松平康国   飯田延太郎  千葉幸次郎   室又四郎
 三島復    佐倉孫三   池田四郎次郎  速水柳平
 尾立維孝   横田茂次郎  佐倉鉄馬    尾崎嘉太郎
 吉原精一   相沢才司   高草木重敬   那智佐典
斯くて楼上休憩室には、故三島中洲翁の賀詩一幅を高く壁間に掲げ、又学舎教授其他諸方より贈呈に係る文章詩歌を陳列す、其全文は後に掲ぐ
午後五時余興として豊田旭穣嬢の筑前琵琶あり、那須宗高旭扇を射るの一曲を奏す、其声音の美妙にして悲壮なる聴く者をして覚へず無量の感慨を起さしむ、終て午後六時食堂を開く、渋沢敬三氏を首賓席に請し、男爵大倉喜八郎氏及び尾立維孝氏主人席に、其他賓主各々設けの席に就けり、且つ食し且つ話し食事将さに終らんとする時、尾立維孝氏起つて挨拶をなせり、その辞に曰く
  御来臨の各位、今日は我二松学舎長渋沢子爵閣下の八十の賀宴を催さんか為めに我々其発起人となり御案内申上げたる処、子爵閣下及び子爵夫人共に御出席下さるべしとの御承諾を得たるを以て窃かに喜び居たるに、図らずも子爵閣下感冒に罹られ御出席なく従て子爵夫人も御出席なきことゝなりたるは誠に遺憾千万なれども、幸に令孫敬三氏御名代として御光臨下され、且つ御賛成諸君の斯く多数に御出席下されたる段は発起人一同の深く感謝する所であります、さて此祝賀会の起りは、初め大正七年十月二十九日評議員会に於て、明年即ち大正八年は本舎創立者三島中洲先生九十の高齢に、本舎長渋沢男爵八十の高齢に達せらるゝを以て、両翁の為めに祝賀会を開かんと決議し、理事より先づ中洲先生に此事を申上たるに、先生曰く、老生の為めには学舎より六十一の初度、次に七十、次に七十七、次に八十、次に八十八の五回祝賀会を開催せられ、最早老衰して出席覚束なきが故に老生は御断り申たし、併し渋沢男爵は実に我松黌の恩人なれは、其高恩の万一に報る為めに学舎自ら主人となりて祝賀の意を表せざるべからず、賀詩は老生必らず之を作るべければ、諸事の周旋は君等之に任ぜよと、幾日もなく先生の賀詩成りて之を揮毫せらる、今日休憩室の壁間に掲げたるもの是也、乃ち吾輩渋沢男爵を訪ふて来春四・五月(大正八年)の交中洲先生の九十及び閣下の八十の賀宴を併せて開催致度、中洲先生が閣下の為めに賀詩を作られたる事をも共に申述たる処、男爵はそれは誠に辱き事なれとも諸君の労作を煩すことは辞退致し度、中洲先生賀詩を御作り下されたるならばそれ丈を頂戴せんと答へらる、因て吾輩はされども中洲先生の命に斯々云々なれば吾輩等は師命に従はざるべからず、何卒御承諾を乞ふと懇請したり、是に於て男爵吾々の請を容られたれば、同人間に通告して祝賀の詩文を蒐集しつゝある中、大正八年五月の始めより中洲先生重患に罹られ、十二日溘焉として薨去ありしか
 - 第45巻 p.578 -ページ画像 
ば、寿宴の事一時中止するの已むことを得さるに至れり、然るに八年十二月本舎恩賜講堂建築落成し、同月十四日其開堂式を行ふに依り、之に舎長の八十賀会を併せて挙行することゝなり、準備既に整ひたる処、男爵閣下急病に罹られたれば、当日に至り寿宴は之を延期し、独り開堂式のみを行ひたりき、今日は昨年十二月十四日延期したる賀宴を実行するものなるが、是より前今年九月四日を以て舎長閣下は多年の勲功に依り特に子爵を陞授せらる、抑々閣下国家に対する勲功は、常に上下官民の間に介立して諸般の大事業に尽力せられたり、是れ世間具眼者の斉しく公認する所なれば吾輩の呶々を待たず、先師中洲翁の賀詩簡にして克く尽せり、其二・三句を左に挙ぐ
   創開垂範新銀行。 大著酬恩旧将軍。
   遠継先賢哀此煢。 常尊古論重斯文。
  閣下の天爵人爵並に一世に邵し、今日の祝賀会亦一般の光輝を生す、然るに発起人不行届にして何の設備も出来ず、来賓各位特に子爵御名代に対し恐縮の至に勝へず、万々御宥恕を乞ふ、終りに本舎教授池田四郎次郎君勤続満三十一年に達し、其功労実に深甚にして従来数多の卒業者を出せる亦君の尽瘁に由らずんばあらず本舎督学土屋鳳洲翁の詩幅を贈り、聊か玆に表彰の意を表明す、各位願くは之を諒せられよ
次に首賓渋沢敬三氏起て、今日は祖父の為めに八十の賀宴を御開き下され、祖父が出席致す筈の処感冒に罹り喘息の気味にて床に臥し居れり、尤も発熱も七度位にて軽症なれども出席はなし難きに依り、自分に代理として推参せよと命ぜられましたから参席致しました処、御鄭重なる御饗応に預り誠にありがたく存じます、祖父より皆様へ厚く御礼を申上げよとの伝言で御座りましたから之を申上げます
次に大倉男爵立て盃を挙げ
  渋沢子爵万歳を三唱し、衆之に和す、其声四辺を震撼す
次に渋沢敬三氏再び立て盃を挙け
  二松学舎万歳を三唱し、衆之に和すること前の如し
次に池田四郎次郎氏立て謝弁を述ぶ、其辞に曰く
  不肖が二松学舎講師勤続三十一年に達するとて、何の功労もなきに表彰を辱ふするは誠に慚愧に勝へません、殊に督学土屋鳳洲先生の賀詩一幅を贈与せられたるは一段の光栄で御座ります、元来自分が二松学舎に入りたるは、初め大阪に居て土屋先生の著はされた晩晴楼文集に三島中洲先生の序文ありしを一読して、自分は中洲先生の大家なることを知り、師を覓むるは中洲先生に若くなしと決心して東京に出て、その門下生となりたるものなれば、畢竟土屋先生の引合せに依り二松学舎に入りたるに異らす、故に今土屋先生の筆に成る賞詩を頂戴するは因縁も亦頗る奇妙なる感なしとせず、因て一層有り難く存じ玆に謹んで御礼を申上ます
それより休憩室に退き、珈琲を飲み或は旧を話し或は新を語り歓を尽して午後八時散会す

 - 第45巻 p.579 -ページ画像 

二松学報 第二号・第二八頁大正九年一二月 二松学舎教授池田四郎次郎氏勤続三十年表彰(DK450217k-0003)
第45巻 p.579 ページ画像

二松学報  第二号・第二八頁大正九年一二月
    二松学舎教授池田四郎次郎氏勤続三十年表彰
貴教授本学舎の為めに教鞭を執らるゝこと凡そ三十一年、日夜精励多数の卒業者を出し其功労洵に嘆賞するに勝へたり、因て玆に各教授理事及び本舎員相会して之を表彰し、且督学土屋弘翁の賀詩一幅を贈呈して以て聊か感謝の意を表明すと云爾
  大正九年十一月六日
         財団法人二松学舎長 子爵渋沢栄一
    教授 池田四郎次郎殿


二松学報 第二号・第四二頁大正九年一二月 【渋沢男爵 は九月四日勲功…】(DK450217k-0004)
第45巻 p.579 ページ画像

二松学報  第二号・第四二頁大正九年一二月
○渋沢男爵 は九月四日勲功に依り特に子爵を陞授せらる、尾立理事二松学舎を代表して其邸を訪ひ、賀詞を述ぶ


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK450217k-0005)
第45巻 p.579 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十三日 曇 寒
○上略十二時過二松学舎ニ抵リ、三島・池田・速水ノ諸氏ト文学ノ事ヲ話ス、曾テ起草セル小品文及詩作ノ修正ヲ託ス○下略
  ○中略。
三月二十三日 晴 寒
○上略午後三時二松学舎ニ抵リ、評議員会ヲ開キ、決算予算ノ事ヲ議決ス○下略