デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
20款 財団法人国士館
■綱文

第46巻 p.59-63(DK460017k) ページ画像

大正11年4月22日(1922年)

是日栄一、当館ヘ赴キ生徒ニ対シテ講話ヲナス。是年当館維持委員トナル。在任歿年ニ及ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK460017k-0001)
第46巻 p.59 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年        (渋沢子爵家所蔵)
四月廿二日 土 午前九時 世田ケ谷国士館ヘ御出向ノ約


竜門雑誌 第四一一号・第一八―一九頁大正一一年八月 ○国士館生諸君に 青淵先生(DK460017k-0002)
第46巻 p.59-60 ページ画像

竜門雑誌 第四一一号・第一八―一九頁大正一一年八月
    ○国士館生諸君に
                      青淵先生
  本篇は本年四月廿二日、青淵先生が国士館長の懇請に応じ、同館大講堂に於て講演せられたるものなり。(編者識)
 突然参りまして本館の拝見を願ひ、館長始め諸先生の御案内に預りまして此の学校の精神の存する処を領解するを得、欣快と致すものであります。
 学生諸君に対し講演と云ふ御話でありますが、今日はそう云ふ積りでなかつたのですから何等の用意準備もありませんので、一応御ことわり致したのでしたが何んでもよいから是非との事でありますから、私の日常考へておる事及び本館を訪ひ感じた事など述べ、以てこの責を尽したいと考へてこの壇に立つた次第であります。
 時恰も春風駘蕩実に快い気分の致す時分でありまして、暁を覚えずと云つた様な長閑な季であります。従つて稍もすれば怠慢の気の生ずるもので、又兎角そう有り勝のこの頃――これは独り東京のみならず鳥歌ひ花笑ひで全国到処斯うなのであります。然るに国士館に来て強く私の心に響いたのは、この春風駘蕩と云ふでなく秋風粛殺と云つた凛乎たる雄々しき気分でありました。そして私は若い頃よく吟じた彼の秋風の賦を思ひ出されて、青年時代丁度諸君の如き年輩であつた当時を追懐致す次第であります。
 維新以後の教育と云ふものは組織立つた秩序的に非常に進化して参りました。私等の教育を受けた頃は随分と蛮的のもので、所謂衣肝に到り袖腕に到る底のもので、それが又青年の元気と意気を示すものとして得意としたものでありました。従つて私などは西洋の学問はしませんでした、唯僅か許り漢学を勉強した位のものであります。当時の青年は皆元気で、天下国家を口にし、随分と空想的な事まで夢みておつたものです。この当時の教育方法と現今の教育方法を比較して見ますれば、先程も申した通り形式上に於ては随分と只今は進化しております。然し之も長短で――尤も私が平常憂ひと致します処は、この組織的に順序立つた今日の教育が形式的に流れ、教育そのものゝ精神と云ふ事を欠いておると云ふ点であります。これは私の独断ではありませぬ、識者の等しく認め憂へてをる処であります。かゝる折この国士
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館が出現した事は、私等日頃の念願が実現されたものでありまして、常に嬉しく亦国家の為めにも心強く感ずる次第であります。
 元来教育は智慧と精神と相並んで向上し、進歩しなければならぬものと思ひます。然るに現今の一般の教育法は片手落ちでありまして、智慧にのみ汲々としてをる結果、精神と云ふ点に於ては全く地に墜ちておるのであります。この際教育界の一つ革命とも見らるべき国士館の現はれると云ふのは必然であります。特に此処は精神教育と云ふ点に於ては尤も地勢背景が宜しうございます。こののんびりとした、然も荘厳であり森厳である乃木神社・松蔭神社を以て廻らせる大自然は無為にして人を化します。私も今少し年が少ければ諸君と共にこの自然美と人情美の中に生活したいと思ふ程であります。
 国士と云ふ事は偉大且つ大なる任のあるもので、何十年何百年の中に一人或は二人と限られた様にしか現はれませぬ。然もこの国士館に学ばれた諸君は、真に国士たるの任を全うすべく御勉強あらん事を衷心より願ひます。
 私は今壇を下りるに当り、日常私の愛誦してをりまする論語の中泰伯篇の一節を以て、諸君に翫味実行ある様御願ひ致したいと思ひます
 曾子曰。士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以為己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。
であります。どうぞ折角御勉強を希望致します。


国士館書類(二)(DK460017k-0003)
第46巻 p.60 ページ画像

国士館書類(二)            (渋沢子爵家所蔵)
                (別筆)
                昭和五、八、二三返礼済
拝啓、残暑尚酷烈之折柄益御清祥奉賀候
陳者御来示之件左に御回報申上候間宜敷御諒承被下度、尚本館寄附行為ハ同封仕リ候間御査収被下度、以上要用のみ如斯御座候 敬具
  八月十六日
                      柴田徳次郎
    中野時之殿
        御侍史
一、御職名
  財団法人国士館維持委員
一、御就任
  大正十一年
一、御任期
  終身
         以上
   ○右ニハ栄一ノ維持委員就任ヲ大正十一年トセルモ、次掲「青淵先生職任年表」ニハ大正十四年六月トナス。綱文ニハ右回答ニヨリ是年トナス。
   ○中野時之ハ渋沢事務所職員。


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二二頁 昭和六年一二月刊(DK460017k-0004)
第46巻 p.60-61 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第二二頁昭和六年一二月刊
    大正年代
   年 月
 - 第46巻 p.61 -ページ画像 
一四 六 ―財団法人国士館維持員―昭和、六、一一。


国士館要覧 第一七―二一頁刊(DK460017k-0005)
第46巻 p.61 ページ画像

国士館要覧 第一七―二一頁刊
    国士館沿革概要
大正六年十一月四日より東京市麻布区笄町一八二番地大民団事務所内に於て夜学塾を開き、二時間乃至四時間政治・経済・社会・宗教・哲学・武道・外国語等の科目を教授す。時世の要求は日を経るに随つて次第に聴講者の数を加へ講堂亦狭隘を告くるに至る。於玆乎同士相協議して国士館の新築を企劃す。即ち地を市外世田谷松蔭祠畔に相し大正八年二月工を起し、同年九月に至りて講堂・道場・寄宿舎・本部の四棟を完成す。同時に財団法人の組織となし、館規を改刪し、同年十一月広く学生を募集し英才教育を旨とし開黌す。
大正九年十月第二期生を募集す。同十年一月学園内に館宅六棟を起工し、四月竣工す。同しく五月一日より新寄宿舎の建築に着手し、九月廿五日落成す。次いて大正十二年四月中等部を新設し、同十四年四月文部省の認可を得たり。学生の数増加すると共に従来の教室にては漸く狭隘を感じ、大正十四年六月新たに総坪数四百十坪の総二階建新校舎建築に着手し、同年九月初旬日迄に落成す。
    国士館組織
本館は財団法人組織となし、巻末示すが如く顧問・理事・監事・評議員を置き、本館の教育経営方針一切を処理す。外に維持員会ありて本館の発達を助成する事となり居れり。
本館に本科・中等科の二科を設く。
      本科
本科を分ちて専門科・研究科・武道科の三科となす。
一、専門科は中学卒業程度の者の為に法律・政治経済・文学等の専門的智識を教授す。
一、研究科は本人の事情により専門部三ケ年の課程を修業し得ざるもの、又は本人自身の特別学課研究希望の為め特に本人希望の期間丈自由聴講を許す。
一、武道科は剣道・柔道を教授す。
一、研究科・武道科の規則は専門部の規則に準拠す。
      中等科
中等部を中学校・実業夜学部の二つに分つ。
中学校は文部省令により中等教育を授け、卒業生は無試験にて本館高等部に入学を許す。
実業夜学部は尋常小学校卒業程度の者に対し、直接実業に必要なる学科を教授す。
本部は二ケ年を以て修了年限とす。
本部の教師は高等部中等部の教師中より選任す。
詳細は別に本校細則に在り。
○下略


国士館要覧 第四九―五二頁刊(DK460017k-0006)
第46巻 p.61-62 ページ画像

国士館要覧 第四九―五二頁刊
 - 第46巻 p.62 -ページ画像 
    財団法人国士館役員
顧問
 頭山満        野田卯太郎
 清浦奎吾       立花小一郎
 田中義一       箕浦勝人
理事
 長瀬鳳輔       小村欣一
 柴田徳次郎      花田半助
 上塚司        山田悌一
監事
 山崎源次郎      森俊蔵
 頭山立助
評議員
 寺尾亨        浜地八郎
 根津嘉一郎      渡辺海旭
 松田道一       飯田延太郎
 高山長幸       末永一三
 井上敬次郎      小橋一太
 美和作次郎      松野鶴平
 白岩竜平       吉原正隆
 木村雄次       野田俊作
 天野弘一       松岡洋右
 長瀬鳳輔       真藤義丸
 柴田徳次郎      花田半助
 上塚司        山田悌一
 森俊蔵        頭山立助
 山崎源次郎
    財団法人国士館維持委員会役員
            (書キ入レ)
 会長 栗野慎一郎   [徳富猪一郎
 頭山満        野田卯太郎
 清浦奎吾       金子堅太郎
 渋沢栄一       床次竹二郎
 根津嘉一郎      大橋新太郎
 有賀長文       神田鐳蔵
 馬越恭平       浅野総一郎
 山梨半造       立花小一郎
 持田巽        山田悌一
 木村清四郎      服部金太郎
 宮田光雄       麻生太吉
会計主務上塚司


集会日時通知表 大正一一年(DK460017k-0007)
第46巻 p.62-63 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
 六月三日 土 午后壱時 国士館維持委員会(逓信大臣官舎)
   ○中略。
 - 第46巻 p.63 -ページ画像 
 九月廿五日 月 午后壱時 国士館維持員会(築地精養軒)
   ○中略。
十一月廿四日 金 午后弐時 国士館維持員会(銀行クラブ)


(増田明六) 日誌 大正一一年(DK460017k-0008)
第46巻 p.63 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一一年     (増田正純氏所蔵)
十月二十七日 金 晴
定刻出勤
午前中、大川田中事務処ニ藤田好三郎氏を訪問して、子爵より命セられた大川平三郎氏より○中略 国士館の為めニ、若干の寄附セらるゝ様御言伝請ふ旨語つたが、折柄田中栄八郎氏、今朝名古屋より帰京した由にて出勤セられたので同氏にも来意を告け、宜敷と頼ミ置けり、大川氏ハ目下九州旅行中なので、斯く藤田氏を煩ハした訳である
○下略


集会日時通知表 大正一二年(DK460017k-0009)
第46巻 p.63 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
六月七日 木 午后弐時 国士館維持員会(日本工業クラブ)


集会日時通知表 大正一三年(DK460017k-0010)
第46巻 p.63 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
六月廿九日 日 午前十時 国士館維持員会(銀行クラブ)