デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
29款 其他 2. 東京市教育会
■綱文

第46巻 p.150-151(DK460037k) ページ画像

明治43年5月10日(1910年)

是日、楓川学校ニ於テ、当会大会開催セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK460037k-0001)
第46巻 p.150 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年          (渋沢子爵家所蔵)
五月十日 曇 暖
○上略 午後二時楓川学校ニ抵リ、東京市教育会ノ大会ニ出席シテ一場ノ演説ヲ為ス○下略
   ○演説筆記ヲ欠ク。



〔参考〕東京府史 東京府編 行政編第五巻・第四九八―五〇〇頁昭和一二年一月刊(DK460037k-0002)
第46巻 p.150-151 ページ画像

東京府史 東京府編 行政編第五巻・第四九八―五〇〇頁昭和一二年一月刊
 ○第一 第十三章 教育会
    二 帝都教育会及郡区教育会
○上略
 東京市教育会は、明治三十三年七月の創立である。
 当時 大正天皇は尚皇太子殿下に在しましたが、同年五月御成婚の大典を執り行はせられたので、その御慶事に際し、予て東京市の教育に軫念あらせ給ふの余り、東京市に対して御内帑金八万円の御下賜があつたのである。時の市長は松田秀雄、市会議長は星亨であつたが、市理事者を始め、教育関係者は恐懼感激し、同年六月下旬東京市役所に協議会を開いた結果、聖旨を体して有力なる教育会を組織し、御下
 - 第46巻 p.151 -ページ画像 
賜金の利子五千円を毎年同会に補助して、経費に充てしむることとしたのである。即ち同年七月東京市教育会が成立し、星亨自ら会長となり、副会長には助役浦田治平及び寺田勇吉を推し、評議員・理事等諸役員を選んでその規模を整へ、同時に「東京市教育時報」と題する機関雑誌を発行した。
○中略
 東京市教育会は又一面に於いて盛に通俗講演を行ひ例へば夜間婦女子を集めて裁縫・洗濯の心得、衣類の手当・その他家事一切を訓ふる等、専ら実際的の社会教育をなし、他の凡ゆる事業と相俟つて隆盛を極めたのである。
○下略
   ○大正十四年帝都教育会(東京府教育会ノ改組改称セルモノ)ト合同ス。次項「東京府教育会」参照。