デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
29款 其他 14. 財団法人埼玉武曠寮
■綱文

第46巻 p.203-206(DK460052k) ページ画像

明治43年12月4日(1910年)

是ヨリ先、明治四十一年八月二十日、栄一北海道視察旅行ノ途次、札幌ノ埼玉県人交誼会ニ金五十円ヲ寄付ス。同会ハ栄一ノ寄付ヲ機会トシテ、札幌農学校在学埼玉県学生寄宿寮ノ設立ニ着手シ、是日入舎式ヲ挙行ス。是月栄一金三千円ヲ寄付ス。同寮ハ昭和四年十一月、其組織ヲ財団法人トナシ埼玉武曠寮ト称ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK460052k-0001)
第46巻 p.203 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四一年         (渋沢子爵家所蔵)
八月二十日 晴 暑
○上略 午後五時豊平館ニ抵リ、埼玉県人ノ北海道ニ移住スル人々ノ会合ニ出席ス、埼玉県人交誼会ト云フ由、依テ一場ノ訓示演説ヲ為ス○下略


竜門雑誌 第二四四号・第三六頁 明治四一年九月 青淵先生北海道旅行日誌概梗(DK460052k-0002)
第46巻 p.203 ページ画像

竜門雑誌 第二四四号・第三六頁 明治四一年九月
    青淵先生北海道旅行日誌概梗
○上略
八月二十日 晴 朝来訪客に応接、九時より農科大学に到り、同学長佐藤博士及教授諸氏の先導にて、第一及第二農場を始め、畜産・昆虫養蚕及農芸化学等に関する実地の状態及標本室等を参観せらる。
午後四時埼玉県人交誼会の懇請に依り、豊年館に於て開かれたる同会の総会に臨席、一場の演説を為し、同六時よりは幾代庵に開かれたる同地有志者の歓迎会に臨まれ、又一場の演説を為られたり
此日埼玉県人交誼会に土産料として金五拾円を寄附せらる
○下略


吉岡佐市談話筆記(DK460052k-0003)
第46巻 p.203-205 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

財団法人埼玉武曠寮設立報告 第一―六頁 昭和五年五月刊(DK460052k-0004)
第46巻 p.205-206 ページ画像

財団法人埼玉武曠寮設立報告 第一―六頁 昭和五年五月刊
    埼玉武曠寮経過概要
 郷国を愛するは自然の情にして、郷党相愛するは自然の義なり。此の自然の情義は、遠く故国を隔りて北海道に来り住む埼玉県出身者をして和合一致せしめ、明治三十三年埼玉県人交誼会なるものを生み、倶に楽しみ共に悲しみ、而して相互の親睦を図るを以つて目的となせり。○中略
 偶々明治四十一年夏、渋沢子爵《(男)》の来札を機とし多数の県人相会し、具体的に寄宿舎設立の事業を遂行せんことを議決し、明治四十二年六月一日その設立委員として左の諸氏を推薦せり。
  吉岡佐一・後藤銈太郎・安部英三郎・大沢善次郎・中川恭三郎・
 - 第46巻 p.206 -ページ画像 
宮下虎作・宮沢寅雄
○中略
 是に於て東奔西走交誼会は其の効を奏し、幸にして渋沢子爵を始めとし、在京埼玉学生誘掖会に直接間接に関係ある各先輩を中心となし県下並びに本道在住有志の賛助と寄附を俟ち、一方に於ては、北海道帝国大学総長以下諸教授の同情によりて、明治四十三年九月に至り札幌市北十二条西二丁目二番地の地に大学と交渉の上其の附属地四百〇五坪を借り受け、予定の建築工事に着手し、寄宿舎建物に要する坪数約百〇六坪残る約三百坪を運動場に充て、以つて同年十一月上旬に落成を見、十二月四日入舎式を挙行し、在札県人学生の大部を収容し得るの運びに至れり。
○中略
 昭和四年十一月十一日に至りて財団法人埼玉武曠寮設立の件文部大臣よりの許可あり之れより埼玉県学生寄宿舎は埼玉武曠寮なる名称と改められたり。
○中略
      財団法人埼玉武曠寮寄附行為
  第一章 目的
第一条 本財団ハ埼玉県出身ニシテ札幌市ニ遊学スル学生ノ研学ニ使シ、健康ヲ増進シ、且品性ノ陶冶ヲ計ルヲ以テ目的トス
第二条 前条ノ目的ヲ達スル為左ノ事業ヲ為ス
 一、札幌市ニ寄宿舎ヲ設立シ埼玉県出身ノ学生ヲ寄宿セシムルコト
 二、其ノ他目的ヲ達スル為適当ト認ムル事業
  第二章 名称及事務所
第三条 本財団ハ埼玉武曠寮ト称ス
第四条 本財団ハ事務所ヲ札幌市北十二条西二丁目二番地ニ設置ス
   ○第三章以下略ス。