デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
29款 其他 16. 日本橋聯合校友会
■綱文

第46巻 p.207-210(DK460054k) ページ画像

明治44年6月3日(1911年)

是日、明治座ニ於テ、当会大会開催セラル。栄一出席シテ講演ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK460054k-0001)
第46巻 p.207 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
六月一日 曇 暖
○上略 日本橋区民ノ開催スル聯合校友会ニ送致スル一書ヲ裁ス
○一書ノ内容未詳。


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK460054k-0002)
第46巻 p.207 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
六月三日 晴 暑
○上略 午飧後明治座ニ抵リ、日本橋区聯合校友会ニ出席シテ一場ノ演説ヲ為ス(義利合一ニ付テ)○下略
○当時ノ明治座ハ久松町。


竜門雑誌 第二八〇号・第三六―三九頁 明治四四年九月 ○日本橋聯合校友会に於て 青淵先生(DK460054k-0003)
第46巻 p.207-210 ページ画像

竜門雑誌 第二八〇号・第三六―三九頁 明治四四年九月
    ○日本橋聯合校友会に於て
                      青淵先生
 本篇は六月三日午後一時、明治座に於て催されたる日本橋聯合校友会の招待に応じ、青淵先生が演説せられたるもの也。(編者誌)
△日本橋区は扇のかなめ 会長閣下、会員諸君、此聯合校友会に昨年も御招きを得ましてございましたけれども、旅行を致した為に盛会を拝見することの出来ないのを長く遺憾として居りました、第二回に於て玆に初めて参上致して、斯る盛大の会合に諸君と御目に懸ることを得ましたのを喜びますでございます。
私は此間中、前席に御演説のございました大隈伯と御同行致して、森村翁と共に七十以上の三人で関西に旅行を致しました、女子教育のこ
 - 第46巻 p.208 -ページ画像 
とに就て参りましたから、到る所で若い方々に御目に懸りまして、其愉快さが今尚残つて居ります、併し帰京の上段々にそれは薄らぐかと思ふと、今日の如く最もお若い、最も有望な、又極く美しい、当日本橋区の所謂指折の方々か、斯くの如く満堂御集りで、玆に一場の愚見を申上げ得らるのは、実に愉快極ることでございます、御聞き及びの通り、私は実業家でございまして、長いこと銀行業を経営して居りますから、決して諸君に利益のある、且面白い御話などは出来得ませぬでございます、大隈伯、最終には桂公爵の如き大政治家が在らつしやいますから、定めて諸君が実にもう満足を思召すことであらうと思ひます、で私は柄に相応した愚見を一場申上げて、御免を蒙らうと思ひます。
日本橋区の東京市の中心と云ふことは、今尾崎市長からも祝辞に御申述べがございましたし、是はもう申すまでもないことであつて此輦轂の下の東京市の其目抜は即ち当区である、而して東京市は斯くの如く短かい時間に発達した所の我帝国の首府である、斯く勘定して見ますと、殆ど物の流行は当区から広めたりと申しても宜いやうに考へる、丁度日本の国の有様を扇と見るならば、要のもう一ツ強い要であると諸君も御自任為さるであらう、脇からも左様認めるのは決して間違ひないことであらうと思ふ、故に此日本橋区の御方々は勿論名誉の多い代りに同時に責任が多いと云ふことは、是非共に御覚悟為さねばならぬと思ふのでございます。
△商業道徳 私は玆に申上げて見たいことは、此責任の多い日本橋のみならず、即ち全体の名誉を担ふべき所の帝国の臣民が、殊に吾々の本領とする此実業界抔に取りまして、未来如何なる心掛を以て、此進み行く時代に応じて往つたら宜からうと云ふに就ては、朝に夕に御互に心掛けて、深く之を攻究し、且御互に奨励し、更に之を督励して往かなければならぬことと思ふのでございます、六ケ敷い言葉で申しますと、即ち道徳の修養に相成ります、精神の修養になる、近頃実業家に対して、実業道徳―商業道徳と云ふやうな言葉が段々伝りつゝ居りますけれども、此事に関しては私共は少し不満の声を発するのであります、何故なれば、道徳と云ふものが果して此実業家のみ、又商業にのみ道徳のあるべきものではない、又商業のみに特に道徳を講ずると云ふものは、最も商業に道徳がないことを意味する理屈になるので、是は少し其当を得た言葉と申せぬ、即ち政治界にも、軍人の社会にも学者にも、法律家にも、斉しく守るべき道徳と云ふものは、皆一致するものであらうと思ふ、御集りの御婦人方は暫く別としまして、或は学生の諸君抔は種々なる方面の修学を為さるであらうと思ふ、政治学を為さる御方もあらうし、商業若くは工業、種々な方面で学び得て、各々其長ずる所に於て世に立ち、社会を益すると云ふことをやる御積りではございませうが、それは皆学ぶ所を以て行ふの方法で、其人々の守るべき人格と云ふものに於ては、孰れも一とせねばならぬのである、即ちそれが道徳であるのである、故に商業のみ道徳と云ふことを論ずるものではないと私は申したいのであります、然るに兎角世間から、商工業者に道徳を評論されますのは、最も商工業者に於て悪くす
 - 第46巻 p.209 -ページ画像 
ると道徳に背馳する虞のある為めではないか、是は己が特に注意して此聯合校友会の皆様方は実業者諸君が或は多からうと思ひますで、乃で同情を表して諸君にも斉しく御注意を請ひたいと思ふのでございます、畢竟右様な人の懸念を来たしましたのは、想ふに、私は「義」と申すものと「利」と云ふもの、即ち「義利」の弁別を明に致さぬ為めに、悪くすると右様な疑惑を生ずるのである、少し堅苦しい申上げ方になりますが、義利の弁が明にさへ相成れば、実業家に於て道徳と云ふものに欠ける所がなからしむる域に達するであらうと深く信ずるのでございます、未熟な漢学で此支那の書物に依つて説を述べますのは烏滸がましうございますけれども、唯だ利に依つて利を全ふすることは出来ないのである、義と云ふものがなければならぬ、義利と云ふものに依らねば利益と云ふものは完全に維持し得られるものでない、富の増す程其人民は道理が進んで往つて、富むのと道徳が備はらなければ、其家も其国も維持し得られるものでない、試に日本橋区が明治の初から較べて見たら大変に富も進んであるだらう、従つて道徳も増して居る、人格も進んで居るに相違ない、若し是が富は進んだが人格は衰へたと云ふならば、反対に其富が段々低下して来て、遂に其富を維持することは出来ない、故に利と云ふものは、真正の利は、義に依らねばならないものである、唯利にのみ依ると云ふことであつたら、其利を永久に維持することが出来ない、其証拠は古い文字を以て玆に現はしますと、例へば、孟子が梁の恵王に答へた、千里を遠しとせずしてお前は来たが、吾の国を利する為であらうと云ふ、孟子は之に答へて、何故利と仰しやるか、仁義と云ふものがございますぞや、若しアナタが唯利のみに依つたならば、アナタの大夫はアナタを弑さうと思ふだらう、アナタの士民は其又大夫を弑さうと思ふだろう、上下交々利を征つたならば、国は潰れて仕舞ひます、仁義と云ふものこそ利を全ふするものである、単に利を求めることは決して利を維持するの道理ではございませぬ、其文章は聊か長がうございますけれども、至て分り易く利義の弁別を付けてある、所が之を更に一歩進めて詳しく詮索しますと、大学と云ふ書物にも其通り書いてある、大学の終ひの方孟献子の章と云ふものに、此謂国不以利為利以義為利也、斯く書いてある、即ち義と利と云ふものは決して唯利計りで利を全ふするものではない、道理に適はぬ利と云ふものは永続するものではない、即ち前に申す通り、富が増せば必ず徳義が増さなければ、其富は長く持続することは出来ない、此処の理屈が全く整ふて参りましたら、富を計る所の実業家の道徳と云ふものが、決して頽廃するの、或は毀損するのと人に譏られることは、吾々は万々なからうと思ふのでございます。(拍手起る)然るに不幸にして此利を為すと云ふことは、道理に構はず利を計ると云ふ嫌いのある為に、義に依らざれば真正の利でないことでも、僻目浅い心から悪くすると唯利だけ永久に得られると誤解する為に、或る部分は道徳を履み誤ることがあるのである、それは全く未だ真正なる教育の足らぬのであると云はねばならぬ、此日本橋区の如きは東京市の中心である、其東京市は国家の中心である、富を以て算へても、教育を以て論じても、決して一と云ふて二と下らぬ所であ
 - 第46巻 p.210 -ページ画像 
る、故に此日本橋区の如き場所から、今申上げたる所の義利の弁を明にして、何卒此実業界に御従事為さる、又是から先実業界に出て力をお延ばし遊ばさうと云ふ諸君が、道徳と富と同じやうなる道行を以て斯の如く四十年に進んで来た国家を、弥益堅固に弥益増大に至らしめることを、深く希望するのでございます。



〔参考〕集会日時通知表 大正一〇年(DK460054k-0004)
第46巻 p.210 ページ画像

集会日時通知表 大正一〇年 (渋沢子爵家所蔵)
十月四日 火 午后二時 日本橋聯合校友会(久松小学校)
   ○出席未詳。