デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
4款 社団法人癌研究会
■綱文

第46巻 p.334-341(DK460097k) ページ画像

明治42年4月20日(1909年)

是ヨリ先明治四十一年四月二日、東京帝国大学ニ於テ、当会発会式挙行セラレ、栄一出席シテ演説ヲナス。是日、一橋学士会事務所ニ於テ、当会第四回評議員会ヲ開キ、栄一ヲ当会副総裁ニ予選シ、後、栄一ノ承諾ヲ得テ正式ニ推薦ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK460097k-0001)
第46巻 p.334 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年         (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 曇 軽暖
○上略 午後一時帝国大学ニ抵リ、癌腫研究会ニ出席シ、一場ノ祝詞ヲ述へ○下略


中外商業新報 第七九一九号明治四一年四月三日 ○癌研究会発会式(DK460097k-0002)
第46巻 p.334 ページ画像

中外商業新報  第七九一九号明治四一年四月三日
○癌研究会発会式 本日午後一時より医科大学病理学教室に於て開会牧野文部大臣・浜尾総長・渋沢男を初め無慮六百余名、諸博士の講演ありて午後五時半散会せり


癌 第二年第一冊明治四一年六月 (12)男爵渋沢栄一閣下祝詞(速記)(DK460097k-0003)
第46巻 p.334-336 ページ画像

癌  第二年第一冊明治四一年六月
    (12)男爵渋沢栄一閣下祝詞(速記)
諸君今日ノ有益ナル癌腫研究会ノ発会式ニ当リマシテ、私ニモ参上イタシテ一言ノ祝辞ヲ述べロト云フ、過日態々青山・本多両博士カラ御依託ヲ蒙ムリマシタ、元来官職ニ在ル身体デモゴザイマセズ、又医学等ニ至ツテハ殆ド皆無ノ私デゴザイマスカラ、斯カル祝辞ヲ申述べマスノハ、殆ド少シ滑稽ジミハセヌカト少々躊躇シマシタノデアリマス併シ尚ホ再考イタシマスト、私ハ先年癌腫ヲ患ヒマシタガ、幸ニ今尚ホ生存シテ居リマスカラ、ヒヨットスルト生キタ標本ニ或ハナリハシナイカト思ヒマシテ、押シテ玆ニ出マシタ訳デゴザイマス、(聴衆大笑)ソレデ私ハ前席ニ於テ博士方ノ述へラレマシタ学説トハ大反対ノ至ツテ俗説ノ素人話ヲ申シテ、祝辞ニ代へヨウト思ヒマス、維新後日本ノ事物ノ進ンデ参リマシタコトハ、殆ド各種ノ方面ニ於テ所謂駢ビ走セ、共ニ進ムト申シテヨイト思ヒマス、不肖ナガラ我々ノ関係イタシテ居リマスル実業界ト雖モ、世間カラハ小言ヲ言ハレルガ、昔日ト比較スレバ余ホド進ンデ居ル、併ナガラ其事物ノ中デ数へテ見マスルト、医学ノ進歩ハ第一ニ指ガ屈レルヤウデゴザイマス、或ハ軍事ノ進歩ガ其前デアルカ其後デアリマスカ、私ニハ其品定メヲスル事ガ出来兼ネマスガ、医学ノ発達ハ殆ンド摸倣時代デナクシテ、発明時代マデ進ンダト申シテモ宜カラウト思ヒマス、左様ニ進ンデハ来マシタケレドモ、世ノ中ノ進歩モ又医学ニ負ケズニ進ンデ来ル、負ケズ進ンデ来マスルカラ色々ノ病気モ亦タ追々ト進ンデ来ル、恰モ鉄道ニ乗テ遁ゲル泥棒ヲ電信デ追駆ケルト同ジヤウナ有様ニ、追駆ケル方ノ進歩ガア
 - 第46巻 p.335 -ページ画像 
レバ逃ゲル方ノ進歩モアル、医学モ進メバ病気モ進ムト云フ有様デアル、玆ニ一例ヲ申シマスレバ、私ハ養育院ノ貧民ヲ世話ヲシテ居リマスガ、東京市ノ貧民ノ殖エルニ従ツテ東京市ガ繁昌スル、繁昌スルト云フ言葉ハ貧民ノ多クナルト云フ言葉トハ正反対デアルガ、繁昌ト云フ字ト貧民ノ多クナルト云フコトハ離ルべカラザル因縁ガアル、繁昌スレバ貧民ガ多クナル、東京市ノ住民ガ百数十万ノトキハ、養育院ニ這入ル貧民ノ数ハ五百人グラヰデアリマシタガ、段々ニ東京ノ繁昌ヲ増スニ従ツテ養育院ニ這入ル者モ増加シテ、今日ハ千五百五十人ト云フ大数ヲ算スルヤウニ相成ツタ、貧民ノ多数ヲ以テ東京市ノ繁昌ヲ卜スルト云フハ奇妙ナル現象デゴザイマス、ソレト同様ニ、如何ニ医学ガ進ンデモ尚ホ癒シ切レヌ病気ガアル、癒シ切レヌ病気ガアルカラ、医学ガ進マヌト考へルノハ間違ツテ居ル、如何ニ進ンデ行ツテモ、尚ホ之ニ打越へタル事実ガ生ズルト云フハ、是ハ争フベカラザルコトデアルダラウト思ヒマス、故ニ此癌研究ニ就テモ、是カラ諸博士ノ追々ノ御丹精デ相当ノ発明モ出来、又コレガ治療ハ術モ明瞭ニナルデアリマセウガ、前ニ申シマシタ、私ガ癌腫ヲ患ヒマシタトキノ、素人ノ眼ヨリ見タ病気ノ経過ヲ申上ゲテ、御参考ノ一端ニモナレカシト企望シマス。
私ガ癌腫ヲ患ツタコトハ二十七年四月ノ初頃カラデゴザイマス、其時ハ癌ト云フコトハ分リマセヌガ、唯口中ガ荒レタクラヰニ思ツテ、殆ド半年以上経過シマシタ、十一月ノ初ニ当ツテ段々ニ痛ガ強クテ困難デ堪リマセヌデ、高木博士ニ診テ貰ツタ所ガ、博士ハ首ヲ捻ツテ一度デハ見切レマセヌカラ更ニ見ナケレバナラヌト言ハレテ、イヅレ再ビ見マセウト云フコトデ帰ラレタ、高ガ口中ノ荒レタ位ナルニソンナ人威カシヲ言ハレテハ困ルト思ツテ奇異ニ思ツテ居ツタガ、一日隔ツテ再度診察サレ、ドウモ悪性ノヤウダカラ手術スル外ナイト云フコトデアツタ、悪性ノモノト云へバ癌ト云フモノデナイカト言フタ所ガ、先ヅサウダト云フコトデシタ、余リ気持ノ宜イヤウナモノデアリマセヌ今此席デ其感ジヲ記臆シテ居ル者ハ私一人デアリマセウ、実ニ不愉快デアリマシタ、然シ我ガ身ニ出来タ病気ダカラ何処へモ持ツテ行キドコガアリマセヌ、大先生ガサウダト云フ、ドウシタラヨイカト問フト切解スル外ニ治術ハナイト云フ、其頃私ハ六十ニ垂ントシタ年齢デアリマシタ、若イトキハ剣術ヲ学ビ小角力ヲモ取ルト云フ力自慢デアツタ、殊ニ維新前ハ攘夷鎖港ヲ唱へテ随分殺伐ナ人間デアリマシテ、幸ニシテ何処ニモ刀瘢抔ハナイガ、六十ニナツテカラ顔ニ刀疵ヲ受ケルト云フノハ如何ニモ残念ダ、サウ云フコトハシマイト云フテ家族共ニ議論モシタガ、何ニセヨ癌腫ト云へバドウシテモ切ラナケレバナラヌカラ剛情ヲ張ツテハイカヌト云フコトデ、是非切開シナケレバナラヌト云フコトニナリ、スクリツパ先生ト橋本先生ガ立会デ、三人ノ先生ガ相談ノ上、其年ノ十一月十八日ニ切開ヲ行ツテ、ソレカラ殆ド三十日バカリハ其疵ノ為ニ引籠リマシタケレドモ、ヤガテ疵ガ平癒イタシマスルトアトハ何ントモナク、其以後ハ先ヅ今日マデ健全ニ致シテ居リマスガ、其後時々口中ガ荒レマスト、人間ハ弱イモノデ、是ハ再発シタカトビクビクイタシマシタコトモアリマシタガ、其為メニ業務ヲ
 - 第46巻 p.336 -ページ画像 
怠ルト云フコトモナク、又真ニ再発ト云フヤウナコトモナクシテ今日マデニ至リマシタ、ソコデ五・六年前カラ医術ニ心掛ケノナイ人ハアレハ癌デナカツタラウ、又ハ渋沢ハ運ノツヨイ人ダ抔ト色々ノ説ヲ申シタ者モアリマシタガ、若シ癌デナイナラバ其時ニ大先生方ガ数回見テ鑑定シ得ヌ筈ガナイ、三人ノ大博士ガ六ツノ眼デ見テ愈々癌ト見テ切開シタノデアルカラ素ヨリ癌ニ相違ナイト信ジテ居ル、運ガヨイトカ或ハ癌デナカツタラウトカ云フコトハ実ニ斉東野人ノ言ニ相違ナイ而シテ其癌ガ再発セヌト云フコトハ今日マデノ経過デハ事実デアルガコレガ果シテ再発セヌ性質ノモノデアツタカ、又ハ其治療ガ巧妙ナル為メデアツタカトイフ研究ハ、今日ノ研究会ニ御任カセシマスカラ、ドウカ充分ノ御調査ヲ願ヒタイト云フノ外アリマセヌ。(聴衆大笑)
爾来先ヅ今日マデハ健全デアリマスノデゴザイマス、デ斯様ナ癌腫ニ縁故アル身体デゴザイマスカラ、幸ニ斯カル研究会ニ於テ私ノ一身ガ若シ一ツノ生存シテ居ル標本タルコトヲ得タナラバ、光栄此上モナイト思ツテ参上イタシマシタ次第デアリマス。
終ニ臨ンデ自家ノ方面ノコトニ就イテ一言ヲ添へタウゴザイマス、先刻標本ヲ拝見イタシマシタ際ニ真性ノ癌腫デナクテモ、チヨツトシタ悪イ腫物デモ治療ガ遅々スルト癌腫ニ変ズルコトガアル、デアルカラ能ク注意シテ治療シナケレバナラヌト云フコトヲ御案内下サレマシタ方カラ承リマシタガ、何ンデモ早ク治療ヲスルト云フコトハ必要デアル、今日我々ノ経済界モ少シ病気ニ罹ツテ居リマス、癌腫ナドデハアリマセヌ、結核デモアリマセヌ、併シ病気ト云フコトハ免レマセヌ、或ハ食傷シタカ、腸胃ヲ損ジタカ知レマセヌガ、成ルベク早ク平癒サセタイト思ヒマス、ドウカ此経済界ノ病気モ、今日此会ヲ御開キニナツタ癌腫ノ御研究ト相待ツテ、速ニ治療ノ方法ヲ発明シタイト思ヒマス、之ヲ以テ今日ノ祝詞トシマス。(拍手)


竜門雑誌 第二三九号・第八二―八三頁明治四一年四月 ○癌研究会(DK460097k-0004)
第46巻 p.336 ページ画像

竜門雑誌  第二三九号・第八二―八三頁明治四一年四月
 ○癌研究会 癌研究会の発会式は本月二日午後一時より東京帝国大学病理学教室に於て挙行せられ、三宅医学博士座長席に就き、先づ会頭に青山博士、副会頭に本多博士を推し、次に評議員の推選あり、之にて会は成立し、次に青山会頭の開会の辞あり、文部大臣・大学総長其他の祝辞演説あり、引続き専門大家の講話ありて散会せしが、青淵先生は同会に出席せられし上、左の如き演説(四月四日毎日電報所載)を為されたり
  ○上掲演説ノ要旨ヲ収ム。略ス。
然るに岡田博士は先生の説を否認して是れ癌にあらずと説き、青山博士は之に反して先生に向て種々の質問を試みられしが、先生は一々之に答弁し、大に癌党の為めに気焔を吐かれたり


(山極勝三郎)書翰 渋沢栄一宛明治四一年四月二一日(DK460097k-0005)
第46巻 p.336-337 ページ画像

(山極勝三郎)書翰  渋沢栄一宛明治四一年四月二一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、春暖之候閣下益御清福奉慶賀候
偖過般癌研究会発会式ニ於テ賜御祝詞候其ノ御演述速記ハ同会書記よ
 - 第46巻 p.337 -ページ画像 
り御手許迄御届申上置候事と存候、右は来五月初旬発兌ノ業報『癌』第二年第一冊紙上ニ掲載之筈ニテ、目下印刷之運ニ有之候ニ付御多用中甚恐縮ニ候ヘ共、至急御是正之上小生へ迄御返送被成下候様致度、右御依頼申上候 敬具
  四月廿一日
                    癌主筆
                      山極勝三郎
    男爵 渋沢栄一殿
           閣下
  ○封筒ニ押捺サレタルスタンプ日付 41.4.21.


(山極勝三郎)書翰 渋沢栄一宛(明治四一年)四月二三日(DK460097k-0006)
第46巻 p.337 ページ画像

(山極勝三郎)書翰  渋沢栄一宛(明治四一年)四月二三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝復、御書面ニ拠れば御不例の処を御病床にて御加筆被成下候趣、恐縮此の事に御座候、乍去以御蔭『癌』紙上光彩を添へ候儀難有御礼申上候、尚折角御摂養専一ニ奉祈候 敬具
  四月廿三日夕
                     山極勝三郎
    渋沢男爵殿
        閣下


癌 第三年第一―二冊・第四八一頁明治四二年一二月 【明治四十二年四月二十日…】(DK460097k-0007)
第46巻 p.337 ページ画像

癌  第三年第一―二冊・第四八一頁明治四二年一二月
明治四十二年四月二十日(火曜日)午後六時ヨリ学士会事務所ニ於テ第四回評議会開会
      議案
一、侯爵桂太郎閣下ヲ本会総裁ニ推薦ノ件
二、副総裁人選之件
三、総裁・副総裁推薦式挙行ノ件
      決議
一、全会一致ヲ以テ原案之通リ可決
二、副総裁ハ渋沢男爵ヲ予選シ、本多副会頭ヨリ其内意ヲ伺ヒ承認ノ上推薦スルコト
三、総裁・副総裁確定承認ノ上ハ、之レガ推薦式挙行ニ先チ評議員晩餐会ヲ催シ、其席上ニ両閣下ヲ招待スルコト
  但其費用ハ各評議員ノ自弁トシ、総裁・副総裁ニ係ル費用ハ之ヲ本会ヨリ支出スルコト
  晩餐会準備ニ関スル諸件ハ凡テ理事ニ一任スルコト


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二一頁 昭和六年一二月(DK460097k-0008)
第46巻 p.337 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿)  昭和六年十二月調 竜門社編
               竜門雑誌第五一九号別刷・第一四頁昭和六年一二月
    明治年代
  年 月
四二 四 ―癌研究会副総裁―大正三、一、―社団法人〃副総裁―昭六一一。

 - 第46巻 p.338 -ページ画像 

社団法人癌研究会沿革 本多忠夫述 東京医事新誌第二五〇六号抜刷・第三三―四二頁昭和二年一月刊(DK460097k-0009)
第46巻 p.338-341 ページ画像

社団法人癌研究会沿革 本多忠夫述
            東京医事新誌第二五〇六号抜刷・第三三―四二頁昭和二年一月刊
    社団法人癌研究会沿革
               会頭 医学博士 本多忠夫
距今二十有余年前、我国医界の有志者は国際医界の趨勢に鑑み、本邦に於て癌研究会又は癌調査会設立の必要を感じ、明治四十年春頃より同志間に於て時々同会設立に就き協議会を遂げ居たる際、偶々一千九百六年独逸国に於て第一回国際癌研究協議会を開催せられ、明治四十年本邦の同志に向て、独逸中央癌調査会の名を以て、日本に於ても癌研究会或は調査会を起され、国際癌調査会に加盟し、共同研究に助力せられんことを切望する旨通牒し来れり。依て同年十二月初旬下記十三名は癌研究会の創立を企図して其首唱者となり、其名を以て左記通知書を在京同僚百八名宛発送したり。
○中略
      首唱者(イロハ順)
 芳賀栄次郎  本多忠夫  男爵岡玄卿  男爵高木兼寛
 長与称吉   栗本東明  山極勝三郎  北里柴三郎
 青山胤通   佐藤三吉  佐藤達次郎  木下正中
 平井政遒
前述の通知により偕楽園に催せし協議会に集合せし者は三十五名なりき。席上本多忠夫は首唱者を代表して参集各位に対し謝辞を述べ、且つ岡男爵に嘱して議事を開かんことを詢りしに、全会一致之に同意す乃ち同男爵を座長に推して開会、更に本多忠夫は癌研究会創立を首唱せる理由を詳述し、国際的関係もあることなれば速かに之を設立し、次て国際癌研究協議会に加盟して合同研究に参加すべきは、人道上一日も忽せにすべからざる旨を主張して、賛同を需めたるに、全会一致同会の設立を可決す。依て直ちに同会規則草案を提議したるも、時間なきを以つて悉く議了するに至らず、然も第一条・第二条を議決し且つ第一回癌研究会を翌四十一年四月東京に於て開設することを決議し第三条以下の条項に就ては首唱者十三名に、近藤次繁・岡田和一郎・宮崎幹之助・志賀潔・秋山錬造・鶴田禎次郎・田代義徳・朝倉文三・林曄・西山信光諸氏の十名を加へたる弐十三名の委員に附託することに決す。而して当日の出席者三十五名は本会設立発起人たることを承諾せられたり。
第一回設立協議会の議決に基き、明治四十一年二月二十七日委員会開催の際、本多忠夫は立て各種学会の組織及び這般の事業経営に最も経験ある川上元治郎・細野順の両君に対して本会設立の経緯及趣旨を述べ、将来本会の為に援助せられんことを乞ひたるに両氏は之を快諾せられたり。更に本多は会衆に向て日本癌腫研究会規則案中「第一条。本会は癌腫の研究を以て目的とす、第二条。本会は日本癌腫研究会と称す」てう二条項を偕楽園に於ける第一回協議会に於て原案通り可決せられたるを以て、本日は爾余の条項並に発会式挙行準備及会員の資格等を議するに付、此際北里柴三郎博士に座長を嘱し議事を開き度旨を以て其可否を会衆に詢りしに、満場一致之に賛同せられたるを以て
 - 第46巻 p.339 -ページ画像 
同博士を座長に推して開会し、直ちに議事に移り「第三条。本会の目的を達せんがため主唱者・篤志者を会員とし、会費により本会を維持し、尚ほ寄附金を募集し以て本会の発達を計ること」てう一条を附議したりしに、各員質問及意見を述ぶる所ありしも結局原案に確定せり次て長与称吉氏より第一会及第二会協議会に出席せられし諸君は何れも本会々員たることを快諾せられたる旨報告せられたり。
○中略
同年三月二日、特別委員○芳賀・本多・細野・岡田・川上・長与・志賀は長与胃腸病院に会合して先づ事務所設置の必要を認め、何れに置くべきやを協議せしに、局結長与博士の承諾を得、東京市麹町区内幸町一ノ三胃腸病院内に置くことに決定す。夫より川上委員提案に係る規則草案に就て審議したる末、其成案は次回発起人協議会に報告することゝし、本会発会式は同年四月二日東京帝国大学医科大学病理学教室に於て挙行し、併せて学術集談会を続行することに決せり。
○中略
同年四月二日、東京帝国大学医科大学病理学教室に於て癌研究会発会式を挙行す。当日の来賓は文部大臣男爵牧野伸顕。東京帝国大学総長男爵浜尾新。男爵渋沢栄一。朝吹英二。山中隣之助。三宅秀。北里柴三郎。其他東西両帝国大学教授諸氏の外知名の学者・会員等実に三百有余名に及べり。岡田和一郎博士準備委員を代表して開会を宣し、座長に三宅秀博士を推し、同博士座長席に就くや、本多忠夫は立ちて癌研究会設立の経過を報告し、併せて同会の趣旨に就て演説し了りたる後、直ちに議事に移り、劈頭に癌研究会規則を提議せられしが、左記原案通り可決せらる。
      癌研究会規則
第一条 本会は癌研究事業の発展を図るを以て目的とす
第二条 本会は癌研究会と称す
第三条 本会を東京に置く、但必要の場合には地方会を設くることを得
第四条 本会は毎年一回学術集談会を開き、且つ会員に会報を配附す
    本会は目的を達する為めに寄附金を募りて研究基金となし、其多寡に応じて懸賞論文を募集し、癌研究所・癌治療所を設立する等の実行を期す
第五条 本会の目的を賛成幇助するものは内外国人を問はず何人たりとも会員たることを得
第六条 本会々員たらんと欲するものは其氏名現住所を記し本会事務所に申込むべし
第七条 本会に名誉会員を置き、内外国人を問はず学術上特に功績あるもの又は特に本会の事業を賛助するものは評議会の決議を経て会頭之を推薦す
第八条 退会せんと欲する者は其旨を本会事務所に届け出べし
第九条 本会に会頭・副会頭各一名、評議員若干名、理事若干名を置く
第十条 会頭・副会頭・評議員は会員中より定期会に於て出席会員之
 - 第46巻 p.340 -ページ画像 
を公選し、理事は会頭之を嘱託す
第十一条 役員の任期は二ケ年とす、但任期中評議員に欠員を生じたるときは次点者を以て補欠す
第十二条 会頭は本会を総理す
第十三条 副会頭は会頭を輔佐し会頭事故あるときは之を代理す
第十四条 評議員は本会枢要の事項を評議す
第十五条 理事は会頭の命を受け本会一切の事務を処理す、但理事中一名は金銭の出納保管を掌り、毎年定期会に於て前年中に属する会計の報告をなすべし
第十六条 本会会員は会費として毎年金六円を納むべし、但本会会計年度は毎年一月に起り十二月に了る
第十七条 本会の集会は定期会・臨時会・評議会・理事会とし、開会地は東京と定む、但開会地は時宜に由り変更することを得
第十八条 定期会は毎年四月之を開き本会の事業上に関する協議及報告を行ふ、臨時会は会頭の意見、若くは評議会の決議に由り随時之を開く、評議会及理事会は必要に応じ会頭之を召集す
    但定期会の期日は時宜に由り変更することを得
第十九条 本会規則は定期会若くは臨時会に於て出席会員三分の二以上の同意を得るにあらざれば変更することを得ず
      附則
第二十条 会報は便宜上当分業報、癌に掲載し之を会員に配附す
第廿一条 学術集談会は毎年定期会に引続き之を開く
第廿二条 懸賞論文・癌研究所・癌治療所等に関する件は実行に際し評議会の決議を以て別に規則を設くるものとす
前掲規則に由る役員は公選を省略して其指名を座長に一任することに決議せらる。乃ち座長は会頭に青山胤通博士、副会頭に本多忠夫、理事長に長与称吉博士を推薦し、評議員は本会創立の為臨時設置せられたる専務委員及準備委員より指名し、何れも快諾せらる。
次て青山博士は会頭に、本多は副会頭に、長与博士は理事長に就任拶挨ありて、玆に癌研究会は成立を告げたり、依て来賓の着席を請ひ発会式を挙行す。
青山会頭開会の辞を述べ、文部大臣・内務大臣・東京帝国大学総長・伝染病研究所長・渋沢男爵の祝辞乃至演説あり、本多副会頭閉会の辞に併せて午後は学術集談会を開く旨を告げ、式は盛大裡に終了。此機会に於て独逸中央癌調査会宛本日日本癌研究会成立せる旨電報を以て通牒せり。
○中略
明治四十二年規則を改正し、本会に総裁・副総裁各一名を置くことゝなり、同年四月総裁に時の内閣総理大臣侯爵桂太郎閣下、副総裁に男爵渋沢栄一閣下を推戴し就任せらる。後月余にして帝国ホテルに推戴式を挙げ、青山会頭式辞を述べ、桂新総裁閣下は癌に対する感想を述べて曰く、予等は距今十年前迄は飛行船・飛行機は航空の可能性を疑ひしに豈に図らんや予想に反して航空の困難ならざる現時の程度に発達せる事実に鑑みなば、古来世界の謎と唱ひられたる癌の原因と雖も
 - 第46巻 p.341 -ページ画像 
輓近設立せられたる国際癌研究会に於て各国の研究者一堂に会して意見を交換し合同研究の実を挙げなば、闡明せらるゝこと決して遠き将来にあらざるべし、予は将来研究に要する資金の調達に努むべし、故に会員諸君は須らく余念なく研究に勤むべしと激励せられたり。
○中略
大正二年本会の組織変更の議起り、理事会に於て凝議の末本会を社団法人組織に変更することに一決し、同年十一月十五日臨時総会召集して可決し、同年十二月一日社団法人許可申請書を東京府知事を経て文部大臣に提出し、越えて大正三年一月三十一日社団法人癌研究会設立の許可指令あり、同年二月十日法人設立登記申請書を東京区裁判所に提出、手続を了し、本会の名称を社団法人癌研究会と改正するに至り而して其定款及役員は次の如し。
      社団法人癌研究会定款明治四十一年四月設立大正三年二月法人登記大正三年十一月改正
○略ス。
      社団法人癌研究会役員
総裁      欠員    副総裁 男爵  渋沢栄一
会頭  医学博士青山胤通  副会頭 医学博士本多忠夫
理事長 医学博士志賀潔   理事      細野順
理事  医学博士長与又郎  理事  文学博士富士川游
  ○以下評議員氏名略ス。


癌 第四年第一―二冊・第二二八―二二九頁明治四三年一二月 癌研究会第三回定期会記事(DK460097k-0010)
第46巻 p.341 ページ画像

癌  第四年第一―二冊・第二二八―二二九頁明治四三年一二月
    ○癌研究会第三回定期会記事
 本邦医界ノ明星相集マリ四月一日第三回日本医学会ヲ大阪中ノ島公園ニ開カルヽニ際リテ、癌研究会第三回定期会ヲ四月二日午後一時大阪高等医学校病理大講堂ニ於テ開会シタリ
○中略
 終リニ左記ノ諸君ヨリ遥カニ祝電ヲ寄セラル、今玆ニ掲ケテ其厚意ヲ深謝ス
  癌研究会ノ成功ヲ祈ル  東京 副総裁 男爵 渋沢栄一君
  盛会ヲ祝ス     東京 理事長 医学博士 長与称吉君



〔参考〕竜門雑誌 第七八号・第三六頁明治二七年一一月 【青淵先生 は先頃より口中の…】(DK460097k-0011)
第46巻 p.341 ページ画像

竜門雑誌  第七八号・第三六頁明治二七年一一月
○青淵先生 は先頃より口中の痛にて時々引籠り居られたりしが、今度該患部の切断を要するよしにて、来る十八日スクリツパ氏及橋本・高木の両医学博士立会にて施術せらるゝよし、一日も速に全治せらるる事、吾人の希望に堪へさるなり



〔参考〕竜門雑誌 第七九号・第二五頁明治二七年一二月 【青淵先生 の口癌は先に報導…】(DK460097k-0012)
第46巻 p.341 ページ画像

竜門雑誌  第七九号・第二五頁明治二七年一二月
○青淵先生 の口癌は先に報導したる如く去月十八日高本国手刀を把り、スクリッパ、橋本の二国手立会ひ、充分に患部を切断したるに、其後の経過殊に宜しく逐日順快、今日に於ては患部も殆んと癒え、不日にして常の如く事を見るを得へしといふ、実に悦はしき事にこそ