デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
7款 帰一協会
■綱文

第46巻 p.509-515(DK460130k) ページ画像

大正3年4月17日(1914年)

是日、上野精養軒ニ於ケル当協会例会ニテ、前会ニ栄一ノ提出セル問題ヲ論議ス。栄一出席ス。


■資料

帰一協会会報 第四・第一六六―一六七頁大正三年七月 四月例会(DK460130k-0001)
第46巻 p.509 ページ画像

帰一協会会報 第四・第一六六―一六七頁大正三年七月
    四月例会
四月十七日開会。初め左の講演ありき。
 遺伝               山内繁雄氏
次いで本日の宿題たる前月例会に於ける渋沢男爵提出左記三問題
 一、仁義道徳と生産殖利とは一致するや否や。
 二、道徳は文明の進歩に一致して進めるや否や。
 三、教育は人の根本的性情に対して如何程まで効果を有するや。
に就て吉田氏・中島氏・江原氏等交々意見を陳述せらる。猶当日は米国シカゴ、コルゲート両大学及びロツチエスター、ニユートン両神学校の講師たる浸礼派の名士ヱツチ・シー・メービー博士来賓として出席せられ、一場の挨拶ありき。出席者二十七名。


帰一協会記事 一(DK460130k-0002)
第46巻 p.509-511 ページ画像

帰一協会記事 一           (竹園賢了氏所蔵)
    四月例会
十七日○大正三年四月午後五時半上野精養軒に於て開会。始めに山内繁雄氏の遺伝と題する講演あり、七時より当日特に招聘したるエツチ・シー・メービー博士(氏は米国シカゴ、コルゲート両大学及びロツチエスター、ニユートン両神学校の講師たる浸礼派の名士)に一場の感想談を
 - 第46巻 p.510 -ページ画像 
請ひ、七時半会食す。食後フイツシヤー氏は帰米中親しく出席せられたる紐育に於ける帰一協会設立協議会の模様を語りて曰く
 昨年十月末なりしと記憶す、家国の有志者(ピーボデー博士・エリオツト博士等を始め)は姉崎博士の歓迎会に兼ねて、帰一協会を設立するや否やに就いての協議会を開けり。多数の意見は個人として日本の帰一協会に賛成すれども、別に米国に一個の帰一協会を起す程の必要を認めず、といふに在りき。猶余は序でに本会々員たるギユーリツク氏の事に就いて一言せん。同氏は帰米以来実地カリフオルニヤ州を視察し、日米問題と題する著書を公にし、且教会同盟・外国伝道会社同盟及び平信徒同盟等の発起の下に、日米問題解決の為に同氏は各地を演説しつゝあり云々。
フイツシヤー氏は帰米中の所、数週前再び来朝せられたる也。次いで新渡戸氏はメービー博士の講演の大要を通訳し、更に本日の宿題たる討議題に移る。即ち前回例会に於ける渋沢男爵提出の三問題の討議に移る。三問題とは下の如し。
 一、道徳と経済との関係
 二、道徳は果して進歩せりや
 三、教育・修養の効果如何
右について先づ吉田静致氏の意見の陳述ありたり。次いで中島博士の所感の陳述あり、江原素六氏亦其実験談を語らんとし談論将に佳境に入らんとせしも、時既に十時を告げしが故に、遺憾乍ら次回に延期する事となせり。最後に添田氏はギユーリツク氏著日米問題最後の章に於ける亜米利加の新東方政策の紹介を試み、会員諸君の意見を徴せらる。添田氏は大体ギユリツク氏の意見に賛成也と述べられたり。当日の来会者如左。
 添田寿一氏   服部宇之吉氏
 コーツ氏    中島力造氏
 吉川男爵    服部金太郎氏
 塩沢昌貞氏   江原素六氏
 石橋甫氏    矢野茂氏
 鎌田栄吉氏   渋沢男爵
 フィツシヤー氏 マツコーレー氏
 阪谷男爵    坪野平太郎氏
 吉田静致氏   新渡戸稲造氏
 成瀬仁蔵氏   宮岡直記氏
 井上雅二氏   山田三良氏
 山内繁雄氏   麻生正蔵氏
 五代竜作氏
外ニ来賓
 メービー博士  アツキスリング氏
   ○メービーニ就イテハ次ノ各条参照。
    第三十五巻所収「ニユー・ヨーク日本協会協賛会」大正元年十二月十三日。
    第三十九巻所収「其他ノ外国人接待」大正元年十二月六日。
    第四十巻所収「日米交換教授」大正二年二月七日。
 - 第46巻 p.511 -ページ画像 
   ○アクスリングニ就イテハ、次ノ各条参照。
    第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十三年四月四日、大正十四年九月二十六日、大正十五年三月九日。
    第四十二巻所収、キリスト教団体第五款「其他」中ノ「東京三崎会館」。


帰一協会会報 第六号・第六一―七一頁大正四年一一月 経済・道徳及び教育の問題に就きて 吉田静致(DK460130k-0003)
第46巻 p.511-515 ページ画像

帰一協会会報 第六号・第六一―七一頁大正四年一一月
    経済・道徳及び教育の問題に就きて
                      吉田静致
 先月の例会に於て、渋沢男爵の御提出になつた問題――仁義道徳と生産殖利の関係、道徳は果して進歩せりや、教育・修養の効果如何、斯ういふ問題が出て居りますが、これは非常に広い範囲に亘つて居つて、先づ之を根本的に論ずることになると、余程時間も掛ることゝ思ふ。併しこの問題に就いては論ずる必要もあり、又多少考へて居ることもあるので、時間があるならばお話をして、諸君の御批評を願ひたいとは思ひますが、併し今日は時間が無くして、遺憾ながら出来ませぬ。併し斯ういふことだけは考へて居ります。兎に角大体の上から云ふて、道徳教育といふことに就いては、私は三つの大切なることがあらうと思ふ。其の一は人間の尊厳といふことを認めることである。其の二は自発心である。人間の理想とすべきものは何であるかといふことを、心底から十分に会得して、而して自ら進んでその理想とする所を実現しやうといふ態度に立つて、進で正しき道を行ひ、活動を自分から起すといふ点が日本に於て欠けて居るから、自発心に重きを置くことが必要であると思ふ。それからもう一つは、敬虔の念が一般に乏しいやうであるから、之を涵養することが必要である。其の外にもまだありませうが、私は特に此の三つが著しいと思ふ。それらのことを一通りお話して、それに基いて渋沢男爵の御提出になつた問題に対する愚見を述べたいのでありますけれども、其の時間がありませんから他日十分に時間を与へられた時に申上げやうと思ふ。前き程山内博士の遺伝に関する有益なる御話がありまして、其の際にガルトンの人種改良論のことがありましたが、それにつきて、私が只今申した人間の尊厳・自発性・敬虔といふことゝ連関して、多少道徳教育にも関係があるからお話しようと思ふ。
 先程のお話にあつた通りに、人種の改良といふことは、つまり良き種を得るといふことを離れては、到底望むことが出来ないのである。随つて人種改良の為めには、優良なる男女が結婚するといふことに待たねばならぬ。つまりユーゼニツクスの目的は、結婚を通して人種の改良を図るといふことに帰着するやうに思ふ。そこで其の論理的根拠を見ると、斯ういふことである。つまり先程のお話にあつた通り、種が一番大事である。周囲の境遇といふことには重きを置くに足らない例へば或人が自分の一代に於て、周囲の境遇によつて色々発達するけれども、それは一代だけに現はれる発達であつて、其の一代に発達したことは、次の時代に遺伝しない、次の時代に遺伝するものは、要するに初めから血統的の種として伝はつて来たもので、所謂獲たる性質は伝はらない。故に自分一代だけで余ほどの発達を遂げ得たとしてもそれが次の時代に関係が無いから、継続的に将来の人種を改善せしむ
 - 第46巻 p.512 -ページ画像 
るには、何うしても優良なる男女の結婚に依らなければならぬ、と斯ういふことになる。故に今日の如く、体質の上にも人間は段々堕落するようになつて居り、又道徳的にも色々の頽廃がある。これ等の精神的・生理的の色々の堕落を喰ひ止めるのみならず、更に之を良い方に進めるには、何うしても優良なる男女の結婚を奨励して、精神的肉体的に劣悪なる者の結婚を止めるやうに奨めて行かなければならぬ、と斯ういふことになる。処で是れは洵に目的として結構なことである。ガルトン等のユーゼニツクスの理想とする所は大に賛成すべき所があるやうであるが、此のユーゼニツクスを主張する人等が直接に取る方法は、人間の尊厳・自発性・敬虔の念を破壊する傾がある故に反対せざるを得ないのでありますから、其点をお話したいと思ふ。
 此等の人種改良論を主張する学者達の直接に取る方法は色々あるけれども、つまり金品其の他の懸賞によつて、優良なる男女の結婚を奨励することを一方にやつて居る。それから他方に於ては、劣悪なるものゝ結婚を禁止して居る所もある。北亜米利加合衆国のインヂアナ州及コンネクチカツト州などでは、数年前から犯罪的の傾きがあるとか狂人の傾きがあるとか、その外、低能的のもの、遺伝性の病気を有つて居るもの等に対しては、局部は簡単なる外科的手術を施して、妊娠の不可能になるやうな方法を加へる法律を施行して居る。つまり去勢術を施すので、さういふ者に子女の生れないやうな方法を実行する法律を施行して居る。独逸とか澳太利等に於ても、或特定の貧民救助を受けし者には、結婚を禁止するといふやうな法律が出来て居るといふ次第である。要するに、生理上・精神上劣悪なるものに対して、立法の手段によつて子女を殖やさないやうにして居る。同時に他方に於ては、優れた者の結婚は成るべく奨励する。確か一昨年頃と思ふが、ワシントン府に開かれた万国民勢学会で、ユーゼニツクスに関する学者が集つたことがあつた。其の際に或人が建議をした。それは一夫多妻主義を実行するが宜からうかといふのである。最も誰にでも一夫多妻を許すといふのではなく、一方に於ては劣悪なる者には子女を産まさぬやうにするならば、他方には優良なるものには子女を沢山に産まするが宜からう。それには優良なる男子があるとすると、之に唯一人の女子を配偶者として置くだけでは、沢山優良なる子女を産ませるといふ目的に反することになるではないか、さういふ優良なる男子があつたならば、それに優良なる沢山の女子を娶はせて、即ち一夫多妻主義によつて、優良なる子女を沢山産ませたら何うであらうか、と斯ういふのである。成程人間を動物扱ひにするならば、人間を他の生物と同じやうに見て改良するといふ簡単な方から見るならば、劣悪なるものに去勢術を施すも好からう。又他方に於て優れた牡馬を彼方此方と連れ歩いて、良ささうな牝馬と掛け合せて、沢山の優等種を殖やすといふ馬匹改良的方法を取るとするならば、一夫多妻主義も頗る宜からうけれども、併しそれは先程も申した人間の尊厳といふことを傷つけるのみならず、金品を懸賞するとか、或は法律上の制裁に依るとかいふやうな方法によつて、優良なる人種を得やうといふことは、本当の人種改良の目的を最も有効に達する点から行つても、不適当ではなから
 - 第46巻 p.513 -ページ画像 
うかと思ふ。詳しくいふと、人間には自発心が必要である。人間は他の動物と違つて、自ら理想を考へそれを実現するといふ自発的能力を有つて居る。そこで人間自らに自分の子孫をして益々優良に発展せしめやうといふ念願を以て、自発的に自から進んで結婚といふ神聖なる人倫の大事を自ら慎んで行ふ――慎重に之を行ふといふやうにするならば、洵に結構なことゝ思ふ。
 自発的に結婚といふ一大事を決するに際して、己れ自ら優良でないならば、配偶者を求め結婚するといふことを避けて、子孫を殖やさぬ態度を取るべきであるが、若し自分が優良なるものであるといふ自覚があるならば、進んで優良なる配偶者を求め、人種改良の為に貢献すべきである。併しさういふやうに自発的に或は良心的に、さういふ活動を為すに至らしむる為めに、其の根柢として大切なる条件が必要であると思ふ。それは何ういふ条件であるかといふと、一口に言へば、社会に公正なる秩序が行はれて居らねばならぬといふことである。さうでなければ、自発的に立派な態度で人種改良に貢献するなどゝいふことが行はれないことになる。極く簡単に例を挙げていふと、即ち貧富の懸隔が極く甚しいといふことになると、一方には資本主があつて非常に暴威を振つて居る。其暴威を振つて居る資本主の下に、幾多の労働者が使はれて居るといふやうなことになる。仮りに此所に一人の婦人があるとします、それが立派な体質を備へて居り、又知識の上に道徳的に精神的に決して劣つたものでないけれども、社会の秩序が如何にも不公正であつて、経済的に憐れな状態にあるとすれば、仮令自分が優良なる配偶者を得ようとか、自分が優良なる体質精神を備へて居るから、人種改良の目的を遂げたいといふ心が山々あつても、其の日の糊口に困るといふならば、其女は什うするかといふと、道徳的に非常に劣悪であり、遺伝的の病気も有つて居るといふやうな男を配偶者とすることは、人種改良上宜しくないことが明白であるとしても、若し其の男の言ふことを聴かなければ、今日にも飢えて死なゝければならぬ。之に反して其の者の言ふことを聴いて、其の意思に従へば、兎に角喰ふことが出来るといふやうな次第であるから、社会的秩序が不公正である間は、中々人種改良が有効に出来るものではないと思ふそれ故に、さういふ結構な目的を実現して、而して人種の改良を図るといふのには、矢張り経済的生活に於ても、又広く云へば、知識生活に於ても、社会の各々の人をして各々の能力に応じて、自発的に立派に働かせ良心的に活動して行けるやうに、公正なる秩序が社会に行はれるに非ざれば、如何に金品懸賞や法律上の制裁といふやうなことによつて其の改良を強いた所で、決して有効に行はれるものではない、況んや外側から之を強ゆる懸賞処罰等では、第一人間の尊厳を汚し、人間を軽蔑する意味になるのであつて、道徳上どうしても反対せざるを得ないのである。故に社会の為めに識者は先決問題として、何処までも経済的生活に於てもう少し公正なる秩序が行はれるやうに、それから又知識の上に於ても総べての人をしてそれぞれ知見を正当に働かせることが出来るやうに、適当の方法を講ずる必要があらうと思ふ。
 私の主張する公正といふことは、決して形式上の公正ではないので
 - 第46巻 p.514 -ページ画像 
ある。私は形式上の公正といふことに対して、実質上の公正といふ言葉を使ひたいのである。何故といふに、形式上の公正といふことは文明社会に既に行はれて居る。何人も法律の前に、経済的生活に於ても知識的生活に於ても、堂々たる自由を得て居るといふことになつて居る。皆平等の取扱を受けて居る訳である。けれどもそれは形式的の公正である。又選挙に於ても、選挙者は一人一票を投ずるのであるから其の権利行使の点から見れば公正である。けれども、私は之は矢張り形式上の公正であると考へる。何故ならば投票する者の知見が各々立派であつて、各々自発的に良心的に道徳的に正しき投票が出来るやうにして置かなければ、其の公正は形式的であつて、実質上の公正が行はれて居ないと思ふ。即ち仮りに例へていふなら、金といふ力を以てすれば、喰ふに困る者に対しては之を買収して投票権を左右するとか或は権勢を以て直ちに左右する。其の外不正なる手段を以て左右することが多いのである。さうなつて来ると、結果は正しいものとは云はれない。矢張り投票はそれぞれ最善の動機に基いて、其の権利を行使することが出来るやうに、社会的公正が行はれなければ、今日の形式上の公正は、寧ろ弊害あるといつて宜い。其の他経済的方面に於ても表面上形式的には公正であるといふことになつて居るけれども、実質的には分配上等に於て不公正なるが為めに、多くの弊害を生じて居ることは、屡々見出される事実である。さうなつて来ると、先程お話にあつた人種の改良といふ結構なる目的も、有効に行はれないことになるのであるから、今日行はれて居る色々の弊害も、之を救はんが為めに、先づ先決問題として、私の申した実質上の公正が、何処までも確かに行はれるやうにしなければならぬと思ふ。
 其の点を考へて見ると、先程申上げた自発性――自ら己れの理想が何であるかを明かに会得して、良心的に活動が出来るやうに、大切なる自発性を最も立派に発揮することに取つても、根本の条件は実質上の公正といふことにあると思ふ。渋沢男爵の提出せられた三つの問題にも矢張り関連して来ると思ふ。而して今日は自発といふことと、人間の尊厳を認めると云ふこと、殊に大切な敬虔の念といふものが、道徳の側に於て、地を払つて空しくなつて居ると思ふ。利のある所は之を為す。利害損得の念は普通である。孝行といふは、人間の道であるが故に当然為すべきであるといふ風に、此れに対する敬虔の念を以て行ふといふことが、今日は甚だ尠い。それが最も大事な点であると思ふ。それ等のことは、父兄若くは教師が家庭及び学校に於て、注意して養成しなければならぬ。
 例へば、親が必要があつて外へ行く時に、帰りには土産を買つて来て上げるから温順しく留守居をせよといふ。これが第一宜しくない。親が外へ行く時には、小供たる者当然留守居をして然るべきである。土産を提供して置いて留守居をさせる。さうすると土産が目的になるそれが余程不純粋な動機を養ふことゝなり、利害損得を先にして、当然為すべきが故に為すといふ敬虔の念を薄弱ならしむることになる。自発的良心的の態度に立つて、而して一面には何処までも人間の尊厳を明かに認むるならば、甚だ宜いと思ふ。それに就いて十分お話した
 - 第46巻 p.515 -ページ画像 
いと思ふけれども、時間が無いから省くことに致します。人種改良の問題に就いて、その主張者等が、他の劣等動物を取扱ふ如くに人間を取扱ふならば、却つて本当の人種の改良が出来なからうと思ふ。本当の人種改良の目的を達するに就いても、今申したことが根本的に必要である。ガルトンも此点は多少自からも認めて居る。即ちその主張する人種改良の精神を総ての人の良心に這入り込ませて、遂に一種の宗教に至らしめなければならぬ、と或処で言ふて居る。それならば私は大賛成である。それが人種を改良する最善の道である。さういふやうに、良心的に各自が自発的に結婚といふ人倫の大事を慎しみ行ひ、劣悪なる子孫を残さぬ様にすれば宜しいのであるが、余りに効果を急ぐ為めに、直接の方法として、金品の懸賞其の他法律上の制裁等の如き手段を取るといふことは、人間の尊厳を傷つけること頗る大なるが故に、其の点に於ては、道徳的見地よりしてどうしても反対せざるを得ない。単に生物学的に見るならば、それでも宜しいであらうが、尊厳なる人格に関する問題でありますから、注意せねばならぬと考へまして、簡単に其のことを申上げたのであつて、他の問題に就いては時間が、許しませぬから、今日はこれで御免を蒙ります。
                    (大正三年四月例会)



〔参考〕中外商業新報 第一〇〇六五号大正三年五月二日 ○風教振興協議 渋沢男の談話(DK460130k-0004)
第46巻 p.515 ページ画像

中外商業新報 第一〇〇六五号大正三年五月二日
    ○風教振興協議
      渋沢男の談話
四月三十日夜渋沢栄一男を始め、阪谷市長・鎌田栄吉・中野武営・服部金太郎・大橋新太郎・成瀬仁蔵の七氏は東京銀行集会所に会し、現時の風教振興に就て意見を交換する所ありたり、此事に関し渋沢男は次の如く語れり
 現代の人心は動もすれば軽佻浮薄に流れ、敦厚質実の風に乏しからんとす、政治と言はず、実業と言はず、教育に宗教に官吏に、淳朴の気なく、一時の成功を急ぎて、着実と誠意を欠き、好んで瞬間を誤魔化し了せんとす、抑も人の罪乎、時代の風潮乎、夫れとも老人の気のせい乎、其何れにするも、斯る風潮に任せしむるは、延いて国家の進運を傷け民力の伸展を妨ぐるや必せり、宜しく上下一致淳朴の気風を養ひ、敦厚の性に培はざる可らず、是れ吾等同志の会同を見たる所以のもの、聊か世道人心に裨益する所あらんと期し、併せて将来之に任ぜんとするなり云々