デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
7款 帰一協会
■綱文

第46巻 p.644-647(DK460162k) ページ画像

大正10年1月21日(1921年)

是日及ビ三月二十六日、栄一、一ツ橋如水会館ニ於ケル当協会例会ニ出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK460162k-0001)
第46巻 p.644 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
壱月廿一日 金 午後五時半 帰一協会例会(如水会館)


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK460162k-0002)
第46巻 p.644 ページ画像

渋沢栄一日記  大正一〇年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十一日 晴 寒
○上略 午後五時半帰一協会ニ出席ス、夜飧畢テ帰宅ス○下略


(帰一協会)協会記事四(DK460162k-0003)
第46巻 p.644-645 ページ画像

(帰一協会)協会記事四          (竹園賢了氏所蔵)
大正十年壱月例会記事
本月例会を廿一日(金曜)午後五時半より、神田区一橋通り如水会館に於て、左の如く開催す
当日の出席者左の如し
 秋月左都夫氏    姉崎正治氏
 アームストロング氏 岩野直英氏
 井上雅二氏     筧克彦氏
 渋沢栄一氏     片山国嘉氏
 夏秋十郎氏     塩沢昌貞氏
 花房太郎氏     松井茂氏
 増田義一氏     森村開作氏
 矢吹慶輝氏     矢野茂氏
 安川敬一郎氏
当日の講演左の如し
 酒害予防に関する国民の覚悟
             医学博士 片山国嘉氏
酒は怪物であつて酒害に気付いたのは数千年の古よりである、釈尊は三千年の古に之を大いに戒めて居られる、孔子は之の害を知らない人であつた、現代人にも此の害を知りつゝ或は知らずに禁酒に反対する人が多い有様である、先づ第一に
酒とは何ぞや、との点より定むべきである、国によりビールやブドー酒の如きを酒にあらずとする所もあるが、とにかく四種のアルコール中のエチールアルコールを含有する飲料を云ふのである、その含有程度に相違あるが、それは今問題でない、ベルツ博士の如きは日本酒を賞めたが、之れは日本人が粗悪のブドー酒を誤讚した蒙をとく為めに云つたので、決して日本酒を酒と云へぬとか、無害だとかは云ふ事が出来ない、酒害論は東西によつて異る筈のものではない
酒害の程度は明了な統計が無いけれど、飲酒家特殊の病気の可なり多
 - 第46巻 p.645 -ページ画像 
い(山際覚三郎氏の統計及び長与昌吉博士の実査等により)事を知るべきである、或者は少量の酒は精神病の予防になるなどと云ふものもあるが、之も実査の結果は、精神病と酒とは因果関係をなし居る事が明了である
米国の如きは二・七以上を酒と云ふとの如きアルコールの含量に程度があるが、日本には之がないが、とにかく酒の感じのする程度以上を酒と云つて差支なかろうと思ふ
次ぎに、かゝるアルコールを含む酒と云ふ飲料は薬か毒かとの問題については、先づ薬とは何ぞ、毒とは何ぞ、との了解を得べきである、世人の多くが考へる如き絶対的の区別のあるものではなく、之れ相対的に云ひ得るのである
酒は即ち程度によりて或は薬ともなり或は毒ともなるのである、而し薬として認めるには是非専門的の知識を必要とするのであつて、普通の人の問題ではない、故に従つて一般食卓に用ひる飲料としての酒は人間生活に必要なりや否やとの事になるが、私は色々の点から之を帰納して、不必要なりと断定するのである、習慣が第二の天性となつて何だか欠き得ないものかの如く思はれるに至つた
私の主眼とする処は此の習慣から去ると云ふ処にあるので、一般の禁酒論とは此の点に於て異るのである
食後 (諸氏の質問に対し再び左の要約の如く述べらる)
酒は消化は助けないけれど、胃の刺激となりて運動を助ける事になる而し此の点から云へば、単に酒のみが此の効をなすのではない、酒をのむと温くはなるが、その為め熱を放散して却つて寒くなるのが常である、飲酒の後に凍死の多い所以である
元来酒を好まず之に弱かりし人が無理にのむ習慣を作つたのは、元来好きで酒に強い人よりも被害の程度が多い、而し一見大酒家にして何の害をも受けない様に見えるのもあるが、之も表はれないだけで何処かにその害が及んでる、例へば病気になると著しく身体の抵抗が減ずる如し
ロイド・ジヨージは、酒は飲まぬが宜しい、而し飲み得る人にして飲まぬが最も宜しい、と云つたが名言である
先刻渋沢子が労働者等から酒を取るのは考物と云はれたが、最も交際などと云ふ習慣から来るのが多く、社会的に此の習慣を破れば何れだけ彼等に酒が必要か疑はしい、而して酒害の程度や状は種々であるから一様には云へない、禁酒節酒の問題も決して単純でない、形式的な法令などで之を解決しようとするのは到底駄目である、各人の自覚に待つと同時に、小供や青年の如き未だその習慣なきものに新に習慣を作らさぬ事が何よりも大切だ、小供や青年には絶対禁酒《(無始禁酒)》、既にその習慣あるものには相対禁酒《(有酒禁酒)》としたい、そうすれば二十年三十年の後には禁酒令の必要が無くなると思ふ、之れ日本の酒害予防の社会政策としても適当のものと思ふ


集会日時通知表 大正一〇年(DK460162k-0004)
第46巻 p.645 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
参月廿六日 土 午後五時半 帰一協会例会(如水会館)

 - 第46巻 p.646 -ページ画像 

(帰一協会)協会記事四(DK460162k-0005)
第46巻 p.646-647 ページ画像

(帰一協会)協会記事四          (竹園賢了氏所蔵)
    三月例会記事
本月例会を二十六日○大正一〇年三月(土)午後五時半より、神田一橋通り如水会館に於て、左記の如く開催す
当日の演題及び講演者左の如し
 人心の趨勢と思想の自由 文学博士 姉崎正治氏
当日の出席者左の如し
 秋月左都夫氏  姉崎正治氏
 石崎甫氏    今岡信一郎氏
 井上雅二氏   尾高豊作氏
 渋沢栄一氏   頭本元貞氏
 土肥修策氏   時枝誠之氏
 内藤久寛氏   穂積重遠氏
 増田義一氏   山内繁雄氏
 矢吹慶輝氏   吉田静致氏
 湯河元臣氏   筧克彦氏
 矢野恒太氏   片山国嘉氏
 馬場恒吾氏   松井茂氏
 斎藤七五郎氏
当日の講演の大要左の如し
日本では他の国と異り、上に立つ人即ち政府の方針が本となり、その権力の下に圧迫を受ける事が多い、その著しい例としては寺内内閣であつて、訓示訓令の連発であつた、彼等は凡て形式的機械的に整へ様としたので、内的活動性自由性を無視して居るのである、現内閣も大体似て居る、思想圧迫、記事差止め、発売禁止等が前内閣よりも多いとの様である、菊地水戸中学校長の問題の如き皆然り、日本にては危険思想と云ふものは直ちに外来思想なりとする考方である、即ち思想を静的に見、連絡あるものと見ずに断面的にのみ見て居る、精神的方面は日本在来のもので充分だから、西洋からは文明(物質的)のみ取り入れば沢山だと思つて居る、斯かる木に竹をついだ様な考へ方のみ多い、即ち道徳的自由自足主義《(給カ)》と云つてよいだろう、此等から色々の矛盾を生じつゝある
学校、結婚、職業其の他諸問題に及んで居るのである、常に静的形式的の見方が誤りの根本をなしつゝある、例へば教育にしても単に利用興生の結果にのみ重きを置き、独創を認めず、科学的精神をふき込み真理の探究に向はしめる事を怠つて居る、売淫科学のみ多く行はれて居る、歴史教育にしても検定に際して一種の禁止事項があつて其れに合致せねば許可されない、其故全部骨ぬきの無趣味な死歴史としまふのである、従つて少年達は小説に走らんとして居るのである、次ぎに宗教を教育界より排斥しつゝある件であるが、之は単に排斥するから無くなるとも云へないが、若し之を助成したらより多い効果を見るだろうと思はれる事が多い、例へば日本女子大学にて助成的方針を取り居る為めに、何等か宗教的光明にふれたとの告白をなす女生の可なり
 - 第46巻 p.647 -ページ画像 
多いのも参考すべきものと思ふ、幼時から宗教的訓練を欠くとの事が却つて、大本教式のものにはまり込むとの事になり易いのである、社会的地位ある人でも、此の方面では至つて低級の人の多いと云ふ有様である
学校教員の経済的優遇との事もあるが、更らに小中学教員に対しては精神的圧迫から解放してやる必要多いのである、神社崇敬を強ひられる如き虚偽に流れる事となるのである、近頃の宗教的運動も多く神道的色彩を帯びて居るのは、之を保護色として居るのである、次ぎに日本政界の党議なるものも排斥すべき急に迫つて居るのである、又発売禁止にしても一般人なるものを余り低く見くびり過ぎて居る為めである、学校の講義に刑事を入り込ませるなど何たる愚劣さであろう、余り急に改め得ないとしても漸を以て改めてもよい、もつと言論、思想教育上等に自由を与へる様にする事が必要でないか、又政治上の党議を排すると共に、教育界に教案を廃し、もつと各人自由を尊び、その自由の活動をさせる様にするとよいと思ふ、之れが出来ると、外来思想の事も容易に解決が出来ると思ふ、以上
此の後数氏との質問応答あり