デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
7款 帰一協会
■綱文

第46巻 p.686-688(DK460175k) ページ画像

昭和3年1月24日(1928年)

是日栄一、日本倶楽部ニ於ケル当協会大会ニ出席シ、「帰一協会の目的についての所感」ト題シテ懐旧演説ヲナス。


■資料

帰一協会書類 (一)(DK460175k-0001)
第46巻 p.686 ページ画像

帰一協会書類 (一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
謹啓 寒冷の砌に御座候へども尊堂御清穆奉賀候
 偖本会昭和三年度大会を左記の通り開催致候ニ付ては、可相成会員多数の御出席を希度、此段得貴意度存入候 不備

一、日時 一月廿四日(火)午後四時
一、会場 日本倶楽部 日比谷下車、帝劇裏
一、大会報告
  (1)会計報告 (2)会員移動 (3)其他ノ件
一、講演 『帰一協会の目的に就ての所感』
                子爵 渋沢栄一氏
 追て準備の都合も有之候ニ付き、前日までに御出欠並に食事有無に付き御一報願入候
  一月十八日○昭和三年
                     帰一協会


集会日時通知表 昭和三年(DK460175k-0002)
第46巻 p.686 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
一月廿四日 火 午後四時頃 帰一協会大会(日本クラブ)

 - 第46巻 p.687 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 昭和三年(DK460175k-0003)
第46巻 p.687 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年          (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 晴 寒気強カラス
○上略 午後四時日本クラブニ抵リ、帰一協会総会ニ出席シテ、本会創立当時ノ記憶ヲ演説ス、姉崎正治氏会務ヲ掌ル、阪谷男其他数十名来会懐旧談多シ、夜六時過退席帰宅○下略
一月二十五日 晴 寒気強カラス
午前八時起床、直ニ洗面シテ朝食ヲ取ル○中略 土井脩策氏来訪シテ、昨日帰一協会ノ集会ニテ懇切ニ指示セラレタル薬餌ヲ持参セラル○下略


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK460175k-0004)
第46巻 p.687 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年        (増田正純氏所蔵)
一月廿四日 火 晴                出勤
○上略
午後三時事務処に於て雨夜譚会あり、子爵より帰一協会設立の趣旨及目的ニ就て談話があつた
○下略
  ○右雨夜譚会ノ筆記ハ本款明治四十五年四月十一日ノ条ニ収ム。


帰一協会記事 六(DK460175k-0005)
第46巻 p.687-688 ページ画像

帰一協会記事 六               (竹園賢了氏所蔵)
  昭和三年一月大会  一月十八日《(二十四)》於日本倶楽部
一、会計報告 自昭和二年一月一日至同十二月卅一日
    収入之部
 一、金六百六拾参円也     会費収入
 一、金四拾弐円弐銭也     預金利息
 一、金壱千九百七拾九円七拾六銭也 前期繰越金
  合計金弐千六百八拾四円七拾八銭也
    支出之部
 一、金八拾壱円弐拾八銭也    通信費
 一、金五拾七円七拾銭也     例会補助費
 一、金五百四拾円也       報酬及手当
 一、金百四拾五円五拾銭也    雑費
  合計九百弐拾四円五拾参銭
 差引
  残金壱千七百六拾円弐拾五銭
      内訳
 一、金壱千七百四円五拾五銭   銀行預金
 一、金拾壱円四拾七銭      振替貯金
 一、金四拾四円弐拾七銭     手許在高
    〆
二、会員移動
  入会者 ナシ
  退会者 村井貞之助氏(二年八月)五代竜作氏(二年十二月)山梨半造氏(三年一月)
  死亡者 小野英二郎氏(二年十一月)沢柳政太郎氏(二年十二月)山口宏沢氏(三年一月)
 - 第46巻 p.688 -ページ画像 
  会員総数 一二三名
 講演「帰一協会の目的についての所感」
                子爵 渋沢栄一氏
 帰一協会も既に、設立されてから、十数年を経過した。その沿革もはつきり記憶しなくなつた程である。
 此の帰一協会が出来る以前から、道徳的、精神的な会合をつくり度いと、漠然と望んでゐた。知識が劇しい勢ひで進歩してゆくに対し、道徳の忘れられてゆく様な弊害がある様に思はれる。利害得失が明かになれば、悪い事はしなくなると云ふ学者側の意見もあるが、世の中は、その通りにも、行かない様である。
 その頃、森村と成瀬と私とが話をして、何かそうした会をつくらうと云ふ事になつた。或る時には、宗教的組織をつくらうと云ふ説さへ出た程だつた。
 兎に角、さうして、精神的問題の研究の為の会合として、これが生れたのである。どう帰着するかはわからないが、論究してゆくうちに一に帰するだらう。やがて何者かを打ち立てる基礎としてと云ふ積りだつた。成瀬の意見は、道徳的信念より出発して、宗教的信条と云ふ様なものをつくり度いと云ふ処にあつた。
 かく会が成立して、よりより集つたが、別に特別なよい考へもなく私も、御無沙汰勝ちになつて仕舞つた。併し、これは寧ろ、為さゞるには非るなり、能はざるなり、である。
 こうして切角出来た会であるから、今更、止めるのも残念である。何かよい機会が来るであらうと、気の永い話しではあるけれども、待つてゐる様なわけである。
 私も、自身も一寸帰一論を持つてゐる。それは、道徳と経済との帰一論である。そんな事も段々この会で考へて戴いたらと考へてゐる。
                           (終)

出席者芳名(二十一名)
 秋月左都夫氏  麻生正蔵氏
 姉崎正治氏   岩野直英氏
 今岡信一良氏  江口定条氏
 阪谷芳郎氏   渋沢栄一氏
 塩沢昌貞氏   田中次郎氏
 土肥修策氏   津田敬武氏
 時枝誠之氏   成田勝郎氏
 野口日主氏   花房太郎氏
 服部金太郎氏  間島与喜氏
 増田義一氏   御木本幸吉氏
 諸井六郎氏