デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
8款 財団法人理化学研究所
■綱文

第47巻 p.5-19(DK470001k) ページ画像

大正2年6月23日(1913年)

是ヨリ先、高峰譲吉・高松豊吉等、国民科学研究所ノ設立ヲ提唱スルヤ、栄一之ニ賛成シ、是日、築地精養軒ニ於テ、次イデ七月三日、帝国ホテルニ於テ、協議会ヲ開キ、化学研究所ノ設立ヲ決議ス。栄一其規定及ビ予算ノ調査委員トナル。次イデ十二月十二日、東京商業会議所ニ於テ、第一回委員会ヲ開キ、翌三年三月十九日付ヲ以テ、貴族院及ビ衆議院ニ化学研究所設立ニ関スル請願書ヲ提出ス。


■資料

財団法人理化学研究所設立経過概要 同所編 第一―二頁刊(DK470001k-0001)
第47巻 p.5 ページ画像

財団法人理化学研究所設立経過概要 同所編  第一―二頁刊
 ○第一章 発端
一、国民科学研究所設立ノ提議
 大正二年六月工学博士・薬学博士高峰譲吉氏ハ、帝国ノ現状ニ鑑ミ国民科学研究所設立ノ必要ヲ高唱シ、朝野ノ人士之ニ賛同スルモノ尠カラス、而シテ該計画ハ約二千万円ノ資金ヲ以テ設立セムトスルニ在リシカ、此計画ヲ調査スル為設ケラレタル三十名ノ実業家及学者ヨリ成レル委員ハ、我国財界ノ事情ニ徴シ、資金二千万円ノ募集ハ到底不可能ナルコトヲ認メ、高峰博士ノ同意ヲ得、先ツ五百万円位ノ資金ヲ以テ、差当リ最モ急務トスル化学研究所ヲ設立セムコトヲ企劃シ、右委員中ヨリ七名ノ特別委員ヲ挙ケ、設立案ノ起草ヲ委嘱スルコトトナレリ
○下略
  ○右ニ特別委員七名ト云フハ誤リ。後掲資料「化学研究所規程及予算調査委員」ハ小数委員トシテ八名ヲ挙グ。


設立経過(DK470001k-0002)
第47巻 p.5-6 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
拝啓 初夏之候益御清適奉敬賀候、陳者将来本邦ニ於ケル化学工業ノ発達ヲ期スル為メ之カ奨励方法ヲ講究致候事ハ目下ノ一大急務ト奉存候、依テ、来二十三日(月曜日)午後五時築地精養軒ニ於テ、工業化学会役員及賛成員諸君其他関係諸君ノ御会同ヲ請ヒ、本件ニ関シ篤ト意見ノ御交換相願度奉存候間、御繁用ノ際甚タ恐縮ノ至ニ御座候得共何卒御繰合ノ上、当日右刻限ニ同所ヘ御来臨ノ栄ヲ得度希望仕候、此段御案内迄如斯御座候 敬具
  大正二年六月十九日          高松豊吉
 - 第47巻 p.6 -ページ画像 
                     高峰譲吉
          殿
 追テ当日ハ農商務大臣及次官ニモ御臨席ノ筈ニ有之候間、此儀為念申添候、尚御来否乍御手数別紙葉書ヲ以テ来二十一日迄ニ御一報相願候也


設立経過(DK470001k-0003)
第47巻 p.6-7 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
    国民科学研究所設立趣意書
明治年間ニ於ケル我帝国ノ進歩ハ其ノ長足ナルコト蓋シ絶倫ナリ、甞テハ蕞爾タル東洋ノ小島国、今ヤ世界一等国ノ班ニ入リ、隆々トシテ国威玆ニ揚ル、豈夫レ壮ンナラズヤ、而シテ内ニ国富ヲ扶殖増進シ、外ニ欧米諸強ト駢ビ馳駆シ、以テ明治ニ於ケル此ノ発展ヲ保維センモノハ実ニ大正国民ノ任務ナリ、吾人ハ夫レ何ニ依リテカ斯ノ大任務ヲ遂行シ得ベキヤ。
抑、国富ノ増進ハ一ニ殖産興業ノ発達ニ俟ツベシ、故ニ大正国民ノ任務ハ、係リテ此ノ殖産興業ヲ発達セシムルニ在ルナリ、顧ミレバ、本邦産業ノ進歩著大ナル、是亦多ク其ノ儔ヲ見ズ、就中近キ既往ニ於ケル工業ノ発達ハ頗ル人目ヲ惹クモノアリ、其ノ最モ現ハレタル人造肥料製造業ノ如キ、僅ニ二十五年間ニシテ実ニ二百倍ノ大ヲ為スニ至リタリト云フ、斯ノ如キ工業ノ進歩ハ本邦ノ富力ニ利アルコト素ヨリ大ナリト雖、而モ其ノ多クハ欧米ニ模倣シタル工業ナルヲ以テ、之ガ最良ノ成績モ尚ホ且ツ輸入ノ一部ヲ防止スルニ過ギズ、然レバ吾人ハ、是等模倣的工業ノ進歩ヲモ亦重要ナリト為スト同時ニ、殊ニ大ニ奨励スベキヲ独創的工業ノ勃興発達ニ在リト為スナリ、蓋シ欧米ノ先進国ガ積極的ニ国富ヲ増殖シ得タル所以ノモノ、概ネ此ノ独創的工業ノ発達ニ在ルコト、以テ大ニ鑑ムベキナリ。
国民発明力ノ多少ハ以テ其ノ邦国ノ文野ヲ判ツベシ、惟フニ、発明ハ科学的知識普及ノ産物ニシテ、而シテ独創的工業ハ有益ナル発明アルニ由リテ興ルナリ、最近ノ調査ニ依レバ、本邦化学者ノ数、大学卒業者一千九百六十一人、専門学校程度ノ卒業者一千三百八十八人ナリ、此ノ人員ハ敢テ多シト為サズト雖、而モ皆是レ発明的能力ヲ備フル者而シテ夫レニモ拘ハラズ専売特許ノ人口比例数ヲ見ルニ、本邦ハ欧米先進国ノ何レニ比スルモ其ノ約七分一以下ナルハ何ノ故ゾ、吾人ハ揣摩ス、是ハ業務ニ急ナルガ為メ発明的考慮ニ暇ナキ者多キニ因ルナリト、又思フニ、有益ナル考案アル者モ之ヲ研究シ之ヲ実験スルノ時ト場所ト将タ費用トヲ有セザルガ為メ、空ク志ヲ抱持スル者世ニ甚ダ尠ナカラザルコトヲ、又世ノ企業者等ニシテ特殊事項ノ研究ヲ必要トシナガラモ、之ヲ託スベキ研究所ナキガ為ニ止ム者モ尠ナカラザラン、果シテ然ラバ、今ニ於テ此ノ間ニ処スルノ策ナカラズンバ、独創的工業ノ勃興発達ハ宛トシテ百年河清ヲ待ツガ如ケンノミ、嗚呼夫レ斯ノ如クニシテ、何ヲ以テカ大正国民ノ任務ヲ遂行シ得ン、是レ吾人ガ国民科学研究所ノ設立ヲ切望シテ止マザル所以ナリ。

    国民科学研究所設立案梗概
 - 第47巻 p.7 -ページ画像 
第一 国民科学研究所ハ帝国適当ノ地ニ之ヲ設立シ、各般科学ノ研究ニ必要ナル設備ヲ完全ニセル多数ノ研究室ヲ有スルコト
第二 研究所ニハ顧問又ハ評議員若干人ヲ置キ、斯道ノ先輩大家並ニ工業ニ趣味ヲ有スル紳士等、成ルヘク多方面ノ人士ニ之ヲ嘱スルコト
第三 研究所ノ顧問又ハ評議員ハ事業及研究上ノ審議ニ参画シ、並ニ研究上ノ指導ニ任スルコト
第四 研究所ニハ常任研究員ヲ置キ、斯道ノ俊才ヲ之ニ撰任スルコト
  ○第五略ス。
第六 所務ヲ統理スル為メ所長一人ヲ置キ、分課ヲ設ケタルトキハ之ヲ分担セシムル為メ部長若干人ヲ置キ、庶務ニ従事セシムル為メ事務員若干人ヲ置クコト
  ○第七―十一略ス。
第十二 常任研究員並ニ前諸項ノ考案提出者ノ研究シタル業績ノ発明権ハ研究所ニ於テ保留スルコト
  ○第十三―十七略ス。
第十八 研究所ノ設立原資金ハ有志者ノ寄附行為ニ依リテ醵集スルコト
第十九 発明権ヨリ得タル使用料又ハ譲渡金ハ研究所ノ原資金ニ繰入ルコト
第二十 研究所ハ研究及発明ニ附帯スル事業ヲ兼ネ行フコトアルコト
  ○第二十・二十一略ス。
  ○右ノ国民科学研究所設立案作製ノ月日未詳。
  ○右設立案ニハ予算書ヲ添ヘズ、詳細ハ不明ナレド、二千万円ノ資金ヲ以テ計画セラレタルモノナルコト前掲「財団法人理化学研究所設立経過概要」ニアリ。


設立経過(DK470001k-0004)
第47巻 p.7-10 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
拝啓 時下益御清栄奉賀候、陳者化学研究所設立ノ件ニ付去ル廿三日築地精養軒ニ於テ御相談申上候処、幸ニ当日御臨席諸君ノ御賛同ヲ得候ニ付、此際尚ホ篤ト御協議仕度候間、御繰合来ル七月三日(木曜日)午前十一時半帝国ホテルヘ御来駕被成下度希望仕候、右得貴意度
                        早々拝具
  大正二年六月二十七日          高松豊吉
                      高峰譲吉
                      中野武営
                      渋沢栄一
          殿
 追テ当日御来会相願候諸君ハ左記ノ通リニ御座候間為念申添候○中略
                (御姓名イロハ順)
                   (太字ハ朱書)
                   岩下清周君    欠
              理学博士 池田菊苗君    出
                   豊川良平君    欠
                   大橋新太郎君   欠
                   大倉喜八郎君   欠
 - 第47巻 p.8 -ページ画像 
                   和田豊治君    欠
              工学博士 河喜多能達君   欠
              薬学博士 田原良純君    出
                   高田慎蔵君    出
              工学博士 高山甚太郎君   出
              工学博士 団琢磨君     出
         薬学博士 理学博士 長井長義君    出
                男爵 中島久万吉君   出
                   馬越恭平君    欠
                   益田孝君
              農学博士 古在由直君    出
                男爵 近藤廉平君    出
                   浅野総一郎君   出
              理学博士 桜井錠二君    出
                   荘田平五郎君   出
                   日比谷平左衛門君 欠
                   森村市左衛門君  欠
              農学博士 鈴木梅太郎君   欠

  化学研究所規程及予算調査委員(イロハ順)×印小数委員
                飯田義一君         岩下清周君
          ×理学博士 池田菊苗君         豊川良平君
                大橋新太郎君        大倉喜八郎君
                和田豊治君    工学博士 河喜多能達君
          ×薬学博士 田原良純君         高田慎蔵君
          ×工学博士 高山甚太郎君  ×工学博士 高松豊吉君
 理学博士《(マヽ)》 薬学博士 高峰譲吉君    工学博士 団琢磨君
     ×理学博士 薬学博士 長井長義君         中野武営君
             男爵 中島久万吉君        植村澄三郎君
                久米良作君         馬越恭平君
                益田孝君    ×農学博士 古在由直君
             男爵 近藤廉平君         浅野総一郎君
          ×理学博士 桜井錠二君         荘田平五郎君
             男爵 渋沢栄一君         日比谷平左衛門君
                森村市左衛門君 ×農学博士 鈴木梅太郎君

    化学研究所規程案並予算案
      化学研究所規定案
    第一章 名称
第一条 本所ハ化学研究所ト称ス
    第二章 目的
第二条 本所ハ化学諸科ノ研究ヲ為シ又之ヲ奨励シ、以テ本邦化学工業ノ発達ヲ図ルヲ目的トス
    第三章 位置
 - 第47巻 p.9 -ページ画像 
第三条 本所ハ東京ニ置ク
    第四章 資産 基金 経費
第四条 本所ノ資産ハ有志者ノ寄附金ヨリ成ル
第五条 本所資産ノ内ヲ以テ土地購入費・建築費・設備費其ノ他創立ニ要スル費用ヲ支払ヒ、残額ヲ基金トス
  ○第六条ヨリ第十二条マデ略ス。
    第五章 役員
第十三条 本所ノ役員ハ理事若干名、監事若干名及評議員若干名トス
  ○第十四条ヨリ第三十二条マデ略ス。
    第九章 職員
第三十三条 本所ニ部長若干名、常任研究員若干名、助手若干名及事務員若干名ヲ置ク
  ○第三十四条ヨリ第三十五条マデ略ス。
    第十章 事業
第三十六条 本所ハ事業ヲ行フ為メ左ノ三部ヲ置ク
  第一 無機及物理化学部
  第二 有機及生物化学部
  第三 設計及工場試験部
   但事業ノ発展ニ随ヒ部ヲ増設又ハ変更スルコトヲ得
第三十七条 本所ハ研究及発明ニ附帯スル左ノ事業ヲ兼ネ行フコトヲ得
  一、工業的ニ適当ナル材料ヲ求ムル為メ調査員ヲ内国ニ旅行セシメ又ハ海外ニ派遣スルコト
  一、工業又ハ化学研究機関視察ノ為メ職員ヲ海外ニ派遣スルコト
  一、研究及発明ノ結果ヲ世ニ公ニスル為メ出版物ヲ刊行スルコト
第三十八条 本所ハ特種ノ問題ヲ設ケ発明的考察ヲ募集スルコトヲ得
  ○第三十九条ヨリ第四十二条マデ略ス。
第四十三条 本所ニ於テ為シタル研究及本所ヨリ費用ヲ受ケテ為シタル研究ノ結果ニ依レル工業的発明権ハ本所之ヲ保留ス
  ○第四十四条ヨリ第四十八条マデ略ス。



図表を画像で表示総予算

               総予算    資金之部      会計之部     収入       支出 年度 寄附金 基金 固定費 経常費 調査費    円    円    円    円   円  1 1,000,000  980,000    ―  26,800   ―  2 1,00,0000 1,480,000 500,000  39,900   ―  3 1,000,000 2,180,000 300,000  43,300   ―  4 1,000,000 3,180,000    ―  93,100   ―  5 1,000,000 4,180,000 500,000 118,400   ―  6    ― 4,180,000    ― 132,700 14,000  7    ― 4,200,000    ― 142,200   ―  8    ― 4,220,000    ― 155,600   ―  9    ― 4,240,000    ― 155,600   ― 10    ― 4,250,000    ― 155,600 14,000 




 - 第47巻 p.10 -ページ画像 
  ○右ノ総予算表資金之部ノ利子収入項目、会計部ヘ支出項目、会計之部ノ収入項目、翌年繰越項目等省略セリ。調査費ハ研究員ノ海外派遣費ヲ云フ。尚右規定及ビ予算案ハ印刷物トシテ書類中ニ綴込アリ、其欄外ニ次ノ如ク鉛筆ニテ書入アリ。
  『1、来年ノ予算関係ヲ整理シテ示スベシ
   2、政府当局ハ変ル故民間ニテ渋沢男等中心トナリ居ラルヽ方宜敷
   3、秋ニ入リテ全国化学工業ノ実業家学者ヲ首相ニ於テ会同シ、具体的成案ヲ作ル
   4、済生会流ニ寄附ノ申込ヲ取扱ハシム』


中外商業新報 第九九二八号 大正二年一二月一三日 化学研究所設立協議(DK470001k-0005)
第47巻 p.10 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

竜門雑誌 第三〇八号・第八四―八五頁 大正三年一月 ○化学研究所設立調査会(DK470001k-0006)
第47巻 p.10-11 ページ画像

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竜門雑誌 第三一一号・第八二頁 大正三年四月 ○化学研究所設置請願(DK470001k-0007)
第47巻 p.11 ページ画像

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化学研究所設立ノ件ニ関スル経過ノ大要 附同上ノ件ニ付帝国議会ヘ請願書写(DK470001k-0008)
第47巻 p.11-12 ページ画像

化学研究所設立ノ件ニ関スル経過ノ大要
        附同上ノ件ニ付帝国議会ヘ請願書写
                   (財団法人理化学研究所所蔵)
熟ラ案ズルニ、我国ニ於ケル化学工業ハ陶磁器・七宝・染色業ノ如キ往古ヨリ家内工業トシテ存立スルモノト、酸類・石鹸・硝子・セメント業ノ如キ近年科学ノ進歩ニ伴ヒ外国ノ製法ヲ採リテ模倣シタルモノトノ二類アリテ漸次改良進歩ノ状況ラ呈セリト雖モ、未ダ欧米諸国ニ行ハルヽガ如キ独創的ノ発明ヨリ成レル化学工業ノ発達セザルハ甚ダ遺憾トスル所ナリ、若シ今後モ現在ノ如ク家内工業若クハ模倣的工業ノミヲ以テ進行センカ、普通ノ化学品ハ内地ニテ製造シ得ルトスルモ新規ナル化学品ノ発明ハ期待シ能ハザルニ至ルベシ、故ニ此際欧米ノ例ニ倣ヒ、完全ナル一大化学研究所ヲ設立シテ、広ク学理ノ研究ヲ為サシメ、以テ独創的ノ発明ヲ奨励スルコトハ最モ急務ニシテ、又何人ト雖モ希望スル所ナリ
然ルニ、昨年三月高峰博士ガ米国ヨリ帰朝シ我国ニ於テ化学研究所ヲ設立スルノ必要ヲ唱導セラレタルヨリ、高松博士モ大ニ之ニ賛成セラレ、同年六月二十三日農商務大臣・次官・商工局長ヲ始メ重ナル学者実業家数十名ヲ東京築地精養軒ニ招待シ、其席上ニ於テ高峰博士研究所設立ノ趣旨ヲ演説シテ満場ノ賛成ヲ得タルガ、猶此問題ヲ考究センガ為メニ渋沢座長ヨリ若干ノ委員ヲ指名スルコトニ決シ、先ツ研究所ノ規程及予算案ヲ作ルベキ八名ノ準備委員ヲ推選シタルヲ以テ、此等委員ハ数回集会ノ上終ニ該規程及予算案ヲ作製シテ之ヲ報告シ、尋テ渋沢座長ヨリ三十名ノ委員ヲ指名シテ、十二月十二日第一回委員会ヲ東京商業会議所ニ開キ、右議案ニ就テ種々協議ノ結果、政府当局者ノ意見ヲ徴シ、更ニ本年三月十二日第二回委員会ヲ同所ニ開キシガ、幸ヒ帝国議会開会中ナリシヲ以テ、委員中ノ有志者ヨリ貴族・衆議両院ヘ請願書ヲ提出スルコトニ決シ、仍チ急速ニ之ヲ起草シテ七名ノ有志者記名調印ノ上、同月十九日之ヲ両院ヘ提出シタリ、然ルニ其後政府
 - 第47巻 p.12 -ページ画像 
ニ於テモ此趣旨ヲ賛同シ、過般全国ノ実業者大会ノ席上ニ於テ、大隈内閣総理大臣及大浦農商務大臣両閣下ヨリ交モ本件ノ必要ヲ詳細ニ演説セラレタリ
之ヲ要スルニ、化学研究所設立ノ件ハ目下我ガ国富ヲ増進スベキ唯一ノ方策ト謂フヲ得ベクシテ、既ニ朝野ノ賛成ヲ得タルコト斯ノ如キヲ見レバ、近キ将来ニ於テ実施ノ機会ニ接スベキハ信ジテ疑ハザル所ナリ、依テ今玆ニ本問題ノ今日ニ至ル迄ノ経過ヲ叙シ、且兼テ委員中ノ有志者ヨリ帝国議会ヘ提出シタル請願書ノ写ヲ左ニ掲載シテ、以テ他日之ガ計画ニ任ズル者ノ参考ニ資スト云爾
  大正三年六月
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
    化学研究所設立ニ関スル請願
熟ラ本邦工業ノ現状ヲ鑑ミルニ、特ニ化学工業ノ発達ヲ図ルヲ以テ急務トスルガ故ニ、適当ノ化学研究所ヲ設置シ、以テ学者ヲシテ自由研究ニ従事スルノ途ヲ得セシメ、大ニ独創的発明ヲ奨励スルヲ必要トス然ラサレハ啻ニ模倣的工業ノ域ヲ脱スル能ハサルノミナラス、将来永ク是等工業ノ発達ヲ望ムヘカラス、随テ国富ノ発展所期シ難キモノアリ、依テ此際可成速ニ政府ニ於テ国費ヲ以テ化学工業ノ発達ヲ目的トセル自由研究所ヲ設置スルカ、若クハ民間ニ於ケル是等ノ企画ニ対シ補助金ヲ与ヘテ之ヲ助成スルカ、適当ノ措置ヲ取ラシメラレンコトヲ切望ス
右別紙理由書ヲ具シ謹テ請願仕候也
  大正三年三月十九日     請願者
                   男爵 渋沢栄一
                      中野武営
                 工学博士 高松豊吉
                 理学博士 池田菊苗
                 薬学博士 田原良純
                 理学博士 桜井錠二
                 農学博士 鈴木梅太郎
    貴族院議長 公爵 徳川家達殿
                   (各通)
    衆議院議長 奥繁三郎殿
  ○添付ノ別紙「化学研究所設立ニ関スル請願ノ理由」書ハ上掲国民科学研究所設立趣意書ト略々同ジナレバ、玆ニ之ヲ略ス、但シ、文中独逸ニ於ケル「ウヰルヘルム皇帝研究所」及ビ米国ニ於ケル「カーネギー研究所」「ロツクフエラー医学研究所」ノ例ヲ引キ「コレヲ範トシテ純然タル自由研究所ト為スヲ以テ適当ナリト信ス」ト結ベリ。
  ○右請願書ヲ提出セル第三十一議会ハ三月二十三日解散トナリ、建議案ハ審議サレズ。
  ○全国実業者大会席上ノ大隈首相ノ演説云々ニツイテハ次条参照。


日本魂 第二巻第六号・第三〇―三二頁 大正六年六月 理化学研究所設立の経過 男爵渋沢栄一(DK470001k-0009)
第47巻 p.12-14 ページ画像

日本魂  第二巻第六号・第三〇―三二頁 大正六年六月
    理化学研究所設立の経過
                   男爵渋沢栄一
 - 第47巻 p.13 -ページ画像 
  一 理化学研究所設立の動機
 理化学研究所設立のことは、最近に於て、社会の注意を促したる最大問題の一と云て可い。而して、愈々具体的に設立の運びに向つたのは、発起人の一人として、私の大に愉快とする次第である。
 そもそも理化学研究所を設立することが、問題に成つたのは、過る大正二年、高峰譲吉博士が、将来の国際的競争上是非共日本に一大研究所を設けねばならぬと、私に話されたのが、根本の動機であつた。
 高峰博士は、私に向ひ――『日本の工業は、世界列強に比べて、今尚ほ幼稚の域に在り、機械工業は漸く進歩したやうであるが、化学工業に至ては、誠に貧弱なる程度に在て、今後世界の進運が電気及び化学の産業的勢力に待つところ大なるものある以上、日本も、大に此の方面に発展の道を講じなければならぬ』と赤心を披いて、理化学研究所設立の必要を説かれたのである。
  二 日本民族と独創力
 博士は、語を継ぎ――『欧米人などは往々日本民族を呼ぶに、一に模倣的国民を以てし、いかにも、独創の力を有して居らぬやうに云ふのであるが、私は実験上、日本民族は相当に独創力も有ることゝ信じて居る。つまり、模倣も長ずればおのづから、発明が出来るもので、理化学の研究も日本国に於て慥かに好結果を来たし得るに違ひ無い』と云ひ
 更に――『併し、日本国民の通弊として、動もすれば、成功を急ぎ理化学の研究の如きも、直ちに応用の道を開き、結果を早く得やうとするのであるが、夫れでは、所詮、真実に理化学研究の目的を達し得ることは出来ぬ。どうしても、純正理化学の研究に尽瘁し、以て健実なる基礎を造らねばならぬ』と述べ
 終りに――『理化学研究の事は、なかなか金のかゝる事業で、之れを設立せしむるのは、容易なことで無い。且つ、普通の人に話しても一寸力に成てくれる人はあるまい。貴君は道理の分る方だからどうか国家の為めに尽力して貰ひたいものだ』と、私に勧めたのである。
  三 私と高峰博士
 一体、私と高峰博士とは、浅からぬ関係がある。今を距る三十年前『大日本人造肥料株式会社』を設立したのも、其動機を作つたのは、即ち高峰博士である。
 人造肥料も一種の化学工業であるが、当時多くの人は、其の成功を甚だしく疑つたのであるが、私は元来農家の出身であるから、直ちに博士の慫慂を容れ、遂に創立するに至つた。
 然るに、博士は、会社が事業其緒に就くに至らざるに早くも、予ねて亜米利加に経営しかゝつて居た発明事業の為め、急に渡米せねはならぬことゝなつた。私は、博士を失ふことを、非常に残念に思つたのであるが、博士のやうな人才を、小会社に引留むるのも気の毒であつたから、博士の代りに、相当な技師を招聘し、兎に角、博士の目論見に従て、人造肥料の事業を経営し、終に今日に立ち至つたのである。
 要するに、私は、博士に対し、十分の敬意を払て居る者で、今回、理化学研究所設立の議も、私は、直ちに其の勧誘に諾意を表し、約す
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るに、私の至善を尽すことを以てした次第である。
  四 期成同盟会
 乃ち、私は、中野武営氏と共に高峰博士の意見を伝ふる為め、一日東京の実業家及び理化学に関係ある学者、合せて百四・五人程を築地の精養軒に招集し、其の席上博士の意見を聴くことにしたのである。
 次で、私は――『之れを一場の談話に止めず、何とか物にしたいと思ふ。即ち、高峰博士の希望の如く、理化学研究所を設立したいものである』と、出席の各位に賛成を求めたところ、一人の異議者無く、直ちに、期成同盟会と云つたやうなものを造り、学者側では高松博士長井博士、桜井博士、故高山博士等、また実業家側では、中野氏、大倉男、私等合せて二十五名が、創立委員に選ばれたのである。
 其後、屡々、委員会議を開き、結局五百万円を以て、理化学研究所を設立することに、相談を纏めたのである。
  五 恩賜財団の議
 斯く相談が一決するや、私は、中野氏とゝもに、時の政府山本内閣に向ひ、充分の援助を求めたのであつた。山本内閣の農商務大臣は、山本達雄氏であつたが、どうも機運が熟せぬものと見えて、政府は、大に力を添ふるといふことは困難のやうであつた。
○下略
  ○右ハ栄一ノ談話記事ノ一部ナリ。
  ○本資料第十二巻所収「東京人造肥料株式会社」参照。
  ○本資料第四十二巻所収「財団法人竜門社」大正四年五月二十三日及ビ大正七年四月十四日ノ条参照。


竜門雑誌 第三五二号・第一九―二〇頁 大正六年九月 ○実験論語処世談(廿八) 青淵先生(DK470001k-0010)
第47巻 p.14-15 ページ画像

竜門雑誌  第三五二号・第一九―二〇頁 大正六年九月
    ○実験論語処世談(廿八)
                     青淵先生
○上略
  △理化学研究所設立の動機
 私と高峰博士とは斯んな関係で、大日本人造肥料会社創立以来の懇意な間柄であつたから、五年前帰朝した際にも、私を訪ねて来られ、いろいろ懐旧談を重ねた末、同博士より日本目下の急務は理化学研究所の設立であるとの話が出た。
 高峰博士が其時に私へ説かれたところは、今日までの世界は理化学工業よりも寧ろ器械工業の時代であつたが、今後の世界は必ずや機械工業よりも寧ろ理化学工業の時代になる。その徴候が既に欧米諸国の工業界に顕然と現れて来て、理化学工業の範囲が漸次に拡大せられ、独逸の如き夙に斯の点に留意し、帝室より二百七十五万円ばかりの下賜金があつて、之に民間よりの寄附金をも併はせ、総計一千二百五十万円の資金を以て、ウヰルヘルム第一世帝の百年祭に際し、ウヰルヘルム皇帝学院と称せらるゝ一大科学研究所を設立し、日本人でも田丸節郎といふ学者が斯の皇帝学院に勤務し、窒素と水素とを人工で化合さしてアムモニアを製造することや、植物の葉緑素に関する研究をして居る。又米国にもロツクフエラーが二千万円を投じて設立したロツクフエラー研究所やら、カーネギーの設立したカーネギー研究所があ
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り、英国でも昨今は漸く之に気付いて、科学研究所の設立に鋭意して居る。日本も今後理化学工業によつて国産を興さうとするには、何うしても之が基礎となる純粋理化学の研究所を設立せねばならぬといふのが、高峰博士の意見であつた。
 殊に、日本人は、模倣に長じては居るが独創力に乏しいと云ふ弊がある。この模倣性に富んだ国民の傾向を一転して独創力に富んだものとするには、純粋理化学の研究を奨励するより他に道が無いから、是非とも理化学研究所を日本へ起すやうに致したい、といふのが高峰博士の希望で、私も至極尤もの次第であると考へ、賛意を禁じ得無かつたところより、其後当時の商業会議所会頭中野氏とも相談の上、実業界の名望家一百二十名ばかりを一夕築地精養軒に招待し、高峰博士より理化学研究所設立の急務なる所以を述べ、私より之が創立に関する方法を来会者一同に謀つたところが、素より不同意のあらう筈が無いので、私が来会者一同より創立委員指名のことを托せらるゝ事となり私に於ても熟慮の末適任者を指名し、之に設立事務の進行を委任し、その結果四年後の今日に至つて漸く実現を見るに至つたのが、目下成立中の理化学研究所である。
○下略


理化学研究所彙報 第一輯第一号・第八〇―八一頁 大正一二年二月再版刊 設立の経過並に現況 書記 水谷清(DK470001k-0011)
第47巻 p.15-16 ページ画像

理化学研究所彙報  第一輯第一号・第八〇―八一頁 大正一二年二月再版刊
    設立の経過並に現況
                  書記 水谷清
 本所の設立経過並に大正六年度以降昨年迄の事業概要は、印刷に附し会員其の他縁故ある方々に報告しましたが、此度初めて研究彙報が発刊されますに付て、玆に更めて設立の発端から現在に至るまでの重要なる事項を記述して、其の後会員として賛同された方々は勿論読者諸氏の参考に供します。
      発端
 今より八年前即ち大正二年六月でありました、現に本所の理事として就任されて居る高峰譲吉博士が米国から帰朝されました時に、日本に化学研究所設立の必要あることを提唱されました、ところが朝野の名士は忝く賛成されまして早速三十名の調査委員が選出され更に其の委員中から七名の特別委員が挙げられました、副総裁渋沢子爵、研究員池田・鈴木両博士等も此特別委員でありました、ところが高峰博士の目論見は二千万円の資金を以て設立しやうといふのでありましたが当時日本の財界で資金二千万円の醵集は容易のことでありませんから先づ五百万円の資金で差当り最も急を要する化学研究所を設立しやうと言ふことになりました、此案に就ては一応主唱者たる高峰博士の同意を得まして、翌年三月此七名の特別委員より貴衆両議院に請願書を出されました、其の請願の要旨は、本邦に於ては特に化学工業の発達を企つる事が急務であるから、国庫の費用で化学研究所を設けるか、否らざれば民間に於ける此種の計画に対して補助を与へて貰ひたいと言ふのでありましたが、不幸にして議会は解散となり目的を達することが出来なかつたのであります。
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○下略
  ○右七名ノ特別委員ヨリ請願書ヲ提出トアルハ八名ノ特別委員ヨリ設立案ヲ起草シ、七名ノ有志者記名ノ上提出ノ誤リナリ。



〔参考〕渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第七二七―七二九頁 昭和八年一二月刊(DK470001k-0012)
第47巻 p.16-17 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著  第七二七―七二九頁 昭和八年一二月刊
 ○第五篇『仲秋』
    七 理化学研究所
 実業界引退によつて、子爵の生涯に一期を劃した大正五年は、理化学研究所の成立によつて又記念すべき年である。理化学研究所は高峰博士と子爵との会談を萌芽として実現したものである。大正二年六月米国に在つて世界的の声名を博したる高峰博士が帰朝し、従前の関係から子爵と会し種々懇談したとき、博士が国民化学研究所設立の必要を主張したのが其第一声であつた。右によつて同年十二月十二日午後子爵及中野武営の名を以て、化学研究所設立調査会第一回委員会を東京商業会議所に開催し、子爵・中野武営・日比谷平左衛門・大橋新太郎・団琢磨・中島久万吉・池田菊苗・田原良純・高橋豊吉・桜井錠二高山甚太郎等の諸氏出席し、種々協議したが、原案は毎年百万円宛、五箇年間に五百万円の寄附を得、之を以て化学諸科の研究奨励をなし日本の化学工業の発達を図らんとするものであつて、根本の五百万円醵集と云ふことが大問題であるのと、化学工業の発達は民間のみの事業にあらず、国家的事業でもあるから、之に対する政府の意嚮をも確める必要あるに付、其辺を探つて更に考慮することになつた。かくて翌大正三年三月十九日、子爵、並に池田菊苗・田原良純・桜井錠二・高松豊吉・鈴木梅太郎・中野武営、七氏の名を以て『化学研究所設置に関する請願』を貴衆両院に提出した。子爵はまた時の首相大隈に説いて政府を動かさんと努めた結果、政府もその必要を認め、同年六月農商務省が全国実業家大会を開催せし際、大隈首相は出席者一同を早稲田の私邸に招いて園遊会を催し、官民協力して大規模の化学試験所を設立し、学術の蘊奥を究め工業の発達を図り、生産品を増加して国富を増進すべき旨主張したが、更に翌七月三日上山農商務次官・岡商工局長・高山工業試験所長・渋沢子爵・中野武営・高松豊吉の六氏は農商務省附属工業試験所に参集し、種々凝議した。政府の計画は大体資金を一千万円とし、五百万円を民間より、五百万円を政府より支出し、事実上官民合同を以て進まんとするものであつた。又政府は同試験所の事業範囲につき、農商務・大蔵両省、帝国大学等より意見を徴しつゝありとの事であつた。翌大正四年六月十九日、大隈首相は早稲田の自邸に大浦内務・若槻大蔵・一木文部・河野農商務各相、並に渋沢子爵・菊池大麓・高松豊吉・古在由直・近藤廉平・大倉喜八郎・安田善三郎・豊川良平・中野武営・井上準之助の諸氏を招き種々協議の結果、理化学研究所創立のことを決定し其設立に付委員をして講究せしむることゝなり、渋沢子爵・江木内閣書記官長、浜口大蔵・下岡内務・福原文部・上山農商務各次官、山川健次郎・菊池大麓・桜井錠二渡辺渡・高松豊吉・中野武営・大倉喜八郎・団琢磨・豊川良平の諸氏を委員に推した。斯くして委員は屡々委員会を開いて協議を重ねた後
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大正五年七月三日首相官邸に於て発起人会を開く運びに至つた。当日午餐後会議に入り、大隈首相より従前の経過を述べ、政府は既に補助金交付に関する法律案を制定し、今は民間の寄附金募集のみが残ることゝなりたるに付、十分奮発ありたき旨の挨拶を述べ、次いで子爵より準備経過に付詳細を報告し、河野農相の痛切なる希望的挨拶ありたる後『理化学研究所設立協賛規定』並に其他の書類を配布し、子爵は再び起つて左の動議を出した。
 『今日では既に実行に入り、如何にして民間の寄附金を募集すべきや、即ち其募集方法如何の問題を決することが最も緊要であらうと信じます。過般十二名の委員は政府に決議案を提出して、政府より二百万円の補助を仰ぎ、残額五百万円の寄附を民間から募集することゝなつたのは、諸君も既に御承知のことゝ思ひます。故に本日は具体的方法として左の御決議を願ひたいと存じます。
 一、本日御出席の皆様を発起人とすること、又御出席なくも本日御招待した方々にも発起人たることを御承諾を請ふこと。
 一、地方の事情により将来、更に発起人を増加することあるべきこと。
 一、現在の創立準備委員に於て少数の創立委員を推選し、民間有志の寄附に関する運動を為すこと。』
 一同異議なく之を可決し、玆に愈理化学研究所設立は具体的になつた。後に彼のヴイタミンAを以て、アドソールを以て世間に知られ、其他幾多の貴重なる業績を挙げ、又現に挙げつゝある理化学研究所が出来上つたのは大正六年三月で、子爵は創立と共に其副会長になり、爾来容易ならぬ尽力をなし来つたのは周知の事実である。



〔参考〕巨人高峰博士 橋爪恵編 第五〇―五三頁 昭和六年九月刊(DK470001k-0013)
第47巻 p.17-18 ページ画像

巨人高峰博士 橋爪恵編  第五〇―五三頁 昭和六年九月刊
 ○壮年時代
    ☆理研の出現
 偉業の大半を成し遂げて、大正二年に帰朝した高峰博士は、日本に国民科学研究所設立の急務を首唱することになつた。ために、渋沢子をはじめ、学者や実業家の会合を催し、博士の意見を提出、その設立を促すこと切実のものがあつた。其の趣意書の大体は次のやうなものであつた。「国富の増進は殖産工業の発達に俟たねばならぬ。人造肥料製造事業の如き、僅か二十五年間に二百倍の大を為すに到つた。外国の模倣的工業より一歩進めて独創的工業の勃興を計らねばならない発明発見は科学的知識の普及の賜物である。本邦現在の化学者の数、大学卒業者は一千九百余名、専門学校卒業者は一千三百余、しかも専売特許の人口比例数は欧米先進国の七分の一以下に過ぎぬ。その因は業務に多忙の結果研究に余暇なく、実験に場所と物資と指導者に乏しいためであるから、発明の素養ある有能の士を、これらの不備から救済する必要がある。それには国民科学研究所を設立せねばならない。」
 この趣旨のもとに立案された計画の梗概を見ると『研究所には顧問或は評議員を置き、斯道の先輩大家にこれを嘱すること。常任の研究員を置き斯道の俊才をこれに挙げること。発明的創見あるものが考案
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を提出した時には審査の上採用し相当の報償を与へること。考案者が自費研究を欲する時は研究室・助手・材料等の援助をすること。提出者が来所不能で他に研究室を有するものには費用だけを与へること。工業的材料を求めるため科学者の団体を東洋・南洋に派遣すること。随時、懸賞で発明の考案を募集すること。企業家から研究費を醵金し特殊の研究を依頼される時はこれに応ずること。研究所の資金は有志家の寄附金並に発明権から得た収入によること』といふのであつた。
 高峰博士の意見書は、化学に限定されてゐたが、他の専門家の意を掬んで一般科学に改めることになつた。博士のこの意見書は、主に独逸のウヰルヘルム皇帝研究所の流れを汲んだもので、その組織は自由的の研究所にしたい希望であつた。研究所設立の為に、博士は南船北馬、真に熱心なもので莫大な私財を投じてゐる。設立奔走中、カリフオルニア問題に促されて、博士の帰米は急に迫つたので、万事を渋沢子に懇請して後事を託することになつた。
 子爵が依嘱した創立委員達は、敢て博士の推奨に俟つまでもなく、一様にこの種学術の府の設立を熱望して止まなかつた人々ばかりであつたから、協同一致科学陣営の殿堂を東京市本郷上富士町の閑静の地を選んで建設することに一決した。今日、理化学研究所の出現は実にわが高峰博士の意見書が導火線となつたものである。しかも現在の理研前進方針は、すべて高峰博士の意見書と計画の梗概に一貫され、科学文化の最高指標を示し、日増しに科学国日本の建造を急いでゐる現況である。わが三共顧問、東大教授鈴木梅太郎博士の「鈴木研究室」も理研の重鎮として華かな君臨ぶりを発揮してゐる。亡き博士の霊も満足であらう。



〔参考〕理化学研究所彙報 第一輯第二号・前付写真裏 大正一一年一〇月刊 高峰譲吉博士ノ略歴(DK470001k-0014)
第47巻 p.18-19 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。