デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
3節 美術
1款 財団法人大倉集古館
■綱文

第47巻 p.457-460(DK470118k) ページ画像

昭和3年1月20日(1928年)

是ヨリ先、大正十二年九月一日ノ関東大震火災ニヨリ当館類焼、同十五年三月新築起工、昭和二年八月竣工ス。是日栄一、東京会館ニ於ケル当館評議員会ニ出席シテ要務ヲ議決ス。


■資料

鶴彦翁回顧録 大倉高等商業学校編 第四六〇―四六三頁昭和一五年一〇月刊(DK470118k-0001)
第47巻 p.457-459 ページ画像

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集会日時通知表 昭和三年(DK470118k-0002)
第47巻 p.459 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年           (渋沢子爵家所蔵)
一月二十日 金 午前十一時 大倉集古館評議員会(東京会館)


渋沢栄一 日記 昭和三年(DK470118k-0003)
第47巻 p.459 ページ画像

渋沢栄一 日記 昭和三年           (渋沢子爵家所蔵)
一月二十日 晴 寒気平常
○上略 東京会館ニ抵リ、阪谷・大倉氏ト共ニ大倉集古館ノ評議員会ヲ開キ、要務ヲ議決ス○下略



〔参考〕中外商業新報 第一五一五九号昭和三年四月二九日 集古館の前で大倉翁告別式 供へられた花環約一千生前の栄を偲ぶ其盛儀(DK470118k-0004)
第47巻 p.459-460 ページ画像

中外商業新報 第一五一五九号昭和三年四月二九日
    集古館の前で大倉翁告別式
      供へられた花環約一千生前の栄を偲ぶ其盛儀
大倉鶴彦翁の告別式は廿八日午後一時から赤坂葵町の自邸で行はれた式場は集古館の朱塗の玄関の柱や灯籠を利用して前庭に六十坪の白木造りで設へられ、中央に「大成院殿礼本超邁鶴翁大居士」なる翁の戒名を掲げた霊柩を安置し、霊前には天皇陛下御下賜の御祭資料を始め久邇宮・東久邇宮・昌徳宮より御供物を供へ、左右には田中首相外各国務大臣を始め浜口・若槻・床次・三井・岩崎・安田その他政界実業界の名士からおくられた花環を以て所狭きまで飾られ、また
 両側には張作霖・憑玉章[馮玉祥]・蒋介石・段棋瑞・張学良・徐世昌・曹錕梁土詒・楊宇霜を始め支那南北の名士から贈られた旛が吊られ、式場から表門までの約二丁の急造廊下も、両側に各方面からの花環が連ねられ、その数約一千の多きに達してゐる、午前九時半、喪主の喜七郎男夫妻・未亡人徳子・高橋つる子・久米□氏夫妻、その他大倉一家、及び生前
 翁と親交あつた渋沢・石黒両子をはじめ、清浦子・浅野・馬越、宮内次官の関屋の諸氏など居ならび、寛永寺権大僧正大多喜守忍師を導師として、寛永寺・護国寺の衆約四十名の読経裡に焼香があり、次いで、午後一時から一般の告別式に入り、田中首相を始め各国務大臣は折柄開会中の議会の中から時を割いて焼香告別し、午後三時までには朝野各方面の知友を始め同郷縁故、学校関係者等約一万人の焼香があつた
 - 第47巻 p.460 -ページ画像 
   ○右ニ参列者中ニ渋沢トアルハ栄一代理ナルベシ。是月二十一日以後病臥静養中ナリ。(「竜門雑誌」昭和三年五月、第四七六号ニヨル)



〔参考〕集会日時通知表 昭和五年(DK470118k-0005)
第47巻 p.460 ページ画像

集会日時通知表 昭和五年         (渋沢子爵家所蔵)
二月一日 土 正午 大倉集古館評議員会(帝国ホテル)