デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 編纂事業
1款 徳川慶喜公伝編纂
■綱文

第47巻 p.683(DK470140k) ページ画像

大正2年11月22日(1913年)

是日、徳川慶喜薨去ス。栄一、引続キ当伝記編纂ニ努力ス。


■資料

竜門雑誌 第三〇七号・第七四頁 大正二年一二月 ○従一位徳川慶喜公薨去(DK470140k-0001)
第47巻 p.683 ページ画像

竜門雑誌  第三〇七号・第七四頁 大正二年一二月
    ○従一位徳川慶喜公薨去
 従一位勲一等徳川慶喜公は優悠閑日月を楽みて亦た世と相関せず、去十一月四日にも家扶を相手に囲碁に余念なかりし折柄、聊か身心に異状を覚えしかども、五日九男誠氏が男爵を授けられしに依り、其御礼として六日病を押して宮中に伺候し、各宮家其他の廻礼を済まして帰邸し、爾来西郷侍医を主とし青山・高山・高松諸博士の診察を受け治療に余念なかりし効もなく、二十二日午前四時容体俄に革りて、遂に同十分溘然薨去し給ひぬ、享年七十有七、訃報伝はるや朝野驚愕措く所を知らず、特に青淵先生には当日薨去前、電話にて容態急変の報に接し、倉皇同邸に馳せ付けて病床に伺候したる時は早や縡切れし後にて、千秋の遺恨遣る方なく、茫然自失せられたる悲歎の情想ひやられて一入哀悼の感深からざるを得ず。
○下略
  ○徳川慶喜死去ニ関スル其他ノ資料ハ、第三部身辺所収「交遊」中「徳川慶喜」参照。


渋沢栄一 日記 大正三年(DK470140k-0002)
第47巻 p.683 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正三年          (渋沢子爵家所蔵)
一月十九日 曇 風強シ
午前八時起床、風邪気尚愈ヘス、洗面シテ褥中ニ在テ要務ヲ弁シ、又来書ヲ点検ス○中略 午飧後御伝記稿本ヲ熟覧ス○中略 食○夜食後御伝記稿本ヲ精読シ、十二章ノ一本ヲ畢ル、夜十二時就寝
一月二十日 曇
午前八時起床、風邪気全愈ニ至ラス、褥中ニテ日記ヲ編成シ、又当用ニ付テ諸方ヘ電話ノ交換ヲ為ス○中略
午飧後ニ於テ御伝記稿本ヲ熟読シ、第十三章ヲ了リ十四章ニ及フ○下略
一月二十一日 晴 寒威強シ
午前八時起床、病尚愈ヘス、静坐シテ洗面シ、褥中ニ在テ朝飧ヲ為ス
○中略 夜食後御伝記ヲ熟読ス○下略
一月二十二日 晴 寒気強シ
午前八時起床、宿痾全愈セス○中略 午飯後御伝記ヲ熟読ス○下略
  ○中略。
二月二十八日 晴 寒威厳ナラス
○上略 午後三時事務所ニ抵リ、御伝記編纂ノ批評会ニ列席ス○中略 五時頃ヨリ批評会ニ於テ協議ス、六時半夜飧後階上ニ於テ囲碁会アリ、此日徳川公爵・勝伯爵・豊崎家令・三上・萩野及編輯局員皆来会ス、穂積阪谷ノ両顧問モ来会ス、夜十時過帰宅○下略