デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 編纂事業
13款 鼎軒田口卯吉全集刊行会
■綱文

第48巻 p.72-75(DK480022k) ページ画像

昭和2年(1927年)

是年「鼎軒田口卯吉全集」ノ刊行企画セラルルヤ、栄一、阪谷芳郎・佐々木勇之助等ト共ニ、当会ノ顧問トナリテ援助ス。


■資料

鼎軒田口卯吉全集刊行趣旨(DK480022k-0001)
第48巻 p.72-74 ページ画像

鼎軒田口卯吉全集刊行趣旨          (財団法人竜門社所蔵)
    鼎軒田口卯吉全集刊行趣旨
 明治の維新を転期として世界的活舞台に出た日本は、爾来半世紀の間の急激な世界的進展に伴つて、正に第二維新の機運に際会しつゝある。何処に新日本への進路を見出す可きか、如何に局面を展開すべきか、それが与へられた刻下の問題である。近時、鬱然として勃興した明治文化の研究も、畢竟直ちに現代に先駆した革命時代の記憶を新にする事によつて、日本国民の現代的意識と運動とに経験的根柢を与へんとする努力の一端として始めて意義あるものである。それは決して明治文化の徒らなる回顧ではない。
 而してこの光輝ある明治時代の文化史の研究に於て、故法学博士鼎軒田口卯吉先生を逸することは不可能である。先生は実に明治時代を照す群星中に最も燦然たる光を放つ巨星であつた。
 鼎軒先生は年やうやく志学にして維新の大変革を経験し、審に辛酸を嘗めつゝ和漢洋の学を兼習し、明治七八年の頃より日露戦争直後に到るまで、政治・経済・歴史其他社会及び文明の全般に渉る研究と批判とを公にし、死に至るまで殆ど寸時も筆を棄てなかつた。先生の遺された多量の述作は其視野の広汎なる、其問題の多方面なる、其独創の見に充ちたる、断じて他に匹儔を見ざる所、先生の全生涯は宛として明治時代文物百般建設の歴史そのものであるといふも過言ではない誠に先生は自ら『革命後の社会は百事草創に属す、一事に専なる能はず』と云はれし如く、学古今に通じ識東西を兼ね、行くとして可ならざるはなく、而もその何れの方面に於ても優に一家を成されたのである。見よ鼎軒先生が弱冠にして筆を執り、西南役当時に公にせられたる『日本開化小史』は何人も近代に於ける日本文明史の濫觴と推称するに非ずや、又、同じ頃著されたる『日本経済論』は、我国に於ける自由主義経済理論に最初の体系を与へたものとして世に最も尊重せらるゝ所に非ずや。其他、明治十二年以後引続き世に出だされたる週刊『東京経済雑誌』壱千数百号『史海』三十八巻等に発表せられたる諸論策を始め経済・政治・財政・金融・史学・文学・哲学・社会学・人類学の全般に渉る著述は優に数十冊を超え、之に先生が主裁編纂せられたる『泰西政事類典』『大日本人名辞書』『日本社会事彙』『国史大系』『続国史大系』『続徳川実記』『群書類従』等の諸名著を合すれば、実に汗牛充棟も啻ならず、文筆によりて斯程までの質量を残したる学
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者は世界史上稀に見る所である。
 遮莫、鼎軒先生の意図は単なる学究たるに満足するものに非ずして常に『学理と実践との渾一』に努められ、自由民権論を主張するや自ら議政壇上に獅子吼し、又自由貿易論を提唱するや自ら同志と共に商船を南洋に進め、或は私設鉄道の開祖となり、或は鉱山の経営に当る等、政治に実業に馳駆奔走席の温る遑なき有様であつた。されば先生の論者は常に蕃山の所謂『今を済ふ治方』を世に宣布するにあり、言言句々、一として実学ならざるはなくこの意味に於て我等は先生の遺著が現代日本の当面しつゝある新社会の建設に対して、幾多の示唆を与ふるものたるを断言して憚らざる所である。
 先生逝かれて既に二十有三年、群小著述家の翻刻全集等の企図余りに多きに苦しむ中にありて、如何に編纂至難のためとはいひ乍ら、先生の全集未だ成らざるは我等の久しく遺憾に堪へざりし所、即ち玆に同志相謀り幾多の犠牲と困難とを忍びて全集数巻の刊行を企て、先生の遺業を不滅ならしむると共に、併せて一世を裨益せんとする所以である。
 固より我等は鼎軒先生の遺志を尊重するもの、されば専ら思想の普及を第一義となし、能ふ限り多くの人士の近づき得る形を以て世に問ふと共に、各巻ともに専門諸大家に嘱して何れも懇切なる解説を請ひ得て、鼎軒先生執筆当時の社会事情を明にすると共に各著述が有する現代的意義をも解明することゝした。幸に解説者、編纂者、何れも絶好の適任者を得たることは本刊行会の最も欣快とする所である。玆に本全集刊行に就ての我等の微衷を披瀝し、満天下の学者、実際家の賛同と援助とを希望する次第である。
  昭和二年四月
                 鼎軒田口卯吉全集刊行会
        刊行代表者          田口文太
        刊行会顧問       子爵 渋沢栄一
        同      男爵 法学博士 阪谷芳郎
        同              佐々木勇之助
        編纂顧問      文学博士 久米邦武
        同              伴直之助
        同              塩島仁吉
        編輯者       法学博士 高野岩三郎
        同              長谷川万次郎
        同              田口武次郎
        解説者       文学博士 黒板勝美
        同         法学博士 福田徳三
        同         法学博士 河上肇
        同         法学博士 吉野作造
        同              長谷川万次郎
        同              櫛田民蔵
        同         東大教授 大内兵衛
 - 第48巻 p.74 -ページ画像 
        出版責任者          大島秀雄
○中略
        編輯顧問      文学博士 久米邦武
                       伴直之助
                       塩島仁吉
        編輯者       法学博士 高野岩三郎
                       長谷川万次郎
                       田口武次郎
    各巻解説者
第一巻 史論及史伝         文学博士 黒板勝美
第二巻 文明史及社会論       法学博士 福田徳三
第三巻 経済(上)         法学博士 河上肇
第四巻 経済(下)              櫛田民蔵
第五巻 政治            法学博士 吉野作造
第六巻 財政            東大教授 大内兵衛
第七巻 金融            東大教授 大内兵衛
第八巻 随筆及書簡              長谷川万次郎
○下略
   ○尚本全集ハ昭和二年七月以降四年七月迄ニ全八巻ノ刊行ヲ了ス。


鼎軒田口卯吉全集 同刊行会編 第八巻・巻尾 昭和四年七月刊(DK480022k-0002)
第48巻 p.74 ページ画像

鼎軒田口卯吉全集 同刊行会編 第八巻・巻尾 昭和四年七月刊
    全集完成に当りて
 鼎軒田口卯吉全集の刊行については、田口先生が明治十二年東京経済雑誌を発刊するに当つて先生を援助された渋沢栄一子を始め、阪谷芳郎男・佐々木勇之助氏・久米邦武博士・伴直之助氏・塩島仁吉氏・西島政之氏等の或は先生と親交あり又は先生の諸事業を助けられた諸氏の賛助を得、渋沢・阪谷・佐々木の三氏は刊行会顧問たることを、久米・伴・塩島・西島の四氏は編輯顧問たる事を快諾されたことは本会の深く感銘する所である。
 全集の編輯は、高野岩三郎・長谷川万次郎・田口武二郎の三氏責任者としてこれに当つたが、各巻の編輯は森戸辰男・櫛田民蔵・大内兵衛・長谷川万次郎の諸氏を煩はした、尚ほ資料の蒐集、原稿の整理その他編輯一般に亘つて嘉治隆一氏を煩はす事多大であつた。
 解説は一巻より八巻に亘り、それぞれ黒板勝美博士・福田徳三博士・河上肇博士・吉野作造博士・櫛田民蔵氏・大内兵衛氏・長谷川万次郎氏を煩し、古荘毅・荘原達・笠信太郎・木屋武昌武・東井金平氏の諸氏は校正の任に当つた。
 刊行会の事務・経営は同人社主大島秀雄氏之に当つたが、大内兵衛氏はその方面に於ても鮮からず助力せられる所があつた。
 終りに、田口家が全集の刊行について種々なる便宜を与へられたことを刊行会の名に於て感謝する次第である。
                  鼎軒田口卯吉全集刊行会



〔参考〕田口鼎軒略伝 塩島仁吉編 第四頁 昭和五年五月刊(DK480022k-0003)
第48巻 p.74-75 ページ画像

田口鼎軒略伝 塩島仁吉編 第四頁 昭和五年五月刊
 - 第48巻 p.75 -ページ画像 
    第三章 東京経済雑誌の発行
鼎軒の大蔵省に在るや、公務の余暇を利用して、自由交易日本経済論を著し、又日本開化小史の著述に従事し、尚時々新聞紙に投書して時事を評論し、頗る世人の注意を喚起せしかば、其の才能は岩崎銀行課長(小二郎)及び渋沢第一銀行頭取(栄一)の認むる所となり、遂に其の周旋尽力を得て、東京経済雑誌を発行するに至つた、是れ実に明治十二年一月で、同年七月迄は毎月一回宛発行し、翌八月より十三年五月までは毎月二回宛、翌六月より十四年六月迄は毎月三回宛発行し翌七月以後週刊と為した。
鼎軒が始めて東京経済雑誌を発行した当時は、未だ経済財政の事を論するの学者甚だ少なく、其の後東海経済新報、毎旬経済新聞等の発行はあつたが、皆幾くもなくして廃刊し、鼎軒は実に我が経済界に光明を放ちつゝ独歩した、是に於て政府若くは銀行会社等に於て、俸給を厚くして、鼎軒を招くこと屡次であつたが、鼎軒は其の誘惑に心を傾けず、吃々として雑誌の編輯に従事した。○下略