デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 編纂事業
15款 其他 6. 田尻先生伝記及遺稿編纂会
■綱文

第48巻 p.100-104(DK480031k) ページ画像

昭和3年10月25日(1928年)

是ヨリ先、田尻稲次郎伝記及遺稿編纂ノ議起ル。

是日、当会ヨリ発起人候補者ニ対シ依頼状ヲ発ス。栄一ソノ趣旨ニ賛シ発起人トナル。


■資料

諸会発起趣意書(二) 【(印刷物) 拝啓 時下秋冷之候益々御多祥奉賀候、陳者予テ御配慮相願候田尻先生伝記及遺稿編纂会之儀…】(DK480031k-0001)
第48巻 p.100-101 ページ画像

諸会発起趣意書(二)           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 時下秋冷之候益々御多祥奉賀候、陳者予テ御配慮相願候田尻先生伝記及遺稿編纂会之儀、今日迄発起人タルコトノ御承諾ヲ得候方々弐百余名ニ相上リ候ニ付、一度発起人総会相開キ諸事御決定ヲ仰度ト存候ヘ共、全部ノ御会合ヲ求ムルコトハ到底不可能ニ付、本月十二日有志ノ方々ノ御会合ヲ請ヒ左記仮決議ヲ為シ、発起人全部ニ通知ノ上其御承諾ヲ得テ事業ヲ進捗セシムルコトニ決定仕候間、何卒右御賛成被下度、尚別ニ御異存ノ儀折返御申越無之候ハヽ御賛成ノ事ト相心得適宜御取計可申候間予メ御諒承奉願候 敬具
  昭和三年十月廿五日
 - 第48巻 p.101 -ページ画像 
                  田尻先生伝記及遺稿編纂会
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
      記
 一、別紙趣意書及会則案ヲ認ムルコト
 一、別紙事業費予算ヲ認ムルコト
 一、会長ニ阪谷男爵、副会長ニ添田博士、会計監督ニ水町博士ヲ推薦スルコト
 一、編纂委員長ニ添田博士、同副委員長ニ小林博士ヲ推薦スルコト
 一、実行委員ハ正副会長、会計監督及正副編纂委員長ノ指名ニ一任スルコト
  一、前記各項ハ発起人全部ニ通知ノ上、其承諾ヲ得テ実行スルコト
        以上
(別紙、印刷物)
    田尻先生伝記及遺稿編纂会会則案
第一条 本会ハ故田尻稲次郎先生ノ伝記及遺稿ヲ編纂スルヲ以テ目的トス
第二条 本会ノ目的ヲ達成スル為メ会長・副会長・会計監督各一名、実行委員若干名ヲ置ク
 委員ハ編纂庶務及会計ニ関スル事項ヲ分掌ス
第三条 伝記及遺稿編纂ハ向フ約二箇年間ニ完成スルモノトス
第四条 本事業費ハ賛成者ノ醵出金ヲ以テ之ヲ支弁ス
第五条 醵出金ノ申込ハ昭和四年三月末日迄トシ、其払込ハ昭和四年十月末日迄トス
第六条 金五円以上ノ醵出者ニハ伝記一本ヲ贈呈ス
第七条 醵出金ノ払込場所ハ、東京市神田区今川小路二丁目住友銀行神田支店トス
第八条 本会事務所ヲ東京市神田区今川小路二丁目専修大学内ニ置ク
    田尻先生伝記及遺稿編纂費概算
一、金五千円也   編纂事業費
一、金六千円也   伝記出版費
   但総部数三千部内一千部学校図書館其他ヘ寄贈
一、金四百円也   書籍発送費
一、金壱千弐百円也 庶務費
一、金弐千四百円也 予備費
  計金壱万五千円也


諸会発起趣意書(二) 【(印刷物) 田尻先生伝記及遺稿編纂会趣意書】(DK480031k-0002)
第48巻 p.101-102 ページ画像

諸会発起趣意書(二)           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    田尻先生伝記及遺稿編纂会趣意書
故法学博士子爵田尻稲次郎先生長逝セラレテヨリ、玆ニ五星霜ヲ経タリ、顧ミルニ先生ハ経済財政学ノ泰斗トシテ後進ノ啓廸誘導ニ勗メ、許多ノ人材ヲ輩出セシメ、以テ偉業ヲ学界ニ立テラレ、政治上ニ於テハ其拮据規画スル所悉ク時宜ニ適シ、不朽ノ丕績ヲ国家ニ遺サル、其
 - 第48巻 p.102 -ページ画像 
ノ人格ニ至リテハ清廉崇高、世人之ヲ瞻仰敬慕セサル者ナシ、先生博学卓識、平生著述スル所極メテ多ク、雑誌ノ寄書、講演ノ筆記等、固ヨリ亦尠シトセス、今ニシテ其ノ伝記ヲ編纂シ遺稿ヲ集輯スルニ非スンハ、湮滅散逸ノ虞ナキヲ保セス、是ニ於テ有志胥謀リ、田尻先生伝記及遺稿編纂会ヲ設ケ、会則ヲ定メ、斯ノ事業ヲ遂行シ、先生ノ遺績ト徳風トヲ後昆ニ伝ヘ、以テ矜式スル所アラシメントス、冀クハ先生在世ノ知交ト否トヲ問ハス、別紙会則要領ニ依リ奮テ此挙ニ御賛同アランコトヲ
  昭和三年十一月
                田尻先生伝記及遺稿編纂会
    発起人(イロハ順)
○中略
子爵 渋沢栄一
○下略
   ○発起人ハ栄一外二百名。


北雷田尻先生伝 田尻先生伝記及遺稿編纂会編 下巻・第七五五―七六六頁昭和八年一〇月刊(DK480031k-0003)
第48巻 p.102-104 ページ画像

北雷田尻先生伝 田尻先生伝記及遺稿編纂会編
              下巻・第七五五―七六六頁昭和八年一〇月刊
 ○第四編 附録
    第三 田尻先生伝記及遺稿編纂会事歴
 故法学博士子爵田尻稲次郎先生、大正十二年八月十五日を以て薨去せらるゝや、幾くもなく九月一日の大震火災あり、世は混乱の裡に陥り、物情騒然たるものありしより、翌十三年八月一日九段偕行社に於て、纔かに先生の追悼会を開きたる儘、早くも三年を経過せり。偶々大正十四年八月十日先生の墓参旁々小石川伝通院前偕楽園に於て、第四回田尻先生会の開催せらるゝや、其の席上本会率先して先生の伝記及び遺稿の編纂に当らんとするの議起り、其の後添田博士よりも右に関する注意ありしを以て、翌大正十五年十月中河野秀男・杉栄三郎・鶴岡伊作・清原徳次郎等諸氏専修大学に会合し、愈々具体的方法を協議し実行に着手せんとしたる折柄、十二月に入り図らずも 大正天皇御不例より終に御大喪の事あり、続いて昭和二年三・四月の交に至り財界未曾有の恐慌に遭遇したる為め、本計画も自然延期の已むを得ざるに至れり。然れども余りに遅延を重ぬるときは、終に中絶に帰するの虞なきを保せざるを以て、昭和三年四月十九日丸ノ内中央亭に於て第五回田尻先生会を開き、男爵阪谷芳郎・添田寿一・川上直之助・三浦弥五郎・田尻鉄太郎・八代準・伴野乙弥・星野章・河野秀男・鶴岡伊作・仙田重邦・森本邦治郎・増田正雄・黒葛原兼温・小栗盛太郎・清原徳次郎の諸氏十六名出席の上、阪谷男爵を座長に推し、改めて本件に関し協議を進むることゝなり、先づ大体の方針を定め、男爵阪谷芳郎・法学博士添田寿一・法学博士水町袈裟六・男爵平沼騏一郎四氏を首唱者総代として発起人の依頼状を発することゝし、越へて六月五日発起人候補者に向て夫々依頼状を発したり。右の依頼状に対し発起人たることを承諾せられたるもの二百一名に及びたるを以て、総会開会の手数を省き、昭和三年十月十二日専修大学に於て有志発起人会を
 - 第48巻 p.103 -ページ画像 
開き、添田寿一・小林丑三郎・河野秀男・杉栄三郎・高橋文之助・簗田𨥆次郎・多胡敬三郎・八代準・黒葛原兼温・村田俊彦・斎藤恂・瓜生喜三郎・清原徳次郎・鶴岡伊作の諸氏十四名出席の上趣意書・会則及事業費予算を議決し、会長に阪谷男爵、副会長兼編纂委員長に添田博士、会計監督に水町博士、編纂副委員長に小林博士を推薦し、尚ほ本会事務所は神田区今川小路専修大学内に置き、寄附金の取扱は同町住友銀行神田支店に委託することゝし、同月二十五日発起人一同に通知して承諾を求めたるに何れも異議なかりしを以て、翌十一月五日阪谷会長より市来乙彦・今村力三郎・蓮沼門三・大津麟平・小栗盛太郎・川上直之助・河津暹・河野秀男・高橋文之助・多胡敬三郎・田島達策・鶴岡伊作・村田俊彦・瓜生喜三郎・黒葛原兼温・簗田𨥆次郎・八代則彦・八代準・柳田国男・俣野義郎・小林運重・斎藤恂・佐野善作・清原徳次郎・塩沢昌貞・杉栄三郎の諸氏二十七名に実行委員を委嘱し、以て寄附金募集及び其他の斡旋を依頼し、尚ほ実行委員中、河野秀男・鶴岡伊作・清原徳次郎三氏に常務委員を委嘱することゝなれり。
 此の如くにして内部の組織全く成りたるを以て、昭和三年十一月以降、左記の趣意書を発起人氏名・会則及決定要領と共に各方面に発送し、愈々寄附金の募集に着手せり。
      田尻先生伝記及遺稿編纂会趣意書○前掲ニツキ略ス
 寄附金の募集は爾後順調に進捗し其結果略々明瞭となるに至りたるを以て、昭和四年七月二十日実行委員会を開き、阪谷会長を始め河野秀男・河津暹・高橋文之助・多胡敬三郎、黒葛原兼温・鶴岡伊作・瓜生喜三郎・簗田𨥆次郎・八代準・清原徳次郎・三浦弥五郎・杉栄三郎の諸氏出席の上、寄附金申込の状況を聴取し、更に発起人中未だ寄附申込なき分、及び発起人以外と雖も特別の縁故ある向へは、実行委員夫々手別して寄附申込を勧誘することに決したり。
 寄附金募集事務一段落を告ぐると共に、一方編纂事務に就ては法学博士杉栄三郎氏に編纂主任を嘱託し、別に編纂助手二名を雇入れて材料蒐集に当らしむることゝせり。然るに本会副会長兼編纂委員長たる添田博士と、編纂副委員長たる小林博士とは、事業の初期に於て何れも逝去せられたるのみならず、編纂主任たる杉博士も公務多忙の為め事業の完成は当初発表の期限を超ゆるの已むを得ざるに至りたるを以て、昭和五年六月十五日寄附申込の状況報告を兼ねて、右の次第を寄附者一同に通知し、其の諒解を求めたり。
 編纂事務に就ては杉博士編纂主任として一切の事項を処理するの外鶴岡伊作氏も其の一部を担任し、河野・清原両氏之を扶くることゝなり、斯くて昭和五年末迄に一通り材料の蒐集を了りたるを以て、翌六年一月以来は編纂助手を一名に減じ、爾後正式に稿を起して一意編纂の進行に務めたる結果、昭和八年春に至り未完成ながら漸く原稿全部の取纏を了し、四月三日先生十年祭挙行の節、取敢へず音羽護国寺墓前に右原稿を供へて其の旨を報告したり。
 原稿完成の時期切迫と共に、発起人中寄附申込未済の分に対し再度の勧誘状を発し、又寄附申込者中払込未済の分に対しても夫々払込を督促したるが、死亡其の他特別の事由あるものを除くの外、大体に於
 - 第48巻 p.104 -ページ画像 
て頗る好成績を示したり。左に最終寄附金払込者芳名を掲げて深厚なる謝意を表す。
      編纂会寄附者芳名(イロハ順)
  渋沢栄一○外六百二十名氏名略
        以上総人員六百二十一名、此金額一万四千七百七十四円五十銭也
 是に於て昭和八年七月十九日更に実行委員会を一橋学士会館内に開き、河野秀男・杉栄三郎・築田𨥆次郎・八代準・川上直之助・黒葛原兼温・小栗盛太郎・鶴岡伊作の諸氏出席の上伝記の体裁及び印刷部数を定め、印刷出来の上は資金寄附者、金国専門学校以上の各学校、各府県の主なる図書館等に寄贈し、外に多少の残部を存して、希望者に実価を以て販売することに決し、斯くて同月中東亜印刷株式会社に印刷を托し、十月中製本完成と共に配本を了り、同時に本会事務所を小石川区宮下町五十五番地鶴岡氏方に移し、以て残務を処理することゝせり。
○下略