デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
5節 新聞・雑誌・通信・放送
1款 新聞・雑誌 1. 実業之世界
■綱文

第48巻 p.208-209(DK480054k) ページ画像

大正3年6月1日(1914年)

是日発行ノ「実業之世界」新活動記念号ニ、栄一推讚ノ辞ヲ寄ス。


■資料

竜門雑誌 第三一三号・第七三頁大正三年六月 ○実業之世界紀念号発行に就て(DK480054k-0001)
第48巻 p.208 ページ画像

竜門雑誌 第三一三号・第七三頁大正三年六月
○実業之世界紀念号発行に就て 青淵先生には実業之世界社長野依秀一氏の懇請に応じ六月一日発行の紀念号に対し、左の辞を寄せられたりと云ふ。
 「実業之世界」社々長野依秀一氏今回仮出獄の恩典に浴し、捲土重来の大活動の第一歩たる「新活動記念号」なるものを発刊せらるゝに方り、従来数年間野依氏と親交を重ねたる老生が、特に氏の為めに一言するは、必ずしも無用の事に非ざるべし。
 野依氏は元来無邪気、正直にして熱誠あり、加ふるに才気煥発の人なるが、年少の気鋭なると、威武に屈せず、富貴に淫せず、「千万人と雖も吾れ往かん」と云ふ意気を有し、勇猛精進奮闘努力するが為めに、屡々世の誤解を招き、或は突飛と云ひ、或は傍若無人と云ふものあるに至れり、然れども、其本然の性情の純なるは、当代に少なき所にして、老生は自ら氏を解せりと信じて、深く嘆服せり。「実業之世界」が常に社会の弊竇に着眼して他の雑誌の企及し得ざる所を敢行せるは、野依氏の人物の反映にして、老生の社会の為めに喜べる所なり。ただ、惜むらくは、氏は、自ら標榜する如く無学なり。氏が学を得る所あらば、それこそ、所謂「鬼に金棒」にして雑誌は一層の権威を加ふべしと思惟したり。然るに、過般一年有余月の獄中生活に、大いに読書修養工夫する機会を得られたるは、誠に不幸中の幸と云ふべし。老生は、野依氏出獄後親しく面晤し、内には意気益々熾んにして、外には言動自ら落付きたるを看取せり。今後の氏の行動は大いに見るべきものあらん。
 思ふに今や野依氏の如き人物「実業之世界」の如き雑誌を要するの秋となり。公私枢要の地にあるものゝ腐敗、暴露せられて遺憾なく社会は其底止する所の知り難きに徨惑す。此の時に当り、眼中利害なく、言ふべきを言ひ、為すべきを為すこと野依氏の如きが、新なる活動を開始するは、時の宜しきものと云はざるべからず。老生は敢て「実業之世界」の読者諸君に本誌を愛読して時弊の矯正に声援せられん事を希望す。而して亦、野依氏以下「実業之世界」社中諸氏の、老生をして、推讚の誤たざるを誇らしめられんことを冀ふ。(甲寅四月三十日中華民国出発前二日曖依村荘に於いて)
 - 第48巻 p.209 -ページ画像 


〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四三年(DK480054k-0002)
第48巻 p.209 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年       (渋沢子爵家所蔵)
七月十四日 半晴 暑
午前六時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後、野依秀一氏ノ来訪アリ、雑誌ニ関シテ種々ノ談話ヲ為ス○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正四年(DK480054k-0003)
第48巻 p.209 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月廿二日 晴
午前六時起床、入浴朝飧ヲ畢リ○中略 野依秀一氏来リ、雑誌ノ事ニ付談話ス○下略
   ○中略。
八月十四日 曇
○上略 午後一時事務所ニ抵リ庶務ヲ処理ス○中略 実業世界ヨリ企望セラルル序文モ、同シク大沢氏ニ立案セシム○下略
   ○中略。
八月十七日 朝来快晴残暑再燃ノ想アリ
○上略 東京大沢氏ヨリ書状来リ、実業之世界社ヨリ依頼ノ序文原稿ヲ送致セラル○下略
   ○中略。
八月二十日 晴 夕方ニ至リテ雷雨アリ
午前六時半起床、例ニヨリテ入浴シテ後、実業之世界社ヨリ委托ノ序文原稿ヲ批正ス、但シ原稿ハ大沢正道氏東京ヨリ送リ越サレタルモノナリ、修正ノ案成ルヲ以テ直ニ清書シ、且意見ヲ添ヘテ大沢氏ニ送付ス○下略
   ○栄一、八月二日ヨリ箱根ニ避暑シ、十二日帰京、十五日再ビ箱根ニ赴キ、二十四日帰京ス。



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正八年(DK480054k-0004)
第48巻 p.209 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
七月三日 曇 暑
午前六時半起床、入浴シテ朝飧ヲ畢リ、実業之世界社員三宅勘一郎氏来訪ス、曾テ社長代理武井氏ヨリノ依頼ニ係ル実業家名鑑ノ序文及題字ヲ揮毫ス○下略