デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

7章 行政
1節 自治行政
7款 滝野川町関係
■綱文

第48巻 p.371-376(DK480116k) ページ画像

大正8年11月2日(1919年)

是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ催サレタル、西ケ原青年会発会式ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正八年(DK480116k-0001)
第48巻 p.371 ページ画像

集会日時通知表  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
拾壱月二日 日 午前十時 滝野川町青年会ノ件(飛鳥山邸)


竜門雑誌 第三八九号・第一一―一七頁大正九年一〇月 ○西ケ原青年会に於て 青淵先生(DK480116k-0002)
第48巻 p.371-376 ページ画像

竜門雑誌  第三八九号・第一一―一七頁大正九年一〇月
 ○西ケ原青年会に於て
                      青淵先生
 本篇は大正八年十一月二日飛鳥山曖依村荘に於て開かれたる王子西ケ原青年会に於ける青淵先生の講演即ち是れなり。(編者識)
 今日西ケ原の青年会発会式を私の此小園でお開きになりましたことは、お芽出度いと祝意を表するのみならず、私から言ひますと、辱なくも感じまするし、愉快にも思ふのでございます。唯頃日来少し風邪気で、出席が出来れば宜いがと思ふて居つた為めに、其日の来るのを待ちもし又気に懸けも致したのでありました。幸に左したることなくして、今日諸君にお目に懸かることが出来ましたけれども、昨日は大雨でございました為めに、折角の庭園に於ける御催しが、至つて殺風
 - 第48巻 p.372 -ページ画像 
景になつて、諸君の感興を減じはせぬか是は天道様がお情ないと思ふやうな感じが致して、諸君の為めに大なる心配をしたのであります。昨夜十時頃帰宅しましても、雨は未だ盛んに降つて居る、明日降つたらどうしたら宜からうと、頻りに家人と相談を致したやうな次第であつた。併し諸君の精進の宜しい為めに、俄かに斯の如き好天美日を得て、其憂は一夜の中に消散致したのを、諸君と共に喜ぶのでございます。天気の悪いのを私が如何に心配したからとて、好くすることは出来ない。と同時に私がどう思つても悪くもならない。併し天気が好いと自己の手柄のやうになり、天気が悪いと失策でもしたやうに、申訳がございませぬと、お詫を申さなければならぬから、今日は反対に斯様な好いお天気を以てお迎へしたと、自慢の出来るのを、私は諸君と共に深く喜ぶのでございます。
 青年会の成立に付きましては、越部町長及直接お世話なさる有馬助役から毎度承りましたから、誠に結構な事と喜びまして、只今も御報告を聴きて、却て恥入る訳でありますが、既に美挙と賛成して、聊かお力添へを致したいと思ふ所から、古河男爵と御相談を致して、此会の成立と会堂の建築に付て、少分の寄附を致しましたのが、斯かるお集会に於て、鄭重に御挨拶を戴いた事は、却て恐縮する次第でございます。
 元来此地方に斯の如き組立ての出来る事は私は深く喜ぶのでございます。但し近来は、能く青年が国家の中堅である、国の元気は青年に在ると。お集りの諸君は如何にも青年であるから、老人は之れに対抗は出来ぬけれども、只管青年々々と言ふて日本の人は老人の存在を認めぬやうになさるのは、少し御無理ではないかと思ふ(笑)。其青年は今に御覧なさい、直に老人に成つてしまふ。百年青年で居られた例は誰にもない。斯く申す渋沢も昔は青年であつたから、青年のみが人であつて、年寄は人でないかの如く論ずるのは、少しくお考へ違ひである。私は此の点については、不足を申上げねばならぬ、青年は勿論大切であるが同時に老人もまた捨つべからずと仰しやつて戴きたいのであります。老若の差別は左様に長く論ずるでもございませぬが、私は此青年が其団体を作るのが何故に必要であるかと云ふことから、能く考へて見たいのであります。只今も諸君の祝辞中に、段々お申述べのございました如く、殊に浅賀君の近頃の欧羅巴の学説の個人主義、国家主義と、其進化の有様を丁寧にお説明になりまして、学問的の御演説がございましたが、実に世の中が或点からは喜ぶべく、又或点からは大に憂慮すべき有様に相成つて居ると云ふことは、私が玆に喋々するまでもないのでございます。
 此欧米の風潮は、日本全国が引受けると同時に、小さく視れば、矢張当滝野川にも感じてゐる、又西ケ原一区域に於ても、充分其心を以て事に当らなければなりませぬ。これを小にしては一身一家から起つて、社会国家と進んで行くのであるから、其一郷村一区域が極く健全であれば、其健全なるものが相集つて大を成すのである。即ち小細胞が合して一身体を成すと同じく、国家の健全をも望まれるのでございます。故に此西ケ原を以て、日本全国を卜し得られるとまで言ひたい
 - 第48巻 p.373 -ページ画像 
のでございますから、西ケ原たるものは真に大切であると申上げなければならぬのでございます。
 只今浅賀君が、今の世の人はどうも権利の主張のみが多くて、義務の観念が甚だ乏しい、国に取つても、人に取つても、甚だ憂ふべき事である。畢竟先般の欧羅巴の大戦乱は、それから起つたのである、故に向後変化した此未来はどうなるか、改造される世界の有様は、如何に成り行くかと云ふことは、吾人の能く考へなければならぬのではないかと云ふお意味と察しましたが、是は仏国の媾和会議に於ても、種種討論されたのでございますが、多くは国と国との間の研究でなくて単に人と人との間の道義心に於て論議されたやうでございます。媾和会議には政府から大使をお出しになつた。而して経済上の関係は、実業界の人が随員として出張した。日本郵船会社の近藤男爵又は日本銀行の深井英五君、三井銀行の福井菊三郎君抔が大勢参りまして、其会議は既に終了して、先頃西園寺大使もお帰りになつて、歓迎会の開かれたことは、諸君の御承知の通りである。併しそれ等表面の会議ばかりでなく、欧洲全体の人情が如何あるかと云ふことも知りたいものであると思ふて、特に使節を命ずる訳にもいかぬけれども、斯かる改造の時代に於ては、世界の識者間には如何なる感想が生ずるか、どう云ふ風が吹くかと云ふことを表面ばかりではなく、内輪の事情を知ることを必要と考へました為めに、物質上に執着せず、精神上に於ける欧羅巴の媾和会議に、どう云ふ風が強く吹くかと云ふことを聴聞もしたり、又日本人の意見を吹聴することが必要であらうと思ふて、私は特に此事を唱導致しまして、実は添田寿一、姉崎正治の両博士に、媾和会議視察の為め、欧洲に出張を願ふたのであります。姉崎君は大学の教授であり、添田君は報知新聞の社長である。併し此度の旅行は其職務でなく、欧羅巴・亜米利加の思想界を探究し、同時に日本の意見を披露すると云ふ意味を以て、其処へ参加致して、充分なる事情を承り合せるが宜からうと云ふ事を、吾々同志申合せまして、此お二人を媾和会議に差し出したのでございました。姉崎君は仏蘭西の学校で講演を頼まれた為めに時日を要するので、未だ日本に帰られませぬが、添田君は此程帰朝されまして、巴里に於ける媾和会議の有様及其途中亜米利加の状況をも取調べられて、私は概略に其報告を受けましてございます。是は表面の条約規定に依つて、独逸との媾和が出来たと云ふやうな公然の事でなくて、例へば米国大統領ウイルソン氏が国際聯盟を提案したのは如何なる深意があるであらう。又ロイド・ジヨージ氏はどう云ふ考案を持つて居るであらう。クレマンソー氏の意思は如何其他列強から会同した諸名士の抱持して居る道義的観念やら、更に進んで只今浅賀君の言はれた如く、将来の社会が単に権利だけで済むか同時に相当なる義務観念を持たねば、世界の平和は期せられぬものかと云ふ事に就て、識者と意見を交換するの考へで旅行されたのでございます。未だ帰国匆々でございますし、殊に姉崎君の帰られぬので、見聞の顛末を審に聴き取りませぬから、向後吾々は、如何なる覚悟をして宜からうと云ふまでの研究は出来ませぬが、実に今日は油断の出来ぬ世の中で、国民の思想に於て一歩を誤つたならば、世界を通じて
 - 第48巻 p.374 -ページ画像 
再び混乱に陥りはせぬかと、憂慮するのであります。畢竟デモクラシーの声が段々高くなるに続いて、労働問題が欧羅巴・亜米利加共に激しくなるから、其余勢が日本へも波及して、各工場に同盟罷工の起るのは、恰も台湾に起つた低気圧が、風の吹廻しで東京に来ると同じ様な有様であります。斯く考へると、今浅賀君の言はれる通り、日本の人民は飽くまでも堅実なる思想を以て、自国の安寧を図らねばならぬと云ふ、余程重要の時期に向つて居るのであります。
 斯かる時代に於て、当滝野川町の一小区の西ケ原在住の三百五十名の青年が、質実醇朴にして所謂義務的観念から、鞏固なる団体を組んで、地方の事に当られるならば、洵に喜ばしいことでございます。斯く期待しますると、此青年会の発会は、国家の為めに慶賀すると申上げても宜しいやうでございます。是故に前にも申す如く、青年ばかりではいかぬ、同時に年寄も仲間に入れて貰ひたいのでありますが、実に青年諸君の任務や甚だ重大でございます。昨夜も世界日曜学校大会のことに関して渡来された、亜米利加人のガーチヤーと云ふ博士の歓迎会を、銀行倶楽部に開きました。此人は教育界にも実験を持つて居て、日本に対しては国交の親善を希望する所から、先刻浅賀君の述べられたやうに、世界一体の風潮が、智徳体の三教育が連続せぬと云ふことを、亜米利加も同様であるが、日本にも此聯絡を満足にしたいと云ふ、洵に親切なる演説であつて、私共は其演説を興味を以て聴いたのみならず、感服致して厚く謝詞を述べましたが、詰り徳育、智育、体育の三つが、権衡を得て進んで行かなければいかぬが、今日は唯智育ばかりが進んで行つて、徳育は甚だ衰微した否衰微どころではない総じて人が見向きもしないやうになりはせぬかと恐れるのである。斯くの如きは世界の平和が如何にして鞏固に為し得られませうか、日米両国の親善が望み得られませうか、独りこれを望み得られぬのみならず、自国の安全さへも危いではありませぬか、と云ふやうな意味にて亜米利加の現状に対しても満足に思はぬといふて反覆鄭重なる演説をされました。私共同志者と常に論じて居る事と全く符節を合した如くありましたので喜んで同意を表しましたけれども、全体欧羅巴の現況が頗る物質観念の強い為めに、権利思想に偏して義務観念が少い。私は玆に他の亜米利加の人に就て更に一例をお話しますと、亜米利加の費府に有名のデパートメントストーア即ち三越の如き業を経営する主人のジヨン・ワナメーカーと云ふ富豪があります。此人は今より四年前に、私が亜米利加に旅行した時に初ての会見でありましたけれども種々の身の上話から洵に親密になつて、一日の談は百年の親交の如き感を以て、交を結びました。続いて主人が私に言ふには、自分は耶蘇教に依つて信念を持つて居るけれども、東洋の人は耶蘇教は少い、殊に貴下は耶蘇信者でないと聞くが、何等の主義に拠りて、此信念を維持するかといふ問であつたから、私は之れに答へて、青年の時より儒教に拠つて信念を持つて居る、孔子の教を遵守して、常に心を動かさぬのである。但し孔子の教は支那伝来で、日本固有の教でないと云はれるとも、現に二千五百年以前から日本に渡来して、爾来、日本化した為めに、孔子は支那人であるけれども、其教の精神は、日本のもの
 - 第48巻 p.375 -ページ画像 
であると云ふても宜しいのである。既に我 明治天皇陛下の教育勅語の中にも「父母に孝に兄弟に友に、夫婦相和し朋友相信じ、恭倹己れを持し、博愛衆に及ほし」とあるは、皆孔子の教と同様と申しても差支ないのである。斯の如き尊い教であるから、私はこれを信じて、自分の世に処するのは、決して自己のみで生存し得るものではない。社会国家即ち多数の力に依つて生存発達するもので、仏教にも衆生の恩を説かれて居る。衆生とは一般の社会である、詰り人は自己を後にし国家社会を先として、努力すれば過たぬものである。私は此日曜学校の事に就ては別に関係を持たぬけれども、世界の耶蘇教家の人々が東京に於て日曜学校大会を開くと云ふは、日本をして世界的ならしむるには、甚だ必要の事だ。況や日本の国民が儒教にせよ、仏教にせよ、耶蘇教にせよ、鞏固なる信念を持つと云ふことは、現代に於て最も必要の事であると思ふから、此日曜学校大会は結構の事と賛同して、微力を添へて居る。唯此一事ではなく、外にも亜米利加に要務があつたから、即ち貴君と会見するの機会を得たのであると、自己を説明しましたら、ワナメーカー氏は大に喜んで、東洋人に左様な思想があるとは是迄思はなかつた、実に感服に堪へぬ。去りながら更に一歩を進めて云ふと、それ位なら貴下は、何故に耶蘇教になられぬのである。儒教も宜からうけれども、既に生命のない宗教と思はれる、寧ろ耶蘇教になつて欲しい、斯く云ふたならば、失礼に聞えるか知らぬけれども孔子は偉なる人に相違ないけれども、其国たる支那の現在は如何であるか、故に儒教は現在活動して居るとは言はれぬ。之れに反して耶蘇教は、世界的である。欧羅巴、亜米利加は勿論、現に宇宙に普及して居る。是を以て貴下が、其教旨を変へることは、別に差支ないではないか、是非とも孔子教を捨てゝ基督教になつて呉れと、再三再四衷心から勧告されましたが、私は遂に同意は出来ぬのであつた。其理由は青年の頃より今日に至るまで、儒教を以て安心立命を得たのを、他人の勧告に依つて之れを変へると云ふことが、果して信念あるものと言ひ得るや。是れを以て私は、貴君の勧誘に従ふことは出来ないと云ふてワナメーカー氏に答へたことがありました。而して私はワナメーカー氏の勧誘する真情と、私の同意せぬ微意とを、前段の問題たる権利と義務との区別と見て、東洋道徳と西洋道徳との融合点に受け身と働き掛けとの差別を注意するの必要を、ワナメーカー氏に告げたのであります。蓋し聖書の馬太伝に、人は善事と見たならば、自己が励行するばかりでなく、他人にも行はしめねばならぬといふは、耶蘇教旨の崇敬すべき処である。即ち前にいふ働き掛けである故に動もすれば諺にいふ、亭主の好きを客に振舞ふものとなりて、圧迫に陥る虞がある之れに反して論語の教はどうであるか、己れの欲せざる所、人に施す勿れ、行つて得ざるあれば、反て諸を己に求むとありて、詰り自分の欲望しないことは人に施してはならぬ。自分が行ふて思ふ様に出来ぬならば、己れの足らぬのだと、自ら我身を省るやうにしろといふてある、均しく道徳であるけれども、全く反対の趣旨なる即ち後者は、義務思想が強いのである。犠牲的観念が多いのである。此処が東西両洋の差であるから、実に注意を要するのであります。今日の世の中の如
 - 第48巻 p.376 -ページ画像 
く、権利思想即ち働きかけばかりであると、終には相争ふことにならぬとも限らぬ。如何に愛を高調しても、これを強迫すれば所謂愛の押売となりて、人に迷惑を与へるから能く考へて呉れぬと困ると云ふことを、私は間接にワナメーカー氏に通じたのである。蓋し之れが受身即ち謙譲的の道徳と、働き掛け即ち活動的道徳の差であるだらうと思ふ。故に此両者を充分に調和させぬと云ふと、真正なる平和、完全なる親善が六ケ敷からうと、亜米利加の人に接見する毎に此説を主張して居ります。是れは頗る広い意味で、西ケ原の青年会に適当するものではないかも知れぬけれども、先刻浅賀君の義務観念を強くしなければ、真正なる平和は得られぬと言はれたことは、真に私も御同論でございますので、常に此主義に拠りて自らも修め、社会に立つてもこれを主張し、又外国人にも談論して居りますから、西ケ原の青年諸君にも、同じく希望致して置くのでございます。
 要するに前にも申上げたる通り、知識の進んで行つて徳を修めることに欠けたならば、一家の安寧が期せられぬと同時に、一郷の無事も保ち得られぬ。一国も其通りである。随て全世界に種々なる紛議が起ることは、当然の結果である。さすれば堅固な平和を求めるならば、其地方々々の小区域から常に義務観念を尊重し、恩に感じ、節を守りて、各自の信念を何処までも固持すると云ふことが、最も必要と思ひます。さらばと云ふて、事物の進歩を図ることを疎かにしてはなりませぬ。それは飽く迄も努めるが同時に自ら省ることを棄てたならば、矢張平和は期し難いことになりますから、此に於て私の常に主張して居る道徳と経済との一致を研究されるやうに希望します。殊に青年諸君は此点に充分御尽力あらんことを願ひます。甚だ教訓がましい事を申上げて失礼に当りまするけれども、之れが年寄の役徳です。即ち、一方からは棄てられて、もう引込んで宜いと言はれますけれども、斯う云ふ事を御注意するのも、必ずしも無用の弁でないとするならば、年寄も矢張り尊むべきものだと御諒承を願ひます。是で御免を蒙ります。(拍手)



〔参考〕滝野川町制二十周年記念滝野川町誌 大島貞吉編 第五九三頁昭和八年六月刊(DK480116k-0003)
第48巻 p.376 ページ画像

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