デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
4款 聯合国傷病兵罹災者慰問会
■綱文

第48巻 p.519-522(DK480150k) ページ画像

大正5年12月10日(1916年)

是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル日米関係委員会ノ席上、聯合軍慰問使派遣ノ件ヲ提議シ、一同ノ賛成ヲ得。仍ツテ栄一、総理大臣寺内正毅・外務大臣本野一郎・貴族院議長徳川家達・衆議院議長島田三郎ト会見シテ当会ノ設立ニ尽力ス。


■資料

聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編 第一頁 大正六年一二月刊(DK480150k-0001)
第48巻 p.519 ページ画像

聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編  第一頁 大正六年一二月刊
    一 慰問会の設立
本会の起源は実に大正五年十二月十日東京銀行集会所に於て開催せる日米関係委員会の会合に於ける渋沢男爵の提議に基づく、該食卓の席上に於て、渋沢男爵より今次の欧洲戦乱勃発以来、聯合国に於ける人命財産の犠牲多大にして戦禍の惨劇なる実に言ふに忍びざる現象を呈しつゝあるに、翻つて聯合国の一員たる我国の現状を観れば、其地理の遠隔なると事情の自ら相異なるとにより、其影響する所比較的大ならず、反つて経済上に於て尠からざる利益を享受しつゝあるの状態にあるを想へば、暴戻なる敵国の為に誘致せられたる友邦の難苦に対し晏然傍観するに忍びざるのみか、我帝国の既に聯合交戦国の班列に入りて、共に与国と目的を同うする以上、宜しく満腔の赤誠を披瀝して友邦を慰藉し、以て其憂ひを分つべく、玆に適当なる人士を簡派して欧洲聯合国を巡訪すべしと提案せられたる処、参会しつゝありたる本野外相を始め一同忽ち是れに賛意を表せられたるを以て、渋沢男爵は玆に中野武営氏と相謀りて共に其の計画に著手せらる、爾来寺内首相及び本野外相との数次の会見によりて著々其の進捗を見、更に首相と協議の結果、大正六年一月十二日首相の名を以て貴衆両院議員、旧大名華族及び全国六大都市の実業家並に都下の各新聞社・通信社・国際新聞協会・雑誌社等朝野の主なる各方面の代表者百三十余名に対して左の如き案内状を発送しその参会を希望せり
○下略


渋沢栄一 日記 大正六年(DK480150k-0002)
第48巻 p.519-520 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年          (渋沢子爵家所蔵)
一月四日 快晴 寒
○上略 午飧ノ後外務省ニ抵リ、本野大臣ニ面話シテ○中略 聯合国傷病兵慰問会施設ノ事ヲ協議ス○下略
一月五日 快晴 寒
○上略 十一時徳川公爵ヲ議長官舎ニ訪ヘ、聯合国兵隊慰問会ノ事ニ付談話ス○下略
  ○中略。
 - 第48巻 p.520 -ページ画像 
一月八日 晴 寒
○上略 二時寺内総理大臣ヲ永田町官舎ニ訪フ、中野武営氏ト共ニ聯合軍慰問ノ事ニ関シ種々談話ス○下略
一月九日 快晴 寒強シ
○上略 午飧後兜町事務所ニ抵リ、島田三郎氏来リ聯合軍慰問ノ件ヲ協議ス○下略
一月十日 晴 寒
○上略 午後一時半徳川公爵ヲ華族会館ニ訪ヒ、慰問会開催ニ関スル手続及華族中ノ発起人ノ指名ヲ協議ス○下略
一月十一日 晴 寒
○上略 午前十時商業会議所ニ抵リ○中略 島田三郎氏・中野武営氏ト聯合国慰問会ノ事ヲ協議ス○下略
一月十二日 晴 寒
○上略 午前十一時事務所ニ抵リ、慰問会趣意書ノ事ニ付島田氏ヘ書状ヲ発ス○下略


国民新聞 第八九五〇号 大正六年一月一二日 慰問使は誰か 欧洲出発は三月頃 渋沢男爵談(DK480150k-0003)
第48巻 p.520-521 ページ画像

国民新聞  第八九五〇号 大正六年一月一二日
    ○慰問使は誰か
      欧洲出発は三月頃……渋沢男爵談
○上略
『抑々聯合軍へ慰問使を派遣しようと云ふ問題の起つた発端は、私と中野氏が主として世話をしてゐる例の日米関係委員会が旧臘九日《(十日)》の夜催され、金子子・瓜生大将・阪谷男・添田・島田氏等廿一名の委員が会合し、幸ひ本野外相も来会されて種々話があつたが、其席上同じ聯合国でありながら我国は僅に青島や南洋諸島を攻略したのみで、其犠牲の如きも他の聯合軍に比べては殆んど比較にならず、却つて一面では戦争の為めに
△莫大な利益 を収めてゐる有様で、聯合軍に対して甚だ気の毒であるから、此際何等かの方法を以て慰問使を送らうと云ふ話が出たのが始りである、所で此頃大分講和風が吹き初めて来た様であるが、将来の平和を確実に維持さるゝ程度に於て講和が成立し、或国の如き久しく執り来つた
      ▽軍国主義を其根柢
        ▽から捨させるには
未だ未だ時日があらうと思ふ、戦争の惨禍を怖るゝのは誰も同じである、併し如何に其惨禍が甚しくとも、表面のみの平和は、却つて将来の惨害を大ならしむる理由で縦し此際一・二年戦争が長引いても、全くこの惨禍を根絶する事が出来れば、今日の不幸は永久の幸福となるのである、之は啻に
△正義を尊ぶ日本 国民の希望する所ばかりでなく、真の人道上から論じても当然のことゝ思ふ、されば今日戦つてゐる聯合軍の将卒は、実に世界の平和の為め自ら犠牲となりつゝある者で、仮令聯合国でなく共、同じ地球上に生活する人類として、彼等が嘗めつゝある其労苦を知らぬ顔に過すのは正に人道に反する事である、乃で是非とも此慰
 - 第48巻 p.521 -ページ画像 
問使派遣を実行しようと、本野外相にも相談した所大賛成で、越えて同月十二日恰度寺内首相の実業家招待会があつたので、私から二・三人の人々に話すと、何も異議がないので、当時直に発表したいと思つたが、折しも独逸の講和提議があつたので卅日の回答を待ち、卅一日
△寺内首相を訪問 して其意見を尋ね、更に本野外相と協議を重ねた上、本月八日中野氏と共に再び寺内首相を訪問した訳である、何分此問題は官民一致の必要があるから、追々各方面の人とも会て具体的の案を定め
      ▽遅くも本月中には
        ▽発表し得るらしい
而して寄附金の如きも幾何集るか元より不明であるが、少くも百万円以上纏めたいと云ふ希望で、其額に至つては誠に蒼海の一滴に過ぎないが、只此誠意さへ通ずれば夫で善い、又慰問使の如きも全国民を
△代表すべき人 を選定する必要上、成るべく両院議員の内から推薦したいと思つてゐる、寄附金の募集や其他で多分日本出発は二月頃になるであらう、尚ほ最後に露国の傷病兵の一部を日本で引取つて世話してやると云ふ事は非常に善いことで、其実行方法に就ては深く考へなければならぬが、或る程度を限つて是非実行して欲しい、繰返す様であるが口ばかりの同情では何等の効果がないから、仮令一人でも引取つて世話をしてやりたいものである』


時事新報 第一二〇〇三号 大正六年一月一二日 ○聯合軍に慰問使を 渋沢男等の発起で派遣の計画 費用は全国から=慰問使は両院議員(DK480150k-0004)
第48巻 p.521-522 ページ画像

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竜門雑誌 第三四四号・第九四頁 大正六年一月 ○聯合軍に慰問使(DK480150k-0005)
第48巻 p.522 ページ画像

竜門雑誌  第三四四号・第九四頁 大正六年一月
○聯合軍に慰問使 旧臘来、青淵先生・中野武営氏等によりて奔走尽力中なりし、聯合軍慰問の計画は、爾来寺内首相・本野外相等の援助により、最近大に進捗したるが、該計画に関して、青淵先生は語りて曰く
  ○栄一談話前掲ニツキ略ス。


聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編 附録・第六頁 大正六年一二月刊(DK480150k-0006)
第48巻 p.522 ページ画像

聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編  附録・第六頁 大正六年一二月刊
    慰問金醵集の由来
             聯合国傷病兵罹災者慰問会副総裁 男爵 渋沢栄一
○上略
 慰問会は昨年末から発起したのであるが、折角講和問題が起つた為に、暫く其成行を見送り、本年一月初旬にこれを発表し、三ケ月にて寄附金の募集を結了しようと思ふた○下略