デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
4款 聯合国傷病兵罹災者慰問会
■綱文

第48巻 p.533-536(DK480153k) ページ画像

大正6年2月10日(1917年)

是日栄一、首相官邸ニ開カレタル地方長官会議ニ臨ミ、当会寄付募集ニ関シ懇嘱ス。尚此前後、栄一、屡々常務委員会ニ出席ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正六年(DK480153k-0001)
第48巻 p.534 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年          (渋沢子爵家所蔵)
一月二十一日 曇 寒
○上略 午飧後憲政会事務所ヲ訪ヘ、若槻氏不在ニ付更ニ帝国劇場ニ抵リ ○下略 再ヒ憲政会事務所ニテ若槻・島田二氏ニ会見シテ、慰問会ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
一月二十三日 晴 寒
○上略 宮内大臣ヲ訪問シテ慰問会ニ御下賜金ノ事ヲ出願ス○下略
一月二十四日 晴 寒
○上略 三時衆議院ニ抵リ、慰問会常務委員会ニ出席ス、寺内首相ト談話ス○下略
  ○中略。
一月二十七日 晴 寒
○上略 午後二時衆議院図書室ニ於テ、慰問会常務委員会ヲ開ク、種々ノ協議ヲ為ス、東京其他ノ地方寄附予想ノ調査ヲ、大橋・柿沼二氏ニ托ス○下略
  ○中略。
二月一日 晴 厳寒
○上略 十一時半寺内総理大臣ヲ官邸ニ訪フテ慰問会ノ事ヲ談ス○下略
二月二日 晴 厳寒
○上略 午後二時○中略 直ニ衆議院ニ於テ慰問会ノ事ニ付常務委員会ヲ開キ種々ノ要務ヲ協議ス○下略
  ○中略。
二月五日 晴 寒
○上略 午前九時寺内総理大臣ヲ永田町官邸ニ訪フ○中略 岡崎書記官長ト慰問会ニ関スル要務ヲ協議ス○下略


東京日日新聞 第一四四六二号 大正六年一月二九日 聯軍慰問委員会(DK480153k-0002)
第48巻 p.534-535 ページ画像

東京日日新聞  第一四四六二号 大正六年一月二九日
    聯軍慰問委員会
聯合国傷病兵慰問会にては廿七日午後二時より衆議院内なる事務所に第三回常務委員会を開き、徳川総裁・渋沢副総裁を初め中野常務監督・大倉会計監督以下阪井(三井男代)・山下・串田・大橋・柿沼・和田・柳田・岡崎常務委員及津久井衆議院書記官出席し、慰問金募集方法に関し協議する所あり、総額三百万円の予定を以て全国各地方よりの醵金標準を定めたる外、左の各項を決定し四時半散会せり
 一、全国各地方長官に宛て寺内首相及後藤内相の名を以て、当該地方に於ける寄附勧誘方を依頼すること
 一、全国各地の旧大名華族・素封家・富豪・実業家、其他朝野の人士に宛@差当り五万通の寄附勧誘状に添へ、慰問会の趣意書及規約を送附すること
 一、其他一般の寄附勧誘に就ては、全国各地の新聞紙上に広告すること。
尚締切期日たる三月卅一日迄に醵集せる金額は、一先づ聯合与国たる
 - 第48巻 p.535 -ページ画像 
十一箇国に為替を以て送附することゝなるべし


聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編 第一五頁 大正六年一二月刊(DK480153k-0003)
第48巻 p.535 ページ画像

聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編  第一五頁 大正六年一二月刊
    三 寄附金応募の勧誘
○上略
地方に於ける寄附勧誘に関しては、曩に記するが如く、地方有力者に対して寄附勧誘状を発したるも、地方官の努力に待つの必要あるを以て、地方官会議を機とし、其第一日即ち二月十日首相官邸に於て、山県政務総監・下村・白仁両民政長官・昌谷樺太長官・俵北海道長官・井上・大久保・木内三府知事以下各地方長官出席の際、寺内首相及渋沢副総裁より、地方の寄附勧誘に関し懇嘱せり、又二月十三日、地方長官随行吏員を帝国ホテルに招待し、之に関する事務の打合を為せり
○下略


竜門雑誌 第三四六号・第七三頁 大正六年三月 青淵先生と地方長官(DK480153k-0004)
第48巻 p.535 ページ画像

竜門雑誌  第三四六号・第七三頁 大正六年三月
 青淵先生と地方長官 二月十日永田町首相邸に開かれたる地方長官会議第一日の日程終了後、午後一時青淵先生は当地方長官諸氏に対し聯合軍病傷兵慰問寄附金募集及理化学研究所設立に関し熟談せられたる由。


竜門雑誌 第三五一号・第六五頁 大正六年八月 ○埼玉県有志青淵先生喜寿祝賀会に於ける祝辞及答辞 答辞 青淵先生(DK480153k-0005)
第48巻 p.535 ページ画像

竜門雑誌  第三五一号・第六五頁 大正六年八月
 ○埼玉県有志 青淵先生喜寿祝賀会に於ける祝辞及答辞
    答辞
                      青淵先生
○上略
 更に一の喜ばしい事は聯合軍慰問会の設立であります、私は此際国民全体が相当の力を合せて聯合国の傷病兵を慰問すると云ふ事を、国交上からも人道上からも極めて必要の事と考へまして、過日来各方面に説き廻りました所、幸に政治家も経済家も皆一様に賛成してくるゝ事となりました、是は決して私一人の仕事でなく、国家的の公務である、四五日前にも首相官邸に於て地方長官各位にも其の趣旨を申上た次第であります、既に寄附金の募集に従事致しておりますから、やがて相当の金額を集め得まして、適当の慰問使を選定して聯合軍を慰問致しましたならば、日本の国情を知らしむる上に於きましても多大の効果があらうと信じます。微力ながら私も首唱者の一人たり得ました事を、誠に光栄とする所であります。
○下略
  ○右祝賀会ハ大正六年二月十三日上野精養軒ニ行ハル。



〔参考〕中外商業新報 第一一〇七八号 大正六年二月九日 ○一食を欠くも とて聯合国傷病兵慰問会へ金を寄附したる人(DK480153k-0006)
第48巻 p.535-536 ページ画像

中外商業新報  第一一〇七八号 大正六年二月九日
    ○一食を欠くも
      とて聯合国傷病兵慰問
      会へ金を寄附したる人
聯合国傷病兵罹災者慰問会が寄附金募集の事を発布するや、島津久賢
 - 第48巻 p.536 -ページ画像 
男は即日寄附の申出をなし、更に続々申込みあるが、八日迄の重なる寄附者は渋沢男爵の一万円、大橋新太郎氏の五千円、和田豊治氏の三千円等にして、猶麻布鳥居坂町加藤文樹氏は左の書面を添へて金百円同夫人より五十円を寄附せりと
 (前略)今回聯合国に於る傷病兵及罹災者慰問の為義捐の儀御通牒の趣拝承仕候、御趣意書の旨感銘同情に不堪、一食を欠くとも多大の御慰問を企望仕候に付、軽少ながら別紙申込書の通寄附仕度此段相願候也