デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
7款 講和会議特派実業家送別会
■綱文

第48巻 p.590-592(DK480161k) ページ画像

大正7年12月9日(1918年)

是ヨリ先、栄一、池田謙三・郷誠之助・藤山雷太ト共ニ、政府ノ意向ニ応ジ、講和会議全権特使ノ特派随行員トシテ、実業家中ヨリ近藤廉平・深井英五・福井菊三郎・喜多又蔵ヲ推薦ス。是日、東京商業会議所ニ於テ、ソノ送別会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

中外商業新報 第一一七三六号 大正七年一一月二九日 ○実業家特派 媾和会議参加 東京大阪三名(DK480161k-0001)
第48巻 p.590 ページ画像

中外商業新報  第一一七三六号 大正七年一一月二九日
  ○実業家特派
      媾和会議参加
      東京大阪三名
渋沢男及び郷男・池田謙三・藤山雷太の四氏は政府側の意を享け二十八日午後一時より三時迄東京商業会議所に会合して協議せり、協議の内容は詳ならざれど媾和会議に民間の実業家を特選参加せしむるの件を含めるが如く、同特派実業家としては東京より両名、大阪より一名合計三名とし、其人選の範囲は一般経済上に実際の知識経験を有するものより一名と、貿易に関係を有するものより一名(以上東京)並に工業上に知識経験を有するものより一名(大阪)を各選任するにありて内選を遂げたるに依り、同日を以て政府に復答する所ありたり、何人の選に入れる乎は関係者に於て厳に秘せりと


中外商業新報 第一一七三六号 大正七年一一月二九日 東京大阪三名 媾和会議参列の実業家 東京方からは藤山・井上 大阪方からは山岡氏説(DK480161k-0002)
第48巻 p.590-591 ページ画像

中外商業新報  第一一七三六号 大正七年一一月二九日
    ○会議所で相談
        ◇媾和会議参列の実業家
      東京方からは藤山・井上
        大阪方からは山岡氏説
媾和会議に実業家三人加はつて経済上諸般の諮問に応じて欲しい、而して其三人の中二人は東京方から、一人は大阪方から選み出して貰い度いといふ話が
 ▽政府か ら東京商業会議所に話があつたので、商業会議所では自分の処一存に定めるのもどうかといふので、廿八日実業界の元老渋沢男、銀行団の代表的人物たる池田謙三氏及び工業倶楽部の郷誠之助男の三氏に諮る処があつた結果、之が候補者の内定を見、藤山会頭から同日直に政府に復答する処があつた、右に関して某
 ▽実業家 は語る「商業会議所が候補者を決めても政府から其候補者に交渉の結果、果して之を受諾するや否や疑はしく、随つて関係者一同堅く口を緘して居るので確実な事は判らないが、なんでも会議の際には藤山会頭から、西園寺さんさへ出掛けられるのであるから一つ
 - 第48巻 p.591 -ページ画像 
渋沢男爵に蹶起して貰へまいかと切り出したらしいが
 ▽男爵は 固く辞して受けられず、此れから堀越善重郎・早川千吉郎・和田豊治氏等いろいろな方面へ話が廻つたが、結局兎に角会議所の会頭であるのだから貴君に出掛けて貰ひ度いといふので、藤山氏にお鉢が廻つたらしい、然し藤山といふ人も却々忙しい人であるから余程辞退された摸様である」そして今一人の
 ▽東京方 としては諸種の情報を綜合して見ると正金銀行頭取井上準之助氏らしい形跡がある、氏ならば金融及び貿易の事に精通して居られるから立派なものである、又大阪方面では矢張り藤山会頭との均衡上、大阪商業会議所会頭たる山岡順太郎氏が其選に当る摸様である一説には松方幸次郎氏とも云はれて居るが果して如何にや」


中外商業新報 第一一七三八号 大正七年一二月一日 ○実業使交渉中 詮衡者の苦心(DK480161k-0003)
第48巻 p.591 ページ画像

中外商業新報  第一一七三八号 大正七年一二月一日
    ○実業使交渉中
      詮衡者の苦心
媾和会議に特派さるべき実業三名の人選に就ては東京側にありて井上準之助・福井菊三郎の両氏中、井上氏が正金銀行の業務上辞退したるが為め、渋沢・郷両男及び池田謙三・藤山雷太の四氏に於て更に物色の上交渉中也、其何人に対して交渉中なる乎に就ては四氏に於て厳秘を申合せ居れり、蓋し外間に漏るゝ事が自然其決定を鈍らしむるの虞あるに外ならざるべきが、内選者に於ても夫々関係事業ある事迚其交渉は容易ならざるものあるべし、殊に実業家を特派する事に対しては民間側よりの希望に出で、今回の媾和会議が世界の経済上に最も重要の関係を有するより此希望を政府に齎し、政府の賛成を得て此重任に当る名誉ある実業家を選任する事迚、範囲に限りあり不容易なるは勿論なれど、時日も切迫し居れば承諾を得次第直に政府に具申し取急ぎ任命を見るべしと


中外商業新報 第一一七四〇号 大正七年一二月三日 ○実業特使選任 解決近き模様(DK480161k-0004)
第48巻 p.591 ページ画像

中外商業新報  第一一七四〇号 大正七年一二月三日
    ○実業特使選任
      解決近き模様
東京側より二名選任せらるべき実業家特使は福井氏一名決定せしを除き、井上正金頭取が業務上離れ難き事情あり辞退せし為め、更に其候補者として某特殊銀行総裁及び日銀某理事を物色したるが、総裁に事情ありて専ら某理事に当りを附けたるも、同氏亦重要の任務に服し居り、重役会の意嚮を先づ決定せざれば内承諾を与へ難く、随つて未だ決定に至らざるが、既に夫々の運びを見且つ政府側との内交渉をも経たる摸様なれば、大体三日中には何等かの解決を見るならむ乎と予期せられつゝありと云へり


竜門雑誌 第三六七号・第八六頁 大正七年一二月 ○機宜の措置/○講和特使随行実業家の任命(DK480161k-0005)
第48巻 p.591-592 ページ画像

竜門雑誌  第三六七号・第八六頁 大正七年一二月
○機宜の措置 講和特使と共に代表的実業家を派遣することとなりたるに就て、青淵先生には都下各新聞の訪問に対し、左の如く語られたる由各新聞紙に見ゆ。
 - 第48巻 p.592 -ページ画像 
 講和会議に於ては一般講和に関する問題以外戦後に処する方策として曩に開かれたる巴里経済会議の如き、又国際聯盟問題の如きも附議せらるべく思惟さる、而して国際聯盟には政治・法律・軍事・経済等の諸問題を包含せらるべく、経済事項中関税問題及各種工業原料供給等は頗る重要問題にして、又東洋の平和維持の必要上山東省及満蒙問題並に西伯利亜問題の解決を要すべく、之が解決如何は我経済上重大なる関係を生ずべし、斯の如く種々なる経済問題の附議さるゝ場合に於て、我が講和使節中に経済的智識に豊富なる人物を有せざる為め、提案の都度一々之を本国に照会するが如きは其機会を失すること多きを以て、今回政府は此欠点を補はんが為め講和使節中に実業家を参加せしむることに決定したるは、誠に機宜を得たる措置なるのみならず、其人選を各方面に亘る代表的実業家に委託せしは之れ亦頗る当を得たることゝ思惟す、尚講和使節は諸問題に対し自己の利害を離れ一種崇高なる見地より之を解決せられんことを望む、誠意を失して解決せる平和は永久の平和にあらざればなり
○講和特使随行実業家の任命 講和特使随行実業家の人選に就ては、政府の委任に由り青淵先生・郷男爵・藤山雷太氏詮衡委員となり、東京に於ては正金銀行頭取井上準之助・三井物産会社取締役福井菊三郎両氏を推選し、山本農商務大臣より両氏に交渉しるに、福井氏は承諾したれども井上氏は行務上差支ありとて辞退したるを以て、詮衡委員諸氏は更に熟議を重ねたる上、日本銀行理事深井英五氏の承諾を得て同氏を推選し、又大阪に於ては日本棉花会社の喜多又蔵氏と決定し、尚ほ日本海運の代表者として日本郵船会社社長近藤廉平男其選に当り孰れも政府の任命を受け講和特使に随行することに確定せりといふ。


竜門雑誌 第三六八号・第五八頁 大正八年一月 実業特使の祖宴(DK480161k-0006)
第48巻 p.592 ページ画像

竜門雑誌  第三六八号・第五八頁 大正八年一月
 実業特使の祖宴 旧臘九日東京商業会議所主催となり、同日午後三時より同所楼上に於て開催さたれる講和会議特派員近藤廉平男・深井英五・福井菊三郎・喜多又蔵諸氏の祖宴に於ける青淵先生の送別演説の概要は左の如くなりと云ふ。
 欧洲戦争休戦条約成立当時に於て、藤山会頭の主催により開かれたる全国商業会議所の祝賀会に際し、我原首相は、今回の欧洲戦は必ずしも武力の勝利とのみ云ふ可らず、聯合国力の優越が然らしめたる也、就ては国富力の伸張に従事せらるゝ実業家の努力奮励を国家の為に最も切望せざる可らずと謂へり、当時予は附言して冀くは覇道によらず正義の方法によりて国力の展伸を期し、以て人類永遠の平和と幸福に資せざる可らずと補ひたり、実業特使を送るに当りて所述せむとする点は、畢竟首相の言説並に予が附言の外にある無し近藤男爵を始め福井氏・深井氏共に知識あり老練達意の人、其使命を果すに最も適任なるべきを信ず云々。