デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
2節 軍事関係諸団体
2款 財団法人帝国在郷軍人会
■綱文

第48巻 p.617-620(DK480169k) ページ画像

大正3年11月16日(1914年)


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是日栄一、九段偕行社ニ於テ挙行セラレタル、当会勅語伝達式ニ臨ミ「在郷軍人会ノ一使命」ト題スル講演ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三一九号・第四八頁 大正三年一二月 帝国在郷軍人会伝達式(DK480169k-0001)
第48巻 p.618 ページ画像

竜門雑誌  第三一九号・第四八頁 大正三年一二月
○帝国在郷軍人会伝達式 帝国在郷軍人会にては、十一月十六日午前十時より九段偕行社に於て、同月三日拝受せる勅語並に金拾万円御下賜の御沙汰伝達式を挙行せり、同日青淵先生も出席して一場の訓話を為されたりと云ふ


竜門雑誌 第三二〇号・第三九―四二頁 大正四年一月 ○在郷軍人会の一使命(勅語伝達式に於ける講演) 青淵先生(DK480169k-0002)
第48巻 p.618-620 ページ画像

竜門雑誌  第三二〇号・第三九―四二頁 大正四年一月
    ○在郷軍人会の一使命
      (勅語伝達式に於ける講演)
                      青淵先生
 本篇は昨年十一月十六日九段偕行社に於て開かれたる在郷軍人会に於ける青淵先生の講演なりとす(編者識)
 臨場の閣下諸君、此光輝ありて静粛厳格なる盛儀に参列致して一言申上げる機会を御与へ下すつたことを深く感謝致します。私は実業界にのみ居りまするもので、軍事に対しては何等智識経験を有つて居りませぬ、故に斯る御席にて訓話など申上げ得る身柄とは自ら思ひませぬけれども、在郷軍人会に対しましては深く同情を寄せ居りまする為に、をこがましくも私は斯く考へて居ると云ふことを陳述致し幸に御参考になつたら大慶と存ずるのでございます。
 在郷軍人会に対して 聖上陛下から優渥なる詔勅莫大なる御下賜金がございましたことは誠に有難い仕合せと吾々も深く感謝し本会の為に慶賀致すのでございます。而して其思召の深遠なる所は只今東京市長から懇々御申述がございましたから私が更に申添へることはございませぬが、私の平素考へて居りますることゝ云ふのは明治の御代になつて幕府制度が変つて王政に復されたのである、其変化は殆んど七・八百年来の大革命であつて我が帝国は鎌倉覇府の建設以来国政は武人が与つて居つたのである。而して此武人は大概世禄を受け家柄によりて国を支配して居つたのである。又農工商は軍事には関係せず兵農全く分れて居つたのである。文政年間に頼山陽といふ儒者が日本外史を書いた其緒言に昔の日本の制度は兵農全く一つであつた。天子が自ら軍刀を持つて戦地にお出になつたのである。其場合には耕して居つた農民も兵役に出で軍事が済むと干戈を収めて帰農したのである。保元平治以後源平両氏が武力を以て時の禍乱を鎮定するによりて帝室の政権を掌りたる藤原家が此源平両氏を恃みて政柄を自由にし、源氏が驕れば平氏に命じてこれを陥れ、平家が専横になれば源氏をしてこれを制し、相箝制せしめて自分は其間に在つて政権を擅にして居つた。此弊遂に武力の為に恐れながら 天子の御威力までも陵夷するに至つたと云ふことであります。是は日本外史に歴然としてありますから此処に喋々するは無用の弁のやうでございますが兵農の分れを順序として一言申し添へたのみであります。私は青年の時からこれを熟読して居
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りましたので今日も其事を覚えて居る。然るに明治の御代は全く之を復古されて徴兵令によりて兵農一致したと云ふことは当然のことで、是は 陛下の御稜威に基くも輔弼の任にあつた閣臣の功労も亦大なりと申しても宜からうと思ふのであります。
 爾来軍人と農工商との有様に就いて熟視較量しますと私は実業家として比較上其優劣に憤慨する位なのである。是は軍人と実業とを競走の心を以て申上げるやうで穏当を欠きますけれども、相並べて見ますると自然とさう云ふ感じを起させるのであります。何故かと云ふと維新以後幕府の制度が変つて軍事も商工業も同じやうに欧米の長所を採つて進んで参つたのである。而して此の両種の人の混和の仕方が次に述べる様である。昔は武士は身柄も善く、世禄を子孫に伝へ、一般人民よりは高級の人であつた。武士といふものは農工商よりは教育も高く親から子に、子から孫に伝つて居りました。又農工商は至つて下級の位置に居つたのである。然るに維新の変化は如何なる傾向をなせしかと見るに、商工業者の方へは高級なりし武士の種類が入つて来た。反対に軍人の方へは悪い種族の商工業者が入つて来たのである。一例としては徴兵には豆腐屋の子も八百屋の子も皆兵役に出るのである。反対に立派な大藩の家老の子も、又は幕府の旗本も商売人になつたから、詰り商工業者へは善い種族の人が入つて来た。そこで此両種の者が共に欧米の長を採りて発展して行くとしたならば、軍事の進むと同じく商工業も欧米を凌駕するやうになり得る筈である、然るに事実は之に反して今も市会議長の述べられた通り軍事に於ては実に赫々たる功績を挙げられて、日本は軍事の為に一等国にも伍せられるやうになつた。是は今申した悪い種類の人の入つたる軍人の御力であつて善い種類の人の入つた商工業者の方はまだ三等国の資格も備へて居らぬやうに思ふのであります。是は商工業者と軍人と維新以後の新制度によりて共に発展したるも斯く相違して居ると云ふことを玆に申上げたに過ぎませぬ。
 さて維新後種々なる事柄が段々と進んで参つたけれども、其進むに従て其間に弊害を生ずると云ふことも亦免かれぬことで大に顧慮しなければならぬのであります。是は只軍人社会にのみ弊害があると申すのではございませぬ。教育の如きも各方面に智識を進めて行く、維新後四十有余年の丹精は大に智識を進めた、事々物々欧米と肩を並ぶる程になつたかも知れませぬが、併し今も市会議長が嘆声を洩らされました如く、此教育が果して弊害が無いと言ひ得るか、唯智識だけ進んだが之に伴ふ人格が進んで居るかと云ふと頗る疑問だと言ひたいのでございます。又商工業者も縦令微々たりと雖も維新以前に比べて見たならば諸事物の拡大したことは実に驚くべき程である。富の程度は三等国ではあるが都会には大富豪も多く出来て其昔を回顧しますると実に発達したと云ふことは申し得られる。或種類の人々は欧米の大富豪と肩を列べても恥しからざる所の人も出来たのである。故に一面から見れば真に喜ぶべきやうであるが、併し其富の進んだ程徳義人格が共に進歩して居るか何うか、智恵は進んだが道徳は衰へて居る、人格は少しも進まぬと云ふ比例と同じやうな有様が見受けられます、果して
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然らば其智識の進んだのは未だ頼むに足らず、其の富の増したのは未だ喜んでばかりは居られぬ。是れ即ち事物に就て免かれぬ弊である。一方の利益を進める為に依つて生ずる弊害は総ての事業に免れぬ。一利あれば一弊が伴ふ、そこで軍人にも其弊が無いとは言へないと思ふのであります。之は何故かならば幕府時代の兵農の差別が今日の制度にはなくとも、事実に於て軍人は国家を護るのは俺の力だ、商工業者はこれに対して軍費さへ出せば宜いのだと云ふやうな有様になつたならば、制度は昔と異なるとも、事実は同じになる虞なきにしもあらずと私共多少憂慮して居つたのでございます。若し軍人の態度が斯の如くならば実業に関係する者は之に答へて国力を奈何せんと云ふ反対意見を生ずるのは止むを得ざる勢である。是を以て私は従来此衝突に対して大に注意せねばならぬと思ひましたが、幸にも此在郷軍人会の組織は此弊害を未然に防ぐの好方法であると信じて私は特に同情を表して居るのでございます。
 私が冒頭に在郷軍人会に深き感情を有つて居りますると申したるも前に述べた理由である。随つて生ずる弊害は之に依つて根本的解決の出来ることゝ思ふのでございます。併し古人も言ふ通り有乱人無乱国有治人無治法、治める人はあるけれども治める法は無い、乱す人はあるけれども乱れる国はない。是は荀子の格言である。故に如何に此在郷軍人会の制度が善いにもせよ従事する人々の精神が堅固でなければ所謂乱人あつて乱国無しである。此在郷軍人会の方法が善くても取扱ふ人が悪ければ徒法になると数千年以前荀子が申して置きました事を玆に繰り返す必要があると存じます。之に従事なさる諸君には十分に御注意あらんことを希望致します。又吾々在郷軍人会に対する国民側の心得も尚諸君に希望すると同じく治人たり乱国たらざることを努めねばならぬと自ら督励致して居るのであります。之を私の意見として諸君に陳述して御参考に供したのでございます。


帝国軍人後援会書類(DK480169k-0003)
第48巻 p.620 ページ画像

帝国軍人後援会書類            (渋沢子爵家所蔵)
粛啓
霖雨の季節愈々御昌栄慶賀不斜候、然る処尊台には本会発展の為格別の御高配を賜ひ、過般財団を通して多年度に亘り莫大なる金額御寄贈被成下候段、総裁宮殿下に於かせられても深く欣はせられ会内一同感謝罷在候、御蔭を以て従来行はむとして行ひ能はざりし事業の実現を期し得るに至り候上は、一意為邦家相尽し可申存念ニ在之候間、何卒将来引続き御高援の程御願申上候、先ハ以書上不取敢御礼申述度如斯ニ御座候 敬具
  大正十四年六月十二日
                帝国在郷軍人会々長
                  子爵 川村景明
    子爵 渋沢栄一殿