デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
1節 記念事業
9款 静寛院宮奉賛会
■綱文

第49巻 p.99-106(DK490029k) ページ画像

昭和2年9月(1927年)

是月栄一、静寛院宮奉賛会ノ設立発起人トナリ、次イデソノ会長ニ推サル。在任歿年ニ及ブ。


■資料

(神林周道)書翰 渋沢栄一宛 昭和二年九月一四日(DK490029k-0001)
第49巻 p.99 ページ画像

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静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0002)
第49巻 p.99 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 益御清祥奉賀候、陳者今般別封趣意書○次掲の通り
静寛院宮奉賛会を設立し、専ら宮の御事蹟を普及して婦徳の涵養に資すると共に、毎年十月二日御廟所在地たる芝増上寺に於て奉讚会御法要を奉修致度候条、何卒趣旨御賛同の上御入会被成下度希上候、此段得貴意度如斯に御座候 敬具
  昭和二年九月 日
                発起人総代
                   子爵 渋沢栄一
                   男爵 平山成信
                   男爵 阪谷芳郎
                      平塚広義
                      西久保弘道


静寛院宮奉賛会趣意書並規則 第一―四頁刊(DK490029k-0003)
第49巻 p.99-100 ページ画像

静寛院宮奉賛会趣意書並規則  第一―四頁刊
    静寛院宮奉賛会設立趣意書
 天壌無窮の大宗家として、上に皇室を奉戴し、文化の淵源、徳教の典型を此に仰ぐは、是れ吾が国体の一大特色にして、歴朝の竜子神孫は、躬を以て民に先んじ、治に当りては奎運を拓き、乱に臨みては国難に殉し、以て鴻範を遐代に垂れ給へり。その芳躅偉蹟は、史上昭々として千載を照らすものあり。
 - 第49巻 p.100 -ページ画像 
 恭く惟れば、静寛院宮親子内親王は、生を竹の園生に享け妙齢にして柳営に降嫁あらせられ、金枝玉葉の御身を捧げて公武合体の楔子となり給へり。その『一女子ノ身ヲ以テ、国難ヲ匡済スルノ用ニ供スルコトヲ得バ水火ノ中ニ投スルモ辞セズ』と奏上し、遠く東関に下向し給し当時凛烈の御衷情を拝察し奉らば、誰か感激の涙なきものあらんかくて宮は一度徳川の御一人とならせ給ふや、全力を主家に捧げ、純孝義母に事へ、貞淑夫君を助け、仁愛臣僕に臨み、婦道の完美、宛も皓月の円かなることを仰くが若し。而も将軍中道にして薨去の後、松栢の節操は、梅花にも譬ふべき信行の芬芳と共に、百難の雪を経て、益崇高を加へ給へり。此間偶、維新の大変革に際会して、宮は繊弱の一身を狂瀾怒濤の中に投じ、朝幕の間に苦節を厳守し、卓然として大義名分を力説し、無用の干戈を避けしめ、徳川の社稷を一髪の危機に救ひ、江戸百万の生霊を兵火の厄より免れしめ給へり。其大功偉勲は真に是吾が国民の百世に亘りて仁徳貞烈を欽仰し奉るべき所、婦道の儀表夫れ何人か宮に尚ふべきものあらんや。
 昨秋、宮の五十年令忌に丁り、三縁山増上寺に於て、法要奉修の挙あるや、海内翕然として報恩歎徳の声に満ち、朝野官民競ふて群参し延きて海外に及び、遺徳を賛するもの少からず。其盛況縁山創立以来未曾有と称す。特に満都数万の女学生が赤誠の想華を廟前に捧げ、接踵連袂、粛々として献香拝礼したる壮観に至りては、如何に令徳の広大なるかを証すると共に、女子教育界が多年求めんとして得ざりし最高理想の女性を、宮に於て窺ひ奉り得たる渇仰歓喜の表示ならずとせんや。謂ふに世界各国各理想の女性あり、英のナイチンゲール、仏の聖ジヤンダーク、独の女王ルイゼの如き其最たるものなり。然るに宮は夫等にもまして適切深厚なる感化を吾が国民に与へ給ふ最高最大の霊格を示し給へり。
 吾等は国民として将又東京市民として、宮を永久に礼讚し記念し奉るべき重大の理由と責任とを感ず。第一婦人の最高典型として、第二国難匡済の女神として、第三東京市の大恩人として、而も皇室の御直宮として、これを国体の上より見、これを道徳、教育の上より見、これを東京市の上より見むとき、豈一遍の奉讚講説、一時の法要儀礼に止むべきものならんや。宜しく永久奉賛の方法を講じ、令徳普及の方途を案せざるべからず。吾等こゝに於て静寛院宮奉賛会を設立し、報恩謝徳の至誠を致すと共に広大の令徳を宣揚して婦道の刷新を図り、女子修養の亀鑑を示し、以て現代の急務に応ぜんとす。冀くは満天下の淑女縉紳、挙つて本会に加盟し、協力同心速かに所期を達成せんことを。謹て白す。
  昭和二年九月
                発起人総代
                   子爵 渋沢栄一
                   男爵 平山成信
                   男爵 阪谷芳郎
                      平塚広義
                      西久保弘道

 - 第49巻 p.101 -ページ画像 

(増田明六) 日誌 昭和二年(DK490029k-0004)
第49巻 p.101 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和二年      (増田正純氏所蔵)
九月十六日 金 曇                出勤
静寛院宮奉賛会設置の件
増上寺住職道重法主より予て子爵ニ来話ありて、子爵も其発起人総代ニ加ハり、会成立の上ハ会長たる事を快諾せられしが、今日ハ同寺の神林周道・吉川沢誠・八百谷順応三氏来訪ニて、同会規則・役員の予選、其他重要事項ニ付き小生ニ協議ありたり
○下略


各個別青淵先生関係事業年表(DK490029k-0005)
第49巻 p.101 ページ画像

各個別青淵先生関係事業年表        (財団法人竜門社所蔵)
    増上寺
  昭和二年
静寛院宮奉賛会組織創立セラルルヤ会長ニ推サル


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0006)
第49巻 p.101 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 益御清祥奉賀候、陳者来ル十月二日午後二時芝増上寺大殿ニ於テ静寛院宮奉讚御法要奉修仕候ニ付、何卒御家族御同伴御参列被成下度此段御案内申上候 敬具
 追テ当日午後一時三十分ヨリ、予テ御賛同ヲ得候本会ノ発会式ヲ挙行致候間御含置被下度候
  昭和二年九月廿五日
                静寛院宮奉賛会会長
                   子爵 渋沢栄一
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
  ○御来会ノ節此状受付係ヘ御示ニ預リ度候
  ○十月二日ノ発会式ニハ、栄一ハ伊豆旅行中ニテ出席セズ。
   右奉賛会爾後ノ事業トシテハ、毎年十月二日御祥忌法要ノ奉修ノ外、維新戊辰殉難者追悼法要(昭和三年)、現代名流書画展覧会(昭和四年)、静寛院宮御霊前献詠会(昭和四年・同六年)等ノ催ヲ試ミタリ。
   栄一会長トシテノ在任歿年ニ至ル。


静寛院宮奉賛会趣意書並規則 第二三―二四頁刊(DK490029k-0007)
第49巻 p.101-102 ページ画像

静寛院宮奉賛会趣意書並規則  第二三―二四頁刊
   静寛院宮奉賛会設立に就て
                      道重信教
これを国体の上より見て  わが皇室は、国民の父母にましまし、国民に先んじて道徳の規範を示し給ひ、又国家の為めに時に一身を犠牲となし給ふ。日本武尊・聖徳太子・明治天皇、皆な然らざるはなし。和宮も亦た一女性の御身を以て能く道徳の規範を示し、国家の為めに犠牲となり給へり。かゝる御方を永久に祭祀するは正に国民の義務なるべし。
これを女子教育の上より見て  その過去に於て、日本は女子教育に就て閑却する所少なからざりき。然るに輓近女子教育の発達は、殆んど男子の教育と雁行の勢を以て進むに至れり、されど、画竜に点睛を
 - 第49巻 p.102 -ページ画像 
欠くの感あるは其の主義、其の方針の確立せざるに在り、如何なる婦人を養成すべきか、依憑とすべき模範人格は一定せざるものゝ如し。かゝる際に、静寛院宮を以て、日本婦人第一の模範と仰ぎ、女子教育の主義精神を明にすることは、国民教育上に一新生面を拓き、重大なる意義あるべきを信ず。
これを東京市の上より見て  東京市は、今や帝都たり。かく帝都となり得たるは、維新の際幸にも兵燹を免かれたるに由る。兵燹を免かれたる裏面に於ける第一の功労者は宮にてましませしことは、史家の等しく肯定する所なり。この意味に於て、宮を東京市の大恩人とすることは、万人恐らく異議なき所ならん。
これを芝区の上より見て  芝区の中心は増上寺にあり、増上寺価値の一半は丹碧燦たる南北霊屋にあり。その霊屋の中心たるべき、宮の霊廟を永遠に活かし奉ることは、またやがて芝区民の精神生活に、一大生命の霊火を点ずるに至るべし。更に況んや、京浜の接近、築港の完成等幾多の機運が、大東京の発展と共に、其中心を漸次芝方面に移さんとする自然の状勢にあるを目睹するに於てをや。
こゝにあらためて、宮の令徳を讚仰し奉るの煩を避くべしと雖も、前記の理由に依り、思想混迷殆んど適従する所を知らざる現下の世相に当面して、静寛院宮奉賛会を創し、祭祀の誠悃を効して風教刷新の途を講ぜんとするは、時代の趨向に心を労する者の一日を空うする能はざる急務なりと信ず。幸に天下同憂の士来たりて力をこの事業に協はさるるあらば何ものゝ幸慶か之に如かんや。敢て朝野の諸君子に訴ふる所以なり。


静寛院宮奉賛会趣意書並規則 第五―六頁刊(DK490029k-0008)
第49巻 p.102-103 ページ画像

静寛院宮奉賛会趣意書並規則  第五―六頁刊
    静寛院宮奉賛会規則案
第一条 本会ハ静寛院宮奉賛会ト称ス
第二条 本会ノ本部ハ東京市芝区芝公園地増上寺中ニ置キ支部ヲ各地ニ置ク
第三条 本会ハ静寛院宮御事蹟ノ普及ヲ図リ其令徳ヲ奉賛シテ婦徳ノ涵養ニ資スルヲ目的トス
第四条 本会ハ前条ノ目的ヲ達成スル為メ左ノ事業ヲ行フモノトス
  一、毎年十月二日宮御廟所在地タル大本山増上寺ニ於テ奉讚法要ヲ執行スルコト
  二、各種ノ講演会ヲ開キ文書ヲ刊行シ目的ノ実現ヲ期スルコト
  三、御遺墨・御遺物ヲ蒐集保存シ随時展覧会ヲ開クコト
  四、各女学校ト聯絡シテ女子徳育ノ奨励ヲ図ルコト
  五、其他令徳讚仰ニ関スル諸種ノ事業ヲ経営スルコト
第五条 本会ハ本会ノ趣旨目的ヲ賛同シ会員タル者ヲ以テ組織ス
第六条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
  会長      一名
  副会長     二名
  理事      十二名
  監事      三名
 - 第49巻 p.103 -ページ画像 
  評議員     若干名
○下略

(増田明六) 日誌 昭和二年(DK490029k-0009)
第49巻 p.103 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和二年       (増田正純氏所蔵)
十一月十日 木 晴                出勤
○上略
零時半増上寺ニ於ける静寛院宮奉賛会理事会ニ出席、同会の会計ニ関する協議を為した
○下略


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0010)
第49巻 p.103 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
粛啓 暑中とは申乍ら霖雨後の酷暑一層に感ぜられ真に難耐候折柄、貴台如何御起居被遊候や御伺ひ申上候、予て御高配を蒙り居り候弊会に於ても、本年度に於ては例年の通り十月二日芝増上寺大殿に於て静寛院の宮御法要を厳修し奉るは勿論、御大典記念事業の一として本会を財団法人組織に改め、一面明治維新の戊辰元年より六十一年目の第二戊辰還暦を迎え申候に依り、当時殉難者の霊を慰むる為め、本秋十月三日同じく芝増上寺に於て戊辰殉難者のため怨親平等の大追悼法要を営み申度く、又近時社会の風潮に鑑み維新前後の代表的女流先覚者の遺品展覧会を開催致し、以て婦徳涵養と女子教育の一資料に供し度存念罷り在り、目下着々其準備中に有之候、右に関しては改めて申上ぐべき場合も可有之かと存じ居り候へ共、何卒微意御汲取の上御心附の点等有之候はば御通知下され諸般御援護相煩はし度奉懇願候、右略儀なから書中を以て暑中御伺ひに併せ弊会の近況御通知申上候、時下炎熱殊の外に有之候、公私御繁忙の折柄御身御大切に被遊度希上候                                    敬具
  昭和三年八月孟夏      東京市芝区芝公園地
                増上寺中
                   静寛院宮奉賛会
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0011)
第49巻 p.103-104 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 尊台愈々御清穆之段慶賀の至に奉存候、扨本会は今秋十月二日恒例の静寛院宮御法要厳修の前後を期し、増上寺に於て数日間現代名流書画展覧会を開催致すことに相成申候、就ては御多用中真に恐縮之至りに候得共、本会の事業御援助と共に風教策振之御思召を以て、尊台御揮毫の書又は絵画一葉の御寄贈に預り度奉懇願候、御承知之通り本会は今日迄、専ら婦道の権化たる静寛院宮様之御令徳を鑽仰し婦徳涵養と思想善導とに尽瘁し来り、近く財団法人組織とすることに決定致居候、何卒此儀併せ御含み上御援助御揮毫被成下度、乍略儀以書中御願まで如斯御座候
 追而御参考のため静寛院宮御事蹟並本会の趣旨規則壱部御送付申上
 - 第49巻 p.104 -ページ画像 
候、尚御揮毫用の用箋郵税等は勿論当方に於て支弁可仕候、尚又御寄贈之書画は可成九月廿日頃まてに御揮毫之程願上候 敬具
     (月日ノ数字手書)
  昭和四年七月二十日
            東京市芝区芝公園増上寺中
            静寛院宮奉賛会
                 会長 子爵 渋沢栄一
                 設立者   道重信教
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0012)
第49巻 p.104 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
    静寛院宮御法要奉修御届並御願
来ル十月二日午後二時、芝区芝公園地増上寺本堂ニ於テ静寛院宮御祥忌御法要ヲ奉修仕リ候間、会長トシテ御参列御焼香相願度、此段御届ニ併セ御願申上候也
  昭和四年九月廿五日
                静寛院宮奉賛会 
               大本山 増上寺
               執事長 窪川旭丈 
    子爵 渋沢栄一閣下
           御家扶御中


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0013)
第49巻 p.104 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 益々御清祥ノ段奉賀候、陳者来ル十月二日午后二時芝公園増上寺ニ於テ、静寛院宮奉賛御法要ヲ奉修仕リ候間何卒御参列御焼香被成下度、此段御案内申上候
尚当日午后一時ヨリ会員惣会開催致候間、御出席被下度候 敬具
 尚予テ計画中ノ現代名流書画展覧会ハ未到着品多数ニ付、ソノ一部ノミヲ増上寺内ニ陳列致シ置候、明春全部ヲ取纏メ上野松坂屋ニ於テ改メテ展覧会開催可致候
  昭和四年九月二十七日
                  静寛院宮奉賛会
                   大本山増上寺
  ○御来会ノ節此状受付係ヘ御差出被下度候


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0014)
第49巻 p.104-105 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
粛啓 新秋の候に有之候処、愈々御清穆之段奉大賀候、扨て来る十月二日
静寛院宮恒例御法要当日を期し評議員会を開催し、左記事項に付御協議申上度候間、御多用中恐入候得共同日午前十一時迄に芝公園地増上寺迄御参集被成下度、此段御案内旁々御依頼申上候 敬具
 追テ同日午後一時ヨリ本会々員惣会を開催致し、同二時ヨリ増上寺本堂に於て恒例
 - 第49巻 p.105 -ページ画像 
 静寛院宮様の御法要を奉修可仕候
  昭和四年九月二十九日
                 芝区芝公園増上寺中
                   静寛院宮奉賛会 
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
      記
一、本会理事満期改選ノ件
一、本会現況報告ノ件


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0015)
第49巻 p.105 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
粛啓
来る十一月二日午前十時
静寛院宮御廟所拝殿に於て献詠会挙行仕る可く候間、何卒当日御参列被成下度
右御案内申上候 敬具
  昭和四年十月二十九日
               静寛院宮奉賛会
                理事長 星野錫 
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0016)
第49巻 p.105-106 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
          (別筆)
          子爵御名義使用ノ件
           昭和四年十月十一日子爵御承認ズミ
    静寛院宮御霊前献詠会趣意書
静寛院宮は 明治大帝の御叔母君に亘らせ給ふ高貴の御女性にて在します、明治維新の際我国か内憂外患交々至るとき、畏くも金枝玉葉の御身を以て御心を千々に砕かせ給ひ、磐石の如き雄々しき志を懐かせ給ひ乍ら、外には常に温良貞淑の美徳を発揮し給ひ、忠孝仁慈真に玲瓏玉の如き婦道の典型にて在しましたり。されば宮が打ち建て給ひし御いさをしは当時東西に活躍せる如何なる男子の功績にも劣るまじく内外最も多難なる秋、内には夫君家茂将軍を慰め励まし玉ひ、夫君みまかり給ひし後は専心その御冥福を祈らせ給ひたる殊勝なる御有様は実に貞婦の鑑と仰ぐべし。
宮が下に対して慈愛の心に富ませ玉ひし事は御文の端々に常にほの見ゆる所にして、兵火の巷となるべかりし江戸が今日の繁栄を保ち得たるも、唯一つ宮の賜なりとぞ伝えらる。
斯の如く其徳の弥高く其御心ばせの勝れさせ給へる宮も、其御一生はまことに数奇を極めさせ玉ひて、何人も涙なくして之を仰き見る事を得さるは、恰も寒風に梅花の匂へるにもたとへつべし。
宮が文藻に富ませ給ひ殊に敷島の道に奥深く歩ませ給ひしは、其御一生をいみじき御歌にて書き綴らせ給ふを見ても明かなるへし。
不世出の英主にして且つ歌聖に在す 明治大帝の御ゆかりも偲ばれて
 - 第49巻 p.106 -ページ画像 
その御歌には心打たれぬ人とて無き程なり。
紅葉薫るこの秋、宮の御霊を慰め奉らん為に、有志の方々に依頼し、宮の好ませ給ひたる和歌を御霊前に献進し、一は御令徳を後昆に伝へ一は以て斯道の発展のよすがと為さんとす。冀くは諸賢、玆の微衷を諒とせられ幸に御賛同の上御詠進あらんことを。
  昭和四年十月
                 子爵  渋沢栄一
                 子爵  三室戸敬光
                 大僧正 道重信教
 一、兼題     『夕紅葉』
 二、詠進場所   芝公園増上寺内静寛院宮御霊廟前
 三、献詠会期日  昭和四年十一月二日
 四、期限     昭和四年十月二十五日
 五、御送附先   東京芝区芝公園増上寺中静寛院宮奉賛会宛
 六、発表     増上寺発行雑誌縁山誌上等に掲載発表す
 七、展観     昭和五年三月又は四月中上野松坂屋に於て開催の現代名流書画展覧会に出陳し、一般に参観せしむ
                東京市芝区芝公園増上寺中
             事務所  静寛院宮奉賛会
                    電話芝(43)四四五番 四四六番


静寛院宮奉賛会書類(DK490029k-0017)
第49巻 p.106 ページ画像

静寛院宮奉賛会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
謹啓 愈々御健勝の段奉賀候、陳者兼ねて御高配相仰ぎ居候本会も、当年役員の改選期に有之候、就いては来る廿七日午后二時増上寺に於て評議員並に理事会開催、重要案件に就て御協議相煩度、公私御多端の機からとは存じ候へ共万障御差繰御参会相成度願上候 敬具
 追而御出欠の程折返し御報願上候
  昭和六年九月廿三日
             静寛院宮奉賛会長 渋沢栄一
                      芝増上寺中
                       電話芝四四五番 四四六番