デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
1節 記念事業
12款 財団法人楽翁公遺徳顕彰会
■綱文

第49巻 p.121-126(DK490035k) ページ画像

昭和4年5月27日(1929年)

是ヨリ先星野錫、福島甲子三等ト謀リ、楽翁公遺徳顕彰会ヲ設立シテ、栄一ヲ会長ニ推ス。是日、栄一ノ名ヲ以テ、東京銀行倶楽部ニ都下ノ新聞記者ヲ招キ、楽翁公百年祭ニ関スル懇談及ビ午餐会ヲ開ク。栄一出席ス。


■資料

(増田明六)日誌 昭和三年(DK490035k-0001)
第49巻 p.121 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和三年      (増田正純氏所蔵)
六月二日 土 降雨風あり             出勤
本日の面会人
○上略
3、星野錫・福島甲子三両氏 白河楽翁公会を組織し、子爵に会長御引受を請ひ、而して来廿三日公の百年祭を執行したいと思ふが如何との来談であつた、子爵病気の次第を談し、種々協議の上、会の組織は後日に廻し、今度は百年祭丈け徳川家達公に願ふて司催者として執行し、会は子爵御全快の後、子爵の御意見をも伺ふて組織する事にした
○下略
  ○栄一、是年四月下旬以降病気ノ為メ飛鳥山邸ニ於テ静養、七月下旬ニ至リ回復ス。


招客書類(三) 【(控) 拝啓 向暑之候愈御清穆奉賀候、然ハ拙老ハ夙ニ寛政之賢相白河楽翁公ニ私淑シ、殊ニ拙老が五十余年来主宰致居候東京市養育院之起立も亦…】(DK490035k-0002)
第49巻 p.121 ページ画像

招客書類(三)              (渋沢子爵家所蔵)
(控)
拝啓 向暑之候愈御清穆奉賀候、然ハ拙老ハ夙ニ寛政之賢相白河楽翁公ニ私淑シ、殊ニ拙老が五十余年来主宰致居候東京市養育院之起立も亦、公之遺徳ニ原因する関係ニ依り、二十年前より毎年公之忌日を以て、養育院ニ於て楽翁公記念会を開催致来候処、本年ハ恰も公逝去之百周年ニ相当致候ニ付、此機会ニ於て、現今社会之指導ニ任せられ候
諸君之御会合を煩はし、公之人格徳業ニ付愚見を陳じ、御賛助を得て弘く公之遺風を宣揚し、以て聊人心ニ針砭刺撃する所あらんことを希望致候、就てハ、御多忙中御迷惑とハ存候へとも、何卒御繰合、来ル廿七日正午、東京銀行集会所へ御来駕被成下候ハヾ、幸甚之至ニ候
                           敬具
  昭和四年五月廿三日
                      渋沢栄一
 再啓 当日ハ粗末ながら午餐之用意致置候間御承知被下度候、尚乍御手数御諾否御回示願上候


招客書類(三) 【昭和四年五月二十七日正午於東京銀行クラブ 楽翁公遺徳宣伝会及午餐会】(DK490035k-0003)
第49巻 p.121-122 ページ画像

招客書類(三)             (渋沢子爵家所蔵)
 - 第49巻 p.122 -ページ画像 
  昭和四年五月二十七日正午於東京銀行クラブ
  楽翁公遺徳宣伝会及午餐会
             (太丸・太字ハ朱書)
        東京朝日     ○緒方竹虎氏
                   代 住谷穆氏
        東京日日     ○岡崎鴻吉氏
                   代 今吉顕一氏
        報知       ○中村唯一氏
        時事       ○伊藤正徳氏
                  代理 萩原治郎氏
        国民      欠○《(マヽ)》山根真治郎氏
        読売       ○中尾竜夫氏
        都        ○服部鋋三氏
        東京毎夕     ○御手洗辰雄氏
        中外       ○大谷浩氏
        二六       ○矢野晋也氏
                   代 田原九十九氏
        博文館      ○延原謙氏
                  代理 川田功氏
        実業之日本社   ○増田義一氏
        講談社 キング  ○淵田忠良氏
        中外商業     ○簗田〓次郎氏
                 ○中村孝也氏
                 ○平泉澄氏
                 ○主人
                 ○高田利吉氏
      計十八人内出席十八名欠席ナシ
                 ○手塚猛昌氏


竜門雑誌 第四八九号・第八三頁 昭和四年六月 青淵先生動静大要(DK490035k-0004)
第49巻 p.122 ページ画像

竜門雑誌  第四八九号・第八三頁 昭和四年六月
    青淵先生動静大要
      五月中
廿七日 楽翁公百年祭に関し都下新聞記者招待懇談会及午餐会(東京銀行倶楽部)


(徳川家達)書翰 渋沢栄一宛 (昭和四年)六月四日(DK490035k-0005)
第49巻 p.122-123 ページ画像

(徳川家達)書翰  渋沢栄一宛 (昭和四年)六月四日
                     (渋沢子爵家所蔵)
初夏之候益御健勝恭賀之至候、陳ハ過日ハ久々ニて得拝眉大幸ニ存候
其節御話御坐候総裁之件御断申度と存候得共、何分楽翁公之事ニ付御引受可申事ニ決心仕候間此段不取敢申進候、過日ハ書類早速御送付被下忝く玆ニ御礼申上候也
  六月四日○昭和四年
                        家達
    渋沢老台
      玉机下

 - 第49巻 p.123 -ページ画像 
麹町区永楽町弐丁目 仲通二八号渋沢事務所 子爵 渋沢栄一殿 乞親展 急
封 六月四日 東京府豊多摩郡千駄ケ谷町三三〇 徳川家達


楽翁公遺徳顕彰会趣意書 第一―一〇頁 (昭和四年)刊(DK490035k-0006)
第49巻 p.123-125 ページ画像

楽翁公遺徳顕彰会趣意書  第一―一〇頁 (昭和四年)刊
    楽翁公遺徳顕彰会趣意書
我ガ東京市ノ恩人トシテ仰グベキモノ古来尠シトセズ、 明治天皇ノ深甚ナル御由緒ハ申スモ畏シ、遠ク太田道灌、徳川家康二公ノ如キ、其最モ著シキモノナリ。次デ楽翁公松平定信朝臣モ、亦吾等市民ノ忘ルベカラザル一大恩人ナリトス。公ハ江戸幕府中興八代将軍徳川吉宗公ノ孫ニシテ、田安宗武卿ノ子ナリ。出デテ白河藩主松平氏ヲ継グ。
天明七年老中ニ列シ、十一代将軍家斉公ノ輔佐トナル。在職七年、所謂寛政ノ大改革ヲ行ヒ、文武ノ庶政大ニ挙リ、人情風俗為ニ一新セリ職ヲ退イテ後ハ、専ラ文学、芸術ニ留意シ、其功績亦見ルベキモノ多シ。実ニ近世ニ於ケル一偉人ナリトス。殊ニ江戸ニ町法ヲ布キ、七分金ノ制ヲ創メテ、市民ノ救済、補助ニ努メラレシ治績ニ至リテハ、吾等市民ノ夢寐ニモ忘ルベカラザル所ニシテ、今ニ其余沢ヲ蒙レルモノ極メテ多シ。即チ其積立剰余金ハ、商法講習所・瓦斯局・東京府市庁舎・東京市養育院ヲ殆メ、道路・橋梁・墓地等、諸般ノ公共事業ニ用ヒラル。今玆昭和四年六月ハ恰モ公ノ満百年忌ニ相当スルヲ以テ、吾等平素公ヲ思慕尊敬スルモノ相謀リ、本会ヲ組織シ、曩ニ内務省ニ於テ史蹟トシテ指定セラレタル深川霊巌寺内ノ公ノ塋域ニ就テ、永久保存ノ施設ヲナシ、又大正大震火災ノ為ニ破損シタル公ノ墓石其他ヲ修理シ、竣工ノ日ニ於テ百年祭ヲ厳修シテ、公ノ英霊ヲ弔シ、公ノ厚恩ヲ謝シ、併セテ其遺徳ヲ顕彰シテ、聊カ世道人心ニ寄与スル所アランコトヲ期ス、願ハクハ諸君、吾等ノ企図ヲ翼賛シ、以テ本事業ヲ完成セシメラレンコトヲ。
  昭和四年五月
              楽翁公遺徳顕彰会長
                  子爵 渋沢栄一
      役員
  総裁
                  公爵 徳川家達
  会長
                  子爵 渋沢栄一
  副会長
               東京府知事 平塚広義
                東京市長 堀切善次郎
  顧問
 - 第49巻 p.124 -ページ画像 
                  男爵 阪谷芳郎
                  男爵 三井八郎右衛門
                文学博士 三上参次
  理事長
                     星野錫
  理事
         (常務)東京市公園課長 井下清
               文部省嘱託 荻野仲三郎
                     渡辺得男
                  子爵 立見豊丸
              深川区会議長 津谷一次郎
                深川区長 野崎広助
         (常務)        福島甲子三
           東京府社寺兵事課長 藤江陳太郎
                     見山正賀
  主事
               東京府嘱託 稲村坦元
                     高田利吉
               東京市嘱託 矢吹活禅

    楽翁公遺徳顕彰会規則書
第一条 本会ハ楽翁公遺徳顕彰会ト称ス
第二条 本会ノ事務所ハ東京市麹町区丸ノ内一丁目二番地渋沢事務所内ニ置ク
第三条 本会ハ楽翁公ノ遺徳ヲ顕彰スルヲ以テ目的トス
第四条 本会ハ前条ノ目的ヲ達スル為メ左ノ事業ヲ行フ
  一 楽翁公墓地ノ修理並ニ墓域ノ設定
  一 祭典執行並ニ記念講演会・展覧会等ノ開催
  一 公ノ伝記刊行
  一 其他必要ナル事業
第五条 本会ノ会員ハ左ノ二種トス
  一 名誉会員
  一 正会員
  名誉会員ハ本会ノ趣旨ニ賛シ金千円以上ヲ寄附セルモノ、又ハ本会ニ特殊ノ功労アルモノ
  正会員ハ本会ノ趣旨ニ賛シ金百円以上ヲ寄附セルモノ、又ハ本会ニ功労アルモノ
第六条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
  一 会長  一名
  一 副会長 二名
  一 理事  若干名(内理事長一名、常務若干名)
  一 主事  若干名
第七条 会長ハ本会ヲ代表シ会務ヲ統轄ス、副会長ハ会長ヲ補佐シ、理事ハ会長ノ命ヲ受ケテ会務ヲ掌理シ、主事ハ理事ヲ助ケテ会務
 - 第49巻 p.125 -ページ画像 
ヲ掌ル
第八条 本会ニ総裁一名ヲ推戴ス
第九条 本会ハ顧問・評議員各若干名ヲ置キ会長之ヲ委嘱ス
第十条 本会ノ事業費ハ会員ノ寄附金ヲ以テ之ニ充ツ
第十一条 本会則ニ明記セザル事項ハ細則ヲ以テ之ヲ定ム
      附則
第十二条 創立当初ノ役員ハ発起人ニ於テ之ヲ定ム

    楽翁公遺徳顕彰会事業予算書
      総収入
一金五万円也      会員寄附金
      総支出
一金五万円也
    内訳
  一金弐万六千五百円也  墓地修理費・祭典費・其他
    金壱万五千円也     工事費
    金弐百円也       同上設計監督費
    金七千弐百円也     墓域設定費
    金弐千五百円也     祭典・講演会・展覧会費
    金六百円也       事務費・雑費
    金壱千円也       予備費
  一金六千円也      伝記刊行費
  一金壱万七千五百円也  維持基金
        以上


星野錫翁伝 同翁感謝会編 第二〇五―二〇七頁 昭和一〇年七月刊(DK490035k-0007)
第49巻 p.125-126 ページ画像

星野錫翁伝 同翁感謝会編  第二〇五―二〇七頁 昭和一〇年七月刊
 ○二十三 公共事業
    イ、財団法人楽翁公遺徳顕彰会
 寛政の名宰相にて、東京市の恩人たる松平定信公の墓は、かの帝都大震災によつて、いたく破損し、剰へ、区劃整理のために移転改葬されることゝなつた。この時に当り、昭和二年春翁は福島甲子三氏並に東京市の史蹟を取扱ふ公園課々長井下氏、調査主任矢吹氏の三氏より楽翁公の墓地保存に関し、尽力を求められた。翁は、「自分は楽翁公についてはかねてより、深く公の人格に傾倒して居られる渋沢子爵より伺ふところ多く、公の為人の大体は承知して居り、墓地保存の問題は東京市民として看過すべからざることであるから、自分から子爵に申上げて御承諾を得、墓地保存のため奔走して、墓の修理もなし、盛大なる祭典をも行つて市民の注意を促すと同時に、公の遺徳を顕彰し公の遺業を永久に鼓吹し普及すべく努めやう」と、大いにこの問題に賛意を示し、楽翁公遺徳顕彰会創立に関する一切を諾つた。
 斯くて、翁は自ら委員長として、創立中の一切の経費を負担せるのみならず、寄附金の募集に奔走し、他方渋沢子爵の賛成を得、楽翁公の子孫松平定晴子爵家との諒解も成り、又、公に就て造詣深き文学博士三上参次氏の参加をも得、更に墓地の修理、墓前祭並に百年祭々典
 - 第49巻 p.126 -ページ画像 
執行、記念展覧会開催等、各方面に亘つて活動したる結果、此処に、楽翁公遺徳顕彰会の成立を見、総裁に楽翁公の宗家徳川公を仰ぎ、会長に渋沢子爵、副会長に東京府知事・東京市長を頂き、顧問としては三井家・岩崎家・阪谷男・三上博士を推し、翁自身は、理事長として一切の責任を負ふことゝなつた。
 墓前祭は、道重大僧正によつて盛大に施行せられ、百年祭は商工奨励館に於て之亦盛大に行はれ、展覧会も盛況であつた。而して、この祭典執行の趣は畏くも 天聴に達し、祭粢料として金三百円を下賜せられた。斯く東京市にとつて恩人の墓地が修理保存せられ、盛大な祭典が執行せられ、加ふるに祭粢料の御下賜をも受けたことは空前の盛挙といふも過言ではないであらう。
 本会は、組織をその後財団法人に変更し、祭典は毎年東京市との共同主催の許に永久に行はれることゝなり、他方、道徳を永遠に顕揚し遺業を宣布せんがため講演会を執行し、記念出版物を頒布し、以て、大いに世道人心に寄与しつゝある。
 上述の如く、楽翁公遺徳顕彰会の誕生は偏に翁の尽力によるものであつて、本会が存続し、本会と東京市との協力によつて公の祭祀が行はれ行く限り、渋沢子爵を援けて本会を創立し経営したる翁の功績も亦不朽に伝はるべきものであらう。


渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第八八五頁 昭和八年一二月刊(DK490035k-0008)
第49巻 p.126 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著  第八八五頁 昭和八年一二月刊
 ○第六篇 四、社会公共事業
    その四 楽翁公遺徳顕彰会
 楽翁公遺徳顕彰会は、徳川幕府を中興した八代将軍吉宗の孫であり奥州白河の藩主である寛政大改革の大立物松平定信、後に楽翁と称した傑物の遺徳顕彰を目的とし、この目的を達する為め、墓地の修理、墓域の設定、並に祭典執行、記念講演会・展覧会等の開催、伝記の刊行を行ふものである。昭和四年その百年忌の年に当り、子爵の首唱によつて設立せられ、成立後子爵が会長となつた。
○下略