デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
3節 碑石
15款 吉岡幸作寿碑
■綱文

第49巻 p.259-260(DK490086k) ページ画像

大正10年4月6日(1921年)

是ヨリ先栄一、養蚕業ニ尽瘁シタル吉岡幸作ノ寿碑ノ題額ヲ揮毫ス。是日、同碑除幕式挙行セラル。

栄一、出席スルヲ得ズ、祝辞演説草稿ヲ寄ス。


■資料

吉岡幸作翁寿碑建設誌 第一頁大正一〇年四月刊 【吉岡幸作翁寿碑題額並碑文】(DK490086k-0001)
第49巻 p.259 ページ画像

吉岡幸作翁寿碑建設誌 第一頁大正一〇年四月刊
    吉岡翁寿碑題額並碑文
  題額「其徳乃豊」 正三位勲一等男爵 渋沢栄一題額
      吉岡翁寿碑
養蚕は本邦産業の大宗にして、生糸絹布は輸出品の主任を占む、我か埼玉県は本邦有数の蚕業地なり、其の此に至りし者吉岡翁の功与りて力あり、翁名は幸作、大里郡八基村大字血洗島の人なり、祖父を玄叟といふ、文学徳行を以て著はる、父幸之助三子あり、伯を保之助、仲を勝次郎、叔を留五郎といふ、勝五郎出でゝ他家を襲ぎ、保之助歿しければ留五郎乃ち家を嗣ぐ、留五郎は翁の幼名なり、翁幼時法帖を先進尾高惇忠に請ふ、惇忠快諾して揮毫して其巻末に記して曰く、留五郎学を好むこと此の如し、玄叟翁地下の悦び知るべきなりと、長ずるに及びて鳥羽錦陵・渡辺鷗洲等の門に入り漢学を修め、又自ら博物窮理の学を探る、是れ他日養蚕法改良の智識の基礎をなせるなり
明治維新以来外国貿易次第に盛大となり、本邦輸出の生糸絹布は声価漸く海外に高し、然るに当時我が養蚕の業は其法未だ精しからず、其術未だ熟せず、翁鋭意之を改良せんと志し、上野の人田島弥平、岩代の人高橋久右衛門等の諸法を研究して苦心百端一の新法を得たり、蓋し清涼育と温暖育とを折衷したるものにして、爾来吉岡流飼育法の名世に高し、明治二十一年同志と共に拡業社養蚕伝習所を開創し、続きて養蚕講習会を設立し、其主事として伝習に従ふ、遠近其適法なるを伝へ聞きて来り集る者踵を接す、翁諄々指導し徳性を啓発し摯実勤倹の風を奨む、三十年一日の如く終始渝らず、教を受くる者無慮五千有余、大正四年西武蚕業改良組合を組織して、養蚕と蚕種製糸との連繋を密にし、原蚕種製造所を設けて蚕種を撰汰す、翁又蚕具を改良し殺蛹器を考案す、翁資性温厚名利を貪らず、辺幅を修せず、世其創意を利とし其徳風を慕ふ、今玆に翁齢六旬を超え矍鑠壮者を凌ぐ、教を受くる者相謀りて寿碑を建てんとし、文を余に求む、余思へらく、古語に所謂不朽の功といふもの翁其近きか、凡そ功あるもの之を金石に刻して不朽に伝ふ、余其美挙を喜び、乃ち其事績を録すること此の如し
  大正九年一月
        埼玉県知事従四位勲三等 堀内秀太郎撰
               埼玉県属 町田寅吉書
                     吉井喜文鐫
 - 第49巻 p.260 -ページ画像 


吉岡幸作翁寿碑建設誌 第三―六頁大正一〇年四月刊(DK490086k-0002)
第49巻 p.260 ページ画像

吉岡幸作翁寿碑建設誌 第三―六頁大正一〇年四月刊
    寿碑建設の顛末
吉岡翁のため謝恩報徳の機会を得んとするは門下同志の宿望たり、会会翁の還暦を迎ふるや祝賀の挙を企つるの議ありしか、遂に各地有志の発意に基き寿碑建設の計劃となり、大正八年四月趣意書を頒ちて有志を募る、賛する者二千百二十二人、資金参千八百余円を得たり、同年五月工事仕様を定め、大里郡岡部村石工吉井喜平次と請負契約をなし、同時に碑石の購入をなさしむ、題額は同郷の名士子爵渋沢青淵先生に、撰文は堀内埼玉県知事閣下に請ひ共に快諾を得たり、子爵は題するに「其徳乃ち豊なり」の四字を以てせられ、知事亦流暢なる仮名交りを以て翁の功績を叙し、文は県属町田氏の麗筆に依りて鮮かに記されたり、建碑者二千余の人名は師弟の関係を紀念するため特に之を碑裏に刻することゝし、永田秀石・飯田智恵吉両氏の筆を煩したり、九年三月基礎工事を了り、同時に千葉高等園芸学校生徒安藤純一氏の設計に基づき庭樹の栽植を行ふ、五月より茨城県稲田に於いて台石の切出しに着手し、七月末漸くにして引取を了す、此間霖雨其他の関係により多大の労費を要したり
大正十年一月碑文彫刻成る、前後の事情を参酌し工事請負金の外更に若干の割増金を支出するに決し、二月十九日建設を終れり
  碑石 仙台石 高十六尺 幅六尺 厚一尺
  台石 稲田花崗石 長十二尺 幅四尺 厚二尺五寸
建設の地は吉岡翁邸前畑地五畝歩を卜し、東方遥に筑波の翠峰に対し後方遠く秩父・浅間・赤城・日光の諸山を繞らし、兀として緑樹の間に聳立せる一大碑石は永く此地の誇たるべし、庭上に逍遥する者、眼界の極まる処、高低囲繞せる四境の峰巒は、亦翁か半世の心血を傾けて開拓せる蚕業の天地を語るに似たり
四月六日、堀内埼玉県知事閣下以下多数来賓の参列を仰ぎて除幕式を挙行す
同日渋沢子爵には親しく臨場祝辞を贈らる可き筈の所、遽に支障に会ひ其事無きを遺憾とし、特に自ら準備せられたる演説草稿を寄せ、其の意を致さしめられたり
○下略