デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
4節 史蹟保存
5款 桜の会
■綱文

第49巻 p.331-334(DK490116k) ページ画像

大正6年9月25日(1917年)

是ヨリ先、国花タル桜ヲ愛護シ、以テ公共的観念ヲ助長シ、併セテコレヲ外国人ニ紹介センガタメ、徳川頼倫外数名ノ発起ニヨリ、当会設立セラル。是日、帝国ホテルニ於テ、当会会合開カレ、栄一ソノ会長ニ推サル。


■資料

中外商業新報 第一一三〇七号 大正六年九月二六日 ○国花桜の為に渋沢男を会長に(DK490116k-0001)
第49巻 p.331 ページ画像

中外商業新報 第一一三〇七号 大正六年九月二六日
    ○国花桜の為に
      渋沢男を会長に
年々桜の銘木が枯死するのを憂ひ、徳川頼倫侯、戸川残花、林愛作、三好・白井の両理学博士等主唱の下に、本春「桜会」なるものを起し世界に知られた吾が国花の保存と繁殖に就き研究を重ね、また当時各種の名花を悉く帝国ホテルに飾り、外人に向つて紹介する処があつたが、廿五日夜に至り一同帝国ホテルに会合、渋沢男を会長に推し、具体的に世界中へ繁殖せしめる方法は後日に譲つて九時頃散会した


中外商業新報 第一一五一七号 大正七年四月二四日 ○天地の誠あらはす山桜 と田尻市長桜の会で即吟す(DK490116k-0002)
第49巻 p.331 ページ画像

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竜門雑誌 第三六〇号・第七六頁 大正七年五月 ○青淵先生と桜の会(DK490116k-0003)
第49巻 p.331-332 ページ画像

竜門雑誌 第三六〇号・第七六頁 大正七年五月
○青淵先生と桜の会 青淵先生を会長とせる「桜の会」は四月廿三日午後三時より帝国ホテルの大広間に開かれたり。桜の会とは我邦の国花たる桜を愛護する趣味の普及に努め、広く之が植継と其保存保護の至要なる事を唱道し、併せて桜の名所名木を内外の人々に紹介したき希望の下に組織せられたる会なり。されば当日の会場には福禄寿・水上・白華山・法輪寺・牡丹・提灯・南殿・狸々・関山・明月・麒麟・普賢像・大山府君・御衣黄・滝の匂・薄墨・上香・白妙等、江東荒川
 - 第49巻 p.332 -ページ画像 
堤の名花五十七種、大小とりどりの花瓶に盛られて陳列され、又正面には吉野山の全景を描ける大絵図を掲げたれば、満堂宛ら大花園の美観を呈し、尚ほ別室には桜譜、勿来関の碑刷、抱一・広重等の桜を主題とせる古画、林信充の飛鳥山十二景の詩歌、花信風等の桜に関する古幅、桜模様織物、其他図画写真等、此道の参考となるべき数々を陳列して、そゞろに人を耽看せしめ、桜の花と、桜の画とを今目の辺りに見せ乍ら、桜の詩歌を読ませつゝ、国華愛好の精神を盛ならしめんの趣向も仲々によし。斯くて講演に先ち、同会の会務報告ありて後、青淵先生・田尻市長、桜の研究家米人ウイルソン氏、高島平三郎氏・米人ハーデー翁・巌谷小波氏等の趣味溢るゝ許りの講演あり、午後六時頃散会したる由なるが、当日の来会者は徳川頼倫侯・大倉男等朝野知名の士二百余名、極めて奥床しき会合なりしと云ふ。
 因に青淵先生の講演要旨は、桜が我国の武士道と離るべからざる関係を述べられ、花の艶麗を愛するよりも寧ろ落花の風情の高潔なるを択ばれて、老の最後も斯くありたし、余の桜花を愛する所以も亦玆にありと人格的に結ばれたりとぞ。


中外商業新報 第一一八七八号 大正八年四月二〇日 ○美しい花美しい人 帝国ホテルの「桜の会」(DK490116k-0004)
第49巻 p.332 ページ画像

中外商業新報 第一一八七八号 大正八年四月二〇日
    ○美しい花美しい人
      =帝国ホテルの「桜の会」=
        ◇桜の種類は文化頃二百五十もあつたが
        ◇今では僅かに五十前後しかなくなつた
花は桜、其桜の愛護と伝播とに努むる桜の会は、若葉に風澄む十九日午後一時から、戸川残花翁司会の下に帝国ホテルに開かれた
 ◇金屏風立て た舞台を正面に、左右の窓側には玉のやうな玉川砂利を敷き、入口に渡した風流な板橋を渡るとアネモネの花が紅う咲き椎の老木の下にはチベツトの法衣を着た人が桜油を饗応して居る、紅葉・山吹・熊笹をあしらつて自然を偲はしむる唯中に、佳品珍種の桜の枝が花瓶や竹筒さては酒樽の中に生けてある
 ◇夢みるやうな 薄紅の「関山」朶々たる「松月」さては江戸桜など妍を競つて居る、阪谷男爵・三好理学博士其他朝野の紳士淑女が入り交つて品定めして行く、窓から入る春風に時ならぬ花の雪が、美しいお嬢さんの袂に降りかゝる、参考品展覧室にも、桜に因む珍品佳什が並べられてある、豊国筆の浮世絵や、太田南畝の「花見日記」も珍らしい
 ◇二時半から 講演会が開かれ、阪谷男の感想談に次で、三好博士は「桜の種類は近来頓に減じ今では五十種前後になつた、寛政文化の頃には二百五十二種もあつた、桜の寿命は長くて、山桜・彼岸桜は百七十年、尠くも五十年は保つ、桜は向上性を有して居るから種子より育てるが一番好い、実験によると一重の紫桜の種子を撒くと
 ◇八重の桜が 生へた」と語り、高島平三郎氏は桜の花に関して精神講話をした、坂井久良岐氏は「酒樽の中の桜がいつち酔い」とやつて奥様連中を笑はせた、余興は西山吟平氏の三絃で芭蕉の「古池や」の句を二上りに伝へる、長閑な時が続いた
 - 第49巻 p.333 -ページ画像 


竜門雑誌 第三七一号・第五四―五五頁 大正八年五月 ○桜の会と少年会員(DK490116k-0005)
第49巻 p.333 ページ画像

竜門雑誌 第三七一号・第五四―五五頁 大正八年五月
○桜の会と少年会員 青淵先生の会長たる『桜の会』にては、都下の少年に国花たる桜の愛護心と且は花に対する公共的観念を助長せしむる為め、今春は特に少年会員の寄附金を以て小金井の山桜、荒川の八重桜・吉野桜・深井桜等を取交ぜ八十四本を購入し、尚ほ同会々員フランク・ロイトライト氏の寄附金にて山桜廿三本を購入し、之を全部東京市に寄附し、三月廿六日少年団の手に依りて四谷見附より市ケ谷見附の外濠、赤坂見附、桜田門より半蔵門の内濠、五番町より九段上に至る宮城外濠及び日比谷公園躑躅ケ山へ夫々分配して増植せる由。



〔参考〕(林愛作)書翰 渋沢栄一宛 大正一五年六月一二日(DK490116k-0006)
第49巻 p.333 ページ画像

(林愛作)書翰 渋沢栄一宛 大正一五年六月一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
謹啓
時下頓に暑熱相加はり申候処
閣下弥々御清穆為邦家大慶至極に奉賀上候
陳者かねて御高配相蒙り居候桜の会も大体順調に相運び居候間何卒御安神被成下度候、本年ハ井下幹事洋行中にて雑誌の発行も遅延仕り候共、漸く両三日前出来上り申候間高覧に奉供候、尚本号は三好博士より非公式に候へ共
摂政宮殿下
同 妃殿下
に献本致し
台覧の光栄に浴する事に内定仕り居り候、誠に本会の為光栄に奉存候先ハ御挨拶旁会況御報告まで申聞上度如新御座候 頓首
  大正十五年六月十二日          林愛作
    子爵 渋沢栄一閣下
   ○林愛作ハ帝国ホテル初代支配人。
   ○栄一会長辞任ノ時ヲ明カニセズ。



〔参考〕会員関係書類 【(印刷物) 謹啓 時下春風駘蕩の候益々御清穆奉賀候、陳者本会は大正六年創立以来…】(DK490116k-0007)
第49巻 p.333-334 ページ画像

会員関係書類              (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓
時下春風駘蕩の候益々御清穆奉賀候、陳者本会は大正六年創立以来各位の御賛助を得我国花としての桜を研究愛護すべき事を唱導致し、幸に各方面の反響を得候事は本会の満足致す処に有之候、尚本年も来る四月廿四日(日曜日)午後一時丸の内馬場先門外東京会館に於て、桜戸玉緒先生三十年記念を兼ね桜の会相催し、桜に関する参考図書其他も御高覧に供し、桜の講話有之候間御家族御同伴御光来の栄を得度、此段御案内申上候
  昭和二年四月
               桜の会会頭 公爵 鷹司信輔
    (宛名手書)
    子爵渋沢栄一殿
 - 第49巻 p.334 -ページ画像 
尚桜に関する御所蔵品有之候はゞ御出品相願度、前日迄に東京会館支配人林英策宛御送り下され候はば、誠に幸甚に存候