デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
5節 祝賀会・表彰会
23款 清浦奎吾喜寿祝賀会
■綱文

第49巻 p.438-439(DK490149k) ページ画像

大正15年11月16日(1926年)

是日、帝国劇場ニ於テ、清浦奎吾喜寿祝賀会開催セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

中外商業新報 第一四六三二号大正一五年一一月一七日 喜寿のお祝ひに清浦子の喜び 朝野の名士一千余名集ふ(DK490149k-0001)
第49巻 p.438 ページ画像

中外商業新報 第一四六三二号大正一五年一一月一七日
    喜寿のお祝ひに
      清浦子の喜び
        朝野の名士一千余名集ふ
老てますます壮んな子爵清浦奎吾翁は、先達ても旬余に余る支那遊歴を企て、大いに日支親善の実をあげて帰京されたばかりであるが、十六日は午後三時から帝劇で喜寿のお祝ひがあげられた、式は発起人総代内田嘉吉氏の開会の辞に始まり、続いて大森男爵・渋沢子爵・徳富蘇峰氏の祝辞があり、大森男爵から記念品を贈呈した、渋沢子爵は
 「私は清浦子には何かと先輩のやうに私淑してゐたが、実は私の方が十才も年長者であつた、君はまだまだ若い、この頃では人生喜寿は珍らしくないが、至誠奉仕君の如きは稀れなりといふべきだ」
と祝辞をのべ、清浦子は
 「……私の健康法は別に秘伝がある訳けのものではなく、適度の運動とか換気とか、すべてを自然に任せてゐる……私は更に米寿の祝もしてもらへるだらうと思つて喜んでゐる」
と謝意を述べた、当日参集者は
 伊東巳代治伯・徳川達孝伯・珍田捨巳伯・団琢磨氏・内田康哉伯・倉富勇三郎男・益田孝男・藤山雷太氏・福井菊三郎氏・後藤新平子・田健治郎男・浅野総一郎氏・有賀長文氏・安達謙蔵氏・阪谷芳郎男・三井八郎右衛門男・渋沢栄一子・平沼騏一郎男・平山成信男等
を始め各方面に関係の深い子爵のことゝて、朝野の名士一千名を超ゆる盛況であつた、四時近く式が終つて引続き一同帝劇十一月の狂言を観覧した、この日大倉喜八郎男は所用のため列席が出来ず
 「喜寿はまた蓬莱にゆく山口ぞやがて超ゆらん千代のふる道」
との祝歌を寄せて翁の健康を祝した(写真○略ス は前列、右より清浦子・同夫人・片岡蔵相・渋沢子、左端は安達逓相、後列右より田中政友会総裁・大森鍾一男・内田康哉伯)


伯爵清浦奎吾伝 井上正明編 下巻・第三五四―三六〇頁昭和一〇年七月刊(DK490149k-0002)
第49巻 p.438-439 ページ画像

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