公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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竜門雑誌 第三四三号・第六九頁大正五年一二月 ○故黄興氏追悼会(DK490166k-0001)
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竜門雑誌 第三四三号・第六九頁大正五年一二月
○故黄興氏追悼会 故黄興氏追悼会は犬養・寺尾・頭山諸氏の発起に依り、十一月十七日午後二時より芝青松寺に於て開催されたる由なるが、当日我青淵先生にも参拝されたりと云ふ。
中外商業新報 第一〇九九五号大正五年一一月一八日 ○黄興追悼 諸名士雨の青松寺に集まる(DK490166k-0002)
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中外商業新報 第一〇九九五号大正五年一一月一八日
○黄興追悼
諸名士雨の青
松寺に集まる
十七日午後一時から芝青松寺で支那革命の勇将黄興氏の追悼会が催された、そぼ降る雨も悲しい憶出を語るかの様
▽本堂正面 には「中華民国勲一位陸軍上将黄克強之霊」との位牌を見、内陣ワキの床の間に飾られた黄氏の写真及び之を取巻いて置かれた花環や盛花、寺内首相・頭山満翁・章公使・憲政会・政友会・国民党等の贈つたそれ等を眼にするに及んでは、殊更に一種凄絶の悲哀を感じる、黄氏が
▽第一革命 の当時児玉篁南氏に寄せたと云ふ「妖雲瀰漫嶺南天。凄絶燕塘碧血鮮。窮困又見荊卿苦。胱剣令逢季札賢。七日泣秦終有救十年興越豈徒然。会須劫到金蛇日。百万雄師直抵燕」の八律も掛けられて、雄健な筆力と豊麗な詩想とが人の心を引き付ける
▽式の導師 は曹洞宗管長石川素童禅師代理長谷川天穎師で、荘重な読経を終つて後、発起人総代犬養毅氏は霊前に進んで恰も故人と相対するが如く「君は君が懐抱する計画の万が一をも果さずして黄泉の客となつて了つた、君が漢陽に第一革命の烽火を挙げて以来、君は日夜心胆を砕いて民国改革の事を計つた
▽君の識見 の卓越せる、君の智謀の深遠なる、国民今後の大事を其双肩に担はなくてならぬ筈なのを、遂に逝けり、中華に人多しと雖も、君は洵に日支両国親善の一大楔子にして、君を亡ふ一事は、直に日支両国の損害とも云ふ可く、今更悼むも悼みて尚足らざるものである……」と
▽言々肺腑 より出で声涙共に下るの有様に、満場何れも感に打たれて惨として声を飲んだ、心々に拝して同三時散会、来会者の主なる
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氏名は
▽渋沢男・寺尾博士・箕浦勝人・藤瀬政次郎・門野重九郎・山成喬六・頭山満・小川運平・白岩竜平・植村澄三郎諸氏等五百人
○本巻所収、第三節碑石第三十四款其他中ノ「黄興碑除幕式」参照。