デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
7節 関係団体諸資料
3款 埼玉県人会
■綱文

第49巻 p.515-519(DK490179k) ページ画像

大正6年6月1日(1917年)

是日、上野精養軒ニ於テ、大正第五回埼玉県人会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

埼玉県人会会報 第二号・第二二―二八頁 大正六年一〇月刊 大正第五回埼玉県人会(大正六年六月一日)(DK490179k-0001)
第49巻 p.516-517 ページ画像

埼玉県人会会報 第二号・第二二―二八頁 大正六年一〇月刊
    ○大正第五回埼玉県人会(大正六年六月一日)
 開会通知 今回は特に準備会を開会せず、前数回の実績を参酌し会費(前回金弐円としたるも出席者特に増加せず、且物価騰貴し金弐円にては他に特別寄附のあらざる限り開催すること能はず)会場及方法等を定め、左の通知状を発せり。
 但し会期は男爵の御都合に由り六月一日とす。
      第五回埼玉県人懇親会開会通知
拝啓 愈々御多祥之段大慶之至に奉存候、扨て今回左項の通第五回埼玉県人懇親会開催仕候間、埼玉県出身たる貴下此際万障を御繰合せ、御知己御勧誘、奮て御来会相願度、此段御案内申上候 敬具
  日時   六月一日(第一金曜日)午後四時より
  会場   上野精養軒
  会費   金参円(当日御持参の事)
                    男爵 渋沢栄一
      発起人幹事(順序不同)○氏名略ス
 五月卅一日迄(出席有無)準備の都合も有之候間御回答被下度候
  当日の次第
 一、開会の辞
 二、余興
   講談   細川風谷
   説教師  若松若太夫
 三、講演   欧州大戦に就ての所感並に之に対する県人の覚悟
              会長 渋沢男爵閣下
 四、会食
    挨拶
    報告
 五、五分演説
 六、万歳三唱
 七、閉会
      以上
 当日の概況(六月一日晴天) この日初夏の候未だ熱からず、将に滴らんとする上野の深緑は不忍の池水に映じて、魚木に登る風情あり、折悪しく金曜日とて多忙の日なれども申込会員例年と大差なく、例の如く欣々然として参集し、受付前は時々人山を築き応接に遑なし、本年は殊に自動車の多きを感ぜり。会は回一回と度重ると共に親睦を増し、寒暖無音の挨拶も一入懐しく親しき感を厚ふせり。偖て定刻となるや本多静六氏出てゝ開会の辞を述べられ、直に余興に移り○中略次で男爵閣下の懇切熱心なる講演あり、一同深く其の誠意の感に打たる、講演終つて五分間休憩の後、食堂を開き一同着席、ナイフ、フオーク盛に使用せられし後、本多幹事起つて挨拶を述べられ、次て阪本常任幹事の報告、会員の五分間演説となり、例の如く氏名・住所・職業・出身地を名乗り自己紹介或は簡単に所感を述ぶるもありき、其の重なるものは左の諸氏なりき。
 - 第49巻 p.517 -ページ画像 
   ○演説略ス。
 かくて五分間演説も一週し終るや、最後に男爵は起立して「私はこの県人会に由り諸君と大に親睦を厚ふし頗る有益に感じました、諸君に置かれましても御同感と思ひます、就きましては次回には是非共多数御出席あらんことを希望致します」と述べられ、最後に県人会万歳を三唱し、一同之に和し、楽しく散会せしは午後九時過なりき。
      出席者
  会長 男爵渋沢栄一閣下○外氏名略ス


埼玉県人会会報 第二号・第三―六頁 大正六年一〇月刊 欧洲大戦に就ての所感並に之に対する県人の覚悟(県人会に於ける講演の大要) 互に共同一致せよ 先輩は後輩を誘掖輔導せよ 各自郷里の為めに尽せ 男爵 渋沢栄一(DK490179k-0002)
第49巻 p.517-518 ページ画像

埼玉県人会会報 第二号・第三―六頁 大正六年一〇月刊
    ○欧洲大戦に就ての所感並に之に対する県人の覚悟
                 (県人会に於ける講演の大要)
      互に共同一致せよ
      先輩は後輩を誘掖輔導せよ
      各自郷里の為めに尽せ
                   男爵 渋沢栄一
 私は玆に同郷たる諸君と相会して互に親しく御話を致しますのを誠に喜ばしく思ふ次第で御座います、そこで私に何か話をせよと云ふ事で御座いますが、元より別に此と云ふ考へた事もありませんから、十分諸君に御満足を与ふる事は出来ませんが、今熟ら欧洲の戦争に就て考へて見ますと、戦争は益々激烈を加へ目下の処では何時終結するか殆ど当がつかず、この間に於て友邦露西亜には革命が起り所謂内乱中であると云つても宜しからうと思ひます、又隣邦支那は大総統袁世凱が薨じましてから文事派と武断派との争あり、南方と北方との衝突あり、内争に内争を重ね誠に不統一の有様であります、斯の如く実に意外な事件が起りました。
 これに反し我が国は交戦国とは申しながら誠に平和幸福であるのみならず、一部の商人は戦争に由り軍需品の注文を受け意外な利益を受け、亦日本国としても、経済上従来輸入超過たりし貿易は一変して輸出超過となり、債務国は債権国となり、国内には成金とか云ふ者が沢山出来たと云ふ事で、何れも結構なことでありますが、一方敵国を見ますれば、何れも文明国と云ひますが、文明が進むと共に惨憺たる事も甚だしく、敵国独逸にては盛に毒瓦斯を使用して人を殺し、潜水艇は益々船艦を沈没せしめ、殊に甚だしきは敵の死体を釜中に入れて油を採ると云ふ有様で、聞くも恐ろしき事で御座います。
 又他の交戦国では男子の壮者は悉く戦争に従事し、尚女子は後方勤務に従事し、或は交通機関を掌り貴婦人も夫れ夫れ適当なる業務に従事すると云ふ有様は、一々形容することが出来ない様であります。
 然るに我が国は平和幸福なるのみならず、この戦争に由つて莫大の利益を蒙り居る外、種々工業上の発達を来し、従来日本で出来なかつたものが出来る様になつたのは、全く戦争に由つて得た賜と云はなければなりません。
 例へば化学工業品研究せられ漸次発達を来し、今は国内で間に合ふ様になり、又一昨年末染料会社も設立せられしが、近来では好成績を
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挙げ得る様になつたのも皆戦争の御蔭でありますから、一部の人は成る可く戦争の永続するを希望すると云ふ有様で、一方から申せば誠に不人情な話でありますが、確に日本も少からぬ利益を被つて居るのに相違ないのであります。
 然しこれも只一時利益を喜ぶのみでは何の甲斐もありません、この利益を永続する考でなければならぬと思ひます、其れには是非共今の中に工業品を盛に他の諸外国に輸出し、十分販路を拡張し置く考でなければなるまいと思ひます。
 此に就て我が埼玉県人は如何に考ふべきかと云ふに、無論日本国民の一部として常に眼識を大局に注ぎ、日本に於て優逸なる地位に立つと共に、又世界に於ても優逸なる地位を占むる考でなければなりません。
 其に就ては、申す迄も無く互に共同一致相提携し、意見を交換し、亦先輩諸氏は宜しく後輩の誘掖補導に力を尽し、後輩は先輩の手引を受くると云ふ考でなければなりません、兎角埼玉の人は共同心に乏しい、と云ふ事を耳にしますが、果してそうだとすれば大に戒めなければなるまいと思ひます。
 尚今一つ気附いた事は、今日は都会は益々発達しますが、之に反し地方は之に伴ふ能はざるのみならず、追々疲弊すると云ふ事を聞きますが、元より地方あつての都会でありますから、地方の事を放棄して顧みないと云ふ事は宜しく無からうと思ひます、実はさう云ふ私も御承知の通り血洗島の百姓に生れまして、若年の頃家を出で一橋家に仕へ、東奔西走して今日に至りましたが、郷里には私の妹に市郎と云ふ婿養子を貰ひまして、其が家督を継いで居ります、此の人が能く家政を執つて呉れたために万事不足なく今日迄継続致して居ります、が此の市郎と云ふ者が昨年なくなりました、それで其の亡くなる前に私に申すのに、自分等が居らなくなつたら、郷党は実に寒心に堪えない、何となれば少し読み書きの出来る者になると皆東京に出てしまい、田舎には全く滓が残ると云ふ始末で、地方には人物が無くなつて丸で抜け殻同然になるといつて慨きましたが、至極尤だと思ひました、其処で市郎には二人の男子がありまして、長男は誠に書物が好きで遂に東京に参り、今は逓信省に居る渋沢元治で、次男が家督を取つて居ります、さう云ふ訳で家は続いて居りますが、地方をも何とか救済の方法を講じなければなるまいと思ひます。
 是に於て私は先年実業界を隠退しました際、郷里に帰つて何か郷里の為に尽したいと思ひましたが、御承知の通り孔子は六十八歳にして魯に帰り専ら著述をなしたと云ふ事でありますが、私は孔子と異り学問がありませんから本を書くと云ふ事は出来ません、それで何か郷里の為に出来る丈の事を致したいと考へて居る次第であります、今日此処に御集りの諸君も自然郷里の為めに御尽しになつて、地方の発達する様に御尽力あらんことを希望致す次第で御座います云々。
                  (文責常任幹事にあり)



〔参考〕集会日時通知表 大正六年(DK490179k-0003)
第49巻 p.518-519 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第49巻 p.519 -ページ画像 
七月二日 月 午後五時二分 東京駅発桜木行電車ニテ
       午後六時   在横浜埼玉県人懇親会(横浜千歳)



〔参考〕集会日時通知表 大正七年(DK490179k-0004)
第49巻 p.519 ページ画像

集会日時通知表 大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十八日 土 午後四時 埼玉県人会(上野精養軒)
   ○中略。
七月三日 水 午後四時 埼玉県人会幹事会(兜町)



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正八年(DK490179k-0005)
第49巻 p.519 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十二日 晴 寒
○上略 午前十時埼玉県人会諸員来会シテ本会ノ事ヲ談ス ○下略



〔参考〕集会日時通知表 大正八年(DK490179k-0006)
第49巻 p.519 ページ画像

集会日時通知表 大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十二日 水 午前十時 埼玉県人会ノ件(兜町)
   ○中略。
四月五日 土 午後五時 埼玉県人会(上野精養軒)
   ○是年栄一、二月中旬以降四月下旬マデ飛鳥山邸ニテ病気静養ス。