デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
■綱文

第50巻 p.214-218(DK500036k) ページ画像

大正6年――昭和6年(1917-1931年)

栄一、当行頭取辞任以後、歿年ニ至ルマデ、相談役トシテ、努メテ当行ノ年賀式及ビ株主総会等ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一四年(DK500036k-0001)
第50巻 p.214-215 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十九日 晴 寒
○上略 第一銀行五十年小史ノ原稿ヲ閲ス○下略
一月二十日 晴 寒
○上略 朝来第一銀行小史原稿ヲ読ム、既往ヲ追懐シテ感慨多シ、時ニ或ハ当時ヲ回想シテ喜憂交至ノ事アルヲ覚フ、午後ニテ一読ヲ畢リテ序文ノ作成ニ着手ス○下略
一月二十一日 晴 寒
午前八時起床入浴シテ朝飧ス、後第一銀行五十年小史ノ序文ヲ作製ス
○下略
  ○中略。
一月二十六日 晴 寒
○上略 佐々木頭取来訪、依テ小史序文ノ原稿ヲ付与ス○下略
一月二十七日 晴 寒
 - 第50巻 p.215 -ページ画像 
○上略 二時銀行倶楽部ニ抵リ、第一銀行株主総会ニ出席シ一場ノ演説ヲ為ス○下略
  ○栄一、前年十二月二十七日ヨリ湯河原ニ滞在。一月二十五日帰京ス。


竜門雑誌 第四三七号・第六五頁大正一四年二月 青淵先生動静大要(DK500036k-0002)
第50巻 p.215 ページ画像

竜門雑誌  第四三七号・第六五頁大正一四年二月
    青淵先生動静大要
      一月中
廿七日 ○上略第一銀行定時株主総会(以上東京銀行倶楽部)へ出席。


竜門雑誌 第四三八号・第一―四頁大正一四年三月 ○巻頭言 第一銀行総会に於て 青洲先生(DK500036k-0003)
第50巻 p.215-217 ページ画像

竜門雑誌  第四三八号・第一―四頁大正一四年三月
 ○巻頭言
    第一銀行総会に於て
                      青洲先生
 幸に此総会に於て皆様にお目に懸かる機会を得ましたことを深く喜ぶのでございます。昨年から少し持病の喘息を患ひまして、一と月ばかり引籠つて居りましたが、転地したが宜からうと云ふことで旧臘湯河原へ参りまして、漸く此二十五日○一月に戻つて参つたのでございます。まだ病後健全に復したとは申されませぬけれども、例に依つて本行の総会には是非顔を出したいと思ふて、押して参上致したのでございますが、御聴き下さる通り声も立ちませぬし、且つ病羸に堪へませぬから、何等経済上に就て若くは社会上に就て申上げる程の用意はございませぬ。たゞ此銀行が相変らず都合の好い成績を挙げて居りますことは、御同様誠に喜ばしいと云ふことを申上げ得るに過ぎませぬ。唯御目に懸つて簡単に其喜びを述べるに止まりますから、どうぞ左様御容赦を願ひたうございます。
 私が銀行に従事しました歳月を算へると、丁度明治六年から大正五年迄四十四年許りになります。銀行を辞しましてからも、もう十年目になると記憶して居ります。多分七十七を機会に御免を蒙りましたから、今年八十六になりますので、随分長い世の中を経過したのでございますが、悲しい哉段々年と共に衰へて参りまして、殊に近頃は実際の事に携はらぬものですから、世の中の景気が悪いと云ふことを屡々新聞でも見、又人からも伺ひますけれども、頓と心の底に貫徹致さぬ位でございます。旁々以て総ての観察が誠に行届かぬことは申す迄もありませぬが、其中にも幸に本銀行の如きは、一昨年の災害なり又引続いての不景気なりにも拘らず、総てさう云ふやうな損害を償却されて、さうして尚ほ相変らざる継続的配当も出来ると云ふことは、御同様株主として今日此銀行の当事者に対して深く喜びを申述べなければならぬと思ひます。私が此席で斯様に申しますと、我が物を我が褒めるやうに聞えるかも知れませぬが、私も今日は矢張配当を受ける一人でございますから、勤労して下さる諸君に対して敬意を表することは皆様と御同様と考へて宜からうと思ふのでございます。本行が五十年の歳月を経ましたに就て、一昨年からの企てで現頭取が頻りに銀行の歴史を調べて、五十年小史として皆様に御覧に入れたいと云ふので調べつゝあるのでございます。私に其序文を書けと云ふことを命ぜられ
 - 第50巻 p.216 -ページ画像 
て居りますが、甚だ面目ないと言ふのも嫌だし、余り結構だと云ふとなんだか自分を褒めるやうな嫌がある。さればと云ふて、余り謙遜すると、現在の人を誹るやうになつて来る。出るも困る、引つ込むも困ると云ふやうな工合で、それも優れた文才を以て書いたら宜いかも知れませぬが、さう云ふ筆は持ちませぬので頗る困つて居ります。殆ど三月許り頻に屈託して、此間転地中に多少愚案を作つて、昨日頭取に御目に懸けましたが、どうも文字の工合が悪いので、今直しつゝあります。其中に斯う云ふことを書いたのであります。
 仮に一つ或る事柄に譬へて、何か名山とか大川とか云ふものを、誰か先導として之を見やうかと云ふ心持になつたときに、若い者が気早に我が気力に任せて、申さば未見の地、未聞の場所ですから、随分危険と云へば危険だけれども、併し是は乗込んで見なければ所謂八幡知らずが分らぬ訳である。そこで勇気を出してやつて見ると、其間に種種なる苦心があつた。或は山に突当つて道が失くなつてしまつたり、谷に落ちて漸く這上つたり、随分色々な心配があつたが、併し又其間に無いと思つた道があつたり、奇麗な野原に出たり、美しい花が咲いて居つたり、喜ばしいこともあつた。それで其経過した後を顧みると苦難であつた恐ろしいと云ふ感じを残すと同時に、又斯う云ふ事は好い心持であつた、斯う云ふ事は想像が届いた、斯う云ふ事が大層面白かつたと云ふことの喜びは、詰り差引いて何方が余計残るかと云ふたら、喜びの方が余計残るものである。総ての事が幸に成し遂げたならば左様であらう。例へば此銀行が明治六年に、日本に頓と例の無いことだが、行けさうなものぢやないかと思ふて、悪く申せば妄断に盲蛇物に怖ぢずで取掛かつたのが、遂に今日一個の銀行として、経済界の大機関たり得ることになつたのは、丁度其初めは山に突当つたり、谷に転り落ちさうなことがあつたけれども、其苦しみに引換へて尚ほ既往を顧みると、花を眺めた喜びが残つて、愉快の感じを持つ、況や其事が私一身の経過のみならず、或は事によつたら社会の為にも効果を奏し得たとしたならば、其妄断が唯妄断とのみ言はれるものではなからう。
 斯う考へて見れば、其位置に在つた私として多少喜んで宜からうと思ひます、と云ふやうな愚説を以て、其序文を埋めやう、余り適当な譬へでないかも知れませぬが、併し私はこんな思案を以て居りますと云ふて、昨日現頭取にお話したのであります。斯様なお話は皆様に申上げても誠に興味の少ないことでありますけれども、併し丁度算へると六十年の歳月でございますから、其事を一貫して、仮令お役に立たぬでも経営を仕遂げたのは、幸に健康の保つた為めと云ふことを第一自分ながら喜びます。皆様も多分御喜び下さるであらうと思ひます。それ故に今申上げまするやうに、五十年の小史が出来るに当り、其初め成立の場合からずつと突通したことを思浮べて、序文にもそれを書き得るのでございます。いづれ其道のお人に訂正をして貰はなければならぬと思ひますから、どう云ふ文章になつて発表されるか分りませんが、さう云ふ都合に今なつて居ると云ふことを、何んだか前触のやうで、左迄御覧に入れる程の物でもないか知れませぬけれども、こゝ
 - 第50巻 p.217 -ページ画像 
に申上げて置きます。兎に角此六十年の歳月は、決して只平易にのみ経過し来つたのではありませぬ。況や日本の金融機関が、先づ此程度に進み来つたと云ふことは、或は偶然な事かも知れませぬけれども、私は我が第一銀行が国家経済上に多少裨益する所があつたと申して宜からうと思ひます。斯く申すと自己を褒めるやうな言葉になりますけれども、決して私は自負の言葉ではなからうと思ひます。
 斯の如く考へますると、幸に八十六の老人が此処に出て、此総会に諸君に御目に懸かつて、斯う云ふ訳でございましたと云ふことを一言申しますのも、私も身の仕合せ、皆様も成程奇特なことだ、能く出て同じ事を何時も何時も言ふと、御称讚下さるであらうと思ひます。
 唯自己の感想を述べるに止まりまして、是から先き何等此銀行に対して、若くは社会に対して貢献することは出来ませぬけれども、併し先づ憚りながら此銀行に対しては、今御役に立たぬでも、生きて居る限り、否、死にましても尚ほ後援者たる任務は是非努め遂せる積りでございますから、それだけはどうぞ御承知置を願ひたうございます。昔の言葉に「斃れて而して後已む」と云ふことがありますが、斃れても精神はまだ已まぬものと御察し下さるやうに願ひたうございます。
 (附記)○略ス
  ○右総会ハ第五十七期定時株主総会ナリ。第五十八期定時株主総会ハ七月二十七日開カル。栄一病気療養中ニテ欠席ス。


(増田明六)日誌 大正一四年(DK500036k-0004)
第50巻 p.217-218 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年         (増田正純氏所蔵)
三月十四日 土 晴
○上略
午後四時兜町事務処ニ於て、子爵の健康保維方ニ付き臨時同族の会合催さる、同族(子爵並同令夫人を除く)の外佐々木勇之助・石井健吾両氏列席○中略
次て佐々木氏より、子爵の彼の御老齢を以て彼の活動ハ国家の為ニ誠ニ可賀事なるが、近来ハ苟もすれハ御健康を害さるゝ場合多く、若し此御状態を以て向後屡々発病せらるゝニ於てハ、或ハ彼の御強壮をも何時しか害せられ、遂ニ大事ニ至らんも難計、依て此際子爵の為ニ冬季養生所兼事務処を、鎌倉又ハ大磯の適当の地ニ建築せられたし、第一銀行としてハ子爵の御設立ニ係り、今日益隆盛ニ赴き、過日宮内省ニ於ても株主の一人ニ加入せらるゝニ至りしも、必竟子爵の御余徳ニ外ならさるを以て、右の建築費ハ銀行にて御引受致度希望なる旨、至誠を極めて懇篤なる談話あり、列席者一同勿論異議あるべき筈無く、穂積男爵は一同を代表して同氏の至情ニ対し深く感謝の意を表し、且是非之を実現せしむるニ努むるハ勿論なるが、本日会合の次第は佐々木氏より子爵ニ懇談せられたしと依頼し、同氏も之を快諾したり○下略
  ○中略。
四月十一日 土 晴
○上略
午後五時第一銀行重役及職員、及目下上京支店長会議ニ参列中の支店長一同、合計五十名を飛鳥山邸ご招待せらる、先之恒例ニ依り右招待
 - 第50巻 p.218 -ページ画像 
の意を佐々木頭取ニ致したるニ、御病気御静養中却て恐縮の次第ニ付辞退致度と申越されしが、子爵より是非御来邸を請うと希望し、本日開催せらるゝニ至りし次第なり
○中略 食事を終り玆是子爵(就卓の際より着席)より頭取以下一同ニ対し挨拶を述へられ、頭取の答辞ありて子爵は退席、一同は其後茶を啜り暫時談話、最後ニ小生より子爵の中途退坐したるを謝し、且主治医より八釜敷注意を受け居らるゝ次第より、右中坐ハ決して気分悪しき為ニあらす、医師の注意ニ服従したるものなる事等を述へて、来会ニ対する謝意を表したり