デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
3款 特殊銀行 3. 株式会社台湾銀行
■綱文

第50巻 p.295-300(DK500059k) ページ画像

明治43年10月26日(1910年)

是日栄一、帝国ホテルニ於テ開催セラレタル、台湾銀行創立十周年記念宴会ニ臨ミ、演説ヲナス。其後モ屡々同行ノ招宴ニ列ス。


■資料

銀行通信録 第五〇巻第三〇二号・第五一頁 明治四三年一二月 ○内国銀行要報 台湾銀行創立十週年紀念宴会(DK500059k-0001)
第50巻 p.295-296 ページ画像

銀行通信録  第五〇巻第三〇二号・第五一頁 明治四三年一二月
 ○内国銀行要報
    ○台湾銀行創立十週年紀念宴会
台湾銀行にては創立十週年を祝さんが為め、十月二十六日午後五時より同行に縁故ある朝野の人士を帝国「ホテル」に招待して、紀念宴会を開きたり、当日出席の主人側及来賓氏名左の如し
      主人側氏名
 柳生一義    二宮基成   佐田家年    山成喬六
 池田常吉    小林鍗四郎  丹羽貞一    草刈融
 久宗董
      来賓氏名
 松方侯爵    桂侯爵    後藤男爵    阪谷男爵
 松尾男爵    渋沢男爵   高橋男爵    目賀田男爵
 林田亀太郎   若槻礼次郎  水町袈裟六   浜口雄幸
 添田寿一    山本達雄   近藤廉平    安田善次郎
 床次竹二郎   桜井鉄太郎  豊川良平    早川千吉郎
 橋本圭三郎   勝田主計   中野武営    鈴木馬左也
 塚田達二郎   菅原通敬   池田謙三    松方幸次郎
 浅野総一郎   大島久満次  児玉秀雄    森俊六郎
 福井菊三郎   川村竹治   石渡邦之丞   岩井重太郎
 加納友之介   高山長幸   村井貞之助   片山貞次郎
 川崎寛美    中島永元   磯野定次郎   川上直之助
 飯田義一    宮尾舜治   志村源太郎   佐田清次
 高田慎蔵    小林丑三郎  杉程次郎    田辺貞吉
 門野重九郎   串田万蔵   小塚正一郎   門野錬八郎
 - 第50巻 p.296 -ページ画像 
 津久井茂    村上先    田昌      関宗喜
 中田錦吉    安田善三郎  三村君平    山口宗義
 加藤正義    山川勇木   岩原謙三    山田新一郎
 戸次兵吉    左右田金作  深井英五    安部幸兵衛
 星野錫     麻生二郎   竹内直哉    安田善八郎
 島郁太郎    池田成彬   松本修     斎藤恂
 小川䤡吉    鈴木宗言   倉知鉄吉    エツチ・デー・シー・ジヨーンス
 森賢吾     柳谷卯三郎  木村久寿弥太  生田定之
 松尾吉士    野沢源次郎  藤原銀次郎   森下岩楠
 坂田実     芦田順三郎  黒田英雄    鈴木知雄
 西野元     有尾敬重   首藤諒     妻木頼黄
 長谷川謹介   相馬永胤   長尾半平    有賀長文
 因藤成光    林民雄    荒井泰治    武智直道
 服部金太郎   加藤尚志   綾井忠彦    吉田鉄太郎
 松方正熊    川上俊介   角谷藤三郎   小原達明
 吉川孝秀    杉田富    佃一予     佐々木勇之助
 長島隆二    土方久徴   若尾幾造    山下秀実
 小田柿捨次郎  清水虎吉   守屋善兵衛   久田益太郎
 山中譲三    安部幸之助  桜田助作    大谷嘉兵衛
 賀田金三郎
斯くて開宴後、頭取柳生一義氏起て一場の挨拶を為し、之に対して桂総理兼大蔵大臣の祝辞あり、夫より添田日本興業銀行総裁・渋沢男爵・松尾日本銀行総裁・阪谷男爵及松方侯爵等順次演説を為し、最後に柳生頭取より重ねて謝辞を述べ、右にて宴会を終り随意退散せり○下略


竜門雑誌 第二七〇号・第八一頁 明治四三年一一月 台湾銀行招待会(DK500059k-0002)
第50巻 p.296 ページ画像

竜門雑誌  第二七〇号・第八一頁 明治四三年一一月
○台湾銀行招待会 台湾銀行にては本年は創立後十年に相当するを以て紀念の為め、従来同行に関係浅からざりし青淵先生を始め朝野の人人を十月二十六日午後五時より帝国ホテルに招待して晩餐会を催されたり、当夜柳生頭取の請ひにより青淵先生も一場の演説を為されたり


竜門雑誌 第二七〇号・第二七―二九頁 明治四三年一一月 台湾銀行晩餐会に於て 青淵先生(DK500059k-0003)
第50巻 p.296-298 ページ画像

竜門雑誌  第二七〇号・第二七―二九頁 明治四三年一一月
    台湾銀行晩餐会に於て
                      青淵先生
 本篇は台湾銀行柳生頭取の招筵に於て、青淵先生が同頭取の委托により、特に演説せられたるものなり
頭取柳生君、臨場の閣下、諸君、私も今夕此盛宴に参列するの光栄を荷ひましたのを深く感謝致します、此処に起立して一言を申述べることは、昨日柳生頭取から御委托を受けましたので、御祝辞を併せて愚見を陳述致さうと思ふのでございます、私は折りが悪いのか若しくは怠慢なのか、まだ台湾の土地を踏んだことがございませず、其始め此銀行の成立につきまして、時の大蔵大臣松方侯爵から創立委員を命ぜられまして、其時定款等の創定に参加致した様に記憶して居りますが私一身としては此銀行に力を添へたと云ふはそれつきりで御座いまし
 - 第50巻 p.297 -ページ画像 
た故に、此処に起立して祝辞を申すも頗る僭越なる次第で御座いますけれども、只今の柳生頭取から十年間の御営業の経歴を御叙しなさるに際して、私が経営致して居りまする第一銀行が多少御庇護申上げたと云ふことを仰有つて下さいました、蓋し之は反対で、第一銀行が寧ろ御厄介になつたかも知れませんけれども、創立当時に在つて私の銀行が少し年上と云ふ関係から、多少御経営に付て此事は斯く致しませうと云ふ様な御便宜を謀つたことが或はあるかも知りません、右等の讚辞を蒙りましたによつて、私の位地として、此処に一言を申上げねばならぬと考へるのでございます。
台湾銀行の十年の成績が如此き盛況をなしたと云ふことは実に驚くべき訳で御座いまして、銀行の年から申しますると、私の管理する第一銀行は最早三十七・八年に相成りますけれども、十歳の台湾銀行は大に発展して、健全に強壮に殆んど四方に雄飛すると云ふ有様があるのに、もう初老に近い私の銀行は後へに瞠若して居ると云ふ様な有様で御座います、然し此十年間の台湾銀行の御経歴を只今歴史的に頭取から御叙し下すつたのを伺ひますると、成程十年は一昔我々老人からは経つ年が甚だ短く感じて、昨日と思ふたのが直に今日になるやうでありますが、十年の間の御苦心は実に容易ならぬものであつたと云ふことを申上げることが出来るやうで御座います、但し其苦心が空しからずして玆に十年の間に帝国の為めに、又新領土の為めに充分なる効能を奏せられて、銀行の事業の如此盛大に至つたと云ふことは、爾来の御苦心を自から御慰めなさることが出来るであらうと思ひます、蓋し台湾は台湾銀行の為めに商工業の繋昌を増し、台湾銀行は台湾の事物の進歩のために大に其驥足を伸ばすであらうと思ふ、即ち台湾と台湾銀行は相俟つて共に成長して、此昭代に尽すと云ふことであらうと申上げるのが、決して過言でなからうと思ふのでございます、只今添田君から其始めは自分が経営したけれども、功績は寧ろ後任者に在る、若し添田をして今日まで経営せしめたならば、決して如此繁昌は来たさぬであらう、後任者の拮据経営に依つて以つて如此盛大を致したのであるから、之れに対して大に讚辞を呈さなければならんと云ふ、所謂君子の謙譲は誠に御羨ましいと申し上げたい程の美事で御座います併し私は思ふ、両君の御譲り合も蓋し宜べなりと、如何に賢才が全力を尽くされても時が宜しくなければ、必ず其効を奏することは出来ぬものである、凡そ事業は其人に依るは勿論であるけれども、亦其時が大に助けると云ふことを考へねばならぬ、故に添田君始め之を継承した柳生君の今日あらしめたのは、固より其人の力であるけれども、其功績の一手は此明治の昭代に御譲りなさると云ふことは決して諸君の為めに其労を頒つのでなくして、共に讚辞を申上げてよからうかと考へるので御座います、併し如此台湾銀行は御進みには相成つたけれども、私共の希望する所は台湾をして今日で満足とは申せぬで御座いませう、果して然らば台湾銀行も決して今日で満足とは思召さぬでありませう、是から後の十年は一層長足の進歩をなされ得るであらう、前に申上げた通り、台湾銀行は台湾の繁昌の為めに繁昌し、又台湾銀行は台湾の繁昌を助けて自らも繁昌すると云ふならば、是れから台湾の
 - 第50巻 p.298 -ページ画像 
進歩実に測り知るべからずとして、台湾銀行の進歩も亦同じく無限に期待し得らるゝことであらうと思ふので御座います、然らば今日の十年の御祝は先づ其第一着を祝するので、更に十年又十年、どうぞ続て幾十年を祝し上げたいと思ふのでございます、私は足台湾の地を踏まぬ為めに、台湾を知ることの出来ぬのを遺憾として居りましたが、今晩の此饗宴の御趣向によつて、此芭蕉の葉の亭々と高い処、又は台湾に用ふる川船が此食卓の上に陳列して居る有様と申し、或は食料にも台湾品を御加へ下さつた抔の御注意は、私が台湾に行きたいと考へ居りましたのも、最早行かぬでも事足りた様に思ひます、歌人は居ながらにして名所を知る、銀行家も亦居ながら台湾の有様を見、台湾の味ひを翫味した様に考へます、況んや、先刻来台湾に就て種々貴重なる御話、肝要なる御説を拝聴致しましたから、台湾へ行つたも同様ですが、但し、為めに私は台湾行を怠らぬ様に致さうと考へます、之を御礼と致します(拍手)


中外商業新報 第八九一五号 明治四四年二月二六日 台銀の招待会(DK500059k-0004)
第50巻 p.298 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK500059k-0005)
第50巻 p.298-299 ページ画像

渋沢栄一日記  明治四五年          (渋沢子爵家所蔵)
二月二十七日 雨 軽寒
○上略 十二時半銀行倶楽部ニ抵リ、台湾銀行ノ午餐会ニ出席ス、一場ノ
 - 第50巻 p.299 -ページ画像 
食卓演説ヲ為ス
○下略


中外商業新報 第九二七八号 明治四五年二月二八日 柳生頭取招待会 清国動乱と我円銀(DK500059k-0006)
第50巻 p.299 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

中外商業新報 第九四六〇号 大正元年八月二九日 台銀の招待会(DK500059k-0007)
第50巻 p.299-300 ページ画像

中外商業新報  第九四六〇号 大正元年八月二九日
    台銀の招待会
台湾銀行頭取柳生一義氏は、毎年の慣例に依り廿八日正午大株主並に関係者を東京銀行倶楽部に招待し午飧会を催せり、出席者は渋沢男・
 - 第50巻 p.300 -ページ画像 
添田興銀総裁・志村勧銀総裁・山本条太郎・浅野総一郎外十数名にて大蔵省よりも磯野書記官・森銀行課長出席し、食後柳生頭取一場の挨拶を述べ、台湾と支那の経済関係に付き有益の談話を試み、台銀が今回新嘉坡に出張所を設け、進んで南洋貿易の開拓に資すること、更に又支那九江に出張所を設くる計画あること等を述べ、之に対し渋沢男来賓を代表し謝意を表し、台銀が着々と支那其他の海外方面に発展し金融の道を開き貿易の発達を助くる功績の大なること、柳生頭取が東奔西走一意其発展に尽瘁せることを謝し、主客歓を尽し午後二時過ぎ散会せり



〔参考〕竜門雑誌 第四六五号・第一〇一頁 昭和二年六月 ○青淵先生説話集其他 台銀問題と我財界に就て(DK500059k-0008)
第50巻 p.300 ページ画像

竜門雑誌  第四六五号・第一〇一頁 昭和二年六月
 ○青淵先生説話集其他
    台銀問題と我財界に就て
 特殊銀行たる台銀が今回の如き不始末を醸したことは経済界の恨事として誠に遺憾に堪えない。勿論当の責任は経営者側の杜撰放漫に在るけれども、之が監督の任に在る当局の怠慢も免かるゝに由ない。
 例へば子弟の教育にしても、両親の監督が厳に過ぎれば子弟の為に好ましからぬは勿論だが、余りに放任に流れた結果、放縦無頼の子になつては、その親の責任と云はねばならない。
 而して今回の事は、単に一台銀、一監督官庁の不行届なるに止まらず、国際的に我経済界を不信ならしめるものである。
 予はこの間の事を憂慮した結果、単に老婆心から前内閣の緊急勅令案通過に、枢府方面の懇意筋を辿り、平沼氏・八代氏其他の方に私見を御述したに過ぎないが、事憲法に相反すると云ふ理由の為に否決せられ、憲政会内閣の総辞職を見たのは遺憾であるが、又止むを得ない結果であつた。
 然し乍ら之を以て直ちに我財界の前途を全然悲観して了ふのは、当を得ないであらうが、最近の貨幣価値が低下した事にしても斯る巨資を一商店に貸し出した事の責を経営者として当然負はねばなるまい。
 云ふまでも無く政治と経済とは不離の関係にあるが、両者が余りに接近して立入り過ぎると、弊害の起る場合が多くなる。
 経済界の事は民間事業家に一任し、当局者はこれを高所より監督して深く干渉せぬを良とするが、多くの場合当局が余りに民間事業に立ち入り過ぎる嫌ひがある。即ち政経混じて財界に悪例を残し易い。
 官庁は高処よりの監督を厳重にし、民間事業は真面目に事業を経営するに至れば、我が財界は円滑に進展し、今回の如き財界の不祥事は緩和さるるに至るであらう。(経済公報五月号所載)