デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.440-446(DK500093k) ページ画像

明治44年1月(1911年)


 - 第50巻 p.441 -ページ画像 

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ「明治四十四年の経済界」ト題スル論文ヲ寄稿ス。


■資料

銀行通信録 第五一巻第三〇三号・第二一―二六頁明治四四年一月 ○明治四十四年の経済界 男爵 渋沢栄一(DK500093k-0001)
第50巻 p.441-446 ページ画像

銀行通信録 第五一巻第三〇三号・第二一―二六頁明治四四年一月
    ○明治四十四年の経済界
                   男爵 渋沢栄一
一昨年は私は亜米利加旅行を致して、年末に帰て来て大変匆卒の間に年を越しましたので、別して年月の経過を早いやうに感じました、昨年は国に居りましたから左様なことはない筈でありますが、或は水害だとか其善後の方法だとか云ふやうなことで、種々秋から冬に掛けて奔走をした為めに等しく月日の経つのを早く感じました、同じ人でありながら若い時分には歳月の経つを遅く思ふたのに、年を取ると段々月日が早くなるやうに感ずるのは妙な訳であるが、蓋し心の作用で、待つといふ観念は、来る日月を遅く感じ、未だと思ふ心には思ひの外早く感ずると云ふやうな訳で、所謂己れの心をして月日を或は長く思はしめたり、或は短く感ぜしめるのであらうと思ひます、例に依つて明治四十四年の経済界に対する愚見を銀行通信録に記載したいと云ふ御希望であるが、別段変つた思案もございませぬけれども、いつも殆ど嘉例のやうになつて居るので、案が無いから今年は言はぬと云ふのも甚だ遺憾でありますから、一言述ることに致さうと思ひます
目前の事すら確知することの出来ぬのが凡人の常である、故に未来を想像すると云ふことは甚だ難事と云はねばならぬ、仮令短い時日であり又慣れたる我経済界の事と雖も、推察を誤ることが無いとは言はれませぬ、併し推理上からは既往が是で現在が斯うだから、未来は斯うなるだらうと云ふことは強ち判断の出来ぬことではないのです、今に春が来て花が咲くであらう、夏が来て雷が鳴るであらう、霜を履んで堅氷至ると云ふのは、周易の未来を察した言葉である、本年の経済界は先づ私の愚案から申すと、段々順潮に移り行きて最も善い年柄になりはしまいかと思ふのです、一昨々年頃から政府は大に公債政策を定めて、成るべくたけ政費を節して償却法を講じ、公債に対する国の信用を高めることを努めた為めに、内外共に大に公債に信用を増して来た、但し其方法に付て各種の新聞若くは経済に意見を持つて居る人々より多少の非難はあつたやうですけれども、詰り成るべく政費を節して此指定めた償却法を確実に行ふといふことは、其後少しも動かぬやうに見えます、即ち之が経済界に対して金融を緩め、利息を低落せしめた原因であらうと思ふ、元来金利が下ると種々の事業が企てられるのが従来の慣例であるのに、それに反して此二年ばかりは甚だ其足取が鈍い、是はどういふ訳であるか、我人共に其理由に付ては疑ひを存して居つた、併し之を能く考へて見ると成程理解し得られることもある、即ち先年来或る場合に調子に乗つて事業を経営して行つた、其中には成功したものもあるけれども、さて失敗に終つた類が多い、それは少し心ある人は皆懲を強めて居る、自分が其局に当つた人は尚更、仮令当らぬでも他の有様を見て余程深思熟慮せねば、新しい仕事を企て起すことには手が出ぬといふこともありませう、又度々申すことで
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あるが、不幸にも一昨々年から一昨年に掛けて、大会社に種々なる破綻が起つて、而も是等が已むを得ざるに出たとは言へない、それが二つも三つも見えたのは一般の人気をして、殊に会社などに危惧の念を強めたといふことは争ふべからざる事実である、併しそれよりも尚重き原因になりはせぬかと思ふのは、一体此政治上の関係から税政の整理の完全にならぬために、負担が不公平に又過度であると云ふことも経済界に活況を失はしむる主なる原因ではないかと思ふのです、殊に近頃別して教育費が大変に増して居る、到る所で教育は必要なものであるが、其費用は負担し難いといふことを、都会よりも地方で頻に申して居る、其割合を玆に数字を挙げてお話する程に調査は致して居りませぬけれども、是は一般に今日では困難を感じて居るかと想像される、然らば教育はせぬでも宜いかといふ反問が生ずる訳だが、私は今日の日本の富強、富強とまでは未だ行かぬかも知らぬが、兎に角此四十年の進歩を為した原因は、一般の人気が愛国心が強いとか、武士道を重んずるとか、君に忠なる志が厚いと云ふことが、斯る気運に導いたのであらうけれども、併し智恵が進まんければ決して事物の殷富隆盛を来す訳にはいかぬ、其智恵を進めるといふことは学問に依らねばならぬ、而も其智恵が昔の怜悧とか賢いといふ度合の智恵でなくして大学に謂ふ格物致知、西洋の学問は総て実学であつて、其極所は即ち格物致知である、其学問が段々進んで行つたために、事物が大に進歩拡張して来た、単に物質的の進歩ばかりでなしに、政治上に軍事上に総ての方面に進んで行つた、是は教育の力であると言つて宜い、併し物は如何に善い事でも弊害があるものですから、今日の教育が此の如きまで費用を掛けて遣つて宜いかと云ふことは、能く考えて見ねばならぬかと思ふ、之に加ふるに、戦時の特別税といふものが過度の課税となつて、而も其課税が不公平である、それが矢張続けると云ふことは、或は都会などには左程感じを受けぬことであるか知らぬが、一般の人民に対しては私は非常に困難を覚えるであらうと思ふ、故に真正に国の穏健なる進歩を図らうと云ふには、唯税を減じろと云ふばかりではないけれども、之を整理改革すると云ふことは、どうしても必要と思ひます、故に前に申す一般商工業の景気の進まぬのは、種々の原因があるであらうが、今の教育費の甚だ多いとか、戦時税の不公平が一向改正されぬとか云ふやうなことも其原因の大なるものであると云ふて宜からうと思ふのです、前に申した懲るとか驚くとか云ふやうなものは、追々に時も経ち事柄も解れば消えることであるから、本年あたりは其方の観念から仕事の手控といふことは失くなるでありませうが、後に申したことに就ては矢張私は未だ完全に回復されるとは言へないと思ふ、如何となれば政治上其点に対しては何分未だ手が届かぬ是は各政党などでも頻に希望して居り、又其説を為す人が多いやうであるが、如何せん一方には又海軍の拡張もせねばならず、朝鮮の併合に付ても種々なる政費の増加を要する、決して当局者も是で可なりとは思はぬであらうけれども、それ以上重い者のあるために、それが後になると云ふ訳でありませう、併しヨリ重いと思ふのが果して実に重いのかどうかと云ふことは、是は見解に依つて人々其説を一にする訳
 - 第50巻 p.443 -ページ画像 
には行かないのです
併し昨年の農作などは水害のために余程不作の所もあつたし、困難した場所も多いから、全体から論じて結構な年とは言へぬけれども、重なる輸出品たる養蚕は相当の出来栄であり、糸の価格は欧米共引立つて且つ其捌け方も極く宜いために、輸出の具合が一昨年よりは――作柄は幾分か減じて居るか知れませぬが、輸出高は幾らか多く出て居るであらうと思ひます、是も私は数字を記憶して居りませぬけれども、凡そ二十万梱以上の輸出高に達するであらうと思ふ、或は又貨物の運送上から聞いても、陸海運とも所謂荷動が宜くなつて居る、昨年末の金融の頗る忙しいなどは、寧ろ或る地方に金が逼迫して来た為めと云ふのではなくして、商売が繁昌のための金融繁忙である、若し今少し以前から金融繁忙であつたならば銀行などは寧ろ喜ぶであらう、庫の金を残らず出してしまつて大働きをする、而して其利子も高いといふ事になつたと思ひますが、今までが頗る低い、甚しきは預金利子より尚安く使つて貰ひたいと云ふ有様であつた、僅に十二月に這入つて忙しいのですから、急にさう引上げる訳にはいかない、銀行は僅かの間でも忙しいのは愉快であるけれども、何分収入を増すといふ訳にはいかぬやうです、併し此景気から推測すれば大に全体が回復して居ると云ふことは想像されるやうである、故に昨年は新規の仕事がボツボツ起り出して、悪くすると其中には又無くもがなと云ふ会社が起らぬとも云へぬのです、此際に金融界に従事する者は成るべくさう云ふことに注意して、悪いものを煽動するやうなことに、働きを向けないやうに致したいと思ふて居ります
右やうな次第で四十四年の経済界は、先づ順潮に追々に善い方に向つて進んで行くであらうと思ひます、是は想像である、此想像に加へて希望を言はねばならぬ、其希望の点は甚だ日暮れて道遠しの歎があるやうに感じられるのです、それは人に依つて身体の壮健な春秋に富んで居る気力逞しい者は、私のやうなことを言はぬでありませうけれども、併し壮年の人も尚私は老人が先の詰つた思案を持つ如き精神を以て働いて欲しいと思ふ位である、それはなぜだと云ふと、維新以後我邦の思想と云ふものは終始一歩づゝ進で居る、時態が三十度であるとすると希望は五十度に置て仕事をすると云ふのが是までの勢であつた未だ己れの力がそこに至らぬでも、種々なる勉強から其力に届いた如き働きを為すことを努めた、それで他国から見れば長足の進歩をしたとも言はれるやうになつた、併しさういふ仕事の仕掛といふものは、若し蹉跌すると大に後戻をすることが無いとも言はれぬのであるが、そこには天祐もありましたらう、随分困難のことにも出遇つたけれども、其困難には偶然或る助を得るといふやうなことであつて、其困難に打勝つて四十年の間に列強の伍伴にまで這入り得たといふことは、政治界の人も経済界の人も、軍人も法律家も学者も総て我力よりヨリ以上のことを始終遣り来つたのが、今日の結果を来したと云ふて宜いのです、どちらかと云へば少し分量を多く望んで、実質以上の仕事をしようと云ふ胆力が今日を致したのである、所が今日は其胆力が少し弛みはせぬかと私は恐れるのである、然るに他国の有様はどうかと云
 - 第50巻 p.444 -ページ画像 
ふと、反対に丁度日本が明治の初年から四十年頃まで一生懸命に駈け走りし如き有様を以て進む、例へば独逸とか米国とか云ふやうな国々は、実に何事を見ても案外な感を為す位に事物がドシドシ進んで行く而してそれが政治上に顕はれることも時々ある、又実際に自国ばかりでなしに、他の国々へまで其鋭鋒が露出して来るのです、殊に近頃欧羅巴は段々に商売区域といふものを相争ふから、殆ど余地の乏しくなつた結果で、総ての視線が東洋に向つて来る、亜米利加などは殊に恐しい力を持ち鋭い働きを以て、其鋭鋒を東洋に向けて居るやうに見える、それが唯々空威張ではない、一時の出来心でもない、数年を期して力を尽して居る、之に反して我邦は四十年の間に長足の進歩をしたと讚められて居るけれども、其長足の進歩が五寸出掛けて一寸位づゝ引込むといふやうな有様で、ナカナカ長足の進歩どころではない、今日は少しく䠖跙逡巡の姿を為して居るやうに私には思はれるのです、朝鮮のことが今日に至つたのは実に慶賀する所であるけれども、試に二十七・八年以後数年間の施設の如く躊躇猶予のみであつたならば、私は朝鮮に対する事柄が今日の如くに進歩はすまいと思ふのです、幸に三十一年頃より鉄道であれ銀行業であれ、其他の農工業であれ、其初めは或は権利取といふやうな人も沢山あつて、本当の事業が成立つといふことは乏しかつたけれども、其後はそれそれに組織が出来、力ある人が手を着けるやうになつたので、総ての事物が他国の働きに依らずに、経済方面に帝国の力が十分に進んで行つた、故に今日あらしめたと言ふても宜いと思ふ、支那に対しては朝鮮の如くには私は望みはしませぬけれども、現に鉄道のことなども英仏「シンヂケート」があり、それに独逸も加はり亜米利加も加はる、金の少ない国であるから日本が直に其仲間入をすると云ふことは出来ぬかも知らぬが、殆ど与り知らぬと云ふやうな有様で居ることが果して相当の務であるか、私は是まで支那に対して何等関係がないものですから、斯く申しながらも自身の経営として是といふことは出来もせず、又無理に今勉めようと云ふ訳にも行かないけれども、既に是まで相当手を着けて居る経済団体もあれば個人の商売人もある、併し是等の働きがどうも私の見る所では、他国の強い視線を向け又逞しい力を及ぼすに較べると、甚だ足の運びが鈍いと言はねばならぬやうに思ふ
満洲の経営に付ては、幸に南満洲鉄道会社と云ふものが逞しい力を持つて居つて、又其仕事も追々に挙つて行くやうである、是は頗る喜ばしいことであり、其他の事業も追々に進むで行く様に思ひます、併し私は望むらくは唯々大きな力が一つで仕事をして行くと云ふことは好まない、相当の力のある者が種々なる方面から進んで行くやうになりたいと思ふ、内地の仕事もさうだが他国に対する経済上の発達も、単に何も斯も一つに集中して遣るといふことは、蓋し穏健の仕方ではあるまいと思ふ、世が進めば進む程力の強い人が沢山出来て来る、中等社会に人物の多い国が学理上最も健全の国であると聞いて居る、是は必ずさうであらうと思ふ、昔は戦争でも其団体中一番強い者同志が一騎討で勝負を決してしまふ、桶狭間で今川義元が討死してしまへば四万の大兵が忽ち潰れる、双方の強者が陣頭に立つて牛の喧嘩のやうに
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闘つて、其主脳の人が負けると大勢が閉口してしまふ、段々文明に進めばさうはいかない、それで維新頃には豪い人物が出たけれども、近頃は余り人物が出ないと云ふ人がありますが、時代が違ひ、教育が違ふから其筈である、其方が寧ろ宜いのかも知れない、伊藤公爵の様なる人物が出ないと云ふことを歎息する人もあるが、寧ろヨリ以上に立優つた人が多くなつたから特に目立たぬのであるかも知れぬ、それと同様に、一つ際立つてそればかりが進むといふことは、真正なる国の力の強大と云ふものでは無いと思ふ、故に私は支那に対する諸事物の施設がもう少し進むやうなる心配を、政治上からも是非進めて欲しいと思ふのである
前のお話が唯々支那にばかり関するやうに聞えたか知れませぬが、私の言ふのはさうでは無い、要するに商業の経営に於ても欧米人は成るべく新販路を求めるやうにする、其販路は東洋に皆目を注ぐではないか、然るに我邦の現況に就て見ればどれ程の力が進んで居るか、如何に心配、計画をして居るか、殊に亜米利加の商売人は、力を協せ手段を尽し、又逞しき機械の働きを以て品物を成るべく安く拵へて成るべく好い工風を以て遣つて来る、それを政治上からも充分なる力を以て幇助すると云ふやうな有様に較べると、私は切角四十年働いて来た今日は、大に足が疲れて人の後に瞠若として居るやうな有様になりはしないかと気遣ひます、斯ういふ場合には商売人も工業家ももう一層自ら奮励せねばならぬのみならず、政治界でも大に力を注いで、䠖跙逡巡させないやうにせねばならぬかと思ひます
本年は丁度関税改正の年であり、是には政治上にも経済上にも注意を加ふべき事柄と思ひます、商工業の進歩を図るためには、一部分は保護政策も必要であらう、併し又保護政策は自国の品物の製造費を高める道理になつて来る虞があるから、是には又余程注意せねばならぬ、我邦の今日は成るべくたけ輸出をせねばならぬと云ふ国柄である、此輸出を増さねばならぬと云ふ場合に、唯々保護政策ばかりを本位として、自国の製造品を無闇に高めると云ふことは、悪くすると我手を以て我身を毀損すると云ふ結果に陥りはせぬか、故に関税の政策は殊に国際上の関係もありませうが、私は国際上の関係よりは、経済上の関係として適当の程度に落着きたいと希望するのである
此輸出貿易に就て最も関係の深いのは鉄道である、此鉄道の政策如何に依つては、今日の我経済界が栄えも衰へもすると言つて宜い位である、幸に鉄道の働きが段々経済主義に依つて増して行きつゝあるやうに見える、広軌説も大抵確定されるであらう、確定されたら直に実施されるやうにもなるであらうが、是等に付ては余程考を要したいと思ふ、此間も亜米利加の人が来て、鉄道のことに付て頻に講釈をされましたが、同じ汽車であつても、米国と英独と較べると其働きが一に対する二、三の割合である、即ち米国の鉄道は英独の鉄道に較べて二、三倍の働きをする、牽引力、速力といふやうな割合から論ずると、玆に百噸の機関車がある、其機関車を亜米利加では斯う働かせるが、英独では斯うであるから、比較すると此方は二、三倍で、他は二、三分の一の働きしかせぬと云ふ話をして居りました、精しい数字を挙げて
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の話ではありませぬが、満更虚構の言ではないと思ひます、我邦の鉄道は欧羅巴の鉄道より劣るとすれば、亜米利加の鉄道に対しては、四分の一よりも割合が減じはしないかと恐れるのです、何れ広軌鉄道にはなるであらうと思ひますが、唯単に広軌といふばかりを私は希望するのではない、此経済的思案を以て鉄道経営を為して、殊に輸出貿易などに付ては、大なる奨励もし援助をもするといふことを偏に鉄道に待ちたいと思ふのである、併ながら其鉄道に希望して居つたことが明治四十三年までには未だ見えて居らぬ、どうぞ四十四年以後は大に之を見るやうにしたいと希望するのであります