デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.525-528(DK500120k) ページ画像

大正3年1月(1914年)

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『財政経済に対する予の希望』ト題スル論文ヲ寄稿ス。


■資料

銀行通信録 第五七巻第三三九号・第一―四頁大正三年一月 ○財政経済に対する予の希望 男爵渋沢栄一(DK500120k-0001)
第50巻 p.525-528 ページ画像

銀行通信録  第五七巻第三三九号・第一―四頁大正三年一月
    ○財政経済に対する予の希望
                         男爵渋沢栄一
年々の嘉例であるから、銀行通信録の年初の発刊に、私の経済上に関する意見をと云ふお望に対して、愚見を述べて見やうと思ひます、何時も来年は来年はと云うて同じ事を繰返すのが人間の常事で、後から顧みると、言うたことの成効が甚だ少いから或は言はぬでも宜いやうに感ずる虞があるが、併し所謂一年の計は元日にあり、年初に今年の経済界は斯くありたいと云ふ希望を述ぶることは、果して其通に実現されぬにしても強ち無用の弁でもなからうと思ひます
財政経済の大勢は、或点からは気遣な事も未だ残つて居るやうでありますけれども、決して唯悪い方にのみ傾くとは言はれぬやうである、殊に現内閣は前々内閣の趣意を襲踏して、成べく財政は緊縮し行政は整理し、剰余金を以て是まで各種の欠陥となつて居つたものを補塡すると云ふ計画を立てられて居るやうであるから、総ての点に於て善い方に向て行くやうには見える、併し此間大蔵大臣の銀行者に言はれた所に依つて見ると、税制の整理に対しては、自分等は未だ満足と思へぬやうに考へる、此事は度々各新聞若くは雑誌記者の質問に対して答へてあるから、余り管々しくは申さぬけれども、戦争に際して急遽に定めた所の増税が、其儘継続されて居ると云ふことは、果して宜しき
 - 第50巻 p.526 -ページ画像 
を得て居るとは言はれぬやうに思ふ、蓋し国家の賦税は国民の義務を尽させる所以であるから、当然のことであるけれども、之が権衡を失ひ公平を誤れば、独り賦課されるものが難儀するのみならず、それが為に一般の経済界に悪影響を与へると云ふことは、昔から実例があるから、税の整理に付ては当局は余程注意をせねばならぬと思ふ、私は目下の税制を整理するに付ては、大なる軽減的整理を希望するけれども、併ながら今日何から幾許と云ふやうな具体的の事は、一寸申上げ兼る、兎に角愈々整理をしやうと云ふならば、各種の税制に付て十分なる調査をして、遺憾なき改正をしたら宜しからうと思ふ、何れ来るべき議会に向つて相当なる減税的改正案が出るであらうけれども、聞く所に依ると其割合が甚だ少いかの如く噂さるゝのは、或は十分なる吟味の足らぬことではないかと懸念するのであります、各種の点に改良を加らるゝ場合に於て、果して減税が噂の如くでありとすれば、一の欠点ではないかと思ひますから、此点は深く当局者に希望せねばなるまいと思ふ
次に公債の価格を引上げると云ふことは、公債を減ずるより外に仕方がない、一方に償還基金を定めて置いても他方に於て又新しい公債を発行した日には、海外に対する債務は一向に減ぜぬのみならず、或場合には却て増すと云ふやうになる、此状態で継続して行くならば、到底国家の信用を回復する事は出来ぬ、一方に債務を減じても又一方から増して行つては、差引五分五分になつてしまつて、折角設けた国債償還の制度は有名無実に終りはしないかと思ふ、而して債務を増さぬやうにするには事業を減ずるの外はない、事業を減ずると云ふ中にも特に不生産的事業を節約せしむる外なからうと思ふ、斯く論ずると帰着する所は軍費を大に制限せざるを得ない、軍人の側から言うたならば、今日の国家の進運は政治の完備した為とか、教育の進歩した為とか、実業の発達した為とか、色々あらうけれども、若も彼の両回の戦争に於て不結果に終つたならば、決して斯の如き国運の発展は見ぬであらう、国威の宣揚はなかつたであらう、然らば今日あるは全く軍人の力である、左様に国家に功労ある軍事に対して、今後必要なる費用を節約するなどゝ云ふことは、抑々事理を弁へざる者であると斯様に云ふかも知れぬけれども、それは私は全然御同意は出来ない、若し軍人が費用なしに、さう云ふ力が奮ひ得られるものならばイザ知らず、畢竟戦争に勝利を得ると云ふことは、やはりそれに伴ふ総ての設備が整うたから出来た訳であつて、さうでなかつたならば如何に勇敢無比士気旺盛の軍人であつても、所謂食はずに働くと云ふことは出来ぬ筈である、さすれば富の力と武力とは、始終権衡を保つて行かねばならぬ、武力ばかり進んでも富の力が衰へたならば、其武力は完全の働を為すことは出来ぬではないか、私は常に言ふ、今日の文明世界は、成べく実業の発展を図つて、富の力を増さねばならぬ、但し富の力さへ増せば宜いとは決して言はぬ、一体の国民の元気が旺盛でなくてはならぬ、忠実でなくてはいかぬ、忠実とか旺盛とか云ふやうな、国民の精神は常に持続せねばならぬが、同時に唯士気を鼓舞するとか、敵愾心を強めるとか、大和魂がどうとか言ふて、唯気概にのみ重きを置い
 - 第50巻 p.527 -ページ画像 
て、実力即ち富の力を顧みなかつたならば、其力たるや決して永続するものではない、段々国富が減じて殺気のみが増して来れば、国家は不道理に流れ殺伐に走つて、遂には所謂斬取強盗武士の慣ひと云ふやうな、昔の悪習慣が実現されぬとも言へぬ、論語に孔子が吾未だ剛者を見ずと言う問に、或人が申棖は如何と対へたら、棖や慾、焉ぞ剛を得んと言れた、想ふに慾張つた者は真に強いとは云へぬのである、斬取強盗が強とは言へぬのであるから、一国の軍備を拡張されるに付ても、同時に国力に伴ふことを期さねばならぬ、国力を顧みずして単に軍備のみ増すと云ふことは大なる誤である、けれども又一方実力を増すと云ふのが唯富さへ増せばそれで宜い、士気は奮はぬでも、人気は軟弱に流れても、虚栄に走つても構はぬと云ふならば、是亦大なる誤である、私は決してそれを望む者ではない、富を増しつゝ勇敢の精神と云ふものは常に失つてはならぬと思ふ、即ち富と軍備と並び進んで行かねばならぬ、軍備を増すと同時に国富を増すといふことを忘れてはならぬ、故に私は敢て軍備を嫌ふと云ふ意味でないことを能く了解して貰ひたい
それに就ても私は日本の国力を正確に研究して見たいと思ふ、是は到底銀行集会所の力のみでは出来ないから、種々なる方面で尽力して見ねばなるまいと思ふが、欧米諸国にもそれそれ調査方法があつて調べて居ると云ふことであるが、現在の国家の富は如何なる手段にしたならば正確に判るか、又年々に進む富の程度は如何と云ふことの攻究も是非相当の方法によりて調査して見たいと思ふ、政府で既に手を着けて居るか知らぬが、一向承つたこともない、単に政府ばかりでも満足せぬ、又銀行者の責任と限つた訳でも無い、之を完全に調査するには或は亜米利加のセンサスの如き方法を設け、場合に依つては懸賞法に依つて、適当の調査方法を設けて、国力の審かなることを知りたいと思ふそれに付て斯うすれば宜いと云ふ事を、今日具体的に述べ得られぬのを甚だ遺憾に思ふけれども、一国の富の程度分量と云ふものを、大差ないまでに知り得ることが出来たならば、上来の議論をするにも徒らに空論に走つて、何時も声の高い人が勝つと云ふやうな弊を免れることが出来やうと思ふ、是は銀行者側で何とか思案して見たいと思ひます
前に述べたる租税の軽減的整理とか、又公債の逓減とかいふやうな覚悟を以て、国家の経営をして貰はなければならぬと云ふ希望と同時に是非紙幣兌換制度を鞏固にして、在外正貨の総額を成るべく明瞭に国民に知らせて貰ひたい、兌換紙幣の発行高を減ずれば減ずる程、必ず物価は下る、反対に増せば増す丈け物価は上るのは事実が証明してゐる、嘗て現大蔵大臣は貨幣数量論を弁駁して、銀行者の集会で言はれた事があつたけれども、私はどうもさう思はぬ、是は一の論究すべき問題であるが、吾々銀行者の見る処は兌換紙幣の殖えるほど物貨の価を増すものと信ずるので、兌換制度を鞏固にするには是非とも兌換紙幣の数を減じなければならぬ、随てそれが堅実に行はれたならば、今日の物価は幾分か下落する、物価下落の結果は輸入減退と云ふことになる、輸入減退は反対に言へは兌換制度を堅実にする所以である、斯
 - 第50巻 p.528 -ページ画像 
る重要事件は勿論民間でも力を添へねばならぬけれども、詰り財政の根本が直つて来ねば行はれぬことであるから、均しく政府に望まねばならぬ、前に申す国富の調査に付ては、単に政府にのみ依頼すべきものではなからうと思ふ、故に是非京阪其他の銀行者、或は他の実業者で能く申合せて、適当の方法を立てたならば、数年ならずして目的を達することが出来るであらう、今まで調べた人もあつたやうであるけれども、完全のものが未だ出来てゐないのを遺憾とする
次に金融上に付て、自分等銀行者であるから特に感ずるのであるが、貯蓄銀行の制度若くは小資本の運転法に付て、何か制度の設立を企望する、但し是等の事は単に法律の力でのみ行けるものかどうか判らぬが、今日の儘にして置くべきものではなからうと考へる、其事は過日手形交換所の総会で、大阪の小山健三君の貯蓄銀行と保険制度に付て注意を促されたのは至極最もであるが、私は一歩進んで小資本の金融に付ても、何とか一の考案をせねばなるまいと云ふことは、数年前から或は社会政策として攻究して見たいと考へて居るのであります、聞けば日本銀行でも小資本融通に付ての方法を調べて居るといふが、どうぞ是等に付ても斯くしたら宜からうと云ふ一の成案を得ることを希望するのであります
望むことは沢山あるけれども、余り数多く言うて何も出来ないのは遺憾でありますから、先づ前に述べた二・三のことを大正三年の問題として追々に攻究して見たいと思うて居ります