デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.535-537(DK500123k) ページ画像

大正3年11月4日(1914年)

是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部第百十回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

銀行通信録 第五八巻第三四九号・第八六頁大正三年一一月 ○録事 銀行倶楽部第百十回晩餐会(DK500123k-0001)
第50巻 p.535 ページ画像

銀行通信録  第五八巻第三四九号・第八六頁大正三年一一月
 ○録事
    ○銀行倶楽部第百十回晩餐会
銀行倶楽部にては、十一月四日午後五時より帝国ホテルに於て、第百十回会員晩餐会を開き、食後早川委員長の挨拶に続きて来賓船越・佐藤両大使の講演、及山中前交換所監事の謝辞あり、午後九時三十分散会せり


銀行通信録 第五九巻第三五一号・第七五―七六頁大正四年一月 ○渋沢男爵の挨拶(DK500123k-0002)
第50巻 p.535-537 ページ画像

銀行通信録  第五九巻第三五一号・第七五―七六頁大正四年一月
    ○渋沢男爵の挨拶
 本篇は大正三年十一月一日《(四)》の銀行倶楽部晩餐会に於て、渋沢男爵が挨拶せられしものなれども、校閲遅延の為め採録するを得ざりしもの、今玆に之を掲ぐ
来賓両閣下及会員諸君、今夕の倶楽部晩餐会は委員長の御高配で誠に佳賓を得て、残る隈なく海外の戦況を拝承致して会員一同、其有様を目前に見るが如き感を致しまするのでございます、此席に於ては斯く談笑のやうに拝聴しますけれども、佐藤大使・船越代理大使が当日の御苦心をお察し申上げると、実に悚然とするやうな想を生ずるのであります、第一に斯る強大国に対して国交の断絶、此の先如何相成るであらうと云ふことは、其任地に於て如何にお心配なされしか、第二に
 - 第50巻 p.536 -ページ画像 
は御一身に付き、又随従なされた人々に就て安全に帰国せしむると云ふことが当然のお職掌となつた場合なれば、定めて深く御憂慮なされたことゝ実に感慨に堪へぬのでございます、而して其御引揚の場合に汽車がどうで有つたとか、自動車が間に合なかつたと云ふことは、今日となりては左までの事でもないやうに感じますけれども、親しく其場合にあるとして考へますれば、どれ程の御心労であつたかと云ふことは恐察に余あるのでございます、併し幸に其お話を過去の事として伺ひ得られるのは、私共両閣下の為に深く喜びます、実は此度の欧羅巴の大乱は私共には実に意外であつて、丁度七月末から八月の初めに掛けての実地に就てのお話を只今両閣下から伺ひましたが、私は別して老年の為め新聞も能く見ぬ位で海外の事情に疎い方でありますが、一昨年の夏、亜米利加のスタンフオルド大学の総長たるヂヨルダン博士が我邦に来遊の時、欧羅巴に於るモロツコ問題に就て事に依つたら独仏の間に戦争が起りはせぬかと云ふ有様を、而も当「帝国ホテル」で話されたことがあります、折柄に加州の排日案を誠に気遣はしく思うて、私は其職に在る訳ではないけれども、ヂヨルダン博士と色々談話しつゝある際に、彼は専ら平和を主張する人であつて、其時に独逸から米国のモルガン氏に公債応募の依頼があつたが、モルガン氏は独逸に向つて戦争をするやうでは公債の引受けは出来ぬ、戦争を止める為めの公債なら引受けやうと言ふた、因て想ふに大抵は戦争にならぬで済むだらうと話された、それからヂヨルダン氏は直ちに日本を出立して乗船後の書状には果して戦争にならぬと云ふことを確め得られて詰り今日は文明も進んで居るから際どい所まで行つても真逆に戦争にはならぬと云ふことを記してあつた、唯一ヂヨルダン氏の説に依つて確信する訳ではないけれども、人道も追々進んで来る、国際間の関係も種々複雑になつて居る、戦争と云ふことは頗る困難である、殊に世界を併呑すると云ふやうな大食慾の人は此社会にはあるまい、果して然らば関係の国々は相当なる程合を考へて、所謂互譲して済むであらうと云ふのが私共の想像であつた、丁度八月の初でござました、私は房州に用事があつて二・三日新聞も見ずに居りましたが、其中に形勢の急転したことを承知して自己の考の大に違つたのを覚り、酷く自分の無智を恥ぢた位であります、頃日も或雑誌社の人が来りて談其事に及び、数月前を回顧して我観察の足らぬことを恥ぢましたが、再び思ひ返して負惜みの言語ではあるが、私の智恵の足らぬよりは寧ろ独逸人の貪戻の念が意外であつたのである、凡智を以て察し得られぬ程の強暴貪戻である、普通の欲望を以てすれば私の観察は適当するけれども、不可測の非望又は貪戻よりして玆に至つたものとして見ると、どうも文明と云ふものは実に恐るべきものである、斯く考察すると文明の頂上は暴戻の極度になりはせぬか、老子の所謂聖人死せざれば大盗已まずといふ警句が玆に至つて二千五百年前の古訓を思ひやるやうになる、是は海外万里の事で今日此処で批評しても益なき次第ではありますが、兎に角是から先如何に成り行くかと云ふことは両閣下と雖も御説明下さる訳には行きますまい、国民全体として十分に考慮しなければならぬことゝ思ひます、但し其発端に於ける両国の現状を斯の如
 - 第50巻 p.537 -ページ画像 
く精しく、吾々にお話し下すつたのを深く感謝致すのであります
山中君の永年交換所の御勤務に対して、此銀行倶楽部の晩餐会に於て斯る珍客を御招待申すと共に、玆に御慰労するのは私も深く喜ぶのである、殊に私は山中君とは別して其交りが深い、明治十二・三年の頃銀行集会所への勤務が始めであつて、爾来三十五・六年の間少しも交道を変へなかつたと云ふのが両人の間であると云ふても宜からうと思ふ、択善会から御頼みして引続いて集会所に相成つた、頼んだ人も尚ほ存在して居る、頼まれた山中君も極く健全である、四十年に近い歳月をお互に睦しく経過したといふことは相共に慶賀する所であります過去の銀行集会所・銀行倶楽部等の発達の有様に就ても山中君の御記憶は少しも違ひませぬ、此手形の事務なども明治の始めには何時どうなつたら交換所体のものが出来るかと思つた位である、明治十六年から種々に評議して二十年に至りて交換所は組立ては見たが、是ではいかぬといふので二十四年に安田君・池田君などがお骨折になつて其方法を変更し、それから追々と端緒を開いて発展したのであります、其発展後の有様から云へば最初の仕組は拙劣であつたらうが、其拙いのがなければ後の良いものも出来ぬのであります、故に後進が発達したから前者の拙劣を軽蔑すると云ふは其当を得ないのでありませう、殊に明後年は立派なる銀行集会所・手形交換所及銀行倶楽部を合併したる一会堂が建設されるけれども、其建物が如何に美麗雄大に出来やうとも、其れが為に、現在の坂本町にある集会所を蔑如するは宜しくない(拍手)、蓋し私共老成の銀行者は坂本町の集会所たるが如きかは知らぬけれども、更に広大なる集会所が出来るとしても、それは即ち坂本町の集会所が素地を為したものであると云ふことをお忘れないやうに願ひます、今夕は委員長の御心配で佳賓を得て新らしいお話を伺ひ一方には古い御慰労の言葉を述べることを得たるのは、会員一同と共に深く委員長の労を謝します