デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.556-557(DK500132k) ページ画像

大正5年6月22日(1916年)

是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部第百二十四回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第六二巻第三六九号・第六八頁 大正五年七月 ○録事 銀行倶楽部晩餐会(DK500132k-0001)
第50巻 p.556 ページ画像

銀行通信録  第六二巻第三六九号・第六八頁 大正五年七月
 ○録事
    ○銀行倶楽部晩餐会
銀行倶楽部にては、六月二十二日午後五時三十分より帝国「ホテル」に於て、第百二十四回会員晩餐会を開き、食後、松方委員長の挨拶に続きて来賓林大使の演説あり、午後九時散会せり


銀行通信録 第六二巻第三六九号・第三四頁 大正五年七月 ○銀行倶楽部晩餐会演説(大正五年六月二十二日帝国「ホテル」に於て) 渋沢男爵の演説(DK500132k-0002)
第50巻 p.556-557 ページ画像

銀行通信録  第六二巻第三六九号・第三四頁 大正五年七月
  ○銀行倶楽部晩餐会演説
         (大正五年六月二十二日帝国「ホテル」に於て)
    ○渋沢男爵の演説
当春以来、所労の為めに当倶楽部の晩餐会にも欠席勝でございました
 - 第50巻 p.557 -ページ画像 
が、今夕は幸に林男爵をお案内申上げるとの事にて、私は男爵と古い御親みを持つて居りまするので、其席に陪しやうと思うて、玆に此会に列することに相成りましたのでございます、特に斯かる佳賓をお迎へ申上げ得た委員長の御勤労を感謝致します
男爵は長い間伊太利に大使として御在勤下された、折柄欧羅巴の大戦乱にて、我帝国も遂にこれに参加せねばならぬと云ふ事になります、其間の御苦心は、今伺ひますれば誠にさもあるべきことと思ひまするが、左様な内情は吾々門外漢の知り得ませぬことであつたのであります、併し大体に於て容易ならぬ御勤労でありつらんと御察し申上げたのであります、私は其御勤労を感謝すると同時に、今より十七・八年前の朝鮮に於ける男爵の御苦心・御辛労を追想して見たいのであります、今隣席で志村君が朝鮮・満洲をお旅行になつたと云ふことで、朝鮮の現況に就てお話がありましたが、私も同地に銀行の支店を持つて居る為めに、長い間朝鮮の関係に従事して居りました、今日は其時代とは変りましたけれども、其頃は男爵と時々朝鮮に於る政務に関してお小言も頂戴したり、苦情も申上げたり、憂もしたり、喜びもしたり所謂喜憂交々至つたことが度々ございます、只今男爵の食卓上の御雑話にもありましたが、明治三十二年三年の交、我内閣の或る先輩方の更迭の場合に朝鮮関係の一事件が引継の未了問題となつて、大変に東京に於て苦心された、又任地に在られた男爵は頻繁なる本国よりの電報で容易ならぬ御苦心をなされました、而して其関係が第一銀行にあつた為めに、男爵の任地で御心配なさると同時に、日本の方では私が一電報一返信毎に様々に心配をしましたのは、それ程古くも無いやうに思ひまするが、算へて見ますると殆ど二十年に垂んとして居ります以て林男爵がお若いと言はれても、其実さうお若くないと申上げ得られるやうであります(笑)、其後日露の戦役となり、続いて男爵の御任地も転じて、爾来数年間は私共皮相の観を以てすれば或は英雄髀肉の歎が生じはしないかと思ふ位でございます、併し静養するは大に活動するの原因になりはせぬか、私共の観察通り今日迄に御位地が閑であつたとすれば、是から先は大変にお忙しい事になりはせぬか、所謂利器を錯盤に試むると云ふことが支那の少壮有位の人に企図する所の故事にありますが、林男爵は左様にお若い人では無いかも知れませぬが真に利器たることを失はぬ、既に利器たる以上は錯盤に試みらるゝ時期が必ず来るであらうと思ひます、欧羅巴に於ける実際を観察し尽した男爵である、果して吾々の希望する如く斯かる経験あり熟練ある利器を、錯盤に試むるでは無い用ひ得ることが出来たなれば、吾々は更に又同君に対して今日以上の謝意を表し上げることが有るであらう、又ありたいものだと懇望致すのでございます、斯かる旧友にして且つ深き御関係のある珍客を得まして、私も其席に陪して一言の御礼を申上げ得たのを深く喜びます(拍手)