デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第51巻 p.20-22(DK510004k) ページ画像

大正12年2月15日(1923年)

是日、ポーランド国駐箚特命全権公使川上俊彦・東京商業会議所副会頭山科礼蔵ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百八十四回晩会餐開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第七五巻第四四九号・第七四頁大正一二年三月 録事 東京銀行倶楽部晩餐会(DK510004k-0001)
第51巻 p.20 ページ画像

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銀行通信録 第七五巻第四四九号・第四一―四二頁大正一二年三月 渋沢子爵の演説(大正十二年二月十五日東京銀行倶楽部晩餐会演説)(DK510004k-0002)
第51巻 p.20-22 ページ画像

銀行通信録  第七五巻第四四九号・第四一―四二頁大正一二年三月
       (大正十二年二月十五日東京銀行倶楽部晩餐会演説)
    ○渋沢子爵の演説
当倶楽部の例会に参上して何時も御馳走を戴きまして、皆様と御目に懸ることを誠に愉快に思ふのであります。殊に今夕は川上・山科両正賓の有益なる御話を拝聴することを得ました。定めて皆様も多大の興味を持つてお聴になつたらうと思ひまして、私は別して深く喜ぶのであります
露西亜の事は皆様は兎に角、私共としては唯々朦朧としてどう云ふ有様であるか判らぬと云ふ姿であつたのです。川上公使が露西亜には其帝政時代既に長く御滞在になつて居り、又近頃同国を御旅行なさつた
 - 第51巻 p.21 -ページ画像 
と云ふことは、御自身は御家族を先きに帰へし、御自分の慰半分独り旅をやつたと云ふお話でございますが、是は大に意味の有るお言葉で能く為さつたと吾々一同深く感佩しなければならぬのでございます。莫斯科を御通りになつて御旅行なさつたと云ふことは御自身は物好きらしう仰しやるが、誠に奥床しいではありませぬか、俺は国家の為に彼処を通つて来たのだと兎角言ひたがるのが普通である。然るに御自身が余程の危険をお感じなさりつゝ御通りになつたであらうと吾々お察し申上げるのに、さう云ふ訳でなく実際御踏査を為さつたと云ふことは、今のお話を尚ほ詳しく伺ひましたならば必ずや更に多く知り得ることがあらうと思ふのであります。而して段々将来に思を及ぼすと彼も人なり爾う怖がらぬでも宜からうと云ふのは、自ら山科君のお話を想ひ起すやうに相成るであらうと思ふのでございます
山科君の御旅行は予て伺ひ居りました、国家の経済上から、増殖する人口を何処へか吐き出さねばならぬと云ふやうな政治的手腕は吾々は持つて居りませぬけれども、併し勢ひ何処かで米を食ふやうな工風をせねばならぬと云ふことは、仮令大経綸大政策を持たぬでも、国民として考へねばならぬ事でありまして、山科君一行の御旅行は自ら其処に御感想を及ぼすであらうとお察し申上げて居つたのでございます。御帰朝後私も一・二度お目に懸り段々御旅行の経過を伺ひましたが、殊に今夕諸君と共に伯剌西爾、南米の様子を稍々精しく伺ひ得まして頗る人意を強うするやうに思ふのでございます
私は此場合に特に銀行家諸君に申上げたい。山科さんが是から先き力を尽して行くには唯々事業家のみではいけるものでない。其事業家が縦し相当の資金の用意がしてあるにした所が、将来文明式の事業をやらうと云ふのには、どうしても金融機関が附帯しなければ事業が伸びぬやうに思ふと仰せられたことは如何にも其通りでありまして、ずつと昔は資金も自分が持ち運送も何も彼も自分でやると云ふやうな、所謂千手観音式営業が必要であつたかも知れませぬけれども、今日の如き分業の世の中ではどうしても事業の経営を考へる人と金融の始末をして呉れる人とが共に相提携してやらねばならぬ。さうすると今お話の通り銀行家に向つて俺達は海外に出て行く心配をするから、資金の続く方法を講じて相当の援助をして呉れとお求めになつたのは御尤だと思ふ。何時であつたか私は政友会の総裁高橋さんが大蔵大臣の頃に銀行者は成たけ鞏固な金融をしなければならぬ。其金融を過まると蹉跌を生じ、或は経済界にとんだ不況を惹起すことになる。此に注意せんといかぬと云ふ警戒的のお言葉を伺つたことがありました。善を善として是を是とし、唯々言葉の上で善い事をせよと云ふことは容易な事でありますが、金融の鞏固を図ると云ふことは余程難かしい事である。極く鞏固を図つたならば金融をせぬが一番宜いと云ふことになつて来る虞がある。故に金融を為す以上は必ず其中に多少の危険が伴ふことは免れ得ない。そこで何れが危険であるか何れが安全であるかと云ふことを識別することが余程難かしい。私は丁度其時に此処に出て申上げたか或は自宅であつたか、かういふ自負心を申述べたことがございます。昔銀行を創めた当初に危険だと思つた仕事が今日は些とも
 - 第51巻 p.22 -ページ画像 
危険でなく、誰でも歓んで金融をすると云ふ事業が幾らもある。例へば石炭業若くは石油事業の如きそれでありまして、昔私共が銀行を創めた時分には石油位危険なものはないと思ひました。所が今日は日本石油に取引のある銀行を誰も異しまぬ。寧ろ誇りとして居る位であります。さう云ふ訳で昔は其物を深く究めずに唯々危険だと思つたのですが今日は左様ではございませぬから唯々危険だから悪いとばかり考へず其物を能く吟味しなければいかぬと云ふことになる。何が善い事であるかを教へずに唯々善い事を為せよだけではいかぬではないかと批評したことがあります。乃ち今日新しい地方に向つて海外発展をする仕事に対して銀行者が尻押をしろと仰しやることなどは或は此に考を及ぼして見ましたならば思ひ半ばに過ぎることがありはしないか。さればと云つて其中に多少危険がないとは言へない。新しい仕事には必ず危険が伴ふ。危険は避けねばならぬが、之が為め良い事まで避けると云ふ所謂食はず嫌に了らぬやうにしなければ真に事業を伸ばして行くと云ふことは出来ない。銀行者は臆病なものである。金融業者は成るべく臆病の方が間違がないとばかり云つたならば日本の進歩を図ることは出来ぬであらう。さればと云つて又無暗に進み過ぎて蹉跌するやうなことがあつてはいけませぬから其処は宜しく注意せねばならぬと思ふ。只今露西亜のお話と云ひ南米のお話と云ひ国の発展を未来に望むにはどうしても此識別をして良いものを伸ばして行くと云ふのが即ち銀行家諸君の権利であり又責任であらうと思ふのであります。斯う考へますと山科君が最終にどうして此事だけは願ひ置かねばならぬと仰しやつたことを私も十分賛成申上げて同君のお尻押をして諸君に御願申します。最後に両君の御懇切なる御演説を諸君と共に歓んで拝聴したことを爰に御主人公に代つて一言御礼を申上げます(拍手)