デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
1款 東京手形交換所
■綱文

第51巻 p.143-152(DK510034k) ページ画像

明治44年1月20日(1911年)

是日栄一、東京銀行集会所ニ開カレタル当交換所第百五十一回定式集会ニ出席シ、議長トシテ定例議事ヲ司宰シタル後、委員改選ニ際シ池田謙三・佐々木勇之助・三村君平ヲ指名ス。尚、先ニ委員ヲ退任セル豊川良平ニ感謝状並ニ記念品ヲ贈呈ス。次イデ新年宴会開カレ栄一演説ヲナス。

十二月三十日、栄一、創立以来委員・委員長トシテ尽力セル功ニ対シ当交換所ヨリ記念品ヲ贈ラル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK510034k-0001)
第51巻 p.143 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
一月二十日 雪 寒
○上略 五時銀行集会所ニ抵リ、手形交換所総会ヲ開キ委員ヲ指名ス、畢テ宴会ニ列シテ一場ノ食卓演説ヲ為ス、食後松尾男爵・豊川・池田其他ノ諸氏ト維新当時ノ商工業者ニ関スル懐旧談ヲ為ス○下略


青淵先生公私履歴台帳(DK510034k-0002)
第51巻 p.143 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳          (渋沢子爵家所蔵)
一東京交換所委員              明治四十四年一月廿日辞任


会議録 第二号 従明治卅六年一月至同四十四年十一月(DK510034k-0003)
第51巻 p.143-144 ページ画像

会議録 第二号 従明治卅六年一月至同四十四年十一月 (東京手形交換所所蔵)
    第百五十一回定式集会兼新年会録事
明治四十四年一月二十日午後四時三十分、東京交換所組合銀行第百五十一回定式集会ヲ開キ、来会シタル銀行二十七行ニシテ其出席員三十三名ナリ、委員渋沢男爵会長席ニ着キ開会、監事山中譲三氏ヨリ四十三年下半期手形交換ノ成績並ニ経費決算ヲ報告シテ其承認ヲ得、次ニ四十四年上半期経費予算ヲ協議シテ原案ノ通可決シ、次ニ委員任期満了ニ付改選ノ議ニ及ビタルニ、豊川氏ハ旧臘三菱会社管事ニ栄転ノ結果既ニ辞任セラレ、渋沢男爵モ今回ハ絶対ニ候補者タル事ヲ固辞セラレタレハ、今回ノ改選ハ渋沢男爵ヨリ指定セラレタシト満場一致ノ希望ニヨリ、男爵ハ池田謙三・佐々木勇之助・三村君平ノ三氏ヲ指名シ異議ナク之ニ決定セリ
次ニ渋沢男爵ハ豊川氏ガ当交換所ノ発展ニ対スル多年ノ功績ヲ頌シ、爰ニ感謝状並ニ紀念トシテ軍艦形置時計一個、銀製花瓶一対ヲ贈呈スト述ベ、之ニ対シ豊川氏ノ謝辞アリ、五時下閉会
更ニ銀行倶楽部ニ於テ日本銀行正副総裁・理事・営業局長及豊川良平氏ヲ賓客トシテ新年宴会ヲ開キ、渋沢男爵ノ挨拶ニ次ギ松尾日本銀行総裁及豊川良平氏ノ演説アリ、八時下散会セリ
 - 第51巻 p.144 -ページ画像 
当日出席者
 第一   渋沢男爵   新潟   上田弘教
 同    石井健吾   第十   山本彦吉
 第三   清水虎吉   明商   伊沢竹衛
 十五   松方巌    同    長谷川千蔵
 同    成瀬正恭   同    鼈宮谷清平
 二十   山口荘吉   十九   内藤尚
 第百   池田謙三   四十   新井錠三
 三菱   矢野芳弘   正金   松尾吉士
 三井   二宮峰男   肥後   杉原惟敬
 安田   小笠原鑅治郎 住友   北条恭五郎
 浪速   大倉国造   丁酉   清水宜輝
 帝商   長崎竹十郎  村井   村井貞之助
 川崎   安藤浩    同    綾井忠彦
 東海   吉田源次郎  同    村井五郎
 中井   岩田音次郎  森村   田代勇次
 東京   伊藤恕一   台湾   山成喬六
 八十四  中沢要輔


銀行通信録 第五一巻第三〇四号・第六三頁明治四四年二月 ○内国銀行要報 東京交換所組合銀行第百五十一回定式集会(DK510034k-0004)
第51巻 p.144 ページ画像

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銀行通信録 第五一巻第三〇四号・第六〇―六三頁明治四四年二月 ○内国銀行要報 東京交換所新年宴会(DK510034k-0005)
第51巻 p.144-149 ページ画像

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交換所委員廻議 第拾弐号(明治四十三年同四十四年)(DK510034k-0006)
第51巻 p.149 ページ画像

交換所委員廻議 第拾弐号(明治四十三年同四十四年) (東京手形交換所所蔵)
明治四十四年一月三十一日    東京交換所監事(印)
  渋沢様(印)
  池田様(印)
  佐々木様(印)
豊川良平君ヨリ感謝状並ニ紀念品ニ対シ別紙挨拶ノ書面到来致候ニ付供回覧候也
(別紙一)
拝啓 時下冱寒ノ候益御清適欣慰ノ至ニ候、陳者貴下去ル三十一年ニ於テ東京交換所委員ニ御就任相成候以来毎回ノ改選ニ再選セラレ、玆ニ十有三年鋭意本務ニ御尽瘁被下事業漸次発展シ今日ノ盛運ニ赴キ候処、客冬三菱会社管事ニ御栄転ノ為メ、当委員御退任相成候ハ組合銀行ノ深ク遺憾トスル所ニ候、依テ此ニ総会ノ決議ヲ以テ感謝ノ意ヲ表シ、記念トシテ軍艦形置時計一個、銀製花瓶一対致贈呈候、御受納被下候ハヽ本懐ノ至ニ候、右可得御意如此御坐候 敬具
  明治四十四年一月二十日  東京交換所
                   委員 渋沢栄一
                   委員 池田謙三
    豊川良平殿
(欄外記事)
 [渋沢男爵自筆奉書半切 明治四十四年一月二十日
(別紙二)
拝啓 冱寒之候ニ御座候処愈御清適奉恭賀候、陳ハ老生事各位之御援助ニ頼り多年交換所委員之職を汚し、今般転任之為退職仕候処、組合銀行一致之御決議を以て在任中之微労ニ対し却而過分の賛揚を賜ハりたる御書状被下、且紀念品として軍艦形置時計壱個並ニ銀製花瓶壱対御寄贈ニ預り候段、深く感銘致し難有受納仕候上家宝として永久相伝可申候、玆に書面を以て謹みて感謝之意を表し候 敬具
  明治四十四年一月廿八日
                      豊川良平
  東京交換所
   委員
    男爵 渋沢栄一殿
   委員
       池田謙三殿

会議録 第二号 従明治卅六年一月至同四十四年十一月(DK510034k-0007)
第51巻 p.149-150 ページ画像

会議録 第二号 従明治卅六年一月至同四十四年十一月 (東京手形交換所所蔵)
    第百五十二回定式集会録事
明治四十四年三月六日午後五時ヨリ東京交換所組合銀行第百五十二回
 - 第51巻 p.150 -ページ画像 
定式集会ヲ開キ、来会シタル銀行二十六行ニシテ其出席会員モ亦二十六名ナリ、委員長池田謙三氏会長席ニ着キ開会○中略
一渋沢男爵ヘ紀念品贈呈ノ件
池田会長ヨリ渋沢男爵当交換所委員辞任ニ付、豊川氏ノ例ニ依リ相当ノ紀念品ヲ贈呈スヘキ件ヲ諮リタルニ、満場一致ヲ以テ之ヲ賛成シ、特ニ同君ハ創立以来多年ノ功労アレハ可成鄭重ナル物品ヲ択ミ之ヲ贈呈センコトヲ希望シ、而シテ其選定ハ委員ニ一任スヘキコトニ決セリ
○下略


交換所委員廻議 第拾弐号 (明治四十三年同四十四年)(DK510034k-0008)
第51巻 p.150-151 ページ画像

交換所委員廻議 第拾弐号 (明治四十三年同四十四年) (東京手形交換所所蔵)
明治四十四年十二月三十一日    東京交換所監事(印)
 委員長(印)
 委員(印)(印)
    別途支出ノ件
一金九百弐拾五円也
  前委員渋沢男爵ヘ紀念トシテ東西二十四家画状出来上リ一式ノ代価別紙ノ通
右ハ差向経費残高不足ニ付経常積立金ノ内ヲ以テ支払致度、此段御承認可被下候
(別紙一)
      記
一金七百弐拾五円也  東西二十四大画家揮毫
              大画状御引受金
      内
  金八拾円也大画状仕立料及箱代
 差引金六百四拾五円也
   外ニ
   金七拾弐円也   画家画料増金
   金弐百八円也   画状仕立及箱代
    此内訳
    金百七円也    中奉書外鳥子紙張画状仕立代
    金拾九円拾銭   画状用二丁杼絹代
    金弐拾六円九拾銭 同用表紙極上金欄代
    金拾七円五拾銭  同内箱代
    金四円五拾銭   同内箱用銀製金具代
    金拾六円五拾銭  外箱木地塗料共
    金五円      鳴鶴筆題字潤筆料
    金五円      右蒔絵料
    金六円五拾銭   羽二重製服紗及紐代
 通計金九百弐拾五円也
 右之通リニ御座候也
  明治四十四年十二月三十日 美術店 生秀館
    銀行集会所
         御中
 - 第51巻 p.151 -ページ画像 
(別紙二)
収入印紙    領収証
一金九百弐拾五円也 東西二十四大画家揮毫
          大画帖日月二冊帙入壱個
          別紙請求書ノ通リ
右之通リ正ニ領収仕候也
  明治四十四年十二月三十一日
                  美術店 生秀館
    東京交換所
         御中


(池田謙三)書翰 渋沢栄一宛 明治四四年一二月三〇日(DK510034k-0009)
第51巻 p.151 ページ画像

(池田謙三)書翰 渋沢栄一宛 明治四四年一二月三〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 時下冱寒之候倍々御清適欣慰之至ニ御坐候、陳者閣下去ル明治二十年東京交換所創立已来其委員及委員長トシテ御就任相成、爾後毎回ノ改撰ニ再撰セラレ二十有四年鋭意本務ニ御尽瘁被下、事業漸次発展シ今日ノ盛運ニ趣キ候所、明治四十四年一月ノ改撰期ニ際シ其候補者タルコトヲ御辞退相成シ事ハ組合銀行ノ深ク遺憾トスル所ニ御坐候依テ玆ニ総会ノ決議ヲ以テ感謝之意ヲ表シ、紀念トシテ東西二十四大家揮毫ノ画帖壱帙贈呈致シ候、御受納被下候半ハ本懐ノ至ニ御坐候
                           敬具
                   東京交換所
                    委員長
  明治四十四年              池田謙三
    十二月卅日
    男爵 渋沢栄一殿


渋沢栄一書翰控 池田謙三宛 (明治四四年)一二月三〇日(DK510034k-0010)
第51巻 p.151 ページ画像

渋沢栄一書翰控 池田謙三宛 (明治四四年)一二月三〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
華翰拝読 益御清穆抃賀之至ニ候、然ハ今般小生東京交換所委員辞任いたし候ニ付従来之微功存録せられ御心入之紀念品御恵贈被下忝奉存候、昨日御品拝受之上一覧仕候処、東西諸名家之手腕一画帖中ニ光輝を競ひ候観有之、恰も春風二十四番之花一度ニ相開候心地いたし別て興味ある事と感謝仕候、尚拝眉御礼可申上候得共、不取敢御答如此御坐候 匆々敬具
  十二月卅日
                      渋沢栄一
    池田謙三様
         拝復
   ○右ト同文前掲「交換所委員廻議第拾弐号」ニ収ム。



〔参考〕明治商工史 渋沢栄一撰 第一〇四―一〇五頁明治四四年三月刊(DK510034k-0011)
第51巻 p.151-152 ページ画像

明治商工史 渋沢栄一撰 第一〇四―一〇五頁明治四四年三月刊
    第五章 経済機関の起源
 - 第51巻 p.152 -ページ画像 
                    男爵 渋沢栄一
○上略
      二 手形交換所
 手形の研究 凡そ手形に関する智識を広め、且つ商家並に銀行をして之を取扱はしむることは極めて必要なるを以て、択善会設立以来、屡々之が設立を試みんと欲したりしも、商家は皆現金取引の旧習を墨守して手形取引の効用を知るもの殆んど絶無なるに加へて、銀行の之を取扱ふこと亦大に困難なるものあり、依て明治十二年頃なりしと覚ふ、当時大蔵省の重なる役人として、又学者として有名なる田尻稲次郎氏に依嘱して、銀行集会所に来り此手形に関する講義を聞くことゝなし、又経済雑誌を発行したる田口卯吉氏は其紙上に於て銀行の取引をして今少しく実用的に発達せしめざるべからざる旨を論じたるが、予輩も疾く之を感知したることなれば両々相俟ちて手形に関する智識の普及に努力したり、予の如き亦之に関する演説を試みたること其幾回なるを知らず、且つ印刷物を配布して銀行者若くは銀行と取引関係ある人士をして相当の智識を得せしむることに努めたり。
 東京交換所沿革 明治十一年頃銀行集会所即ち択善会なるものを設立したるが、銀行業者は既に手形交換の必要を認め速かに之が実行を期したるも不幸にして手形の交換は未だ広まらず、其後明治十六・七年来、多少其の取引の道行はるゝに至りたるを以て明治二十年紐育手形交換所の規程を参酌して手形交換所を設立することゝせり、予は其創立委員に推選せられ、同十二月始めて東京手形交換所を設立したり
交換所既に設立したるも意の如く拡張せざるを以て、二十四年に至り再び其組織を変更し、玉石混淆を避け能く之を陶汰する方策を講じたり、東京交換所の開始則ち是にして実に二十四年三月一日なり、予は其委員長に挙げられたるが、此改正に依り組織・方法共に其の宜しきを得、金融社会をして有益なる機関たるを知らしむるに至れり、予の手形交換所に尽力したるは此の改正当時に至る迄にして、爾来銀行業者は一致協力之が為めに尽すことゝなり、特に豊川良平・池田謙三の両氏を以て其の最とすべし、予は既に十年以来相談相手たるに止まり手形に就ては主として豊川氏之に任ぜり、今日に至りては手形交換の拡張発達頗る盛大を極め、五十億又は七十億の交換高を見るに至れるも時勢の進運の然らしむる所と云はざるべからず。