デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
1款 東京手形交換所
■綱文

第51巻 p.153-157(DK510037k) ページ画像

明治45年1月15日(1912年)

是日栄一、銀行倶楽部ニ催サレタル、当交換所組合銀行新年宴会ニ出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第五三巻第三一六号・第六九―七二頁明治四五年二月 ○内国銀行要報 東京交換所新年宴会(DK510037k-0001)
第51巻 p.153-157 ページ画像

銀行通信録 第五三巻第三一六号・第六九―七二頁明治四五年二月
 ○内国銀行要報
    ○東京交換所新年宴会
東京交換所にては一月十五日定式集会閉会後同日午後六時より銀行倶楽部に於て新年宴会を催し高橋日本銀行総裁・水町副総裁・木村理事・小野営業局長並に前委員長渋沢男爵・豊川良平の両氏を招待し、池田委員長の挨拶に引続き高橋総裁・渋沢男爵・豊川良平三氏の演説あり
一同歓を罄して午後九時散会せり、池田委員長以下の演説左の如し
    池田委員長ノ挨拶○略ス
    高橋日銀総裁ノ演説○略ス
    渋沢男爵の演説
今夕の招に遅刻を致したのを甚だ恐縮に存じます、予て委員長から是非出席するやうとの御案内を頂戴致しましたが、他に余儀ない約束を致して居りましたので、其方を断わることが出来ませんで、これを済まして参りました為めに甚だ遅刻を致しました、折角の御馳走を唯々珈琲のみに終つたといふことは遺憾に存じますが、併し皆様が十分に召上れば私の腹も等しく満足を致す次第でございます、唯今委員長から、大体の御観察をお申述になり、それに対して日本銀行総裁から真摯なる御意見を御演説下さいまして、もう私の蛇足を加へることはございませぬ、例へば手形交換高が幾分減じたといふことに於ては、三十二・三年頃、私は戯れに脂肥りは余り好まぬから手形交換所は成るべく堅肉に肥りたいといふことを申したことがあります、諧謔の言葉のやうでありますけれども、先年の南満洲鉄道会社の株式申込の如き俄に妙な取扱が沢山あると、手形交換の高は幾らでも殖えますけれども、事実に於てはそれ程拡大したものではない、唯数字が一時増したといふに過ぎぬ、之を称して脂肥といふ、而して四十四年の手形交換に於ては、極く社会が穏健に経過しましたから、其脂肥りはなくして堅肉に進んで来たといふことは証拠立られるやうであります、併し堅肉であつて尚ほドシドシ肥つた方が宜いのですから、去年十八貫であつた身体は、今年は十九貫にも二十貫にもなることを希望するのでございますけれども、併しどうしても俄かに進歩を求めるときは躓き仆れるを免れぬものでございますれば、唯今末段に於て日本銀行総裁の演べられました如く、是から先の経済社会は如何に成行くか、之を穏健に進ましむると否とは殆んどお集りの諸君の脳裡にあると申して宜
 - 第51巻 p.154 -ページ画像 
い、経済界金融界の脳髄たる手形交換所の諸君が能く心して穏健なる発達を期せられたといふ御一言には、吾々十分なる針砭をお与へ下すつたものと言うて宜からうと思ふのです、諸君と共に充分注意して此時代に唯々緊縮ばかりを考へては居られませぬといふて今の脂肥りに俄に進むことも宜しくない、所謂進むも止まるも、宜しく其の度を失はぬやうに社会の大さに適応して堅固に発達を謀り、進歩の間に顛躓を免れる、斯の如くにして日本銀行総裁の御希望に適ふだらうと思ひますから、諸君と共に此方針で努めたいと思ふのでございます
私は更に玆に一言申上げねばならぬことがある、私は前期に於て委員を御免を蒙りましてございます、然るに諸君は私の微功を存録せられて、御評議の上従来の骨折を慰するといふ御趣意に依つてお心入りの画帖を賜はりましてございます、其画帖の御趣意が又甚だ私に深き感情を与へたのでございます、それは私が此交換所の委員長を勤めました、又委員として経営を致しました、当時創業の際はなかなか今日の如き発展は見得られぬ、巨額の交換も期し得られぬと思つた、併し海外の有様を見聞してどうぞ其域に達したいといふ苦心を以て経営したには相違ない、それに付て私も或は委員長の職を汚したこともございましたが、殊に前委員長の豊川君の如きは実に容易ならぬお骨で、為めに此交換所も大に力を増し位地を高めました、然るに同君がお引きになつて更に当季員長となりましたが、此の新委員長は実に手形交換のことに付ては細大漏さず御従事なすつて、所謂精通のお方と申上げて宜いのです、斯の如き委員長を得たことは深く慶ぶべきことでありまして、諸君と共に当交換所の未来を祝福致すのでございます、而して私が其創業の際、若くは進歩の時代に多少の労があるとして御贈与になつた画帖は、二十四年勤めたに付て東西の名画家を二十四人お選みになつて、それに十分なる手腕を揮はしめたものであつて、其の丹誠と申し其の表装と申し、真に善美を尽したお品を頂戴致しました、誠に私は深き喜びを以て諸君の此御厚意を謝し上げます、斯ういお席では余り添はぬお話でございますけれども、花暦に、梅を一月とし柳を二月とすると言ふが如く、春風二十四番といふものがございます、其中の花が遅く開いても、決して前に開いた花に劣らぬといふ古人の詩作なぞも御列席の菊池君は詩人であるから能く御承知でありますが丁度頂戴した所の二十四名家の画帖が花暦の二十四番に適合したので取りも直さず二十四番の花が一時に咲いて、妍を競ふが如く感じまして頗る喜びを深う致しました、私の極く微々たる勤めが、斯の如きお礼のお品を頂戴致すといふことは実に思ひ設けざる所でありまして、厚く御礼を申上げます、更にもう一言申上げたいのは、花ばかりでは誠に面白くない、必ずや此の花に実を結ぶだらうと思ひます、此画帖を下された組合銀行諸君の思召は花もあり実もあつたらうと思ひますから、其の実のある所で併せて御礼を申しまするやう仕ります、委員長には取敢ず御礼状を呈して置きましたが、玆に諸君に向つて序でながら一言の謝辞を申述べます(拍手)
    豊川良平君の演説
序でながら御礼を申上げます、其の御礼を申しますことが一・二・三
 - 第51巻 p.155 -ページ画像 
あります、第一は一昨年の一月には、手形交換所の会には私は座長の席を汚しました、段々年を取るに従つて半隠居になるが宜からうといふことでありまして、名は栄転で其の実は半隠居になつた、さうして見れば最早此の席へは御招待はないと斯う覚悟して居つたのであります、又飛込んで来る資格もない、所が何ぞ図らん飛込んで来るどころではない、来賓となつて来いといふ御鄭重のお招を頂戴いたした、其の御親切に対して第一に御礼を申上げます
それから第二は、丁度渋沢さんが唯今会員諸君に対して御礼を申上げたと同じ心を以て御礼を申します、唯お贈り下されたものが違ふだけで、私に下さいましたものは、私が大変寝坊のせいか時計が附いて居ります、(笑)それから其の時計の台は鉄で軍艦の形が出来て居る、して見ると未だ渋沢さんより一巡若いから、鉄の躯になつて朝も早く起きて働け、といふ意味であらうと思ひます、其の健康を祝して下さる御心意気を謝します、私は皆さんの驥尾に附て、唯名前だけ委員長でございまして、事実は皆様の後押で座長を汚したのみでございます、それにも拘はらず、さういふ結構なものを下されたのは誠に有難うございます
第三に御礼を申しますことは後に譲りまして、実は此の度の予算はなかなか難産であつた、其にも不拘減債基金五千万円は削減を免れました、言換へて見れば鮭が五つある、不漁の時には塩鮭が五つもあればなかなか御馳走である、皆其の鮭を取つて食ひたいに相違ない、所が手を出しても八尺の上にあるからなかなか手が届かぬ、取らうとしたが取れない、何故かといふと、四十一年に鰻会から手形交換所へ持出したのが始めで、尚大阪の聯合会でも研究し、引続いて東京の手形交換所でも、各地の手形交換所でも、研究しようといふことになつたが深い智識は矢張帝都にあるから、専ら東京でやらうといふことになつて、四月二十四・五日のことでございます、帝国大学四人、早稲田大学、慶応大学の講師を各二人づつ頼んで、さうして日本銀行の国債に関係をして居る土方君、大蔵省の二人のお方にも出席を望んで、種々調査研究を遂げまして、一方は欧米の間の財政歴史・経済歴史の御講釈を聴いて、相談をした所で又委員が出来まして、其の委員の手で纏つたものを以て、手形交換所の聯合会へ持出して、さうして聯合会から政府へ建白をしようといふので、聯合委員長といふ名前で大蔵省へ出した、幸に時の政府は此の手形交換所の意見を採用されて、六千万円と出したものを五千万円となつて予算が通つた、これは皆様御承知の通である、それが昨年暮の予算会議で削られはせぬかと心配して居つたが、矢張削られなかつた、若し此の五千万円といふものを除けばどういふことになるかと云へば、必ず此の手形交換所聯合会は相当の理窟を言ふであらう、斯う国務大臣は考へられて居るに相違ない、否之を削るといふことになれば無論言ふであらう、又私等も今日は交換所の会員ではないけれども、若しさういふことがあれば、及ばずながら飛出して行つて斯ういふ話があるがどうであらう、一つ研究をして見ようではないかと言つて見る積りであつた、先づ除かれる訳はないと考へて居つたが、果して先月の二十日前後の内閣会議では暗々裡に
 - 第51巻 p.156 -ページ画像 
聞けば除かないことに極つたといふことである、何れ二十一・二日の頃衆議院の開けたときは、予算案が出るが、其の時は決して削つてなからうと思ふ、若し削つてあつたときは手形交換所が黙つて居らぬと自分は信じて居る、若し此の交換所の力が弱かつたときには五千万円は削られるのである、力が強ければ必ずこれは理由なくして削らしめないと思ふ
さて先刻委員長のお話に、一昨年は大変手形交換の高が多かつたが、昨年は少い、枚数は多いが金高は少いといふお話でありましたが、其の通であらうと思ふ、如何となれば四十一年に聯合会で建白して、さうして時の政府は聯合会の建白を採られて、減債基金の五千万円が公然と出来た、其五千万円も抽籤にしようか買入にしようかといふやうなことからして、八十円前後の公債が段々上つて百円になつた、一昨年の春はどうであるかといふと、政府は最早安心だというて、五分の公債を四分に借換えた、さうして見ると第三回はどうであるか、皆さん御承知の通で説明する必要はない、即ち金貨が這入つて来て「ペーパー」は出た、金融緩慢のみならず債券の発行がある、同時に鉄道の株券は上つて来る、従つて取引の金高が大きくなつて来た、一昨年は三十九年乃至四十年を除くと一番多かつた、枚数は少くても金高は多かつた、皆さんは黒人であるから説明する必要はない、所がそれが昨年になつて来ると、段々其の熱が下つて来たから大きな取引が少くなつたといふことは事実である、殊に此の関税の変り目に付て取引もあつたけれども、何れにしても一昨年の方が多かつたに相違ない、併しながら昨年は金高は少なかつたが枚数は一昨年より多かつた、して見れば一昨年の金高の多かつたことゝ、昨年の金高は少くても枚数の多かつたといふことを較べて見て何方が喜ばしいか、経済社会全体から見て寧ろ昨年の方が喜ばしい成績であると思ひます、して見ると一昨年の調子で進むが宜いか、昨年の調子で進むが宜いかと云へば、唯今前々委員長の渋沢男爵の仰しやる通り、昨年の如く進んで行く方が宜いといふことは非常に喜ばしいことで、之が堅実に進んで行けば、現内閣が変らうが又続いて行かうが、如何に財政上から苦しいことがあつても、此の減債基金五千万円を他に使ふといふことはすまいと思ふ若し此の五千万円を政費の為めに使ふといふ時が来るとすれば、どういふ時であるかと云へば、隣の国があゝいふ調子であるから、政治上の問題から非常な事件が起らぬとも限らぬ、其の時は仕方がない、けれども其の以外で此の五千万円を他へ流用することは防ぐやうにしなければならぬ、それを防ぐには此手形交換所が順序を以て堅実に進んで行きさへすれば、得取らぬ、のみならず取る時分には曩にお前等の建白したものを採つたのだから、お前等にも諮問するといふことが必ずあるに相違ないと思ふ、若し無かつたときは大に声を大にして輿論を喚起して、諸君と共に之を防がなければならぬと信ずる、これは一つ皆様の御同意を得て置きたいと思ひます、これだけは私が余計なことを申上げたのであります
終にもう一つお礼を申上げます、それは何かと云ふと昨年 天皇陛下から金盃を頂戴致しました、それも大変立派な金盃を頂戴致しました
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これは私が三菱の銀行の代表者として此処に出て居りまして、さうして此処で委員をして居つた、其のお蔭で陛下から頂戴致しましたのでこれは少しも私の功労でも何でもない、全く先輩のお引立、皆様の御勉強の結果で、私は唯役員をして居つたといふに過ぎませぬ、言換へて見れば今の建白をする時に代表者となり、又其の後事柄が善いか悪いか知りませぬが、手形交換所に関係して居つたといふ所から、或は大蔵大臣の官舎へ招かれたり、或は日本銀行総裁を訪ねたりした、さういふ事柄が即ち金盃を頂戴するの導きとなつたので、同時に御列席の渋沢男・委員長・早川君・園田君・佐々木君も頂戴されましたが、私の頂戴したのは、全く私の力でなく、手形交換所の会員のお力と思ひますから、頂戴した 陛下への御礼を申上ぐると同時に、皆様に御礼を申上げます(拍手)


竜門雑誌 第二八五号・第四一―四二頁明治四五年二月 ○手形交換所新年会(DK510037k-0002)
第51巻 p.157 ページ画像

竜門雑誌 第二八五号・第四一―四二頁明治四五年二月
    ○手形交換所新年会
東京手形交換所にては一月十五日午後四時半より坂本町銀行集会所に定時総会を開き、委員長池田謙三氏議長席に着きて手形交換成績を報じたる後、四十四年下半季の決算及四十五年上半季の経費予算を原案通り可決し、役員満期改選の件は池田謙三・佐々木勇之助・三村君平三氏重任と決し、引続き新年宴会に移り高橋・水町日銀正副総裁・木村同理事・小野同営業局長・青淵先生・豊川良平諸氏を招待して主客晩餐を共にして、食後池田委員長より昨年度の手形交換高には前年度に比し、金額に於て稍々減少したるも、枚数に於ては却て幾分の増加を示せり、是れ経済界の堅実なる発達に基因するものなりとの意味の報告演説あり、同時に来賓に対する一場の挨拶あり、次で高橋男・青淵先生・豊川氏の演説ありて散会せり○下略


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK510037k-0003)
第51巻 p.157 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十五日 晴 寒
○上略 更ニ銀行集会所ニ抵リ、手形交換所新年会ニ出席シ、食卓上ニテ一場ノ謝詞ヲ述ベ、夜十時帰宿ス