デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
1款 東京手形交換所
■綱文

第51巻 p.167-172(DK510040k) ページ画像

大正10年1月19日(1921年)

是日栄一、東京銀行倶楽部ニ催サレタル、当交換所組合銀行新年宴会ニ出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK510040k-0001)
第51巻 p.167 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十九日 曇 寒
○上略 午後六時銀行集会所ニ抵リ、手形交換所ノ新年宴会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、午後十時過散宴帰宅ス○下略


竜門雑誌 第三九三号・第六九頁大正一〇年二月 ○東京交換所新年祝賀晩餐会(DK510040k-0002)
第51巻 p.167 ページ画像

竜門雑誌 第三九三号・第六九頁大正一〇年二月
○東京交換所新年祝賀晩餐会 東京交換所にては一月十九日午後六時より銀行倶楽部に於て新年祝賀晩餐会を開催せり、来賓は青淵先生を始め井上・木村日銀正副総裁、深井・麻生同行理事等にして、組合銀行よりの出席者は池田謙三・佐々木勇之助・成瀬正恭・串田万蔵氏等百数十名、食後池田氏よりの挨拶あり、之に対し、青淵先生・井上日銀総裁の演説等ありて、午後九時散会したる由○下略


銀行通信録 第七一巻第四二四号・第四九―五〇頁大正一〇年二月 ○内国銀行要報 東京交換所新年宴会(DK510040k-0003)
第51巻 p.167-169 ページ画像

銀行通信録 第七一巻第四二四号・第四九―五〇頁大正一〇年二月
 ○内国銀行要報
    ○東京交換所新年宴会
東京交換所にては一月十九日定時総会閉会後、午後六時三十分より銀行倶楽部に於て日本銀行正副総裁・各理事・営業局長及渋沢前委員長を招待して新年宴会を開き、宴酣なる頃池田委員長起て一場の挨拶を述べ、次に井上日本銀行総裁及渋沢前委員長の演説ありて宴を撤し、同別室に於て歓談の上午後九時三十分散会せり、池田委員長の挨拶及井上日本銀行総裁の演説要領左の如し
    池田委員長の挨拶○略ス
    井上日本銀行総裁の演説
昨年の今頃は恰も投機熱の最も旺盛を極めたるの時にして余は昨年の本席上に於て来るべき反動につき大に警戒を要することを説述したり外国貿易の上に出超が入超に変化したる以上、当時の現状は畢竟戦時中に於ける好景気の惰力の然らしむる所にして、極端なる投機熱は農
 - 第51巻 p.168 -ページ画像 
村の経済を破壊し、新会社の濫興は有価証券市場を攪乱するものなりとの意味を警告し、尚外国貿易の逆調は益著しく米国財界の注目すべきを述べて注意を促したりし次第なるが、乍遺憾四・五月の頃より財界の反動は事実となりて現はれたり、而して此財界の反動期に於ては一方市場滞貨の処分を促し、他方生産の整理を勧奨して諸君と共に金融疏通の任に当りし所なるが、其目的としたる処は此急激なる反動の為めに玉石共に倒るゝが如き不幸なからしむるにありたり、従て其金融上の援助を与ふるに当りては、適度の資金が必要なる個所に注入せらるゝに努め、而して其目的を達せんが為めには可成平素の筋道により放資することゝしたり、其結果経済界は幸に安定を得たりと考へらる、尤も如此安定を得たりと雖も当分不景気の継続は免れざるべく、従て資金の需要は当分喚起せられず金融緩漫にして金利は漸次低下するに至るならん
昨年中の外国貿易は戦時中非常なる発展の後を受け急激なる変化をなし、三億八千万円の輸入超過を示すに至れり、外国貿易が如斯逆勢を示したるのみならず、海運業・保険業も亦非常の打撃を蒙り貿易外の受取勘定は著しく減少を来したり、而して今後の貿易状態を考ふるに独逸に対する媾和条約の結果は未だ全く解決を見るに至らず、一方仏国は独逸より巨額の償金を徴して之をして殆んど其負担に堪えざらしめんとするが如きも、其結果中欧諸国の恢復殆んど見込立たざることとなり、従て英国の中欧向け貿易も予想外に復活せず、如斯して現在に於て独逸は勿論仏・伊も非常に疲弊し居るを以て英国の現状も強ち楽観を許さざるものあり、又米国も欧洲の状勢前述の如くなるを以て之に対する輸出は漸次減少の傾向を示し、随て戦後好景気を維持し難く漸く不景気の状態に入りつゝあり、乃ち事の大小、時の遅速こそあれ、殆んど我国と同一の径路を辿りつゝあり、尚又我貿易に重大関係を有する印度は入超に苦み、支那は銀価下落の為め共に購買力を減殺されつゝあるの現状なり、如斯見来るときは我が輸出貿易は今後当分の間は困難の地位にあるを免れず、又輸入貿易にありては其大宗たる棉花・羊毛は勿論、其の他の原料品も概ね皆停滞の有様にして、内地市場当分不景気なりとせば輸入額の減少を来すこと亦明瞭なり
而して以上の如き状勢に処すべき方策としては、第一に各種製造業の生産費を低減するにあり、即ち現今我国各種の生産費は各国に比し高位にあり、斯くては外国市場に於て到底競争し得ざるものといふべく生産費の減少は啻に目前の策たるに止まらず、永遠の国策ともいふべきものなるを以て絶対に之を必要とする所以なり、右に関聯して労働賃銀の下落を来し、一時中産階級以下の購買力を減ずるの結果を見ることありとするも、我財界の根本的安定の為めには亦止むを得ざる所なるべし
第二は戦時中獲得せる海外市場の維持を図らんが為め生産業者・貿易業者・金融業者・保険業者・海運業者等の共同動作を促進せんとすること之なり、之が実行には困難なる事情少なからざるべきも、大戦以来折角獲得したる我貿易上の地位の凋落萎縮は即ち我国力の失墜にして、重大なる国民的問題として其実行を説く所以なり
 - 第51巻 p.169 -ページ画像 
次に国際貸借の状態を述べんに、現今海外に対する債権、海外放資及び在外資金三十億円、之に対して海外に於ける債務は十五億、外に内地正貨十一億円なり
右の各項目に付て考ふるに輸出貿易も減じ、貿易外の受取勘定も増加せざる代りに、輸入の増加によりて此の海外の資金を甚しく減ずることも亦なかるべく、従て日本の国際貸借上の地位は実に堅実なるものにして、日露戦後に於けるが如く外債利払の問題に甚しく困難したりし時代とは多大の軒輊あり、自分は我経済力の根本に於ては楽観的の意見を有するものなるが、只此の地位を支持し得るや否やは各自当業者の此後の努力如何に存するなり
尚此機会に日本銀行の在外正貨に付き一言せんに、現今の在外正貨は戦時中海外貿易を援助したる為めに増加したるものなり、即ち此の増加は一時の必要より生じたるものにして、兌換制度其のものゝ必要より生じたるものにあらず、故に戦後に於て之れを整理することは当然のことなるを以て在外正貨は漸次減少しつゝあり、而して其の一部は在外公債に放資しつゝあるを以て其の結果所有公債に於て増加を来しつゝあるは、即ち右整理の一端を示すものに外ならざるなり
右に述べたる外国貿易、国際貸借及内外正貨の状態を基礎として更に将来の兌換券の情況を考ふるに、現在貸出は殆んど最少限度に達し而も其大部分は為替資金なり、而して政府預金及民間預金も大体頂上と見るべく、又輸入超過激増して正貨の著しく減少すべしとも見られざるを以て、兌換券発行高は此上多大の減少を見ること困難なり、尚一面に於ては現在及将来の金融上の状況より推し巨額の貸出ありとは考へられず、又貿易上輸出超過に因り正貨の大に増加することもなかるべく、随て月末及年末等に於ける一時的消長は別とし、当分兌換券発行高の著しく増加することも亦なかるべしと考へらる
右に述べたる如く我財界は今や整理期に入れるを以て、此時期に於て各方面の当業者は速に此反動期の経験に因り大に其の短を矯め、其の長を進め、一層質実なる経営と慎重なる態度とを以て努力する所なかる可からず、如斯は蓋し財界を安定に導く所以なり


銀行通信録 第七一巻第四二五号・第二六―二七頁大正一〇年三月 ○井上日本銀行総裁の演説を聴きて 子爵渋沢栄一(DK510040k-0004)
第51巻 p.169-172 ページ画像

銀行通信録 第七一巻第四二五号・第二六―二七頁大正一〇年三月
    ○井上日本銀行総裁の演説を聴きて
                    子爵 渋沢栄一
 本編は去る一月十九日東京交換所新年宴会席上に於ける演説にして井上日本銀行総裁の演説と共に前号に掲載する筈なりしも、子爵の都合にて校閲遅れたる為め爰に之を掲ぐることゝせり
会長。満場の諸君。交換所の新年宴会に参上する光栄を荷ひまして、玆に皆様とお目に懸かることを誠に愉快に存じます。所謂逸人として経済界に関係を絶つて居りますから、銀行事業などに就ては殊に知る事が少いと云ふよりは寧ろ無いと申さねばならぬ位であります。毎年正月当銀行集会所に於て発刊される通信録に、嘉例だから私にも意見を申せと云ふ要求を受けまして、此程大磯に避寒して居る間に、編輯の人が来たから新年の感想として聊か愚説を述べました。さて話して
 - 第51巻 p.170 -ページ画像 
見ますと、矢張昔の事を追懐して裟婆世界の事が心に浮かばざるを得ぬので、或は時節後れの説を述べたやうに思はれて少し恐縮して居りますが、只今井上日本銀行総裁の適切にして真摯質実なる御演説で私は感服しました、殊に徹底的に実物を指摘してお話になりましたから別して明瞭に理解したのである。而して此の井上君のお説が、私の思ふて居る意見と相一致するやうに感じまするので大変に心嬉しう思ひました、譬へて申さば老人の学生が試験に及第をしたやうで、先生のお説も格別違はぬと云ふ心持がするのでございます。蓋し前に申した私の新年の感想は其中印刷されて諸君も御覧下さるであらうと思ひますが、私は政府の議会に提出された本年の歳出入予算に対し、又外交に対し、若くは金融に、商工業に、最終は目下の思想界に就きまして平生の所感を述べ置きましてございます。四つ五つの取雑ぜた意見で断片的ではありますが、其中に今井上総裁のお話を伺ひますると、一般銀行者に対しての或は訓示とも申しますか、総裁の御言葉は満場の諸君に攻究してと御謙遜の言詞であつたが、実は斯く心掛けるが宜からうと云ふ御警告と見ても差支なからうと思ふのであります。誠に御尤千万と敬承したのでございます。私が今通信録に出しました愚見を此席で御披露申すも無用の弁になりますけれども、他に名案がございませぬから玆に一・二取摘んで申上げたいと思ふのでございます。殊に此銀行業に就きまして、銀行者は斯くありたいと思ふた事は既に総裁の御訓示で充分であつて私の喋々を要する迄もなく、実にさうなければならぬと思ふのでございます。我が経済界が昨年の三月以来大変化を為したに就ての世間一般の有様は、悪ざまに評すれば其来るべきことを暁らずに俄然之に際会したので、冬ならば寒いのは当然なるを夏と思ふて薄着をして終に感冒したと同じ訳である。然るに銀行者に於てはさう云ふ有様が殆ど絶無とも申す位で、変動に際して大に面目を上げたのであります。頃日新聞紙で見ましたので、私は其事実を承知しませぬけれども、高橋大蔵大臣が銀行者のお集会の席で銀行貸出金の注意を為されたやうに書いてありました。其要旨は総じて銀行が貸出金をする時には其性質を能く吟味して、善良堅実と思ふものに力を進めて行くやうにせねば、一般の経済を健全に進めることは出来ぬのであると言はれた、是は誠に御尤千万で、実にさうありたいと思ひます。それ等の事に就て過ぎし昔を考へますと、明治七・八年頃私が第一銀行の頭取となり、教師兼監督官たりし当時大蔵省御雇の英人シャンドと云ふ人が、銀行検査官として数回実地の検査に参りまして、帳簿によりて斯う云ふ貸出金の対手は如何、此取引はどう云ふ関係で取引先の性質は如何と丁寧に調査せられ、私の心には煩累の事を尋ねられるやうに感じたこともあります。併し実際はまだ取引の少い時でありましたから説明するは至て容易であつた。而してシャンド氏は一一批評して是は善良なるものでない、斯う云ふ種類には成べく注意せられたいと切実に助言されましたが、我邦の現在は理論の通りに出来ぬといふて弁解を致して、さう聴けば先づ宜からうと云ふ種類もあつた。蓋し銀行の取引に就ては成べく其性質の良いものを進め、悪いものを抑へると云ふは銀行事業の安固を図るばかりでなく、国家経済の
 - 第51巻 p.171 -ページ画像 
完全なる発達を企図する為めに甚だ必要だと云ふことは勿論であるが唯其実施宜きを得るは如何にも困難の事であります。成べく危いものは止したが宜い、冒険と云ふ方に進んではいかぬと言ひますと誰も領意するが、其危険と云ふことが当初から明瞭なれば議論はないが実に其識別は出来ぬのである。誠に一例を申しますと、石油採掘の事業が其初めは頗る危険なるものであつたが今日は世間が危険視しない、又金銀鉱、若しくは石炭山抔も同様であります。海外貿易業とても維新匆々の際に突飛な人が無謀なる経営をして為めに大に失敗をしたことが毎度あつたから、此海外貿易と云ふものは決してならぬと今日斯う云ふたならば、それこそ抱腹絶倒の話である。蓋し其の事業の選択と経営者の人物の鑑定が甚だ六ケ敷いので新事業の著手が実に困難である。若し単に堅固々々と云ふて旧慣にのみ安んじて新規の発展を努めぬときは事業の進歩は一つも出来なくなつてしまふ訳になる。故に其経営の仕方に依つては危くもなるが、其宜を得れば新事業として大に発展することも出来る。即ち維新後五十年間に一時は絶対に危険と思つたものが徐々に改善進歩したのである。銀行者自身も他から見たならば危く思はれた事もあつた。斯く考へると高橋大蔵大臣の銀行者の取引に其種類を選めと云ふことは、如何なる標準に拠りて選定して宜いか、もう一つ丁寧に註訳が加はらぬと銀行者の金科玉条とは申上げ兼ねるのではなからうか。唯単に危険のみを恐怖して戒慎を主眼としたならば、事業の進歩の期せられぬのみならず、却て国家の経済を妨げるやうになりはせぬか。斯く論ずればとて決して大蔵大臣の御訓示を誹謗する意味ではない。私は其人物の鑑定と事業の選択とが特に注意すべきものと思ふのであります。又此商況に大変化の生ずる場合に毎々生ずる通弊にして銀行者に殊に其弊害を見るのは、上景気の時には我先にと云ふ態度で競争して、不景気になると、己れが先に遁れたいと狭い所へ逃込む人が相争つて鉢合せをすると云ふ有様が数々ありましたが、今日の銀行者にはさう云ふ鄙劣なる事は少いやうでありますけれども、果して絶無とは申せぬでありませう。日本銀行総裁の銀行者の自覚を求められたのも其辺の意味が含まれてありはせぬかと思ふのでございます。我邦の経済現状から、将来に渉つて諄々とお説明なされたのは私の如き時勢に疎い者にも、聴く毎に如何にも御尤と思ひますが、私は将来我邦の事業の海外発展、即ち貿易拡張に就ては成べく生産費を安くするやうに努めなければならぬと共に、海外に向つて充分に手を伸ばす必要があらうと思ひまして、此大戦乱の後は一般の商工業者はもう少し海外に進展する趣向がありませぬか、政治上からも奨励援助したら宜からうと昨年の秋頻に原総理大臣に意見を述べたことがあります。是は英仏独と云ふやうな国ばかりでなく、中央欧羅巴・スカンヂナビヤ等の地方には未だ我邦の貿易は一向進んで居らぬから何とか方法を講ずる必要がありはしませぬかと切に希望を申述べました。夫れにしても海外貿易の発展は自国の生産物の価を安くするやうに心懸けねば、将来完全に進めることは出来ぬのである。殊に生糸などに就て私は深く感ずるのであります。若し唯々高くさへ売れば宜いと云ふ考を以て居つたならば、日本が蚕糸国として自慢をして
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も何時の間にか其蚕糸国は他に転化してしまうと酷評する人すらあるのであります。夫に就きても日本銀行総裁のお説は、誠に金玉の御論と拝承致したのでございます。要するに私の希望する所は銀行通信録に載せ置きましたから、何れ諸君の御一読を得るであらうと思ひますが、是等の疑問として申上げやうと考へましたことが、幸に井上君の御説が、或る一・二は全く私と同じやうに思ひまして何だか愚説に金箔が附いたやうに喜ぶのでございます。唯玆に一つ日本銀行に対して申上げて置きたいのは、同銀行の本能が国家の財政と一般の経済との両者の枢軸に任じて、軽重挙措其宜を得ると云ふことは今更申上げるまでもないが、此財政と経済とが、何時も程能く調和して行くとばかりは言はれぬ。一方に重ければ一方に軽くなり、一方に厚き為めに一方に薄くなると云ふことが毎々生ずるやうに思ひます、此の中間の位置が所謂中枢である、日本銀行当局者としては中々に其間御苦心もあるだらうと思ひますが、面前で諛言らしく聞えますけれども、幸に現総裁は両者何れにも通じて居ると申しても決して過言でなからう。諸君も必ず御同論であらうと思ひます。併し如何に事理に精通し且其意志が中正でも、時に或は之に偏し彼に傾くと云ふことが、必ず無いとは申されませぬ。依て私は少しく我田引水か知らぬが、どうぞ財政に傾かぬで、経済にお力の厚からんことを、玆に諸君と共に希望致して置きます(拍手)