デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
2款 全国手形交換所聯合会
■綱文

第51巻 p.180-184(DK510043k) ページ画像

明治45年3月12日(1912年)

是日栄一、帝国ホテルニ開カレタル、第十回全国手形交換所聯合懇親会ニ出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第二八六号・第六五頁 明治四五年三月 ○交換所聯合大会及懇親会(DK510043k-0001)
第51巻 p.180-181 ページ画像

竜門雑誌 第二八六号・第六五頁 明治四五年三月
    ○交換所聯合大会及懇親会
 - 第51巻 p.181 -ページ画像 
東京・大阪・京都・名古屋・神戸・横浜の各手形交換所聯合大会は三月十二日午後二時半東京銀行集会所に於て開かれたり、池田謙三氏仮に会長席に着きて開会の辞を述べ、次いで小山健三氏の発議にて池田氏を会長に推し直に会議に入る、当日は各交換所共議案の提出なきを以て別に問題なかりしも、池田会長より近頃門司及広島にも交換所を設立されし由なれば聯合大会に加入を勧誘しては如何と諮り、満場異議なく之を可決し、次いで小山健三氏よりの発議にて次回の大会は東京に於て開会することに決し、次に池田会長は清国幣制改革の我国に及ぼす利害の重大なるに鑑み、東京交換所は経済調査会をして之を調査せしめつゝあり、願くは各地交換所に於ても該問題を調査せられ充分の材料を得て大飛躍を試みんことを望むと述べ、更に経済時事談に入り午後四時半散会し一同直に懇親会場なる帝国ホテルに赴きたり、当夜は西園寺首相・山本蔵相を主賓とし来会者百余名に達し、午後六時東西銀行家聯合懇親会を開きたり、食後池田会長の挨拶に次で西園寺総理大臣・山本大蔵大臣の財政経済に関する演説あり、次に高橋男・青淵先生・豊川良平氏も現時財政経済政策に就て希望を述ぶる所ありて、散会したるは午後十時頃なりしと。


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK510043k-0002)
第51巻 p.181 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年       (渋沢子爵家所蔵)
三月十二日 曇 寒
○上略 四時銀行集会所ニ抵リ手形交換所聯合会ニ出席シ、京坂銀行シンヂケート諸氏ト要務ヲ協議ス ○中略 六時帝国ホテルニ抵リ聯合会ノ催セル晩餐会ニ出席ス、会スル者百五十名許リ、大会ナリ、西園寺総理・山本蔵相・高橋日銀総裁・大阪小山・京都田中・余・豊川氏ノ演説アリ、十一時散会ス


銀行通信録 第五三巻第三一八号・第五八―六四頁明治四五年四月 ○内国銀行要報 第十回交換所聯合会(DK510043k-0003)
第51巻 p.181-184 ページ画像

銀行通信録 第五三巻第三一八号・第五八―六四頁明治四五年四月
 ○内国銀行要報
    ○第十回交換所聯合会
第十回交換所聯合会は三月十二日午後二時三十分より東京銀行集会所に於て開会せられたり、会議に先ち東京交換所委員長池田謙三氏より一場の挨拶を為し、従来政府の予算確定の際は特に聯合会を開き財政方針を聴取するの例なりしに、昨年は内閣更迭日浅きの故を以て其運びに至らざりしは遺憾の次第なりと述べ、夫より大阪手形交換所委員長小山健三氏の発議に依り満場一致を以て池田氏を会長に推し、今回は別に定まりたる議案なきを以て会長より直ちに広島及関門の両交換所に加入勧誘を試みては如何との事を満場に諮りたるに、一同承認を表し、次に次回の開会地は神戸又は横浜との説ありしも、結局東京に於て開会することに決し、更に会長より東京交換所経済調査会に於ては頃日支那貨幣制度調査のことに決したるが、大阪及神戸方面は同問題に関係多かるべきを以て右に対する材料又は意見の送付を請ひたしと述べ、最後に小山健三氏は各地交換所を代表して主催地たる東京交換所に対して謝辞を述べ、午後三時三十分閉会せり
斯くて同日午後六時より帝国「ホテル」に於て聯合懇親会を開き、一
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同記念の撮影を為したる後、食堂に入り宴酣なる頃池田謙三氏起て一場の挨拶を為し、次で来賓西園寺総理大臣・山本大蔵大臣並に小山健三・高橋日本銀行総裁・渋沢男爵・豊川良平・田中源太郎氏等の演説あり、各自歓を罄して午後十時散会せり、懇親会出席者氏名及演説左の如し
  ○聯合懇親会出席者(総計百三十五名)
      来賓(十七名)
内閣総理大臣侯爵 西園寺公望     大蔵大臣 山本達雄
    大蔵次官 橋本圭三郎     関税局長 桜井鉄太郎
    理財局長 勝田主計    大蔵省参事官 塚田達二郎
    主税局長 菅原通敬      主計局長 市来乙彦
    国債局長 山崎四男六  大蔵大臣秘書官 安倍午生
    銀行課長 森俊六郎    大蔵省秘書官 黒田英雄
日本銀行総裁男爵 高橋是清   日本銀行副総裁 水町袈裟六
  日本銀行理事 木村清四郎 日本銀行営業局長 小野英二郎
前東京交換所委員長 豊川良平
      会員(合計百十八名)○氏名略ス
    ○池田謙三氏の挨拶○略ス
    ○西園寺首相の演説○略ス
    ○山本大蔵大臣の演説○略ス
    ○小山健三君の演説○略ス
    ○高橋日本銀行総裁の演説○略ス
    ○渋沢男爵の演説
閣下、諸君、今夕の聯合手形交換所の会合に総理大臣閣下の御臨場を得ましたのを深く感謝致すのでございます、前来総理大臣閣下、大蔵大臣閣下其他諸君の有益なる御演説を拝聴致しましたので、私は別に申上げます要はございませぬけれども、開催地の交換所員として一言謝辞を申上げて責任を果さうと思ふのでございます
総理大臣閣下の御演説中に、今日の時勢に於て経済と財政が最も調和せねばならぬ、殊に日本の経済には深き注意を払はねばならぬに依つて、これを主義として誠心誠意処理する積りであるといふの仰せは、御言葉は短かく伺はれましたけれども精神は頗る深く存じまして、吾吾厚く感謝せねばならぬと思ひます、此事に付きましては既に同業者たる大阪の小山君から特に御申述がありましたから、私が蛇足を添へるを要しませぬけれども、どうぞ唯今の御言葉が弥増に此の経済界に向つて政府全体の施設の未来に深からんことを希望して已まぬのでございます
大蔵大臣閣下の財政上に経済上に御考のある所を御遠慮なく御示し下され、又吾々に注意をお与へ下すつたことを深く謝し上げまする、殊に此貿易上の不権衡に付て甚だ憂慮せねばならぬ事柄を示され経済界にある者は別して注意致して欲しいと思ふ、政府に於ても心して居るとの御示訓は、所謂山から里の俚諺のやうで、吾々が常に政府に御注意を乞ひ上げたいと申し居りましたのですが、今日は先を越されましたから委細畏りましたと申さねばなりませぬが、唯々恐入らずに政府
 - 第51巻 p.183 -ページ画像 
と雖も御同様に御注意下さるやうに願ひたいといふことはどうしても申上げざるを得ぬ、決して御言葉を反すのでは有りませぬが一言お聴置を願ふので有ります
小山君とは時々言葉敵となつて甚だ相済みませぬけれども、決して私は旭日が西から出ると申した訳ではございませぬ、大阪の事体が小山君をして斯かる勇気ある言葉を吐かせるので、小山君は御自身がえらいと思召すか知らぬが、大阪の事業の発達が小山君をして斯の如きことを言はしむるので有りますから、私は小山君に対して言葉敵になる積りは無いので、大阪の経済を深く賞讚し、或場合には欽羨するので有ります、大阪の各種の工業の今日に於て尚駸々として進むといふことは、私銀行者たりと雖も多少関係を持つて居りますから、事実を存じて居ります、至極喜ぶべきことで、それに付けても今小山君の言はれた紡績事業の如きは民業が頻に進んで往つて、幾分か官業を抑へるといふやうな有様になつて来るといふことは、最も意味有るお言葉で私共始終企望して居りますが、今日までは不幸にして申すことが些とも世の中に聴かれなかつた、今晩始めて小山君のお言葉が、総理大臣・大蔵大臣両閣下共にお聴下すつたかと思ふと、実に私は平生の溜飲を下げたと申しても宜い位で有ります、蓋し斯くなりますると官業の盛になるのが喜ばしいといふことは出来ぬもので有らうと思ひますから是はもう多言を要さずして宜しく御諒察を乞上げたいと存じまする
私は玆に附加へて此交換所の今日に立至りましたことをば未だ総理大臣に申上げたことがございませぬから、大蔵大臣に於ては無くもがなと思召されるでありませうけれども、斯ういふ順序で斯く発達したといふことを簡単に申上げて、今夕尊来を辱う致しました御礼に代へたいと思ふのでございます
抑々此手形交換所の起りましたのは、大阪は明治十二年頃から端緒を開きましたけれども、盛になつたのはズツと後でございます、東京でも二十年から手形取引を盛に致したいといふ希望から致して取開きました、併ながらなかなか思ふやうには進みませぬで、始終苦心致して居りました、回顧しますると、東京の稍々拡張致しかけたのが二十四年と覚えて居ります、唯今大蔵大臣閣下から其時分己れなどは大に骨を折つたと仰せられましたが、即ち日本銀行の後援に依つて、日本銀行が機軸に立つて此交換所を大に進め、此交換所をして今日在らしめたので有ります、恰度二十二年目に相成ると思ひますると、大蔵大臣閣下もさうお若くは無いといふことを臨席の諸君に吹聴し得られるので有ります(笑)、其時分の有様は実に微々たるもので、漸く一年に何千万といふ位しか交換が出来得ませなんだけれども、今日は四十億に近いところの交換高で有りまして、明治三十六年から交換所が聯合会といふものを開いて、各地の交換所を統一して計算をするやうに相成りました、其聯合会の初めの時分から見ましても、殆んど数倍に進んで居ります、聯合会を開きましてから以降玆に十年の間に、明治四十年の交換高が聊か退歩致した有様が見えましたが、これは三十九年に俄かに物の膨脹して来たのが少しく頓挫した、それが交換高に現はれたに過ぎませぬやうです、爾来四十三年・四年と継続して適順に進歩
 - 第51巻 p.184 -ページ画像 
致した所を見ますると、今日は先づ穏健に進んで居ると申して宜しうございます、又此銀行者の事業といふものは、其実銀行者自身が盛になると思ふのは間違で、尚小山君が大阪を御代表なさると同じやうなもので、銀行それ自身では発達は出来ぬのであります、銀行程意気地の無い業体は無いので有ります、唯々自家に在つて顧客の来るのを待つより外には仕方が無い、銀行は自身が繁昌するのでは無くして顧客に依つて繁昌するので有ります、全く顧客に依つて繁昌するので有るから、手形交換所の繁昌は取も直さず商売の繁昌を玆に現はすと申して宜からうと思ふのでございます、例へて申しますれば鏡のやうなもので、其処へ映るべき本体が沢山あれば鏡に沢山映つて参ります、更に一例を言はうならば、銀行は水溜のやうなもので、源泉の立派なものが無ければ此水はいつまでも深く溜まつては居られませぬ、近江の琵琶湖なり若くは猪苗代の湖水なり、あれだけの水を溜めて置くといふのは水源が沢山有るからでございます、此水源を沢山作つて下さるのは即ちお向ふにござる諸閣下の御職分である、殊に総理大臣閣下が経済界に深く力を入れて下さるといふ御言葉は、水源の涸渇をお防ぎ下さる訳であつて、深く喜ぶ所でございます
玆に又銀行者が此手形の交換に於て一の特長と致して居ることに付て御承知を願ひたいのは、手形の取引に付て俗に首斬といふ言葉がございます、言葉遣ひが頗る悪うございますが通常称へて居るのでございます、詰り手形の不渡のものがございますると、其不渡に対する制裁でございます、それは余程厳格でございまして、此厳格なる交換は唯今鏡の譬を申上げましたが、恰も照魔鏡の前に立つたやうなもので、どのやうな妖魔でも此鏡に照されると、其形を消さねばならぬといふことが、自然に商業上に大なる信用を維持して往くので有ります、之が手形交換所に於て共に信用を進めて行く一の方法でございます、斯の如く年一年に進んで参りまして、当年は又外に二箇所の交換所が新規に聯合会に加はるで有らうといふ程に相成りましてございます、全国に於て現今六箇所でございますれども、日ならず七箇所になり八箇所になり、更に進んで参るで有らうと思ひます、従つて手形の交換高も更に其数を増すことは疑もございませぬ、此手形交換所の取引の進んで参りまする程、商業上の従来の面目を改めて、信用取引を進めて往くことは確かに頼み得られることゝ考へますれば、吾々共も此手形交換所に依つて日本の商業上に対して微力を致し得ると考へるのでございます
玆に開催地交換所員として臨場を辱うしました内閣諸公、及び各地の御同業者諸君に一言の御礼を申上げます(拍手)
○下略