デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.208-219(DK510056k) ページ画像

明治43年7月20日(1910年)

是ヨリ先、四十二年十月、尾高次郎当会社社長ニ就任シ、改革ヲ栄一ニ計ル。栄一株主トナリ、是日、当会社臨時株主総会ニ出席シ、重役改選ニアタリ之ヲ指名シ、且席上訓示演説ヲナス。又是ヨリ当会社ノ為メ尽力ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK510056k-0001)
第51巻 p.208 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年           (渋沢子爵家所蔵)
六月三十日 曇 暑
○上略 一時過第一銀行ニ抵リテ○中略 東洋生命保険会社ノ事ヲ尾高ヨリ縷陳セラル、畢テ事務所ニ抵リ書類ヲ調査ス○下略


竜門雑誌 第二六六号・第六〇―六一頁明治四三年七月 ○東洋生命保険会社の発展(DK510056k-0002)
第51巻 p.208 ページ画像

竜門雑誌  第二六六号・第六〇―六一頁明治四三年七月
    ○東洋生命保険会社の発展
東洋生命保険株式会社は明治三十三年の創立に係り、資本金五拾万円を以て我国内及韓国各地に於て経営し来りたるものゝ由なるが、今回青淵先生及佐々木勇之助・日下義雄諸氏等第一銀行側の有力家を始め第百銀行の高田小次郎、北浜銀行の岩下清周、其他岡部子爵・奥田義人・和田維四郎・市原盛宏・浅野総一郎・大川平三郎・西谷金蔵・鎌田勝太郎・星野錫・植村澄三郎・井上敏夫・松尾寛三等の諸氏も大株主となり、尚各方面の有力家多数を網羅して其基礎を確実にし、社長には本社会員尾高次郎氏、専務取締役には同佐々木清麿氏就任して、先づ社務の整理改善を行ひ、向後は如上有力家諸氏後援の下に穏健なる発展を為さんことを期し、着々諸般の計画中なりといふ、尚同会社の経営者及大株主共多くは我竜門社に深き関係ある人々なるにつき、尾高・佐々木両氏は普く我社会員諸氏の同情と援助とに依り発展の素志を達したしと熱望せらるゝ由。


(東洋生命保険株式会社) 整理命令関係書類(DK510056k-0003)
第51巻 p.208-212 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 整理命令関係書類
                (東洋生命保険株式会社所蔵)
    東洋生命保険株式会社整理意見書
当会社ハ元資本金拾万円ノ微々タル小会社ナリシガ、去ル明治三十九年十月中、在韓国仁川秋田毅ナル者之ヲ継承シテ、翌四十年二月自ラ其社長トナリ、資本金ヲ五拾万円ニ増加シ、其四分ノ一払込ヲ以テ開業シ、韓国及台湾ニ支社ヲ置キ、全国ニ拾四個ノ出張所ヲ新設シ、経費ニ顧慮スルコトナク、突飛ナル方針ヲ以テ一挙大成ヲ期シタルニ、不幸経営進行ノ中途ニ於テ、秋田毅ハ自家ノ商機ヲ誤リ、惹ヒテ当会社ノ財産状態ニ悪影響ヲ及ホシ、遂ニ多額ノ損失ヲ生セシムルニ至リ
 - 第51巻 p.209 -ページ画像 
当会社ハ其不始末ノ暴露ヲ恐レテ、毎期ノ営業報告ヲ印刷公表セザリシカバ、各株主ハ勿論全国ニ散在スル多数ノ代理店ハ、本社ノ基礎ヲ危ミ、延テ一般被保険者ノ恐慌ヲ招クト同時ニ、他ノ同業会社ノ乗スル所トナリテ、従前得タル保険契約ハ漸次他会社ニ略取セラレ、然ラサルモ信用欠乏ノ結果、折角甲地ニ新契約ヲ得ルモ、忽チ乙地ニ解約者ヲ出タシ、経営頗ル困難ヲ感スルニ至レリ、是ニ於テ秋田社長ハ明治四十二年四月責ヲ引キテ辞職シ、取締役西谷金蔵代リテ社長トナリ大ニ節約主義ヲ励行シ、収支償ハサル出張所ハ之ヲ閉鎖シ、多数ノ事務員募集員ヲ淘汰シ、専ラ現状維持ノ策ヲ立テタリ、然ルニ同年四月初旬主務省監督官臨検セラレ、数日詳密ナル調査ノ結果、幸ニ営業停止ノ厳達ヲ免レシト雖トモ、同年五月中旬ニ至リ、資本金第弐回払込金拾万円ヲ以テ会計ヲ整理スヘシトノ命令ニ接セリ、然ルニ当会社ノ欠損塡補ヲ為スニハ、主務省命令ノ額ニテハ尚足ラサルヲ以テ、同年九月十日株主協議会ヲ開キ、株主ノ意嚮ヲ確メ、来十月二十日限第弐回株金拾弐万五千円ヲ払込ムヘキ旨各株主ニ通告セリ、時ニ社長西谷金蔵ハ十月一日任期満了ニ付退任シ、後任トシテハ拙者ヲ推薦スル旨株主総会ニ報告シタルノ結果、拙者ハ敢テ微力不敏ヲ顧ミルノ遑モナク社長ニ就任セリ
愚案スルニ、当会社ヲ繁昌ナラシムルハ一ニ信用ノ回復ニ在ルヘク、信用ノ回復ハ欠損ヲ塡補スルニ如カサルヘシ、而シテ欠損塡補ノ資金ハ之ヲ今回ノ払込金ニ仰クノ外、他ニ手段ナキヲ以テ、其払込ニ対シテハ全力ヲ傾注セシト雖トモ、其払込金ハ不幸ニシテ払込期限ヲ経過スルモ、総株数壱万株ノ内、払込ヲ了シタルハ僅ニ参千余株ニ過キス其余ハ旧社長秋田毅ノ参千八百株、及現在又ハ昨年迄重役タリシ人々ノ弐千株ト、其他在韓国ノ株主数人ノ千弐百株ナリ、此人々ハ仮令自己ノ責任ノ軽カラサルヲ知ルト雖トモ、到底払込ヲ為スコト能ハサル者ニシテ、催告ノ効ナキヤ疑ナキヲ以テ、当会社ハ彼等ト夫々協議ノ上、第二回払込不能ノ株主ヲシテ、任意ニ無償ヲ以テ其株式ヲ譲渡サシムルノ手続ヲ執レリ、当会社ノ内情此ノ如クナリト雖トモ、多額ノ損失ヲ犠牲ニ附シタル報酬トシテ、四十一年末ニ於テ四百五拾余万円ノ保険契約ヲ存留シ、且ツ四十二年一月以後毎月約拾五万余円ノ新契約ヲ締結セリ、尤モ四十一年度残存契約高ノ内、四十二年度ニ於テ解約トナリシモノモ亦多ク、同年十二月末日現在ノ契約、一年度末ノ成績ニ対照スルトキハ、約拾八万円ノ増加ヲ示セリ、嗚呼考課状ヲ示スコト能ハサル程ノ会社ニシテ、尚此進況ヲ見ルガ如キハ甚タ奇異ナルニ似タレトモ、亦以テ本事業ハ営業ヲ停止セサルニ於テハ、案外世間ハ広クシテ、募集方法ノ如何ニ依リテハ十分活動ノ余地アルコトヲ推知スルニ足ルヘキナリ、果シテ然ラハ従来ノ株主ニ代フルニ声望高キ諸名家ヲ以テシ、第二回払込金ヲ改メテ欠損塡補ノ寄附トシ、重役ヲモ改撰シテ社務ヲ整理改革シ、地方ノ代理店ヲ撰択取捨シテ、信用アル計表ヲ公示スルニ於テハ、当会社ノ基礎始メテ堅実ナルヲ表明スヘク、即従前嘗メ来リタル困苦ノ最大原因ヲ除クコトヲ得ルヲ以テ、事務員及募集員ハ勿論六百有余ノ各代理店ニ至ルマテ、従来ノ無気力ナル態度ヲ一変シテ、其勤勉力ヲ増進スルノミナラス、他ノ同業会社ト
 - 第51巻 p.210 -ページ画像 
ノ競争ニ対シテモ必ス抵抗力ヲ生シ、自然ト解約者ヲ防止スヘク、同時ニ現今支出スルト同一ノ経費ヲ以テシテ、優ニ毎月参拾万円以上ノ新契約ヲ得ラルヘキハ、他ノ同業新会社ノ例ニ徴シテ明ナリ、果シテ然ラハ今後新契約ハ大ニ増加シ、解約者ハ著シク減少スルカ故ニ、現在ノ契約高四百六拾余万円ハ本年末ニ至リ七百余万円トナリ、明年末ニハ壱千余万円ニ達スルコトヲ得ンカ、世ノ生命保険事業ハ常ニ曰ク契約高五百万円ニシテ欠損ヲ免カレ、壱千万円ニシテ始メテ安全ナルコトヲ得ト、思フニ当会社ノ契約高ハ今ヤ欠損ヲ免カルヽ限度ニ漸ク接近セントスルモノニシテ、彼ノ欠損額ノ如キモ、其過半ハ創業時代ニ免レサリシ失費ト云フモ不可ナキ歟、当会社ハ既ニ創立時代ノ困難ハ半バ以上経過セリ、否今尚困難ノ内ニアリテ、決シテ安心スヘカラサル場合ナリト雖トモ、新タニ一会社ヲ創立スルモノト見ルトキハ、現在ノ契約高ハ恰モ無償ニテ買収シタルト同一ノ利益アルヘシ、故ニ此際ニ於テ従来ノ欠損ノ大部分ヲ塡補シ、且新タニ迎フル株主ノ実業界及ヒ金融界ニ於ケル大勢力ノ系統トヲ発展ノ根拠ト為シ、本邦及韓国ノ地盤ニ於テ社長以下社員一同奮励努力セハ、必ス近キ将来ニ於テ予期以上ノ効果ヲ得ヘキヲ確信セリ

    明治四十三年度予算当会社現在ノ状況ヲ根拠トシテ此予算ヲ作成ス

 四十三年始現在契約高  金四百五拾万円
 四十三年中解約高    金八拾万円
 四十三年中死亡高    金四万円
 四十三年中新契約高   金参百五拾万円
       収入之部○各項説明略ス
 一金弐拾六万四千五百円    保険料
 一金壱万参千七百五円     利息
 合計金弐拾七万八千弐百五円
      支出之部
 一金九万五千七百七拾八円   社費
 一金九千八百四拾参円     診査料
 一金弐万壱千円        新契約費
 一金壱万弐千七百参拾五円   代理店手数料
 一金参万四千円        保険金額
 一金壱万八千円        解約返還金
 合計金拾九万壱千参百五拾六円
  差引残額
   金八万六千八百四拾九円
    内金七万五千円 此年度ニ於テ責任準備金ヲ増加スヘキ額
     金壱万壱千八百四拾九円 純利益金


     明治四十四年度予算○略ス

     明治四拾弐年拾弐月参拾壱日貸借対照表
                  東洋生命保険株式会社
 - 第51巻 p.211 -ページ画像 

    資産
  未払込株金  三七五、〇〇〇・〇〇〇
  現金         五八〇・六五〇
  預金      四九、〇五六・一〇六
  貸金      四七、一八一・二三〇
  不動産     二〇、九〇二・七八〇
  図書及什器    四、〇二三・八二〇
  未収保険料   二九、九八五・四七〇
  仮出金      七、〇一一・七六八
  支店       四、六七二・二七二
  出張所      八、〇三三・六六三
  代理店     一四、二二五・四六七
  損失     一四四、六八七・四八四
   合計    七〇五、三六〇・七一〇
    負債
  株金     五〇〇、〇〇〇・〇〇〇
  責任準備金  一六〇、一六九・六九〇
  支払備金     三、六〇〇・〇〇〇
  仮納金     四一、五九一・〇二〇
  合計     七〇五、三六〇・七一〇


     明治四拾弐年拾弐月参拾壱日財産目録○略ス
当会社ノ現況ヲ起点トシテ、此際第二回払込金ヲ以テ欠損額ノ大部分ヲ塡補シ、其営業方針ニ付テハ同業諸会社ノ執ル所ト、当会社カ従前経来リタル実験トヲ参酌取捨シ、敢テ奇効ヲ求ムルコトナク、努メテ穏健ナル手段ニ拠リ経営セハ、信用恢復ノ結果トシテ今後二ケ年間ニハ必ス前掲予算ニ示シタル数字ト大差ナキ成果ヲ得ヘキ確信アリ、果シテ然ラハ当会社ハ爾後年ト共ニ其実力ヲ蓄積シ、甚タ遠カラサル将来ニ於テ、能ク強固ナル基礎ヲ占メ、一大堅城ヲ築成スルニ至ルヘキナリ、就テハ仁侠有力ノ士冀クハ当会社救済ノ為ニ同情ヲ寄セラレ、前段ニ陳述シタル棄権ノ株式ヲ継承セラレテ、速ニ整理発展ノ実ヲ挙ケシメラレンコトヲ、玆ニ当会社貸借対照表及財産目録ヲ添ヘ劉覧ニ供ス 敬白
  明治四十三年二月  東洋生命保険株式会社
              取締役社長 尾高次郎(印)

    東洋生命保険株式会社引受人

 一五百株               渋沢栄一
 一五百株               佐々木勇之助
 一五百株               日下義雄(印)
 一五百株               大川平三郎(印)
 一参百株               間由吉
 一五百株               神田鐳蔵(印)
 - 第51巻 p.212 -ページ画像 
 一参百株               清水満之助(印)
 一五百株               鎌田勝太郎(印)
 一四百株               高田小次郎(印)
 一弐百株               岩下清周(印)
 一弐百株               細野次郎(印)
 一弐百株               小池国三(印)



(東洋生命保険株式会社) 整理命令関係書類(DK510056k-0004)
第51巻 p.212 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 整理命令関係書類
                (東洋生命保険株式会社所蔵)
    報告
明治四十二年五月十四日付商発第七〇号ヲ以テ御命令相成候事項、左記ノ通整理ヲ了シ候
一、第一項未払込株金払込ニ関スル件
 株式壱万株各株ニ付拾弐円五拾銭ツヽ此総額拾弐万五千円ヲ、第二回株金トシテ払込マシムヘキコトヽナシ、之ヲ各株主ニ催告シタルニ、指定ノ期間内ニ払込ミタル者ハ約三分ノ一ニ過キス、其ノ他ハ大株主タル秋田毅ヲ始メ、到底払込ヲ為スヘキ見込ナク、一時非運ノ形勢ヲ呈シタリ、此時ニ方リ単ニ整理上ヨリセハ、商法ノ規定ヲ遵行スヘキ勿論ナリト雖トモ、事情ト時機ノ如何ヲ顧ミスシテ、法律上ノ手続ヲ励行センカ、徒ラニ手数ト費用ヲ重ヌルニ止マリ、本来ノ目的ヲ達スルコト至難ナルノ虞ナシトセス、玆ニ於テ一ノ便法ヲ稽ヘ、是等ノ未払込ノ株主ニ対シ、其ノ所有株式ノ無償譲渡ヲ勧告シテ快諾セシメ、一面ニハ之カ後継者ヲ見出サント百方斡旋努力シタル結果、幸ニ適当ノ後継者ヲ得タルヲ以テ、此後継株主ヲシテ所期ノ払込ヲ為サシメタリ、只西沢吉治外二名ニ限リ、株式ノ競売ヲ執行シタリシモ、箇ハ事情止ムヲ得サルニ出テタルモノニシテ、利害関係者ヨリ毫モ異議不満ヲ挟ムコトナクシテ、極メテ円満平穏ニ完了ヲ告ケタリ、依テ左ニ払込株主人名金額等ヲ掲記ス
      株数       払込金額     払込年月日
       株         円
     五〇〇    六、二五〇・〇〇〇 四十三年七月十一日払込 渋沢栄一
  ○外五十四名略ス。
       株
 計一〇、〇〇〇  一二五、〇〇〇・〇〇〇             五十五人
 本項払込金ハ完結ト同時ニ、之ヲ第二回払込金トナサス、損失金ノ塡補ニ充当スルコトヽシ、株主全員ノ承諾ヲ得テ実行シ、其結果ハ本年七月廿日臨時株主総会ノ際報告セリ○中略
第二項○以下第五項マデ略ス
 右報告仕候也
  明治四十三年九月一日  東京市京橋区南鞘町六番地
              東洋生命保険株式会社
                取締役社長 尾高次郎
    農商務大臣 小松原英太郎殿


(東洋生命保険株式会社) 株主総会決議録 自明治三三年一〇月至大正一五年二月(DK510056k-0005)
第51巻 p.212-213 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 株主総会決議録 自明治三三年一〇月至大正一五年二月
                (東洋生命保険株式会社所蔵)
 - 第51巻 p.213 -ページ画像 
    決議録
明治四拾参年七月弐拾日午後第一時、臨時株主総会ヲ本社内ニ招集ス
午後第三時取締役尾高次郎氏議長席ニ著キ、左ノ如ク宣告セリ
  出席株主 拾名    株式数 弐千参百六拾株
  委任株主 弐拾九名  同   参千八百六拾株
  欠席   弐拾名   同   参千七百八拾株
即チ出席株主(委任トモ)総株金ノ三分ノ一以上ニ当レルヲ以テ議事ヲ開ク
一取締役監査役辞任ニ付補欠選任ヲナスノ件
 取締役ハ七名ナルモ、此際六名ノ補欠選任ヲ行フモノトシ、又監査役ハ二名ノ補欠ニ付、男爵渋沢栄一氏ノ推選ニ依リ、満場一致ヲ以テ左ノ通リ選任シタリ、而シテ何レモ明治四十三年七月廿一日ヨリ就任ニ決ス
             取締役
                  尾高次郎氏
                  佐々木清麿氏
                  日下義雄氏
                  西谷金蔵氏
                  古城菅堂氏
                  福島宜三氏
             監査役
                  鎌田勝太郎氏
                  井上敏夫氏
 右定款第廿九条ニ依リ署名ス
  但シ監査役ハ出席セザリシニ付取締役ノミ署名ス
          東洋生命保険株式会社
                  取締役 尾高次郎
                  同   佐々木清麿
                  同   福島宜三


渋沢男爵之演説 東洋生命保険株式会社編 第一―三〇頁刊(DK510056k-0006)
第51巻 p.213-218 ページ画像

渋沢男爵之演説 東洋生命保険株式会社編  第一―三〇頁刊
 序
 明治四十三年七月二十日当会社の臨時株主総会に於て、株主渋沢男爵は議長席に就かれ、取締役六名・監査役二名を指名選任し、次に本社の為に指導監督の労を執られんことの懇請を容れられたり、而して本篇は其席に男爵が新任の取締役・監査役に与へられたる訓示的演説なるも、明治初年頃の実業振興意見とも見るべく、又之を刊行して各株主及江湖の社友に頒つもの也
                   東洋生命保険株式会社

 只今取締役監査役の選挙も終りましたから、臨時総会の要務は相済だと申して宜からふと思ひますが、私はこの生命保険といふことに付ては、何等実験もなければ学問もなく、随て此席に於て重役諸氏に対し、本事業の経営上、斯々の注意が必要であるといふて、精しく申上
 - 第51巻 p.214 -ページ画像 
げる事も心得ませぬ、併し保険といふ事業に就て、絶えて考慮を払はなかつた者でもない。昔物語ばかりを申すやうですが、我邦に創めて海上保険の事業を成立たせたことに付ては、私も大に与つて力ありと申して宜からうと思ひます。
 本年四月東京海上保険会社の総会に出席して、其昔物語を株主の前で致したことがございます、それはなぜならば、私は昨年限りに同社の重役を辞退致しまして、私の為には其最後の総会でありますから、株主と御別れの意にて一場のお話を致したことですが、此話の順序として、明治初年の頃に於ける会社組織のことを前提に述ぶる必要があります。
 私は明治の初から、此世の中の実業を規則的に進めて行かねば、どうしても真正の発達を期待し得られぬと思ふたのであります。源平時代の戦争の如く、一騎打の勝負、所謂一ノ谷で熊谷直実が敦盛を討つたり、或は猪股金平六が平盛俊を討つたりするやうに抜駈の功名のみを心掛けるのは、まだ軍の訓練が規則的に出来て居らぬからの事で、とても整々堂々たる軍隊に対抗することは出来ぬと同様、実業界の位置を高めるも、欧羅巴式の学理的経営に拠らねば迚もいけない。それには商工業に従事する人に相当の人才を得なければならぬが、其人才なるものも唯だ特志だとか義侠だとか献身的だとかいふ丈では、遠大の事業が出来るものではない、要するに従事する人に科学的智識がなければならぬ、此種の人材を得んとするには、是に酬ゆる俸給がなくてはならぬが、其頃の有様であるから、個人的小仕掛の経済を以しては、決して多分の報酬を遣ることは出来ぬ、就ては五十万円とか百万円とか、少くも三十万円位の資金を集めて、一会社を組織するにあらざれば、事務員に百円若くは百五拾円といふ月給を遣ることは出来ない。尤も其時分の金銀は今よりは価値がありましたから、立派な人でも月に五十円も遣れば、今の百円・百五拾円にもまさつて大層な給料と思ふた。一例を申せば、当時私が第一銀行から受けた月給は五拾円でありました、但し月給の外に賞与金といふものもあつたけれども、其他に何か役徳があつたかと云ふと、決してそんなものは受けたことはない。資本金弐百五拾万円の銀行ですら、尚そんな塩梅であつたのです、それ故に小さい仕組で人才を求めるといふことは到底出来ぬ、人才を得ざれば欧羅巴式の実業を日本に移することは叶はぬ、これが叶はぬ時は、いつ迄も日本の実業は、一騎打、抜駈的のやりかたであるであらふ、就ては是非とも会社組織を唱道せねばならぬと深く考へた、今の第一銀行なども其主義に依つて設立したものです。
 そこで将来を種々と考へて見ると、商売も必要である、工業も肝腎である、道路を造るにしても家を造るにしても同じことで、例へば市街を以て論ずると、先づ大動脈を引いて、水道とか下水とかいふものが追々に出来なければならぬ。
 抑々商売の大動脈は何であるかといふと、どうしても銀行であると言はねばならぬ、そこで己れが不敏ながら銀行を遣つて見やうといふ覚悟を定めた、然らば銀行ばかりで総ての事物が進行するかといふと其外に於て運輸といふことが必要である。運輸は水陸ともに開かねば
 - 第51巻 p.215 -ページ画像 
ならぬ、陸には蒸汽車、海には蒸気船、此二つがなければ貨物の疏通を弁ずることは出来ない、廉く且つ早く運ぶことが出来ない。迚も俄に欧羅巴と匹敵するまでに行かぬでも、仮令後れ居るにもせよ、運輸がなければ似寄つた経営すら望み得られまい、故に大動脈として是非陸海の運輸に力を入れざるを得ぬ。運輸に力を入れるとすると、其次に何が要るかと云ふに、海運に対してはどうしても海上保険が必要である、通商貿易を安全ならしむるには海上保険業は欠くべからざる機関である、欧羅巴の保険業の盛大なるはそれから起つて居る、是非此保険を遣りたいものである。
 然るに運輸は民間の力ばかりでは完全のことは出来ぬ、之に就ては政府の保護を請はねばならぬが、保険とても草創の時代に於ては、欧米各国とも政府が多少の被助を与へた例がある、故に私は頻に其事を時の大蔵卿たる大隈伯に話した、折柄故岩崎弥太郎君と同伯邸の食堂で遇ふたから、又も保険会社を設立したいと申しましたら、岩崎君は未だ早いと云ふて、席上各々意見を言ひ合ふた。尚早論と急施説と互に相争ふたといふ程ではなかつたが、大隈伯は之を判断して、早いか知らぬけれども遣れる機会があつたら遣つたら宜いぢやないか、何か機会があるのかと云はれますから、私は華族の人々が曩に京浜鉄道の払下を政府より許可せられたが、都合あつて中止となつて其資金があるから、それを保険事業に振替えたいと思ふ、併し此事業は華族ばかりではいけない、海運を経営する人が力を入れなくては困る、それで岩崎君を勧め、銀行者も這入り商売人も勧誘したら宜からう、約言すれば金利の多きことを望む資本家だけでは六ケ敷いが、幸に華族の資金などを加へたら、大に事業進歩の階梯を為しはせまいかと思ふから斯ういふ説を述べるのだと申しました所が、成程それは耳寄りの話だそれでは岩崎君も考へて返事をし給へといふことで別れました。其翌日岩崎君は是も故人となつた小野義真といふ人を寄越して、能く考へて見ると尤もだから、相当なる資金は三菱で引受けやうといふ様なことで、遂に彼の海上保険会社が出来たのだが、誰か経営者が無くてはいかぬといふ所から、益田克徳といふ人を私が薦めて専任者とした、益田氏が果して海上保険事業を発達させたとまでは申されないけれども、兎に角事業の創始者といふことであつた為に、英吉利へも参りましたし亜米利加へも参りました。随分苦心経営を致したけれども、不幸にして其事業が十分鞏固の域に至らぬ間に彼の人は物故しまして、本人の為には気の毒千万であつたのです。
 爾来の経営は取締役としては末延・荘田などゝいふ人が当りまして私も暫くの間取締役の一人に加はつて居りました。併し実務を取扱ふ人は各務鎌吉といふ人で、其頃英吉利で三年程保険事業の稽古をした此人が保険のアンダーライターとしては実に適当の人で、一寸英吉利式の人でお世辞も言はない、悪く言ふと少しく強情の人だけれども、保険の引受方が如何にも上手で、殆んど技術的である。此船は此程度で保険しなければならぬ、此船はどふいふ種類に置かなければ安全でない、大西洋廻りの船は斯うしたい、太平洋廻りの船はあゝしたい、どういふ貨物に対しては斯くありたいと、誠に其判断が宜い。丁度銀
 - 第51巻 p.216 -ページ画像 
行の支配人だの保険のアンダーライターといふ者は、鉄道のポイントメン、若くは鋼鉄会社の火色を見る人の如く、一の技術者のやうなもので、手心と目分量で人の真似ることの出来ぬ技倆がある。保険のアンダーライターと銀行の支配人とを同じ様に見るは、少しく比例を失しますけれども、各特長があつて始めて其事が出来るのだと私は申したいのです。決して誰でもさういふ適切の人になり得るといふことは六ケ敷いのだが、此各務鎌吉などゝいふ人は其判断力其選択力に於て確かに特長を持つて居る人であらうと思ふ。而して之が三・四年保険の本場たる倫敦で稽古をして来ました為に其人の働きに依つて彼の海上保険会社が一時は困難にまで陥つたけれども、爾来回復して今日は保証準備金も大層な高を積んで、基礎も極く堅固になつて居ります。
 然らば最初危険の有様に陥つたのは、どういふ訳であつたかと申しますると、即ち益田氏が未だ熟練せぬ前のことです、保険の計算を堅固の仕組にせぬものですから、期限が経過しなければならぬ保険料を利益勘定に出して配当してしまひ、後から段々損害が起つて来る。甚だしきは是では迚も堪らぬ、早く潰れた方が危険が薄らぐといふ位までに考へた。今日より十年ばかり前であつたが、益田氏は、一般から経営其宜しきを得ないと云うて、攻撃の焦点となつた。私も推薦した関係があるから、大に益田氏のために側から力を入れた、幸に益田氏の推薦した各務氏が代つて主務者となつて改革したから、益田氏は功罪相償うたと申して宜いのであります。
 私はさういふ長い関係から生命と海上とは違いますけれども、保険といふ事業に就ては多少の経歴を持つて居る。況や其時に私が思ふには、どうも欧羅巴人殊に英吉利人なぞは成るべくたけ危険には遠ざかるといふ経営が多いのに、反対に其危険を引受けるといふことを専ら遣るのは不思議だ、危険を引受けるのは危険に遠ざかりたくないといふことになる、是は余程怪しまなければならぬ、然るに此危険を引受けるための保険業を却て堅実のものとするのは、何か理由がなければならぬ、蓋し危険は斯くすれば左まで恐るべきものでないといふ明かの道理があるに違いない、それを能く攻究すれば決して遣れぬことはないと思ふから、先第一に其論理を調べて見ようではないかと云うて私は益田氏に其事を申して学理的に調査をさせたのです。所が果して英吉利辺にて行はるゝ理論としては、成るべく多数に成るべく平均の出来るやうにするが宜い、理屈から言ふと危険を受合ふのだから危険に遠ざかる筈はない、まるで危険の渦中に這入る形であるが、其実は数を多くして平均の出来る様にすれば、危険といふものは事実に於て全く無くなる、恰も多数の人が相共に危険を共済する理屈になる、乃ち此理由を論じて一編の書物にしたことがあります。
 右の如く私も明治十二・三年頃から、保険事業に就て多少の研究は致したところから、爾来他の生命保険業の有様を見ましても、どうしても確実の仕組を以て、堅固の基礎から計算を立てゝ行くといふことを欠いたら駄目と思ひます、そこで当会社に対してもまづ以て株主は己れの払込だ金額を其根本の土台にした覚悟になつて、利益配当の望みを努めて抑制して、さうして保険業其ものが、極く鞏固に成立つや
 - 第51巻 p.217 -ページ画像 
うにといふことを目的とせねばならぬ。尤も事業の盛衰は今申す通り当局者其の人に存すると申しても差支ないと思ひます。則ち此の東洋生命保険会社経営の既往は、果して其当局者が完全であつたか不完全であつたか。是迄噂に承知して居る所で見ると、生命保険業を社会的公共的の考案から割出さないで、或は投機的材料にでもするが如き経営があつた事もないではないかと想像される。果してさうであつたとすれば、其人は才もあつたであらう精神もあつたであらうが、此事業に対しては宜きを得たる人とは言へぬかと思ふのです。
 故に今日の東洋生命保険会社はさういふ精神は全く打棄てゝ、前に申す公共的の考を以て、多数から平均を得るといふ主義で、多数の人の真中に立つて社会から世話人を頼まれたといふ心得で経営をする外私はなからうと思ふ。而して世間の多数が之を信じ之を喜んで来て呉れるか否かは、従事する人の心得方の如何と、精勤か不精勤かに基くと思ふ。今日の取締役の諸君が残らず常務の衝に立つといふ訳にはいかぬ、六名の御方が申合せて直接に仕事を為る人を一名か二名に定め其余の人は其議に参して面倒が生ずれば速にこれを解決し、妨害があればこれを防ぐやうにして、成るべく会社の利益を伸暢するといふやうになさるならば、従来困難であつた当会社も、恰も東京海上保険会社が創業時代の難局を切り抜けて、今日の盛大を致したよふな機運に向ふであろふと思ふのであります。何故なれば当会社も今日までが困難時代であつたが、立派な株主が過半入変つて整理が出来たとすれば是れからは誠意と勤勉とを以て進むのみで、悪るくなる筈はない。
 詰り此保険事業といふものが、前に申上げますやうな性質だとしますれば、相当の人が遣りさへすれば、成就せぬことはないと思ふ。但し目前此事業に付て如何であらうかと思ふのは、同業会社の競争が甚だ多いといふ点です。故に若し新規にこれを起すといふならば、寧ろお考ものではないかと私は言ひたいのです。併し既に成立つて居る、総ての材料も揃ふて居るので、此儘にして置くのは如何にも残念であるから、此際資力を充実し、社務の整理改善を為して、事業の拡張をも致したいといふて、先頃からの御依頼に付き、今度始めて御相談相手になりましたが、此甚しい競争時代に立つては、当局者たるものは余程注意が必要である。去りながら幸にして此会社は日本内地に於ても又韓国台湾等に於ても、従来多少の地盤は作られて居るから、新らしく成立した会社の様に、敢て事を急ぐ必要もなく、随て今俄に他の同業会社に対して、攻撃的競争を仕掛けて行つて、自らも苦み彼等をも苦めるといふ程までになさらないでも、正当の位置を保つて追々進行して、是までは不安心の嫌もあつたけれども、今日は安全の会社である、是までは時々仕事に冷熱もあつたけれども、今日は穏健にして且つ親切だ、株主は各地各方面に於ける有力者のみである、重役は其中より選抜され最も堅固最も真面目に働いて、誠に忠実に遣つて呉れるといふことが、十分に世間に拡つて行きますれば、従前に変つて被保険者を増して行くことが出来る事であろうと思ふ。況や幸に此六七十人の株主が、今申上げますやうな観念を以て、而も其事務の取扱は局に当る者が勤勉怠ることなく、又お互に各株主なり其知人朋友なり
 - 第51巻 p.218 -ページ画像 
此事業を助けて会社を隆盛ならしめやうとする心あれば、何時にても又誰にでも助力が出来ることであります。
 固より私自身が此会社へ保険を附けて呉れろと言つて、世間を廻るといふ訳には行きませぬけれども、少し心を用ゐれば直に被保険者を作ることは出来る。殆ど社会的事業ですから、株主七十名が十人づゝ世話をすれば、七百人の被保険者を作り出すことが出来る。百人づゝ世話をすれば、七千人の被保険者が出来ると言ひ得るのです。重役が今申上げましたやうな観念を以て、倦怠することなく此事業を経営されて、御互株主が今申上ぐる心を以て之を補助するといふことであつたならば、現在全国にある六百有余の当会社の代理店に於ても、安心して今後は大に会社の為に尽力して呉れるであろふ。同時に従前からの被保険者も不安の念を去るであらふから、解約などの申込を為す者も減ずるであろふ。果して然らば、今まで微々振はざりし当会社をして、鞏固なる活きた会社たらしむることが出来るだらうと思ふのでございます。
 幸に今日の総会に一新紀元を開いて、今申上ましたやうな会社たらしめたいと、深く私は希望するのでございます、即ち微力ながら私も株主たる本分は尽さうと思ふのでございます、どうぞ諸君に於ても左様御承知を願ひます。御指名を申した諸君に対して訓誡がましいことを述べたのは失礼でございますが、蓋し私の申したことは、諸君の成程相当だとお思ひなさることで、敢て意表のことを申上げることにはなるまいと思ひます(完)
  ○右栄一ノ演説ハ「竜門雑誌」(第二六七号・明治四三年八月)ニ掲載セラル。尚右会社頒布ノ印刷物ノ発行年月未詳。


織田雄次談話筆記(DK510056k-0007)
第51巻 p.218-219 ページ画像

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