デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

2章 交通・通信
1節 海運
1款 日本郵船株式会社
■綱文

第51巻 p.369-391(DK510100k) ページ画像

大正6年2月26日(1917年)

是ヨリ先、当会社重役ト株主トノ間ニ増資配当問題ニ関シ紛争ヲ生ジ、株主側ハ臨時株主総会ノ招集ヲ請求シテ事態容易ナラザルモノアリ。是日栄一、和田豊治ノ慫慂ニヨリ中野武営ト共ニ之ガ調停ニ立ツ。又他方、土居通夫・片岡直輝ニ大阪方ノ調停役ヲ依頼シ、遂ニ双方係争者ノ無条件委任ノ受諾ヲ得、株主請求ニ係ル臨時株主総会ヲ無事閉会セシム。次イデ四月二十五日ノ臨時株主総会ニ於テ、中野武営外三名ノ新取締役当選シ、五月五日、栄一外二名相談役ヲ依嘱セラル。五月二十九日定時株主総会ニ於テ、増加配当案モ原案通リ可決セラレ、紛争落着シタルヲ以テ、翌三十日、栄一相談役ヲ辞ス。


■資料

実業之世界 第一四巻第一二号・第一〇―一六頁大正六年六月 郵船相談役去就の弁 男爵 渋沢栄一(DK510100k-0001)
第51巻 p.369-373 ページ画像

実業之世界  第一四巻第一二号・第一〇―一六頁大正六年六月
    郵船相談役去就の弁
                   男爵 渋沢栄一
      攻撃は覚悟の上
 昨年七月、一旦実業界よりの引退を声明し、堂々と之が披露までして置きながら、まだ舌の根も乾かぬうちに、又ぞろ日本郵船会社の相談役に就任し、再び実業界に顔を出したのは、沙汰の限りであると、「本誌」五月十五日号の誌上で、福沢桃介氏は酷く私を攻撃して居られるが、爾う攻撃されて見れば私は、如何にも福沢氏の申さるゝ通りであると答へるより外致方無く、強ひて弁解するわけにもゆかぬのである。然し、当時の事情は、私が相談役に就任の件を承諾しなければ穏便に紛糾を治めるわけには参らなかつたので、私も已む無く就任を承諾した次第である。福沢氏の如き攻撃の起ることは、素より覚悟の上であつたのだ。それに就ては、私が郵船会社の相談役就任を承諾するに至つたまでの径路を、一応申述べて置かうと思ふ。
      突然和田氏の来訪
 二月二十五日のことである。和田豊治氏が突然私を王子の自邸へ訪ねて来られた。その時の用談は、郵船会社今回の問題は却々火の手が盛んで、このまゝにして置いては、如何なる不祥の争を生ずるに至るやも測り難く、大抵の者の仲裁では到底納まりさうにも見えず、顔役
 - 第51巻 p.370 -ページ画像 
の出馬を煩すより他に良法も得られまじく、貴公渋沢は曩に郵船会社の重役であつた関係もあること故、旁々斯の際是非一つ斡旋しては呉れまいか、一旦実業界からは引退してしまつたにしても、それは単に自己の生産殖利と縁を絶つたといふ丈けのことで、日本の実業界が何うならうと不関焉といふのでは無からうとの話であつたのだ。
和田氏よりの這的慫慂に対しては私は、明治十九年三菱汽船と共同運輸とが合併して、新に郵船会社の設立を見るに至つてから、森岡昌純氏が社長となり、吉川泰次郎・近藤廉平・内田耕作・浅田正文・加藤正義の諸氏を重役とし、多く三菱一派の人々のみにて之を経営し、広く一般社会との接触を保たず、他人入らずの一城廓を築くものあるを目撃し、甚だ之を不本意に思ひつゝある折柄、明治二十六年に至り再度まで岩崎弥之助男及び川田小一郎男よりの勧めを受け、郵船会社と世間との接触を計る上から、中上川彦次郎・荘田平五郎・園田孝吉等諸氏と共に同社の重役に就任し、日清戦争後、欧洲航路を開く為、六千噸型の汽船六隻の新造を提案せるなど、其他同社の事業に些か乍ら貢献せる次第を談り、且つ郵船会社現在の状態も亦、重役には優れた才幹のある人物を網羅し、其経営法も頗る当を得て居るものあるに拘らず、兎角世間に是非の評を絶たず、其極遂に今回の如く株主と重役との間に意志の間隔を生ずるに至つたのは、畢竟譜代の大名のみを寄せ集めて城廓を堅め一切外様の大名を近づけず、申さば子飼の人々のみにて経営し、一般社会との接触交渉を絶つて別天地を作り、その上近来は株主の中心にも動揺を生じ、従来の宮内省とか岩崎家とかいふ処より、他へ中心が移動してしまつたかの如く見受けらるゝ模様もあり、旁々株主間に不安の念を生ぜしむるに至つた結果、今回の如く重役と株主との間に確執を来し、臨時総会の請求ともなつたものらしく思はるゝ故、今後の郵船会社は譜代子飼の大名ばかりで堅めず、広く外様の大名をも招いで実業界の勢力家を重役に入れ、一般社会との接触交渉を保ちつゝ経営する必要があらう、との私の意見を附け加へて述べたのである。
 和田氏は之を聞き、斯る意見を懐き居らるゝならば猶更の事ゆゑ、是非私に斡旋の労を取り、株主の請求によつて開会せらるべき三月七日の臨時総会が、見苦しき醜態を演ずる席上とならず、事無く経過し得らるゝやう骨折つてくれとの事で、その日和田氏は、猶ほ斯の件に就き中野武営氏とも協議してみるからとて、其儘辞し帰られたのである。
      土居・片岡両氏入る
 翌二月二十六日、私は兜町の事務所に於て和田・中野両氏の訪問を受けたのであるが、其際中野氏よりも私に向ひ、調停の労を取つては何うかとの勧告あり、傍より和田氏は、爾んな勧告の仕方では手緩いから、無理にも渋沢を起たせるやうに談じ込めよなどと中野氏に声援したのである。依て、その場で談合の上、東京側では私と中野氏との両名が仲裁者とも調停者ともなつて、郵船重役と株主との間に斡旋することになつたが、元来三月七日の臨時総会請求者の頭目は大阪の海老友次郎氏なるに付、大阪実業界の元老をも又調停者の仲間に入れる
 - 第51巻 p.371 -ページ画像 
必要があらうといふので、之を土居通夫・片岡直輝の両氏に謀る事となり、この両氏にして承諾せば、私と中野氏とは素より労を辞するものに非ずと議一決し、さて、その趣を大阪の両氏に通ずるに当つて、電報では意を尽し難く、如何にしたものかと評議の折柄、幸ひ和田氏に西下の用務があるとの事に、同氏に依頼して大阪の両氏へ相談する事となり、和田氏は其夜直に下阪したのである。
 和田氏は大阪に着いてから、経過の仔細を物語つて土居・片岡両氏に謀ると、結局承諾の旨回答し、その趣東京の私及び中野氏へ電報あり、続いて大阪より両氏も出京したので、四名熟議の上、一切の措置を挙げ、無条件にて土居・片岡・中野及び私の四名へ一任してくれさへすれば、仲裁調停の労を取るべき旨を、遅滞なく郵船の重役側と三月七日の臨時総会請求の株主側とに通告したのである。之に対し近藤郵船社長は承諾の旨を答へて来たが、株主側の海老氏は無条件では委任し難しとて拒絶したのである。然らば、私どもは手を引くより外に道無しと思ひ居るうち、同氏も大阪側の元老より利害を説いて説得せられた為めか、翌日に至り、無条件承諾の旨を答へて来たのだ。
 然し、三月七日は眼前に迫り、最早や臨時総会取消しの通告状を一般株主に発しても、効力を生ずる商法規定の日限を余まさなかつたので、臨時総会は単に之を形式的に開会することにしたのであるが、実際の議事を開かず平穏に閉会し、それから四名の仲裁調停者は熟議の上、新に四名の重役を増加し、之を実業界の名望家より推薦することに議を纏め、定時総会を開会するに先ち、定款改正及び新重役四名選挙の為め、四月二十五日二度目の臨時総会を開き、これによつて新に選挙された新重役四名と重役九名とが協議の上、定時総会に提出すべき利益配当案を立案するが宜しからうといふことにしたのである。
      片岡氏よりの条件
 欧洲戦争後世界を通じて海運界の活躍となり、海運業は刻下の重要事業として世界の注視を惹きつゝある際、日本で最大の海運当業者たる郵船会社がゴタゴタを世界の人の眼前に曝らすやうになつては、日本の不面目この上無きのみならず、郵船会社としても今日まで無事に過ごして来た歴史に泥を塗るわけになるので、斯んな事を為せ度ないものと思ひ、私も斯く奮つて仲裁調停の労を取る事にしたのだが、定時総会以前に猶ほ一度臨時総会を開き、新重役四名を選挙するを必要なりとするに至れる所以は、従来の重役のみでは、行懸り上、株主の意見を容れて作製した利益配当案を定期総会に提出するわけにもゆかざるべく、さればとて株主多数の反対を受けた利益配当案を定期総会へ其まゝ提出して、議場で之を修正するとか、或は又、仲裁者の立案した修正案を、従来の重役をして定期総会に提出せしむる如き事をしては、悪るい先例を将来に遺す次第にもなるから、新に選挙された新重役四名を加へた結果十三名の重役会で、新に立案作製した利益配当案を定時総会に提出するのが何より穏当で、道を得た法であらうと、私ども四名の仲裁者に於て考へた為めである。
 私ども仲裁者四名の意見は、新しく加へる重役四名のうちに、是非井上準之助・松方巌の両氏を入れたいといふにあつたのだが、両氏に
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於ては承諾しさうな気配が一向に無い。そのうち私は又病気で一週間ばかり引籠らねばならぬことになつたので、総ての打合せが永引き、傍ら二度目の臨時総会開会の日取たる四月二十五日は日々に近づいて来るので、新重役を各方面より銓衡して其承諾を得やうにも、如何せん日が足り無いといふ始末になつたのである。或る日の如きは私が発熱して弱つて居る際にも拘らず、中野・片岡の両氏が態々王子の自邸へ来られ、私は病床の中で病を押して両氏と面談したほどであつたが井上・松方両氏に対しては銀行業者のこと故、同業者であつた関係から私が恢復した上で、更めて又交渉する事とし、大阪の片岡氏へ交渉して試ると、結局、土居・中野と私との三名が相談役になつてくれるなら重役に就任の件を承諾しても宜しいとの事であつたのだ。
 そこで、私は昨年七月一旦実業界を引退したものであるから、又郵船の相談役なんかになつては、世間でも渋沢はまだ例の病が抜けぬなぞと思ふも知れず、旁々甚だ心苦しく、私の主義に反するから断ると言ひ出すと、片岡氏は爾んなら自分にも主義があるから、猶且重役になるのは断ると主張して聴かず、井上・松方の両氏は私が恢復してから交渉を試ても、是又断乎として重役就任を承諾せず、そのうち二度目の臨時総会の日取は愈よ切迫して来るばかりで、何んとも致方が無くなつてしまつた為め、仲裁者が重役に成るのも変だが、まづ隗よりはじめるより外に道が無からうと云ふので、中野氏に重役たる事を承諾させ、それから斯の問題に当初よりの関係もあること故、和田氏に新重役に加はる件を頼んでみたのである。
      全く以て窮余の一策
 ところが又和田氏が、却々頑強に拒絶して承諾してくれぬので、私は「貴君は渋沢を嗾のかして置いて、今更局に当る事を避けるとは怪しからぬじや無いか」とまで力説し、和田氏より「嗾のかしたといふのは酷い」なぞとの弁解もあつたが、結局、和田氏も就任を承諾する事となり、私は大阪の片岡氏を承諾させる必要上、厭やでも応でも相談役就任を承諾しなければ、二度目の臨時総会を眼前に控てゐながら事が破れてしまふ瀬戸際に臨んだので、什麼せ就任したからとて四・五十日間で責任を果し得らるべく、人の噂も七十五日といふが、七十五日間さへ要せぬ事だと思つたから、福沢氏よりの如き非難は必ず起るだらうと信じながらも、止む無く眼を瞑つて相談役に就任の件を承諾し、斯くして新重役には東京から和田豊治氏・郷誠之助氏、最初相談役に就任すべき筈であつた中野武営氏と、之に大阪から片岡直輝氏が加はつて四名就任し、相談役には大阪の土居通夫氏と私とが加はつて新に二名就任する事に内談一決し、四月二十五日に開かれた二度目の臨時株主総会で、孰れも選挙されて正式に就任する事になつたのである。斯くなるまでの私どもの下相談は、主として商業会議所内でやつたのであるが、内一回は銀行集会所でやつたこともあり、又一回は兜町の私の事務所でやつた事もある。
 さて、四名の新重役が就任してから、新旧十三名の重役が協議の上新に立案した利益配当案は五月二十九日の定時株主総会に提出せられ株主の承認を得たものであるが、この配当案が重役会で決定せらるゝ
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以前に、私は相談役として正式に十三名の新旧重役が揃つた重役会の席上に招ばれ、新しく作製された利益配当案につき、是非の相談を受けたのである。その際私は、十三名の新旧重役が慎重協議の上に一致して是なりとせられた案ならば、詳細の説明を聴くまでも無く素より異議を挟む次第は無いからと申述べ、これに賛意を表したのである。
      林氏何故の辞職か
 新旧重役十三名の決議によつて立案作製された利益配当案は、曩に三月七日の臨時総会を請求した株主側の意見をも容れた事になつてるので、同案は無事に定時総会を通過し、それで私ども仲裁者の目的も達し、新重役の就任した意義をも貫徹したわけになり、新重役も亦相談役も一ト先づ御用済の形となつたのである。さて先般就任した四名の新重役は当初より飽くまで重役の仲間に割り込んで這入らうといふ意志があつたのでも何んでも無く、たゞ子飼の譜代大名以外に、外様の大名をも経営者の仲間に入れ、これによつて郵船会社と一般社会との接触を謀り、重役と株主との意見を緩和しやうといふにあつたところを、唯定時総会の時日が切迫して時間の猶予が無かつた為に止むなく就任し、又私・土居の両名とても同様止むなく相談役に就任したのであつたから、定時総会が無事に終了するや、先づ片岡氏辞表を提出し、次で五月三十一日までに四名の新重役と私・土居二名の相談役も悉く辞表を提出したのである。之によつて、郵船会社は玆に新しい定款の上から重役四名の欠員を生ずることになるから、今度は時日も猶ほ充分にあつて差し迫まつて急ぐにも及ばぬこと故、ゆるゆる各方面に就き銓衡の上、同社が一般社会に接触して之と交渉を保つてゆく上から観て、適当の新人物を各方面より物色し、更めて四名重役に選むやうにすれば可いのである。
 ところが、定時総会の席上で、従来郵船会社の専務取締役であつた林民雄氏の辞表が突然発表されたので、世間は大分喧しく彼是れ之を問題にして居るらしく見受けるが、林氏の辞職は新重役四名及び相談役二名の辞職と其の性質を異にするものである。


日本郵船株式会社臨時株主総会議事録 大正六年三月七日(DK510100k-0002)
第51巻 p.373-374 ページ画像

日本郵船株式会社臨時株主総会議事録  大正六年三月七日
                  (日本郵船株式会社所蔵)
拝啓 今般当会社株主海老友次郎・馬場能職・片岡彦次ノ三氏外壱千四百拾弐名(此株数拾壱万弐千弐百九拾六株)ヨリ、左記ノ通臨時総会招集ノ義、商法第百六十条ニ依リ請求有之候ニ付、来三月七日午後二時ヨリ東京市麹町区内山下町一丁目一番地帝国「ホテル」ニ於テ、臨時総会相開候間御出席相成度、此段得貴意候 敬具
  大正六年二月十六日
             日本郵船株式会社
              専務取締役社長 近藤廉平
    株主各位
  株主海老友次郎・馬場能職・片岡彦次ノ三氏外壱千
  四百拾弐名ノ請求ニ係ル臨時株主総会ノ目的事項
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(一)総会ノ目的 左記事項ヲ決議スルコト
 一、速カニ日本郵船株式会社未払込株金全額ヲ徴集スルコト
 二、同会社定款ニ相当ノ修正ヲ加ヘ、資本総額ヲ金壱億円ニ増加スルコト
 三、同会社当期決算ノ際、前期ヨリノ繰越金全部ヲ株主ニ分配スルコト
 四、同会社当期利益配当金ヲ年四割以上ト為スコト
(二)総会招集ノ理由
 将来我日本郵船株式会社ヲシテ海運界ノ大勢ニ順応シ、遺憾無キ活動ヲ為サシメ、社運ノ発展ヲ期セムト欲スレハ、資金ヲ充実シ、以テ施設ニ十分ノ拡張ヲ行ハサルヘカラス、又株式会社ノ利益金ハ必要ナル諸銷却金及諸積立金ヲ控除シ、残余ヲ分配スルヲ原則トス、我会社ニ於テモ従来ノ如キ巨額ノ繰越金ヲ存スルノ必要ヲ認メス、故ニ前期ヨリノ繰越金全部ヲ分配シ、且ツ当期利益配当金ヲ四割以上ト為スハ、何等ノ不都合ヲ見サルノミナラス寧ロ之ヲ至当トス、以是株主総会ヲ招集シ、其決議ヲナサントス
                    以上
  ○三月七日臨時株主総会ハ招集開会セラレタルモ、三月五日海老友次郎外二名ヨリ、総会招集請求ノ撤回アリタルニヨリ、右目的事項ハ付議セズ散会ス。(日本郵船株式会社臨時株主総会議事録大正六年三月七日ニ拠ル)
  ○近藤廉平伝著者末広一雄(日本郵船株式会社々員)ノ談話ニヨレバ、此ノ問題ノ底流ハ専務取締役某ノ策動ニヨル近藤社長排斥運動ニアリタルモノナリト云フ。而シテ近藤廉平伝並遺稿(第二四九頁)ニ左ノ如キ記述アリ。
   「さて君は一たび純粋な幕僚幹部を組織し、識者の賞讚を博したものゝ喬木風を受くること多しの喩に洩れず、或は言を構へて専横の態ありと為し、或は在職長きに過ぎ後進の路を塞ぐと為すものもあつた。けれども此場合去就を潔くするが為めに勇退せんか、会社の前途は暗澹たるものがあつた。といつて会社を思ふが為めに留まらんか、離間中傷日に至るといふ有状であつた。固より夙に一身を会社に捧ぐるの堅い覚悟ではあつたけれども、さすがに少なからず憂悶せざるを得なかつた。
    続いて大正六年四月、臨時株主総会に於て取締役増員の議あり、中野武営・片岡直輝・男爵郷誠之助・和田豊治の四名が社外から新たに取締役に選任された。是は社中当面の実相を精査するに在つたと思はれる。さうして専務取締役林民雄が引退するに至り、武営等四名は在職月ならずして任を辞し、又昨大正五年神戸支店長から専務取締役に挙げられた伊丹二郎も引退した。十一月には永田仁助・柳生一義・湯川元臣の三名が内外協和の目的で、前任社外重役の補欠として取締役に就任した。」


渋沢栄一 日記 大正六年(DK510100k-0003)
第51巻 p.374 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
三日二日 晴 寒
○上略
和田豊治氏ヨリ電話アリ、大阪人ノ出京ヲ報シ来ル、午前十時商業会議所ニ抵リ○中略 午飧後日本郵船会社ニ発スル株主紛議ニ付、郷・加藤二氏ヨリ爾来ノ事情ヲ聴取ス、更ニ大阪ヨリ来着セル土居・片岡二氏ト会談シ、更ニ近藤社長ノ来会ヲ請フテ会談ス、畢テ大阪側ニ於テ株主数名ヲ出京セシメ、東京ノ株主中主脳者ト協議セシメ、其決意ヲ聞キテ始テ調停ノ任ニ当ルモノト定メ、五時過散会セリ○下略

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土居通夫君伝 半井桃水編 第八一二―八一三頁大正一三年六月刊(DK510100k-0004)
第51巻 p.375 ページ画像

土居通夫君伝 半井桃水編  第八一二―八一三頁大正一三年六月刊
  ○大正六年丁巳    八十一歳
    百三十七 関西経済調査会 電気協会大会 東京倉庫爆発
○上略
三月一日、郵船会社臨時総会に関する用件に付、片岡直輝氏同道、午後七時二十三分の急行列車にて東上
同二日、午前十時渋沢栄一・中野武営二氏と打合せの為商業会議所に集合、外に和田氏を加へ、近藤郵船会社社長の臨席を求むる事に協定す
○中略
同三日、午前八時半麻布広尾に仲小路農商務大臣を訪うて面談、帰途商業会議所に立寄つて渋沢・中野両氏に会し、別に協議の為め大阪より上京したる郵船株主及び東京側の株主数氏と会見、種々調停を試みたるが夕刻に至り遂に談判は破裂せり
同四日、午前八時半片岡氏を訪ひ、折から宮崎○敬介氏も来合せたるに付、郵船会社に対する大阪方の意見を纏め午後会議所にて再会を約し置き、早稲田に大隈侯を訪ひ、帰途三越に立寄り、やがて商業会議所に赴き、渋沢・中野・片岡三氏と協議を為し、近藤社長と会見す
  ○右文ハ土居通夫ノ日誌ナリ。翌五日片岡ト東京ヲ発ツ。


東京日日新聞 第一四四九四号大正六年三月二日 ○郵船総会の形勢 結局決議延期か(DK510100k-0005)
第51巻 p.375-376 ページ画像

東京日日新聞  第一四四九四号大正六年三月二日
    ○郵船総会の形勢
      結局決議延期か
郵船会社の増資問題に関する臨時株主総会は来る七日を以て開会さるる筈なるが、爾来会社側及増資派は極力委任状の蒐集に奔走しつゝあり、会社側にては権利数に於ては勝算明かなりとて楽観し居れるが、一方増資派にても現在東京に於ては廿二万株を蒐集し得たりと称し、尚此外大阪に於ても少くも十二万株を集め得る見込にて、大阪側代表者は是等の委任状を携へて取敢ず来る三日出京、東京側との間に策戦計画を定むる手筈となり居れりと言へり、増資派の駆り集め得たる委任状は斯かる場合其発表する所に駈引あるを慣例とするを以て、是果して事実なりや否やは未だ俄に信ずべからざるも、兎に角苟くも廿万株以上には達するなるべく、従つて総会当日は午後二時を開会時刻と定めたるを以て、是等委任状の整理のみにても数時間を要すべく、而して愈開会となりても増資派の急先鋒たる海老友一派は作戦の順序として自派の増資案を提議すべく、之が為に相当の時間を費せし揚句に東西聯合派の所謂修正案提出の段取となり、右に対して双方の質問応答より討議を重ぬる次第なれば、遂に同夜十二時に至るも対論の終結を見るに至らざるべく、斯くて本問題は遂に決議延期若くは総会の継続会を開会する外なかるべきが、重役側に於て直に投票に依つて採決せんか、増資派は猛然として之に反対し遂には大紛擾を惹起するに至るべき模様ありたれば、重役側にても斯る結果に陥らしむるは将来是等反対株主との間に甚だ忌まはしき関係を生ずることなるべきを以て
 - 第51巻 p.376 -ページ画像 
成るべく斯る抑圧手段を取らざるべく、結局前記の如く決議延期若くは総会の継続を免れざるべき形勢なるが、此際最も注目すべきは、曩に従来重役対株主間の紛争に対して調停に尽力したる関係ある郷男・加藤正義両氏の斡旋如何に依りては、一先づ無事落着する事となるべきかと


中外商業新報 第一一一〇〇号大正六年三月三日 ○仲裁現る 郵船増資問題 渋沢男爵斡旋(DK510100k-0006)
第51巻 p.376-377 ページ画像

中外商業新報  第一一一〇〇号大正六年三月三日
    ○仲裁現る
      郵船増資問題
      渋沢男爵斡旋
郵船会社の臨時総会は来る七日開会の事に迫り、此処増資派と会社重役間の権利数蒐集は激烈を極め居れるが、其勝敗の数会社重役側に有利なりとしても、兎に角数十万株の権利数を代表せる増資派の意見を票数の多少によりて解決するが如き事は、郵船会社の立場より見て面白からざる現象たるを失はず、若し夫れ
△権利数の上 に於て総会に決を取るとせば、株数八十八万株にして其株主五千一人(昨年十一月現在)の多数に上れるを、一々出席者と印鑑を引合はせざる可らす、随つて徹宵尚ほ総会を継続するの止むなきに立ち至らずとも保す可らず、而已ならず、果ては感情の昂ずる所迸りて第二の臨時総会の請求なしとも限らず、現に増資派株主中には郵船重役の出方一つにては第二の臨時総会の招集を要求し、検査役を設けて内部の調査を開始すべしとの意嚮を有するものありと云へば、此儘其成行に任せん乎、今後紛争の延長を来すべき惧れあるの形勢を呈せり、是に於て乎、郷・加藤其他の有力なる実業家の奔走となり、結局渋沢男と中野武営氏に何とか円満解決の方法なかるべき乎、敢て
△尽力方懇望 する所ありたるに就き、渋沢男と中野氏は、一面増資の狼煙を揚げたる関西財界の長老たる土居通夫・片岡直輝の両氏に上京会見を求め、両氏は二日午前八時過ぎ上京、午後一時より六時迄東京商業会議所に於て渋沢男と中野氏とに会見する所ありたり、右会見の席には郷男及び加藤正義氏あり、又中途和田豊治氏の加はるあり、都合七名相会し郵船の増資問題に関し協議を凝らせるが、愈々渋沢・中野・土居・片岡の四氏に於て問題の解決に向つて尽力斡旋する事に決定せり、依つて片岡氏は大阪株式取引所理事長島徳蔵氏に宛て解決に努力するに決せし旨打電し、同地増資団有志者の上京を促したれば引続き
△大阪側増資 派有志の上京を見るに至るべく、同時に又東京側の増資有志株主の代表者たる織田昇次郎・南波礼吉氏等に対しても会見を求め、増資派の意嚮を聴き、四氏に解決方を依嘱すべき意思の有無を確かむる手順なるが、会社側の意嚮如何に就きては前記七氏会談の席上、近藤社長の来会を求め具さに聴取する所あり、近藤男は右会談の半ばにして会社に引取り、重役会を招集協議し、六時重役会を終りて後再び商業会議所に中野会頭を訪ひ報告する所ありたり、要するに大体に於て重役側も増資側も四氏に解決方を一任するに至るべき模様にして、此上は如何なる方法の下に四氏が解決を図る乎が注意を要すべ
 - 第51巻 p.377 -ページ画像 
き事柄なるが如し、而して四氏が双方の諒解によりて解決方を一任せられたる暁、如何なる方法を以て
△問題の解決 を図るべき乎は素より推測の限りに非ずと雖も、理論上会社側の意見を穏当とするは之を認むれど、単に理論一遍にて事の解決す可きものならずとは、協議に与りし有力者の語れる所なれば、愈々解決方一任せられたる場合、四氏の試むべき解決案は
 (一)適当の時機に適当に処分すべしとする後期繰越金の処分方法並に時機内定
 (二)利益金に件ふ相当の株主配当内定
に就き商量の上双方の譲り合を求むべく、大正四年の増資後間もなき今日直ちに増資を不穏当とせば、自づから其時期を予定し、莫大なる繰越金の処分策を講ずるの方途に出づるならむ乎とせらる


東京日日新聞 第一四四九六号大正六年三月四日 郵船増資問題 調停者妙案ありや(DK510100k-0007)
第51巻 p.377-378 ページ画像

東京日日新聞  第一四四九六号大正六年三月四日
    郵船増資問題
      調停者妙案ありや
日本郵船会社は営業満期を機とし、一昨年六月三十日の臨時株主総会に於て(一)会社の存立期間を六十箇年に延長する事(二)資本金二千二百万円を増加して四千四百万円とする事(三)諸積立金四千六百二十四万円の内二千七百三十四万円は積立金として存置し、千八百九十万円を整理資金とし、此整理資金の内八百五十万円を船価償却金に充て、二百十五万円を重役及職員慰労金に、八百二十五万円を九月末株主に分配する事を決議せしが、其後海運業は益盛況を呈し、郵船会社の営業は未曾有の好成績を挙げ、最近の総会に於て後期繰越金を千八百九十六万円と決定せり、玆に於てか此繰越金を割取せんとする資本増加論者及配当増加論者各方面に起り、投機界に於ける相場師と称せらるゝ徒は最も熱心に之を主張し、郵船株主同志会と称する一派は(一)現在資本金を倍加して八千八百万円とする事(二)現在繰越金に当期利益金を加へ此中より四割の配当を引去り千六百五十万円を特別に配当する事(三)千百万円を払込に振替る事(四)剰余金三百四十万円を後期繰越金とする事を唱へ、又海老友派と称するものは(一)資本金を一億円とする事(二)現在繰越金全部を株金に分配する事、(三)当期配当金を年四割とする事を主張しつゝあり、即ち此両派の欲する所は、鉅額なる繰越金の全部を株主にて分割せんとするに在りて、其目的は、之に依つて郵船株の市価を釣上げ、依つて以て彼等の懐を温めんとするに外ならず、此以外彼等の眼中に何物もなきは弁を俟たざるなり。故に識者は之に対して一顧だも払ふ者なかりしに、郵船会社の当事者のみは聊か狼狽の気味ありて、連日鳩首対策に就き協議を凝らしたる末増資に同意せざることに決したりと聞く。是れ今の当事者は曩に従来の配当率一割を八分に引下ぐる筈なりと言明して、夙く増資論の素地を作りたるに想到して、自ら安んずる能はざるに由るならんも、我国に於て最も大なる会社の経営者としては、余りに無定見不見識にして鼎の軽重を問はれたるの感なき能はず。会社当事者狼狽の態度一たび暴露するや、増資増配論者は機乗すべしと為し、関
 - 第51巻 p.378 -ページ画像 
西側大株主は数日前大阪に会して(一)郵船新株主未払込金の内十二円五拾銭は六月中払込ましめ、残額は二回に分ち適宜徴収の事(二)新株払込済の上は一億円に増資を決行する事(三)利益分配案は年四割以上と為す事、但し少くも数年間は右以下に減ぜざる方針を執る事を決議し、委員五名を挙げ、委任状を蒐集して重役側に当る事となれり。斯くして重役側と増資派とは両々相対峙して、互に委任状の蒐集に狂奔しつゝありしが、数に於て重役側多数を占め、勝算歴々たるものありと聞くも、今や事態頗る紛糾し、来る七日の臨時総会に於て重役側は縦令勝を占むるも、増資増配案続出し、当事者之が処理に忙殺せられ事業経営に困難を来さんも知るべからざるより、東西財界の長老者は、例に依つて調停の労を執るに至れりと伝ふ。吾輩は郵船会社に何等の利害関係を有せざるを以て、増資増配問題が如何に決定さるるも、一毫の損益を感ずるものにあらずと雖も、我国海運界の権威たる郵船会社が、一部の株主而も相場師と称せらるゝ徒の為め平和を攪乱さるゝに至りたるは、重役側平素の態度と経営振りとに何等かの欠陥あるを聯想せしむるものあるを遺憾とせずんばあらず。調停者が如何なる案を立つるやは、未だ知るべからざるも、彼等は戦時準備金の性質を有する繰越金約千九百万円について、当事者が今後適当の時期来らば之を適当に処分すべしと声明しつゝあるを以て其言の如く、適当の時期を指定し、且又適当の処分方法を立案して、増資論者にも亦満足を与ふることを得ば、頗る妙なりと雖も、斯くの如きことは恐らくは至難の業ならん。然れども今日の如き莫大の繰越金存在する限りは、紛議尽くべくも思はれざらんを以て、当事者は最近に於ける一万四千六百噸許りの船舶購入を誇りとするが如き痴態を学ばず、戦時並に戦後に処すべき明確なる案を樹て、株主をして十分信頼せしむるに足るだけの手段を講ずべきなり


東京日日新聞 第一四四九六号大正六年三月四日 ○郵船仲裁者現る 東西有志者起つ(DK510100k-0008)
第51巻 p.378-379 ページ画像

東京日日新聞  第一四四九六号大正六年三月四日
    ○郵船仲裁者現る
      東西有志者起つ
郵船会社の増資問題は今や重役対株主間の重大なる衝突となり、心ある実業家は等しく憂慮しつゝありたるが、是等の諸氏は本問題を何とか円満に解決せしめんとて協議の結果、先づ従前の関係を辿りて郷誠之助男及加藤正義の両氏に対し此際調停の可なるを勧説したるに、両氏は大に之を賛し、先づ其調停者として渋沢男・中野武営氏を挙ぐる事となり、右両氏は二日午後商業会議所に於て渋沢・中野両氏と会見を遂げたるが、之より先き大阪方面よりも適当なる斡旋者の出席を求むる事とし、同憂の士たる土居通夫・片岡直輝両氏の出京を乞ひたれば、土居・片岡両氏は二日午前入京し、前記の会見に同席し、尚郵船会社よりも近藤社長の同席を求め、玆に以上五氏の会合となり、長時間に亘り協議を重ねたるも、当日は単に仲裁者間に於ける打合せをなしたる迄にて散会したるが、右仲裁者は増資派の東京側代表者たる織田昇次郎氏に電話を以て会見を申込たるも、同氏は所在不明なる為め当日は会見不能に終りたり、尚大阪側に対しては片岡氏より島徳蔵氏
 - 第51巻 p.379 -ページ画像 
に向け、増資派代表者の出京を促す電報を発したれば、右代表者の出京は三日夜となるべく、是等代表者到着の上は東西株主代表対仲裁者の会見となり玆に仲裁談の開始を見るべきが、其の結果如何は固より予想し難きも、仲裁者側の意嚮に拠れば双方の意見を十分に聴取したる上、将来事業経営上最善と認むる所に従ひ且相互の面目をも努めて之を傷けざる趣旨に依り、其裁断を無条件にて一任せん事を求むるものゝ如くなれば、愈無条件一任となるに於ては、増資の決行は或時期迄之を延期し、同時に株主配当率を幾分増加する位にて結末を告ぐるにあらざるかと観測せらる、因に近藤社長は右会合後直に会社楼上に於て緊急重役会を召集し密議する所あり、其結果中野氏を訪問して之を通告したり


中外商業新報 第一一一〇一号大正六年三月四日 ○郵船仲裁運動 増資団と会見 臨時総会運命(DK510100k-0009)
第51巻 p.379 ページ画像

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東京日日新聞 第一四四九七号大正六年三月五日 郵船仲裁交渉 株主側不一致にて未了(DK510100k-0010)
第51巻 p.379-380 ページ画像

東京日日新聞  第一四四九七号大正六年三月五日
    郵船仲裁交渉
      株主側不一致にて未了
郵船会社重役対増資派株主の紛争に対する仲裁は、四日午後二時より東京商業会議所に於て仲裁者と東西の株主代表者の会見あり、出席者は渋沢男・中野・土居・片岡の四仲裁者と、株主側代表者として織田昇次郎・南波礼吉・小布施新三郎・大縄久雄・岩崎清七・安達紋五郎・有松尚竜(以上東京側)、井上徳三郎・宮崎敬介・海老友次郎の諸氏にして、先づ渋沢男は中野氏より今回仲裁を試むるに至りたる所以を述べ、株主側の意見を聴取せんことを求めたるに対し、前記株主代表者側は交々意見を述べたる上、既報の如く繰越金の処分並に業務の刷新等に関しては特に其必要なる所以を力説したるが、仲裁者側は其主張に対しては固より可否を明言せざれど、株主側の意見は之を尊重すべし、而して此際吾々仲裁者を信頼して無条件一任することを得るや
 - 第51巻 p.380 -ページ画像 
否やを質したるに、大阪側は全然無条件委任と言ふに稍躊躇の色あり殊に彼の海老友氏は委任せられたる自己の立場云々の言に託し、無条件委任を拒みたる為、玆に株主側代表者側の意見不一致を来したるより、仲裁者側は交渉を進むる能はず、結局一先づ交渉の進行を止め、株主代表者側の意見を取纏むることとして引別れ、株主側は午後六時より南茅場町増資団事務所に集合、協議に時を移したるが、該協議の結果は五日午前中迄に仲裁者側に通告し、重ねて会見仲裁談を進むる筈なるが、是れより先き叙上仲裁談進行中、近藤郵船社長・林同専務の両氏は仲裁者を訪問して重役側の意志を通告する所ありたり、中野氏の談に依れば株主側だに誠意を以て無条件一任を諾するに於ては、重役側も無論無条件委任を承諾する模様なりと


中外商業新報 第一一一〇二号大正六年三月五日 ○増資団と会見 郵船調停有望(DK510100k-0011)
第51巻 p.380 ページ画像

中外商業新報  第一一一〇二号大正六年三月五日
    ○増資団と会見
      郵船調停有望
郵船会社の増資問題に関し渋沢男始め中野武営・土居通夫・片岡直輝以上四氏は四日午後二時東京商業会議所に於て、近藤郵船社長並に林同専務の訪問を受けたる後、増資要求株主側の有志者織田昇次郎・南波礼吉・小布施新三郎・大縄久雄・有松尚竜・岩崎清七(以上東京)、井上徳三郎・宮崎敬介・海老友次郎(以上大阪)、安達紋五郎(地方)の十氏と会見したり
△重役側に於 ては既に四氏の斡旋に対して一任の意嚮を内定したる今日とて、調停の成否は一に増資団の意思次第に係かる関係上、増資団の頭の振り方如何に就ては調停者の注意を払へる所なりし丈けに、其会見は午後六時迄継続せられ隔意なき意見を聴取したり、然るに当日は遂に増資団に於て仲裁一任と云ふ段取りに迄運ぶ能はずして立ち別れ、五日午前中に増資団としての纏まりたる意嚮を仲裁者に齎す事となれり、増資団の意嚮一致を見る能はざりしは要するに
△高倉藤平氏 一派の代表出席者たる宮崎敬介氏、及び今回増資総会の開会を要求したる海老友次郎氏一派が仲裁者の人格を信頼すれば迚其調停意見の概要をも聞き得ずして無条件委任を肯諾せざりし結果にして、東京側の織田・南波・小布施・有松氏等の一派と大阪の井上一派は、此際仲裁者の人格に信認を表し、予ての意見を際立て仲裁条件として要求するが如きを避け、円満解決を希望し居れり、増資団としては右会見後南茅場町豊田屋に集合再び取纏め方協議したるが、結局尚ほ一応委託を受けたる株主等とも打合せの必要あるべき事由により
△継続的考量 の意味を以て八時散会せり、尤も大体に於ては継続的の意味に於て四日は意見の纏まりを見るなかりしとは云へ、詰り仲裁者の調停に無条件一任するに至るべしと推すべきが如し、仲裁者の調停に一任すとせば、七日の総会は増資案の附議なくして止むべく、只仲裁者が如何にして無条件一任の仲裁振りを示す可き乎が其後の問題として残る訳なるが、(一)後期繰越金の処分以外(二)会社内部の改革は仲裁者考量の中に置かるべき主要案件たらむ乎とせらる

 - 第51巻 p.381 -ページ画像 

東京日日新聞 第一四四九九号大正六年三月七日 ○郵船問題調停協議 近藤社長の辞意(DK510100k-0012)
第51巻 p.381 ページ画像

東京日日新聞  第一四四九九号大正六年三月七日
    ○郵船問題調停協議
      近藤社長の辞意
郵船の紛糾問題は既報の如く渋沢男以下の四仲裁者に一任となりたるものゝ、仲裁案作成に就ては自ら本問題の事情に通ぜる某々氏等参加すべきは言ふ迄もなく、差詰め郷男・和田豊治氏等属目せられつゝあるが、开は扨て置き、本問題の調停協議は六日午後三時より東京株式取引所会議室に於て開催せられ、株主側の某代表者と中野武営氏は非公式に会見し、同席には特に林郵船専務も列席せる等大に注意を惹きたるが、此会見は無論双方の瀬踏み的に催されたる事にもあれば其内容等は窺知し得ざるも、是よりして調停談は歩一歩具体的に進捗すべく、尚某消息通の談に拠れば、株主側の希望せし重役一部の更迭若くは取締役の増員は最早既定の事実とも見るべく、近藤社長の如きは既に辞意を固め居れり、而して株主側より何人を選ぶべきやは未だ何等決するに至らざるも、近藤社長にして退任と決せば加藤前副社長(正義氏)を起し社長たらしむべしとは、東西株主間にも殆ど一致せる意見なりと言へば或は事実として現る事となるやも知れず


東京日日新聞 第一四五〇一号大正六年三月九日 ○郵船臨時株主総会 騒擾後結局無事終了す(DK510100k-0013)
第51巻 p.381 ページ画像

東京日日新聞  第一四五〇一号大正六年三月九日
    ○郵船臨時株主総会
      騒擾後結局無事終了す
大阪海老友一派の請求に係る郵船会社の増資問題に関する臨時株主総会は七日午後帝国ホテルに開会せるが、本問題は仲裁者に無条件一任となりたるを以て同総会は格別の波瀾等なく平穏無事に終了すべく予想せられしに、開会の順序(議題となれる増資案は之を撤回とするか、又は否決とすべきか、将た決議を延期するかに就き)に関し重役側と増資各派との間に十分の打合せを尽さゞりし為、開会間際に至りて双方間に異議を生じ、終には中野武営氏を招きて仲裁に仲裁を重ぬるの手違ひを演じたるより、開会の時刻は定刻の午後二時を過ぎ漸く四時に至りて開会することゝなりたる一方、大阪側の某等は海老友側と利害の衝突を来せし私憤を漏さん魂胆より、殊更総会を混乱せしめんことに努め、之れに弥次連の附和雷同せる等開会前には形勢甚だ険悪の光景を呈し、午後四時の開会となりては重役側対増資派各派の叙上意見の衝突は結局「本総会は請求者の提出議案撤回に拠り、総会の目的自然消滅に帰したるを以て他の議事に移らず直に閉会する事」に決せし事とて、近藤社長は右の趣旨を述べて閉会を告げんとするや、前記の株主連は盛んに之に反対して騒擾を極めたるも、其主張の支離滅裂何等の統一なかりしと、大勢既に決せることとて討論終結の動議に葬られ、結局上記の理由に拠り午後四時卅分閉会せり


渋沢栄一 日記 大正六年(DK510100k-0014)
第51巻 p.381-382 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年          (渋沢子爵家所蔵)
三月九日 雨 軽寒
○上略 午前十一時中野氏ト事務所ニ於テ会見シ、郵船会社ノ事○中略 ヲ談ス ○下略
三月十日 曇 寒
 - 第51巻 p.382 -ページ画像 
○上略 午前十時加藤正義氏ヲ訪ヒ、郵船会社ノ事ヲ談ス、十一時半田逓信大臣ヲ官舎ニ訪ヒ、同シク郵船会社新重役ノ詮考ニ付内話ス○下略
三月十一日 曇 軽寒
○上略
原田金之助氏来リ、日本郵船会社ノ内容ヲ談話ス、午後四時中野武営氏ヲ訪フテ、原田氏トノ会話ニ付意見ヲ交換ス○中略
午前十一時中野武営氏来リテ、日本郵船会社重役詮考ノ事ヲ談ス
三月十二日 晴 軽寒
○上略
午前十時半商業会議所ニ抵リ、中野氏ト共ニ近藤氏ニ会見シ、郵船会社ノ事ヲ談ス○中略
午後寺内首相・近藤氏ト共ニ郵船会社ノ事ヲ内話ス


中外商業新報 第一一一一〇号大正六年三月一三日 ○社長仲裁者会見(DK510100k-0015)
第51巻 p.382 ページ画像

中外商業新報  第一一一一〇号大正六年三月一三日
    ○社長仲裁者会見
近藤郵船社長は十二日午前十一時東京商業会議所に渋沢・中野両氏を訪ひ、調停案作成参考に資する為縷々陳述する所あり正午辞去したり


中外商業新報 第一一一一五号大正六年三月一八日 大阪電話 郵船増資善後協議(DK510100k-0016)
第51巻 p.382 ページ画像

中外商業新報  第一一一一五号大正六年三月一八日
    大阪電話
      郵船増資善後協議
滞阪中の渋沢男は、郵船会社の増資運動仲裁者として昨日午後当地の土居・片岡両氏と会見し意見の交換を為す所ありしが、渋沢男帰京の上更に中野氏に経過を報告すると共に仲裁者の意見を纏める事として散会せり、尚ほ渋沢男は今朝九時湊町発法隆寺に向ひたり
  ○右新聞報道ノ如キ郵船問題ニ関スル協議ノ記事ハ、十六日栄一日記及ビ土居通夫日誌ニハ見当ラズ。
  ○栄一、聯合国傷病兵羅災者慰問会寄付金募集ノタメ、三月十四日東京発、神戸・大阪・京都・名古屋ヲ歴巡シ、二十三日帰京ス。


中外商業新報 第一一一一九号大正六年三月二二日 ○郵船調停成行 四氏は公平を期す(DK510100k-0017)
第51巻 p.382-383 ページ画像

中外商業新報  第一一一一九号大正六年三月二二日
    ○郵船調停成行
      四氏は公平を期す
郵船調停案は目下渋沢・中野・土居・片岡の四氏の手許に於て作製中なるが、会社及増配団が共に満足する案が出来せば何等の問題を惹起せざれども、若し一方若しくは双方共に調停案に不満足なる場合は之を如何にすべきか、這は自から第二に来る可き問題なれども、調停者側に於ては何れにも偏せず最も公平にして、且つ識者をして首肯せしむるに足るだけの案は必ず作製すべしといへば、関係者は勿論世人も一般に該調停案の内容に就て注視を怠らざる也、而して四氏の胸中には既に一つの案成れりと伝へらるゝが、内容は極めて秘密に附せられ容易に之を知るを得ずと雖も、利益金の社内保留と社外配当率に最も意を須ひ、且つ社外より新重役一名を加ふることとせり、而して此二点は調停案の骨子となれるが如し、若し此案が成立するに於ては、現在の平取締役中一名退任して、曩に退官せる前逓信次官湯河元臣氏入
 - 第51巻 p.383 -ページ画像 
つて一ト先づ平取締役たる可しと


土居通夫君伝 半井桃水編 第八一七―八二〇頁大正一三年六月刊(DK510100k-0018)
第51巻 p.383 ページ画像

土居通夫君伝 半井桃水編  第八一七―八二〇頁大正一三年六月刊
  ○大正六年丁巳    八十一歳
    百三十七 関西経済調査会 電気協会大会 東京倉庫爆発
○上略
同○三月卅一日、昨夜より胸間に痛みを感じ気分何となく勝れざるに付主治医安原氏の診療を受けたるが、全く過労の為のみとあり、因つて商業会議所へ再度、電灯会社へも出務し、昨夜渋沢男より受取りたる電報に付片岡氏と協議を遂げ、郵船会社事件の為、四月三日出京の事に取極め、其旨渋沢男へ回答せり
○中略
同○四月三日夜片岡氏同車東上
同四日朝著京(此度の上京も郵船会社事件調停の為にして東京よりは渋沢・中野二氏、大阪よりは土居・片岡二氏を特選し其裁定を待つ事になりたるに付、日夜協議に協議を重ね何れも最善の努力を致したるが、其詳細の行動は今記録の徴すべきものなし)
○中略
同十八日、午前は京阪電気鉄道会社に出務、午後電灯会社へ出勤したるに、郵船会社問題にて十五日上京今朝帰阪したる片岡氏来訪、委しく東京の事情を聴く


竜門雑誌 第三四六号・第七一頁大正六年三月 郵船増資案調停成る(DK510100k-0019)
第51巻 p.383 ページ画像

竜門雑誌  第三四六号・第七一頁大正六年三月
○郵船増資案調停成る 過般来日本郵船会社株主間に増資問題起り、曩に増資派株主側より臨時株主総会の開会を請求したる為め該問題の前途如何と案ぜられしに、青淵先生・中野武営・土居通夫・片岡直輝の四長老は之を遺憾として両者の調停に努めらるゝ所あり、為めに両者も亦遂に其誠意に感じ結局無条件一任を以て之を四長老に嘱し、増資派株主側より正式に臨時株主総会開会の請求を撤回したるにより、該問題は一と先づ無期延期となりたる由。


中外商業新報 第一一一四〇号大正六年四月一二日 ○重役内定 郵船新取締役(DK510100k-0020)
第51巻 p.383-384 ページ画像

中外商業新報  第一一一四〇号大正六年四月一二日
    ○重役内定
      郵船新取締役
日本郵船会社新取締役四人の何人に決定すべき乎は尚交渉中のものありて不明なるが、片岡直輝氏は渋沢男と中野・土居の両氏とが、定款に規定せらるべき
△責任ある相談役 たるに於ては自分も就任すべしと云ひ居たるが、右三氏の内諾を得たる結果片岡氏も愈々出馬を決意したり、他の三取締役の顔触に就ては郷誠之助・井上準之助・松方巌の三氏を物色し、郷氏に対しては片岡氏より出馬方交渉する所あり、然るに郷氏は何等乎の鍵を握らざる以上取締役の就任を肯ぜざるも、郷氏の斯く難色あるは要するに重大の責任を感じ万一の失敗を懸念するが為めなれど結局は出馬するに至るべしと信ずべき理由あり、郷氏出馬せば井上正金
 - 第51巻 p.384 -ページ画像 
頭取と松方十五銀行頭取との両氏亦出馬を肯諾すべき模様あり、重大の故障発生せざる限り大体に於て四取締役は右の通り片岡直輝・郷誠之助・井上準之助・松方巌の四氏に内定を見、廿五日の総会に於て選挙せらるゝものと見て不可なきが如し、而して井上正金頭取の就任は
△大蔵大臣の認可 を得る必要あれど、田逓信大臣に於て斡旋する段取りとなり居れりと聞けば事は容易に運ぶ可く、郷氏の旧株五百株を所有するを除けば片岡・井上・松方の三氏とも郵船会社の株式を所有せざるが故に、総会迄には夫々必要とする百株以上の同株を所有し其資格を作らるべく、尚ほ四取締役の外に、定款の上に新に規定せらるべき四相談役としては
 渋沢男 中野武営 土居通夫 加藤正義
の四氏就任の事に是亦内定せりと信ぜらると云へり


中外商業新報 第一一一四六号大正六年四月一八日 ○郵船重役候補 中野氏の出馬 和田氏未返答(DK510100k-0021)
第51巻 p.384 ページ画像

中外商業新報  第一一一四六号大正六年四月一八日
    ○郵船重役候補
      中野氏の出馬
      和田氏未返答
日本郵船会社の新取締役として井上準之助氏の出馬を謝絶せし為め、其後釜に和田豊治氏を推す事となり、片岡直輝氏の上京を見るに至れるが、片岡氏は滞在の上十七日も和田氏の決意を慫慂するに努むる所ありたり、然るに和田氏は同日中
△尚最後の決心 を為す迄に運ばず、其愈々の運びを見るは十八日か或は十九日となるべきが、抑も氏は四長老を郵船問題の仲裁役たらしめし原動力者なれば、義理合ひの上よりするも結局長老の顔を立つる外なかるべし、況んや四長老の一員片岡直輝氏が身を挺して自ら取締役たるを承ひたるに次で、十七日に至りては中野武営氏も亦取締役の一員たるを承諾せるに於てをや、残る問題は郷誠之助男の肯諾を得るにありと雖も男の肯諾には条件あり、其条件を容るゝや否やによりて
△男出馬の決心 を左右する事となる訳なるべけれど、中野氏が相談役より一歩を進めて、責任ある取締役に進んで加はるの余儀なき事情に立ち至りし以上は、郷男の決意を促すに与りて力あるべき乎、要するに中野氏の出馬は郷男に取り又和田氏に取りて情義上見棄て難き重石を置くものとして、又和田氏に対する片岡氏の如く郷男に対しては中野氏の出馬が両氏の決心を速かならしむべきものと解せらる、随つて更に新しき障碍の発生なき以上四名の新取締役としては
 中野武営 片岡直輝 郷誠之助 和田豊治
以上一男三氏を候補者に
△一両日中決定 すべく、相談役としては渋沢男・土居通夫・加藤正義の三氏に当る事とならむ形勢となりたりと云へり


中外商業新報 第一一一四七号大正六年四月一九日 ○郷・和田氏承諾 渋沢事務所会合 郵船重役内定す(DK510100k-0022)
第51巻 p.384-385 ページ画像

中外商業新報  第一一一四七号大正六年四月一九日
    ○郷・和田氏承諾
      渋沢事務所会合
      郵船重役内定す
 - 第51巻 p.385 -ページ画像 
中野武営氏は十八日午後二時東京株式取引所に郷誠之助男を訪ひ、二時間に亘りて熟談を遂げたる結果、郷男は郵船会社新重役たる事を承諾せり、郷男は中野氏自ら進んで取締役たるを決意したる為め、此際先輩に対する礼譲としても彼是の条件を附せずに取締役たる可しと做し、扨こそ承諾の決意を為したる次第なるが、一方和田豊治氏も亦長老の切なる勧説否み難く遂に取締役たる事を内諾せり、依つて午後四時半より渋沢事務所に主人男爵と中野・郷・和田三氏との会見あり、四氏の間に更に熟談を遂げて五時廿分三氏は辞去せり、此結果多分十九日には新取締役候補として中野・片岡・郷・和田の四氏に決定せる旨発表さるゝに至る可しと云ふ


中外商業新報 第一一一四八号大正六年四月二〇日 ○郵船重役決定 近藤社長に通告(DK510100k-0023)
第51巻 p.385 ページ画像

中外商業新報  第一一一四八号大正六年四月二〇日
    ○郵船重役決定
      近藤社長に通告
郵船会社の新取締役として中野武営・片岡直輝・郷誠之助・和田豊治の四氏入社する事に決したるを以て、十九日正午商業会議所に於て渋沢・中野両氏は近藤郵船社長を招致し此旨通告したり、前記四氏中郷氏の旧株五百株を所有するを除く外は凡て会社の株主にあらざるを以て、百株以上の株式を所有し資格を作る必要あり、廿日迄に之が手続を終了する由なるが、渋沢男及び加藤正義・土居通夫の両氏は会社の相談役となるべき筈也


日本郵船株式会社 第三二期前半年度 営業報告書 刊(DK510100k-0024)
第51巻 p.385-386 ページ画像

日本郵船株式会社 第三二期前半年度 営業報告書  刊
    第二 株主総会
○上略
一大正六年四月二十五日、東京市神田区美土代町三丁目三番地基督教青年会館ニ於テ臨時株主総会ヲ開ク、出席ノ株主三千二百六十五人此株数六十三万八千二百十五株、社長近藤廉平氏会長席ニ着キ、左ノ件ヲ議了セリ
 一定款第十六条第一項中「五名以上九名以内ノ取締役」トアルヲ、「五名以上十三名以内ノ取締役」ニ改メ同第二十二条ノ次ニ「第二十二条ノ二 取締役ハ取締役会ノ決議ヲ以テ相談役若干名ヲ置クコトヲ得」ノ一条ヲ加フル事
 一取締役定数ノ改正ニ件ヒ、取締役選挙ノ件ハ、原案中「取締役選挙」トアルヲ「取締役四名選挙」ニ修正シ、選挙ヲ行ヒタルニ、中野武営氏・片岡直輝氏・男爵郷誠之助氏・和田豊治氏当選ス
  ○外二件略ス。
○中略
    第十 役員
一大正六年五月五日定款ノ規定ニ依リ、取締役会ニ於テ男爵渋沢栄一氏・土居通夫氏・加藤正義氏ニ相談役ヲ依頼セリ○下略
  ○定款第十六条ノ旧条文次ノ如シ。
    「総会ニ於テ百株以上ヲ所有スル株主中ヨリ五名以上九名以内ノ取締役及三名以内ノ監査役ヲ選定ス」
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  ○改正定款ハ即日逓信大臣男爵田健治郎ヨリ認可セラレ、増員取締役ノ選挙ハ会長ノ指名ニ一任セラル。


日本郵船株式会社臨時株主総会議事録 大正六年四月二五日(DK510100k-0025)
第51巻 p.386-387 ページ画像

日本郵船株式会社臨時株主総会議事録  大正六年四月二五日
                   (日本郵船株式会社所蔵)
○会長(男爵近藤廉平君)○上略 本日ノ臨時総会ノ重ナル議案ハ、定款ノ改正即チ取締役ノ増員及相談役ノ新設デアリマス、其理由ニ付テ申述ベマシテ、御参考ニ供シマス○中略 会社創立当時ニ於ケル重役ハ五名デゴザイマシタ、其以来明治二十六年商法実施ノ時ニ、官選ヲ止メテ一般商法ノ支配ヲ受ケルコトニナリ、公選トナツテ重役ヲ十一名ニ増員ヲ致シタノデアリマス、是ハ其時ノ必要ニ応ジテ致シタノデゴザイマス、其時ノ会社ノ資本金ハ八百八拾万円、所有船舶ハ六万四千余噸ニ過ギナカツタノデゴザイマス、其後二十九年ニ至リ資本金ヲ弐千弐百万円ニ増加シテ航路ノ拡張ヲ計リマシタ、而シテ一昨年――大正四年会社ノ三十年期限満了ニ至ル迄ハ、重役ハ十一名ノ定員デゴザイマシタガ、実際ハ或ハ九名トナリ八名トナリ、最少限ガ八名デゴザイマシタ、而シテ営業満期ノ臨時総会ニ於テ、追追会社ノ業務モ整頓シ、当分九名ナラバ差支ナカラウト云フコトデ其時御諮リヲ致シマシテ、十一名ヲ九名ニ減定致シタノデゴザイマス、然ルニ其後ニ至ツテ前申上ゲマシタ通リ、欧洲戦乱勃発以来、会社ノ事業ハ俄然トシテ膨脹シ、又会社ノ業務モ極メテ繁激ヲ見ルニ至リマシテ、今日ノ現状ニ徴シテ将来ヲ慮リマスト、重役ノ増員ハ必要デアルト感ジツツアル際ニ、去ル三月七日ノ臨時総会ハ株主ノ請求ニ係リ、株主ト重役ト其意見ヲ異ニシテヰル結果、或ハ衝突ヲ起シハセヌカ、若シ衝突ヲ起シタナラバ、会社ノ将来ニ不利ヲ来シハセヌカ、延イテ国家ノ機関ヲ傷ケハセヌカト云フコトヲ憂慮セラレテ、東京・大阪ノ実業界ノ泰斗トシテ仰ガレテ居ル四名士ガ、坐視傍観ハ出来ヌト云フコトデ、好意ヲ以テ調停ヲ申込マレタノデアル、臨時総会請求ノ株主ヲ代表セラレタル海老友次郎君外三名ト又東京ノ株主ヲ代表セラレタル三五ノ諸君ガ、此ノ好意的調停ヲ諒トシテ、調停ニ応ゼラレタノデゴザイマス、又会社側ニ於テモ斯ル四名士ガ斯ル場合ニ於テ好意的ニ調停サレルコトハ、其必ズヤ公平至当ナル調停ヲセラルルコトデアラウト思ウテ、此調停ニ応ジタノデゴザイマス、其結果、提出セラレタル臨時総会ノ請求書ハ提出者ニ於テ撤回セラレタノデゴザイマス、其後ニ至ツテ調停者ノ中ニ所謂審議熟慮ヲ重ネ、会社側ニ対シテハ今日ノ現状ヨリスレバ、取締役ノ増員ヲシタ方ガ最モ時機ニ投ジタコトデ必要デアルマイカト云フ提議ヲ受ケタノデゴザイマス、会社ニ於テモ前ニ申シタ通リ、今日ノ現状ヲ以テ将来ヲ慮リ、重役ノ増員ノ必要ヲ認メテ居ル際デアリマシタカラ、玆ニ調停者ノ意見ト合致致シマシテ、調停者ノ意見ヲ容レテ玆ニ臨時総会ヲ召集シテ、皆サンニ御諮リスル次第デゴザイマス、又是迄ニモ会社ニハ相談役ト云フモノハアリマシタガ、未ダ総会ニ御相談ヲ致シタコトハゴザイマセヌ、重役ノ所謂諮問機関トシテ相談役ヲ頼ンデアリマスガ、ソレト同様ニ又相談役ヲ置クノ
 - 第51巻 p.387 -ページ画像 
必要ヲ今日感ジテ居リマスノハ、斯ク大会社ノ一トシテ数ヘラレテ居ル時ニ当リ、即チ日本ノ実業界ニ於テ熟達シタル人ヲ相談役トシテ御頼ミスルコトハ必要デアラウト思フノデゴザイマス、是等ノ方ヲ御頼ミ致シマスルニハ、重役ガ私ニスルヨリ、人ヲ迎ヘルニハ重キヲ以テ迎ヘル方ガ宜カラウト云フノデ、此定款ノ改正ノ一部分ニ之ヲ加ヘタノデゴザイマス、此ノ理由ヲ認メラレテ、ドウゾ原案ニ賛成アランコトヲ願ヒマス


竜門雑誌 第三四八号・第八九頁大正六年五月 ○青淵先生の日本郵船相談役(DK510100k-0026)
第51巻 p.387 ページ画像

竜門雑誌  第三四八号・第八九頁大正六年五月
○青淵先生の日本郵船相談役 日本郵船会社にては五月五日本社に於て臨時重役会を開きたるが、当日は近藤社長以下重役全部出席の上、取締役会の決議を以て青淵先生及び土居通夫・加藤正義の三氏を相談役に推選することに内定し、来る総会に提出せらるべしと。


東京日日新聞 第一四五八四号大正六年五月三一日 ○新重役全部辞職(DK510100k-0027)
第51巻 p.387 ページ画像

東京日日新聞  第一四五八四号大正六年五月三一日
    ○新重役全部辞職
四月廿五日の臨時総会に於て選任されたる新重役中、片岡直輝氏率先して廿九日の株主総会開会当日辞表を提出し、尚郷男及中野・和田氏も近く辞任すべしとは既報の如くなるが、右三氏は卅日午前兜町渋沢事務所に会合し、渋沢男及中野氏より、郵船重役と株主との紛争も兎に角一段落を告げたるを以て、予等は最早其任に止まる必要なきに至れるが故に玆に片岡氏と共に辞任する事としたり、而も此際新重役一同辞任するは甚だ穏かならざる嫌ひなきにあらざるのみならず、社業の前途頗る多端なるを以て両氏は今暫らく留任せられたしと勧告する所ありたるが、郷男及和田氏は当初就任当時の事情よりして到底其勧告に応ずる能はず、既に単独辞職の意をも決し居れりとの事なりしより、玆に一同辞表を提出するに決し、一方在大阪なる土居相談役にも此旨電報すると同時に、前記四氏の辞表は中野氏之を携へ郵船会社に出頭して近藤社長に提出(加藤正義氏のみ従来の関係にて留任)したれば、会社に於ては直に重役会を召集して善後策を協議したるが、辞職は各任意の行動なるのみならず、今更留任勧告の余地なきを以て夫々其手続きを履む事に決したるが、其欠員(林氏の後任と共に取締役五名)に対しては現重役何れも来る十一月を以て任期満了となるが故に、其改選迄欠員の儘とするに決したり左れば重役問題に関しては当分平穏無事なるべきが、来るべき改選期に至れば又復一騒動起るべき模様なり、因に如上重役会の結果に就ては何故か当分之を発表せざる事に申合せたり


日本郵船株式会社 第三二期後半年度 営業報告書 刊(DK510100k-0028)
第51巻 p.387 ページ画像

日本郵船株式会社 第三二期後半年度 営業報告書  刊
    第十 役員
一、専務取締役林民雄氏ハ大正六年五月二十三日辞任セラレタリ
一、取締役片岡直輝氏ハ大正六年五月二十九日、同中野武営氏・同男爵郷誠之助氏・同和田豊治氏ハ同年五月三十日辞任セラレタリ
一、相談役男爵渋沢栄一氏・同土居通夫氏ハ大正六年五月三十日辞任セラレタリ

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竜門雑誌 第三四九号・第九二―九四頁大正六年六月 ○青淵先生の日本郵船会社相談役辞任(DK510100k-0029)
第51巻 p.388-389 ページ画像

竜門雑誌  第三四九号・第九二―九四頁大正六年六月
○青淵先生の日本郵船会社相談役辞任 五月五日の臨時重役会に於て社長以下新旧重役出席の上、青淵先生外二氏を相談役に推薦して其承諾を得たる日本郵船会社は、同九日更に重役会を開き、社長以下新旧重役出席の上、当期決算案に関し協議したるが、当日は内繰越金処分案未決の為め散会し、十日引続き開会し、社長以下新旧重役及び三相談役孰れも出席の上、久しく世間の問題たりし同社株主当期配当案も第一配当金年三割、戦時特別配当金年四割、合計年七割の配当を為すの案を定め、同二十九日株主総会を開きて右の原案を提出して之を決議したるが、これより先同社専務取締役林民雄氏予て辞表提出中なりしを以て、同二十八日其辞職を承認し、越えて前記総会終了後、新取締役たる片岡直輝氏も亦辞任を申出で、翌三十日に至るや、中野武営・郷誠之助・和田豊治の三新取締役及び青淵先生・土居通夫の二相談役(加藤正義氏を除く)相次で辞表を提出せり。依つて同社は卅日及び翌卅一日の両日緊急重役会議を開きて其前後策に付種々鳩首協議する所あり、結局以上の七氏に対して極力其留任を懇請したるも、到底七氏の辞意動し難きを以て、六月一日三度び重役会議を開きて七氏辞任に対する手続を為す事に決議したる由なるが、尚ほ聴く所に依れば前記重役の補充は逓信省当局の意嚮を質したる上、当分之を行はざるに内定したりと云ふ。右に就き青淵先生は今回辞職せる新重役及び相談役全部を代表して、其辞職理由を語られたる由諸新聞紙は報ぜり、左は五月卅一日発行の東京朝日新聞所載青淵先生の談による。
 △重役増員の理由 日本郵船の増資増配に関する紛糾を解決する為め先頃就任せる重役等は、既に二十九日の総会に於て同問題も円満に解決し、一応任務を終へたるが為め、翌三十日一同辞表を提出したるものにして、全く他意あるに非ず、元来郵船の利益金処分が経済界の大問題となり、会社と株主との間に扞格を来し、之を解決する為め予等が調停の任に当れる当時、重役の増員を提議せるは、一時的増員に非ずして永久的増員なりし事は云ふを俟たず、従来日本郵船の歴史を見るに、同社の重役は事業経営者の外に社会的名望を有する人々の集まりて経済界に重きをなし、又社会と接触を保ち来れるが、近来同社の重役は主に会社生立の人々のみにて、事業経営上の手腕は敬服すべきものあるも、世間と没交渉と云へば語弊あれど多少此嫌ひありしが為め、株主との折合も円満ならず、終に今回の如き紛擾を来せるものと思惟したるより、此機会を利用して他より地位名望ある実業家を招きて重役とし、以て社会と接触せしめ会社永遠の安寧を図らんとしたり
 △急場の間に合せ 然るに予等の調停者として起ちたる時より、之を解決すべき臨時総会迄は時日余りに短く、極力各方面を物色したるも容易に適当なる人物を得る能はず、已むなく繁務に就きつゝある人々に懇請し、中野氏の如き調停者自身就任せざる可からざるの苦境に陥り、漸く総会迄に四名の重役を得るに至れる次第なり、右の如き事情にて新重役は何れも到底永く其任に堪ふる能はず、今回
 - 第51巻 p.389 -ページ画像 
難問題も解決し、一応其任務も終へたるを以て、玆に辞職を敢てするに至れるものなり、而して同社の重役は来る十一月を以て満期となる筈なるが、若し同社にして予等の最初に於ける意見を容れ、社会的に地位あり名望ある人物を以て之が補欠をなさんとせば、それ迄には之を銓衡すべき余地も十分あるべく、又新重役を銓衡する上より見ても、其椅子を退くの適当なるを認めて、玆に辞職を敢てするに至れる次第なり
 △相談役は影のみ 又相談役たる予及び土居氏の辞任せるも、其中心たる新任重役の辞職せる以上、影の如き相談役の止まる必要を認めざるが為なり、殊に予の如きは昨年実業界を引退して以来、斯の如き地位に就きたるは全く其本意に非ず、唯新旧重役の内に意志疎通せざる場合に、調停の労を執らんが為め強ひて就任したるまでにて、既に問題は円満に解決し、新重役辞職するに至れるを以て、同時に辞表を提出したる次第なりと。
  ○日本郵船株式会社株主ノ紛争原因ノ一タル当期利益金処分問題ハ、大正六年五月二十九日定時株主総会ニ於テ、会社原案トシテ第一配当金三割(内訳 配当金八分、特別配当金二分、臨時特別配当金二割)ノ外、戦時特別配当金四割合計七割配当案ヲ提出、可決セラレテ解決シ、増資問題ハ、大正六年十一月二十九日定期株主総会ニ於テ、現在新株未払込金全部払込完了後、資本金四千四百万円ヲ金壱億円ニ増加スルコト決議セラレ、同時ニ実現セラレテ解決ス。(第三二期後半年度及ビ第三三期前半年度「日本郵船株式会社営業報告書」ニ拠ル)



〔参考〕中外商業新報 第一一三四一号大正六年一〇月三〇日 ○郵船重役曲折 渋沢男斡旋辞退(DK510100k-0030)
第51巻 p.389-390 ページ画像

中外商業新報  第一一三四一号大正六年一〇月三〇日
    ○郵船重役曲折
      渋沢男斡旋辞退
日本郵船会社の重役欠員は現に取締役に五名を算する而已ならず、十一月任期満了すべき者現取締役中
△近藤社長以下 須田副社長・伊東専務、及び原田・堀・谷井の三氏を除く外全部改任を要し、之れが選任には甚だ困難の事情を伴ふに至れり、近藤社長は夙に此の点を顧慮し、渋沢男及び中野武営氏に対し郷男及和田豊治氏就任斡旋方を依頼したるも、既に一旦取締役を辞任したる両氏は素より応諾すべくもあらず、現に織田昇次郎・南波礼吉両氏が廿七日渋沢男及中野氏と会見したる際には、郵船取締役の選任に就ては斡旋方断念の意を漏らしたりと伝へらるゝが、織田・南波両氏の渋沢男及中野氏を訪問したるは、要するに(一)会社の払込及増資(二)前期の増配並に(三)会社内部改革の三件を提げて有志株主団を組織したりし
△従来の行懸上 後任重役の選任を渋沢男及中野氏に依嘱するが最も穏当にして公平の処置なるべしとの意味に於てに外ならざりし趣にて渋沢男及中野氏に於て後任取締役の選定を辞退するに傾きたる以上は(イ)株主側が自ら之に当る乎、夫とも(ロ)会社側に全然人選を委託する乎又は(ハ)会社側及株主側の協同一致に俟つ乎の外なかるべき形勢なれど、昨今の情勢より見れば株主自ら人選して会社側に容認
 - 第51巻 p.390 -ページ画像 
を迫るが如き積極的態度も見えず、素より運動がましき企図は少く共現在に於ては皆無なると同時に、会社側が専擅的に人選す可き意志も左迄強烈ならざるは、近藤男が渋沢・中野両氏に人選方を依嘱したるに徴しても知らるべし、(ハ)の協同的人選は最も好都合とする所あるべけれど
△実行頗る困難 なるべく、結局は(ロ)の会社側特に近藤社長の人選に委するの外なかるべきが、斯くなればなる程近藤男に於ても責任の重きを感ずる次第にして、勢ひ監督官庁たる逓信大臣に於ても進んで之を推薦するは困難なるべく、要するに目下の場合人選最も困難の立場にあれば、今少しく総会間近く進まざる以上人選を了し得ざるべきと同時に、満期取締役は其儘居据り、外に一両名の重役を選定する事となるべし、世間には近藤社長としては此際全然自己を中心とする内閣を組織するの底意を有すなどゝ伝ふる向もあり



〔参考〕中外商業新報 第一二五九四号大正一〇年四月九日 郵船社長披露 八日工業倶楽部(DK510100k-0031)
第51巻 p.390-391 ページ画像

中外商業新報  第一二五九四号大正一〇年四月九日
    郵船社長披露
      八日工業倶楽部
日本郵船会社取締役社長伊東米治郎氏並に副社長永富雄吉氏は、其新任の披露会を八日午後六時日本工業倶楽部に於て開けり、七時半開宴デザートコースに入り、伊東社長は
 廿七年間海運事業に渾身の努力を竭したる海運界の第一人者故近藤廉平男の後を継ぎ、殊に多端の際社長の大任に就く、鋭意微力を用ひんのみ、先覚渋沢子爵始め実業家其他多数援助の下に任に膺るを得ば、啻に一身の至幸に止まらざるべし
との意味の挨拶を述べ、之に対し渋沢子爵は来賓を代表し
 郵船会社の今日あるは故近藤男の努力にも依れど、国運の進歩発達も亦大に資せるを忘る可らず、同時に男の下実務に膺りし現伊東社長・永富副社長諸氏の熱心社業に尽力したるに負はずんは非ず、海運界は多事也、此事は過日伏見宮邸に於ける伊東社長の講演にても窺知し得べく、寔に重要機会に際し実務に通暁せる伊東社長の就任は其適当なるを確信す
と答へ、交々乾杯し、宴後活動写真の余興あり九時半盛況裡に散会したり、当日の来賓は渋沢子爵・団琢磨・木村久寿弥太・早川千吉郎・武井男・木村清四郎・佐々木勇之助・池田謙三氏等を始め約三百名、内其他主なる諸氏左の如し
 井上公二・磯村豊太郎・石井健吾・原富太郎・服部金太郎・橋本圭三郎・星野錫・堀内明三郎・土佐孝太郎・大橋新太郎・大谷嘉兵衛・大久保利武・小野英二郎・小田柿捨次郎・渡辺勝三郎・川上直之助・各務鎌吉・神田鐳蔵・梶原仲治・片山繁雄・米山梅吉・高山長幸・高松豊吉・佃一予・根津嘉一郎・成瀬正恭・中川小十郎・南波礼吉・南条金雄・村井貞之助・室田義文・能見愛太郎・窪田四郎・倉知誠夫・山成喬六・山科礼蔵・山下亀三郎・安川雄之助・矢野恒太・松方巌・松方五郎・前田二平・槙哲・藤田謙一・藤瀬政次郎・福原有信・小池国三・小布施新三郎・近藤滋弥・昆田文次郎・江口定条・
 - 第51巻 p.391 -ページ画像 
有賀長文・青木菊雄・穴水要七・麻生二郎・指田義雄・桐島像一・菊池幹太郎・菊本直次郎・塩田泰介・白岩竜平・白石元次郎・志立鉄次郎・土方久徴・菅原通敬