デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
3款 東洋紡績株式会社
■綱文

第52巻 p.152-161(DK520015k) ページ画像

大正3年6月26日(1914年)

是日、先ニ栄一ノ指導ノ下ニ創立セル大阪紡績・三重紡績両株式会社合併シ、新タニ資本金千四百二十五万円ヲ以テ東洋紡績株式会社設立セラル。

栄一、当会社ノ相談役トナル。大正五・六年ノ交相談役ヲ辞シタルモ、引続キ営業ニ関スル報告ヲ受ク。


■資料

伊藤伝七翁 絹川太一編 第二一七―二二五頁昭和一一年八月刊(DK520015k-0001)
第52巻 p.152-153 ページ画像

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大日本紡績聯合会月報 第二六〇号・第五四―五六頁大正三年四月 ○大紡・三重紡合併総会(DK520015k-0002)
第52巻 p.153-155 ページ画像

大日本紡績聯合会月報  第二六〇号・第五四―五六頁大正三年四月
    ○大紡・三重紡合併総会
大阪紡績会社は三重紡績会社と合併の件に付き本月十日午後本社に於て臨時株主総会を開きたるが、新会社の名義たる東洋紡織株式会社を東洋紡績株式会社と改めたる外、左の合併条件に対し原案を可決せり
 第一号議案 左記条件に従ひ、当会社は大正三年六月廿六日を以て三重紡績株式会社と合併し、新に株式会社を設立する事
      合併条件
  一、新会社は東洋紡織株式会社と称し、其本店を三重県四日市市に設くる事
  二、新会社の資本金を金一千四百二十五万円とし、之を二十八万五千株に分ち、一株の金額を金五十円とする事、総株式の内十八万五千七百三十八株は全額払込とし、残り九万九千二百六十二株は一株に付金三十七円五十銭払込とし、新会社の株式を発行する事
  三、三重紡績株式会社(以下甲会社と称す)及大阪紡績株式会社(以下乙会社と称す)最終の株主は、其所有する株式に対し左の割合を以て新会社株式の分配を受くる事
   (一)甲会社金五十円払込済株式一株に対し、新会社金五十円払込済株式一株
   (二)甲会社金二十五円払込の株式を所有する株主は、本年六月廿六日迄に一株に付更に金十二円五十銭の払込をなし、其一株に対し新会社金三十七円五十銭払込済株式一株
   (三)乙会社金五十円払込済株式五株に対し、新会社金五十円
 - 第52巻 p.154 -ページ画像 
払込済株式四株
   乙会社株主が前項第三号に依り分配を受くべき株数に一株未満の端数を生じたるときは、其端数を通算合計し、其合計に相当する新会社株式は設立委員の協議に依りて定むる代表者の名義と為し置き、新会社設立登記の後取締役の定むる手続に従ひ之を競売し、代金は端数に応じて乙会社最終の株主に分配する事
  四、新会社は甲乙各会社株主に対し、大正三年上半期利益配当金其他に代へ、左記金額を分配する事
   (一)甲会社最終の株主に、其払込株金に対し普通年一割二歩特別年八分に相当する金額、外に合併に付特に旧株一株に付金二円新株一株に付金一円
   (二)乙会社本年五月廿五日現在の株主に、其払込株金に対し普通年一割二歩特別年六歩に相当する金額、又乙会社最終の株主に同年五月廿六日より同年六月廿五日に至る一ケ月間其払込株金に対し、年一割四歩に相当する金額、外に合併に付特に一株に付金二円五十銭
  五、甲乙両会社の取締役・監査役並に使用人に対する特別慰労金は、相当の時期に於て甲乙両会社の取締役及監査役合議の上之を定むる事
  六、商法第四十四条の三に拠る設立委員は甲会社二名、乙会社二名とし、各其株主総会に於て選任する事
  七、新会社の取締役並に監査役は各七名とす
  八、甲乙両会社の株主総会又は其一方の株主総会に於て、本条件に基く合併を可決せざる時は、本決議は当然其効力を失ふ事
 第二号議案 前記合併条件第六項に基き設立委員二名を選任する事
 第三号議案 会社合併に付重役及使用人に特別慰労金を支給する事
 第四号議案 定款第十四条中「三十日を超えざる期間」の十字を削除する事
其他数件にして、尚三重紡績に於ても同時に合併原案を可決したりと当日山辺社長は株主に対しさの演説をなせり
 諸君、我が大阪紡績株式会社は本年六月廿六日を期し、三重紡績株式会社と合併し、新に株式会社を設立せむとし、之が決議を求むる為め本日臨時株主総会を開催したり、予は此機会に於て、合併の動機・理由・目的其他を略述して諸君の御参考に供せんとす
 諸君の知らるゝ如く、大規模の組織により工業を経営することは近時事業界の新傾向にして、又其趨勢たり、両会社の経営者は此主義に基づき、他会社の発展に後れざらむことを期するに於て其所見を一にし、其の動念を同くしたり、従つて現状維持に満足せず、増資合併若くは其他の方法に依りて、一層事業を拡張せむとするの志望を同くし、又可成不利益なる競争を避け利益の増進を企図せむとするの希望を共にしたり、然るに最近に於て支那関税問題の発生あり近き将来に於ては巴奈馬運河の開通を見むとするありて、此等の対外関係は両会社経営者に顕著なる刺戟を与へ、殊に既に制定せられたる工場法の実施に伴ふ製額減少に対して、予め準備を要するの一
 - 第52巻 p.155 -ページ画像 
事は、我等をして両会社の合併に依りて事業を拡張するの必要を一層緊切に感得せしめたり
 合併に就ては固より相手を択ばざる可からず、我が大阪紡績株式会社が合併の相手として特に三重紡績株式会社を撰びたる所以は、両会社は其の経営方針に於て相類似し、其の製品の種類は殆んど同一に属し、且つ両会社は其販売市場を一にする為め、若し両社合併せば競争に因り被るべき不利益を免るべし、幸ひ両会社は其の沿革上従来より姉妹会社の観ありて、其の情誼は極めて親密なるのみならず、営業上の実力も亦伯仲の間に在るを以て、双方共に合併に困難を来すの事情を有せず、是れ合併の相手として特に三重紡織株式会社《(三重紡績)》を択びたる所以なり
 若し夫れ合併より生する利益に至りては甚た多し、今其の二・三を挙ぐれは、従来両会社が其製品販売上兢争の為め被りつゝありし不利益を免れ得るのみならず、合併の結果は会社の信用を高め、他会社に対する競争力を強くし、従て販路の拡大を見るべきは勿論、従来同一工場に於て多種多様なる製品を製出するが為に受けつゝある損失を避け得る等、一層分業の利益を享受するを得べし、又相互智識の交換に依りて、技術上の進歩を促進し得可が如き、其他営業事務費・製品運賃及び職工募集費等に於ても著しく節約することを得べし、是れ皆合併より生ず可き利益の重なる点なりとす
 最後に両会社の合併に於て吸収合併の形式を採らすして設立合併の形式を採りし所以は、双方の歴史を尊重するの目的に出でたること其理由の一なるも、亦之に依りて両社の短を去り長を発揮することを得べく、且つ設立合併は吸収合併に於て被買収会社の使用人及職工の心理状態に及ぼす悪影響を避け得るのみならず、新会社の設立は内外に対して新たなる発展の意を宣明し、且つ合併の成立を容易ならしむるの特点を有す、此等の事情を参酌せば、設立合併の形式を採りたる為め、設立登記料及び不動産登録税に於て二万余円を余分に負担することとなるも、こは必ずしも不廉の代価と言ふ可らず以上の各理由に依りて、我重役会は合併を適当且つ有利と認め、其議決に従ひ之を臨時総会に提案せり、予は諸君が熟慮審議して之に賛同の意を表せられんことを望む


大日本紡績聯合会月報 第二六三号・第四六頁大正三年七月 ○東洋紡績成立(DK520015k-0003)
第52巻 p.155-156 ページ画像

大日本紡績聯合会月報  第二六三号・第四六頁大正三年七月
    ○東洋紡績成立
東洋紡績会社創立総会は、前月二十六日三重紡本社内に開会、出席者は伊藤伝七・斎藤恒三・山辺丈夫・阿部房次郎の創立委員及両社株主にして、伊藤伝七氏座長席に着き、創立委員の起草せる東洋紡績会社定款を付議し、異議なく可決の上、取締役・監査役の選挙は株主の動議に依り詮衡委員を設け、其結果、座長は
 取締役に伊藤伝七・斎藤恒三・服部俊一・岡常夫・真野愛三郎(以上三重紡側)山辺丈夫・阿部房次郎(以上大紡側)の七名、監査役に、九鬼紋七・川口四郎兵衛《(川喜田四郎兵衛)》・岡谷惣助・神野金之助(以上三重紡側)熊谷辰太郎・阿部彦太郎・瀬尾喜兵衛(以上大紡側)
 - 第52巻 p.156 -ページ画像 
を指名せり、互選の結果、社長には山辺丈夫氏を推薦し、専務取締役二名は斎藤恒三・阿部房次郎両氏を推薦し、伊藤伝七氏を副社長に推薦せり
  ○当会社創立当時ニ於ケル栄一ノ持株数ハ、大正三年下半期「第一回営業報告書」ニヨレバ、大正三年十一月廿五日現在旧株五十円払込済一、〇四二株、新株(三十七円五十銭払込)一、七四二株ナリ。当時当会社ハ総株数旧株一八五、七三八株、新株九九、二六二株ニシテ株主総数四、七七〇人ナリ。
  ○大正四年上半期以後栄一ノ持株ハ、渋沢同族株式会社創立ニヨリ、同社社長渋沢敬三ノ名義トナリ、同四年上半期二、四〇〇株(旧株七〇〇、新株一、七〇〇)ヲ有シ、昭和六年下半期ニ至リ三、五四八株ヲ所有セリ。


創立二十年記念東洋紡績株式会社要覧 同社編 第一―三頁昭和九年六月刊(DK520015k-0004)
第52巻 p.156 ページ画像

創立二十年記念東洋紡績株式会社要覧 同社編  第一―三頁昭和九年六月刊
    本社の沿革
 大正三年六月、当時の二大紡績たる三重・大阪両社の合併により新に設立された東洋紡績株式会社が斯界に進出したことは、我国紡績史上特筆に値するものである。三重・大阪両社は其淵源極めて遠く、共に我紡績界の初期に於て創立せられ、同じく故渋沢子爵指導の下に発展したのである。
 我国の綿糸紡績業は、其創設時代に於ては政府の保護の下に培養せられたるも、漸次自立の域に達するや、当時我国に行はれた手紡糸に代りて其販路を拓き、次いで輸入綿糸の防遏に成功し、進みて綿糸の海外輸出を策し、支那市場に進出すると共に紡績工場に於て織布の兼営を開始した。日清・日露の両戦役後経済界に幾多の波瀾あり、斯業亦一進一退の経路を辿つたが、大日本紡績聯合会の練達適切なる統制によつて紡績業は愈よ旺盛の域に入り雄飛の機会を待つたのである。
 大正三年六月本社の新設後間もなく勃発した欧洲大戦の機会に乗じ本社は其堅実なる経営方針の下に着々発展の歩を進め、大正五年壱千七拾五万円の増資を行ひ、其規模及内容を整備し、一方にはやがて来るべき大戦後の難局に備え、他方また工場設備の改善によつて能率の増進を期し、以て原価採算を有利に導くと共に従業員の福利増進を図り、大正九年更らに倍額増資の飛躍的発展を遂げ、昭和三年には翌年七月より実施せらるべき改正工場法規定の深夜業廃止に対応する為め多大の犠牲を忍び、斯界の為めに精到なる研究をした。
 かくて本社の不断の努力は報ひられ其基礎は益々鞏固となり、其実力は広く我国の財界に認識せらるゝに至つた。又昭和六年三月には我紡績界の一大勢力たる大阪合同紡績株式会社を合併し、玆に本社は名実共に東洋第一の紡績会社となりたるのみならず、又世界第一流の大紡績会社として綿業界に覇を称するに至つた。今や本社は単に綿業のみならず人絹・羊毛等の各種繊維工業に進出して、所謂綜合経営の実行に移り更に今後の躍進を期して居る。○下略


岡村勝正談話筆記(DK520015k-0005)
第52巻 p.156-157 ページ画像

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庄司乙吉談話筆記(DK520015k-0006)
第52巻 p.157 ページ画像

庄司乙吉談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
                 昭和十五年四月一日、於東洋紡績株式会社本社、楫西光速聴取
 東洋紡績会社では大正三年創立以来青淵先生に相談役をお願ひしておりました。これは重役会の決議を経たものでなく、従つて会社の記録には残つておりませんが、創立後間もなく先生に相談役御就任をお願ひしました処、御承諾の御返書がありましたことを記憶しております。然し乍遺憾その書翰は現在残つておりません。又確か大正五・六年の頃先生が相談役をおやめになる時、私が滝ノ川の先生のお宅にお伺ひして、書き物を御贈りしたことも記憶に残つております。従つて青淵先生は創立以来大正五・六年頃迄、当社の相談役であられたのでした。本社へは二・三度お見えになり、その都度有益なお話を承りました。会社からは毎月営業内容について報告しておりました。私も上京の際は先生に種々御報告するのが常でした。先生からはそれに対して別に御意見等を申して来られることはありませんでした。又特に政治関係等に関して御尽力をお願ひした事もありません。只大正十三年相談役伊藤伝七氏が逝去せられた際、氏の叙位については私が伊香保に先生をお訪ねして随分御尽力を賜りました。
  ○「創立二十年記念東洋紡績株式会社要覧」ニハ、巻頭ノ栄一写真ニ「元相談役」ト記シアルモ、「重役及相談役一覧」(第一一〇頁)ニ於テハ相談役ノ項ニ栄一ノ名ヲ見ズ。大正五年五月山辺丈夫社長ヲ辞シ相談役ニ就任シタルニヨリ、栄一ハソノ際相談役ヲ辞任シタルモノナラン。


渋沢栄一 日記 大正四年(DK520015k-0007)
第52巻 p.157 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
四月九日 晴
○上略 大阪ナル東洋紡績会社事務所ニ抵ル、但同社取締役岡常夫氏自働車ニテ南海停車場ニ来リ迎ヘルナリ、事務所ニ於テ社員一同ニ訓示演説ヲ為シ○下略
  ○栄一、四月二日東京ヲ発シテ京阪地方ニ旅行ス。

 - 第52巻 p.158 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 大正六年(DK520015k-0008)
第52巻 p.158 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年          (渋沢子爵家所蔵)
三月十六日 晴 軽寒
○上略 午飧後○中略東洋紡績会社新事務所ニ抵リテ所員ニ訓示ス、後重役諸氏ト談話ス○下略
  ○栄一、三月十四日東京ヲ発シテ京阪神地方ニ旅行ス。此日神戸ヨリ大阪ニ至ル。


大日本紡績聯合会月報 第三三〇号・第六七頁大正九年二月 ○東洋紡績の浜松紡績買収(DK520015k-0009)
第52巻 p.158 ページ画像

大日本紡績聯合会月報  第三三〇号・第六七頁大正九年二月
    ○東洋紡績の浜松紡績買収
東洋紡績は左記条件の下に浜松紡績を買収することに決定せりと
 一、浜松紡績資本金二百万円全額払込及其他の権利義務一切に対し東洋紡績株式十二円五十銭払込済のもの四万株を交付す
 二、合併始末金三十万円を交付す、今期間配当金として十六万五千円を浜松紡績株主に交付す


竜門雑誌 第六二一号・第一九―二〇頁昭和一五年六月 青淵先生を偲ぶ 東洋紡績株式会社取締役会長 伊藤伝七(DK520015k-0010)
第52巻 p.158-159 ページ画像

竜門雑誌  第六二一号・第一九―二〇頁昭和一五年六月
    青淵先生を偲ぶ
                東洋紡績株式会社取締役会長 伊藤伝七
○上略 それから時到り機熟して、大正三年にこの両社○大阪紡績会社三重紡績会社が目出度く合併して東洋紡績会社となつたのでありますが、これも偏に先生のお力に依るのであります。○中略爾来合併後も青淵先生に並々ならぬ御配慮を蒙つて居りましたが、大正十年先生が奈良の法隆寺へ聖徳太子の御遠忌奉賛会にお臨みになりました序に、大阪の東洋紡績の本社へ御越し下さいまして、全社員に対し一場の御訓話を賜はつたのであります。其の際先生は紡績の揺籃時代から其の当時に至るまでの御経過を詳細にお話になりまして、次に「私は今紡績の始まりから非常に細かく皆さんにお話をしたが、是は別に意味のある訳ではない、凡そ如何なる事物でも始めのないものはないのである。天に聳え立つて居る大きな樹木も初めは目に見えない双葉の苗木である。其の双葉の苗木から大きくする間の育成の仕事といふものは並大抵の仕事ではない、皆さん方は大会社の社員として働いて居られるが、併し是までに仕上げることの苦労と云ふものは非常なものであると云ふことを、能く肚に置いて勉強して貰はなければならぬ。」斯う云ふ実に有難いお話を承つたのであります。更に先生は経済と道徳の一致と云ふことに付てもお話になりまして、「富を得ることは悪い事ではないが、富を得るのに道徳に反した方法を採ることは許すことは出来ない、私はもう老年になつたから余生を鋭意此の経済と道徳の一致と云ふことに付て、大いに宣伝もし、大いに努力する積りである」と仰しやいまして吾々一同先生の崇高なる御説にいたく感激し、襟を正したのであります。其の際、会社の為に御揮毫下さいました額面は、「理に順ふ者は則ち裕かなり」と云ふお言葉であります。この額は吾々の居りまする重役室に掲げまして、先生がお在でになつて会社を守護せられ、吾々を教へて下さるやうに思つて始終拝して居るのであります。
○下略
 - 第52巻 p.159 -ページ画像 
  ○右ノ伊藤伝七ハ、伊藤栄治郎ノ襲名セルナリ。先代伝七ハ大正十三年八月歿ス。


竜門雑誌 第三九六号・第七二―七三頁大正一〇年五月 ○青淵先生関西旅行日誌(DK520015k-0011)
第52巻 p.159 ページ画像

竜門雑誌  第三九六号・第七二―七三頁大正一〇年五月
○青淵先生関西旅行日誌 左は青淵先生が四月十日令夫人同伴の上奈良・大阪・京都其他へ旅行せられたる際の日誌なり。
大正十年四月十日(日曜日)晴
 午前八時卅分、数多諸氏の見送りを受け、令夫人と共に、東京駅を発せらる、青淵先生の副会長たる、聖徳太子千三百年御忌奉賛会に於て奉修せし、聖徳太子の御遠忌に参列せらるゝ為め、関西に赴かれたるなり。
○中略
四月十三日(水曜日)晴
○中略 午後一時大阪府庁に於る協調会社会政策講習会終了式に臨まる、式後記念撮影の後、東洋紡績株式会社に赴かれ重役諸氏と会見せられ社員一同に対し約一時間に亘り講演せられ、更に午後六時より堺卯楼なる東洋紡績株式会社の招待会に出席せらる。
○下略
  ○栄一講演筆記ヲ欠ク。


(斎藤恒三)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一〇月二五日(DK520015k-0012)
第52巻 p.159 ページ画像

(斎藤恒三)書翰  渋沢栄一宛大正一二年一〇月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆朱書)
                 大正十二年十月二十五日
                 斎藤恒三氏来状
                 大正十二年十一月二日返事済
拝啓 秋冷之候ニ御座候処愈御清穆之段奉慶賀候、陳ハ御地方今回之震火災ハ実ニ振古未曾有之大惨事ニシテ、今後復興事業ハ勿論一般経済界之変動モ不容易候事ト真ニ寒心之至ニ奉存候、就而ハ右ニ付閣下ニハ爾来引続其善後策ニ付キ御尽力相成居候之趣、乍此上御自重国家之為メ何卒御配慮御注意之段遥ニ奉祈候、転説弊社王子工場モ此度案外之損害ヲ蒙候得共、幸ニ火災ヲ免候為メ其被害程度モ格別大ナル方ニハ無之候ヘ共、工場之基礎其他慎重ニ調査ヲ為シタル上徐々復旧工事ニ着手為致度、本日又々岩尾常務取締役及営繕課主任能村知二両人ヲ出張為致候次第ニ御座候、然ルニ此際清水組ニ御関係之、学識経験ハ勿論今回之震災ニ付キ将来建築上堅実之意見ヲ有セラレ且ツ信用アル御方ニ是非御来場ヲ煩シ、親敷実地御視察相願候上、両人江色々実際ニ付キ参考迄ニ御注意御高見拝聴為致度考ニ御座候間、甚タ御多忙中恐入候へとも閣下より右之意味ニ於テ清水組ニ対シ御添書ヲ願度、岩尾常務差出候間何卒宜敷御承引被下度御願申上候、尚書外営業之情況等ハ本人より直接御聞取被下度、先ハ右之件々御願旁得貴度候也
                         早々拝具
  十月廿五日                斎藤恒三
    渋沢子爵閣下

 - 第52巻 p.160 -ページ画像 

渋沢栄一書翰 斎藤恒三宛(大正一二年)一一月二日(DK520015k-0013)
第52巻 p.160 ページ画像

渋沢栄一書翰  斎藤恒三宛(大正一二年)一一月二日   (斎藤恒一氏所蔵)
(別筆)
拝復 先月二十五日付岩尾常務取締役御持参之御書面同氏より落手拝見致候、然ハ貴社王子工場基礎其他調査之義ニ付清水組へ御紹介致候様御来示之段了承、恰度拙宅へ出張中之同組事務員に御紹介致、同人より清水組へ引合候様夫々手配致置候間左様御承引被下度候、右貴答申上度多忙中代筆を以て如此御坐候 敬具
  十一月二日               渋沢栄一
    斎藤恒三殿


(庄司乙吉)書翰 増田明六宛大正一三年六月二日(DK520015k-0014)
第52巻 p.160 ページ画像

(庄司乙吉)書翰  増田明六宛大正一三年六月二日   (渋沢子爵家所蔵)
  渋沢事務所              庄司乙吉(印)
    増田明六様
拝啓 愈御清祥奉賀候、陳者弊社五月度貸借対照表壱葉御手許ヘ差出候、尚本日重役会ニ於テ本年上半期配当金ハ弐割五分ト決定致候ニ付別紙ノ通リ本月廿一日株主総会ニ附議可致候、右宜敷子爵閣下ヘ御披露被成下度此段御依頼申上候 拝具
  大正十三年六月二日
  ○別紙貸借対照表記載ノ定時株主総会案内状略ス。


(斎藤恒三)書翰 渋沢栄一宛大正一三年七月九日(DK520015k-0015)
第52巻 p.160 ページ画像

(斎藤恒三)書翰  渋沢栄一宛大正一三年七月九日 (渋沢子爵家所蔵)
                     (別筆朱書)
                     大正一三・七・九
                     斎藤恒三氏来状
          (栄一鉛筆)
          七月十一日落手、同日東洋紡織会社庄司氏出京《(績)》ニて面会之上大阪表伊藤・斎藤二氏ノ近状及会社之営業模様ヲモ承合候事
拝啓 初夏之候不相変御清穆段奉慶賀候○中略会社営業状態、故川村氏伝記序文等之事ハ幸ニ庄司氏他ニ用事有之、今夜行ニテ上京、不日拝趨之上委曲可申上筈ニ御座候間何卒親敷同氏ヨリ御聞取被下度、先ハ乍延引右之件々得貴意度如此候 早々拝具
  七月九日                斎藤恒三
    渋沢子爵閣下


(斎藤恒三)書翰 渋沢栄一宛(大正一四年)一二月二四日(DK520015k-0016)
第52巻 p.160-161 ページ画像

(斎藤恒三)書翰  渋沢栄一宛(大正一四年)一二月二四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
              (栄一墨書)
              十二月廿五日落手 一月八日
                        回答済
拝啓 本年モ愈切迫余日無之相成候処、其後引続御快方ニ被為在候御義ト奉慶賀候、陳ハ会社営業之都合モ幸ニ売買其宜ヲ得候ニ付キ、其成績モ殆ト前期同様ニテ、配当モ過廿一日総会ニ弐割五分案ヲ提出可決致候次第、尚原料関係モ充分ニ余裕有之候故、今後非常ナル大変動無之限リハ来期モ更ニ心配無之様被相察候間、何卒御休神被下度、猶又支那動乱ニ付テモ一時ハ大ニ心配致候へとも、幸ニ上海方面却而鎮静之有様ニテ目下運転上少モ支障無之、九月中旬以来平常之通リ営業
 - 第52巻 p.161 -ページ画像 
致候間此亦御休神相成度、先ハ乍延引営業之概要御報旁右之件々得貴意度候 早々拝具
  十二月廿四日
                     斎藤恒三
    渋沢子爵閣下


渋沢栄一書翰控 斎藤恒三宛 大正一五年一月八日(DK520015k-0017)
第52巻 p.161 ページ画像

渋沢栄一書翰控  斎藤恒三宛大正一五年一月八日   (渋沢子爵家所蔵)
(朱書)
大正十五年一月八日付斎藤恒三氏宛総長親書写
新禧慶賀、旧臘御恵投之尊書ニハ月迫匆忙之際拝答も不申上欠礼此事ニ候、貴会社昨季之御経営ハ平素之御注意其宜を得、百事好成績にて利益配当も従来之如く継続し、且原綿其他将来ニ属する諸計算も何等御懸念之点無之趣詳細之来諭欣然拝承仕候、畢竟毎事慎重之御注意を以て苟且偸安之事無之、上下一致御精励之結果と感謝之至ニ候、実ニ紡績事業ハ何時迄も好況継続いたし候ハ事業之余慶なる歟、将又経営者之手腕と勤勉とニ原因致候歟、蓋し両者相俟て此好景気を享受する株主一同之幸福にして、当初其創立ニ苦心せし老生ニ於てハ、利益以外ニ無量之歓喜有之候次第御諒承可被下候、右疾ニ貴酬可致之処彼是取紛れ乍延引拝復如此御座候 敬具
  一月八日
                     渋沢栄一
    斎藤恒三様
        拝復
尚々伊藤丑之助事爾来東京ニ於て学事を継続し、昨年末一段落と相成候に付而ハ本年より実業界ニ勤務、他日ハ故伝七君へ報恩之万一をと時々督励仕居候、乍序此段申添候也