デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
2款 帝国蚕糸株式会社(大正四年設立)
■綱文

第52巻 p.376-379(DK520038k) ページ画像

大正4年5月17日(1915年)

是日、横浜銀行集会所ニ於テ、当会社ノ存廃問題ニ関シ評議員会開カル。栄一、相談役トシテ出席ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK520038k-0001)
第52巻 p.376-377 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
四月三十日 曇
○上略 午後二時第一銀行ニ抵リ、渋沢義一氏ノ来訪アリテ、佐々木氏ト共ニ蚕糸会社ノ事ヲ談ス、昨日上山次官ト会見ノ口約ヲ履行セルナリ
○下略
 - 第52巻 p.377 -ページ画像 
   ○中略。
五月七日 晴
○上略 午前十時帝国蚕糸会社ノ事ニ付益田孝・原・茂木ノ諸氏ト築地精養軒ニ会話ス○下略
   ○中略。
五月十七日 昨夜来降雨頻リナリシモ朝来曇天風多シ
○上略 午前十一時半横浜ニ抵リ、第一銀行支店ニ於テ西園寺氏ト共ニ義一・桃井可雄ニ会見シテ蚕糸業ニ関スル将来ノ経営ヲ談ス、二時過ヨリ横浜銀行集会所ニ抵リ、帝国蚕糸会社評議員会ニ出席ス、種々討議アリ午後五時帰京○下略


大日本蚕糸会報 第二八一号 大正四年六月 帝国蚕糸会社評議員会(DK520038k-0002)
第52巻 p.377-379 ページ画像

大日本蚕糸会報 第二八一号 大正四年六月
△帝国蚕糸会社評議員会 帝国蚕糸株式会社にては十七日午後二時より横浜銀行集会所に於て評議員会を開催したるが、出席者は重役全部(小野氏欠席)・評議員十八名にて、主務省よりは上山農商務次官・今西技師、相談役渋沢男爵・吉川男爵等臨席、原氏座長の許に開会せられ、原氏は先づ会社創立前後の糸況一般を記したる左記の報告書を配附して報告に代へたり。
      △帝国蚕糸株式会社創立前後の糸況一般
大正三年度の生糸市場は前途頗る有望と目され、新糸当時には已に上一番一千円以上を称へ、漸時其好況を期待されしに計らずも八月早々欧洲の大乱突発し、以来市況は日に日に其惨を加へて、糸価崩落に次ぐに崩落を以てし、十月に至りては遂に六百八十円弱の気配をも呈し更に一層の低落を見るべかりしに、此時横浜市場に七百円以下売止めの協定行はれ、一面に於て生糸業者の繰業短縮と相俟て僅かに七百円を維持し居たるが、当時漸く蚕糸業救済の声高まると共に、徐々に糸価は上向き来り漸く七百二十五円に引返したる折柄、愈々救済法案議会提出の報ありて気配益々良好に相場は更に昂進して上一番七百五十円とはなりたり、然るに不幸にして議会解散となりし為め、一時稍人気を阻害したるも、続て再び救済実行の期待となり、是れに誘はれて実物市場に相当の需要を喚起し、今春一月には上一番遂に七百七十五円を示し、定期先物の如きは八十一円二十銭をも現出するに至れり、其後救済案の発表手間取れし為め再び人気銷沈し、二月には上一番七百六十円に下落し、月末更に十円方の不味を示したれば、玆に又々七百六十円以下売止めの励行をなすの止むなきに至り、定期市場も亦た先物七十五円十銭と崩落したり、然るに三月に入るや、愈救済の実行を伝へて市況頓に活気を呈し、遂に当局者より其実行を言明せらるゝに及び、市場全般の気配は全く一変して、爾来日として相当の売行を見ざるはなく、随て相場も漸次昂騰して上一番八百円を告げたり、次いで同月二十日帝国蚕糸株式会社の創立総会となり、其成立確実するや弥々海外の新注文続到し、日々の売行五・六万斤を下らず、多きは十数万斤に達したるありて、如此にして三月中の総売行は二万二千二百梱を算するを得たり、四月一日愈当社営業開始の運びに至るや、市況は甚だ好影響を受けて益々活躍し、依然連日海外注文の入電絶えず
 - 第52巻 p.378 -ページ画像 
相場更らに上騰して上一番は八百二十円を示し、殊に欧洲向き細糸並に折返の如きは一層の好況を告げ、頗る割高に売行きたり、是等を昨秋の最低値に比すれば実に上一番は百斤に付百二十円方を(七百円売止めの相場に比較して如此なれども、当時の気配よりすれば百四十円方の引き返しと見るを得べし)、細糸の如きは百五十円方を引戻し、其他の各種皆之に準じて相当の引返しを見たり、而して定期市場に在ては四月一日先物八十四円二十銭を告げ、之れ亦た最低相場に比して十九円十銭の昂騰を示したり
爾後引続き好況なりし市況も流石に買疲れの気味を呈し、四月中旬以後に至りては上一番八百円に下落し、気配漸く軟弱に陥り本場極めて沈静したるに依り、其の廿三日当社は始めて生糸買収に着手し、当社の買収価格に合格したるものは市場の全部を挙げて買収す可きを声明したるに、其買収に応じたるもの僅かに一千六百梱に過ぎず、然して市場は早くも其刺撃を受けて忽ち気勢転換し、再び日々多数の売行きを見ると共に、相場上一番八百十円に引返し、暫く何等当社の手を用ゆるを要さゞるに至らしめ、今日に及んでは、市場は今後僅かに一万五千梱の浮動荷口を擁するに過ぎざるに至れり、斯くて自三月一日至五月十一日売行高総計は六万千七百個《(梱カ)》の多数を示したり、之を要するに昨秋糸況最も不振の際は在荷五万余梱の多きを抱き、上一番は七百円以上《(下)》の気配を呈して前途尚ほ頗る暗澹、一時の応急として或は七百円以下売止めの協定となり、或は繰業の短縮となり、其他有らゆる手段を採りて以て糸価維持に努むる処ありしが、幸にして政府は蚕糸業の疲憊が国家に重大なる関係ある所以を明察せられ、其救済を実行せられしより、市場は全く蘇へりて面目を一新し、玆に蚕糸業者は大に意を安んじて後図を画し、以て新らたなる発展に出でんとするを得たるは実に一般の幸福とする処なり
      △帝国蚕糸株式会社の創立が市場に及ぼしたる影響
(一)救済実行の発表以前乃ち二月末に在ては上一番七百五十円の気配を呈し居たり、乍併市場は此際救済問題の成立を見越し該価格を維持し居りしも、万一救済案の不成立に終るに至ては忽ち七百円に下落するは論を俟たざる也
(二)然るに三月三日救済方案発表以降五月十一日に至る市場の売行高は六万一千七百梱にして、此間信州上一番の売上平均は金八百〇四円也
(三)仮りに此救済機関の設立なくして七百円内外の相場に在るものとすれば、今日迄実際売上平均価格との差は百斤に付百四円(上一番のみならず一般の糸価も略々此割合と見るを得べし)にして、其売上高六万壱千梱に対し金参百六拾万九千四百五拾円を利せるものと云ふべし
(四)若し現在々荷と(今後五月十二日以降)月末迄の入荷との合計二万五千梱をも此割合を以て売り上ぐるものとすれば、会社創立以来市場は総売上価格に於て通計約五百〇七万千九百五十円を増進したるものと云ふべし
 夫れより原氏は蚕糸会社の今後採るべき善後策に就き、重役を代表
 - 第52巻 p.379 -ページ画像 
して左の如く述べたり。
 帝国蚕糸会社が従来の如く、今後も継続して、其本能遂行を為さんには、其資力寡少にして力足らず、其遺憾なきを期するには少なくとも一千万円の資金を要する次第なるが、其補給の途あるに於ては敢へて此際会社の解散を為すべき理由なきも、然らざるに於ては更らに適当なる方法を講ずるの要あり云々
斯くて評議員中より左の二案提出されたり。
 第一案、会社の事業を従来のまゝ継続し、其残存資金を以て買収の必要ありと認むる時は随時に買収せんとするものにして
 第二案は、会社を解散し、其資金を以て更に別個の救済方法を設くべし
 此座に臨席せる上山次官は重役並に評議員の希望を聴取し、政府に於ては右に関し、未だ其何れとも採るべき方法決し居らざれば、右諸案に基きて審議研究を遂げ、然る後決定する処あるべしと述べ、五時半散会したり。


竜門雑誌 第三二五号・第六六頁 大正四年六月 ○帝国蚕糸会社評議員会(DK520038k-0003)
第52巻 p.379 ページ画像

竜門雑誌 第三二五号・第六六頁 大正四年六月
○帝国蚕糸会社評議員会 帝国蚕糸会社にては五月十七日午後二時より横浜銀行集会所に於て協議委員会を開きたり。出席委員十八名、農商務省より上山次官・今西・河合両監理官、相談役青淵先生・吉川男爵両氏列席の上、同会社の存廃問題に就て協議の結果
 (一)現状の儘何等か適当の方法を講じて会社を継続すること
 (二)全然会社の形式を改ため新たに何等かの機関を設けて、現在会社の手に剰されたる資金は之れを新たなる機関に振換へ、以て会社設立の趣旨を今後に継続すること
との二説に帰せしが、其後政府に於ては閣議を開きて審議の結果、帝国蚕糸会社は存続せざることに確定し、其旨を会社当事者に通達せられたりと云ふ。