デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
7節 造船・船渠業
2款 浦賀船渠株式会社
■綱文

第52巻 p.583-588(DK520082k) ページ画像

大正2年6月23日(1913年)

是年一月十八日、当会社臨時株主総会ニ於テ、損失金ノ補塡及ビ資産ノ減価償却ニ充当スルタメ、資本金九十五万円ノ内五十七万円ヲ減資シ、然ル後四十二万円ヲ増資シテ資本金八十万円トスルノ件決議セラレ、五月六日、栄一外十一名ニ於テ右増資新株ヲ引受ク。是日栄一、日本工業協会ニ於テ開カレタル、当会社臨時株主総会ニ出席シ、取締役及ビ監査役ノ改選ニ当リ、株主ノ提議ニヨリ、大木治吉外六名ヲ指名ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK520082k-0001)
第52巻 p.583 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月二十二日 晴 寒
○上略 町田豊千代氏来話ス、浦賀船渠会社ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
十二月二十五日 晴 寒
○上略 午前十時第一銀行ニ抵リ、浦賀船渠会社重役ヲ会シテ町田豊千代氏ヲ紹介シテ種々ノ談話ヲ為ス○下略


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK520082k-0002)
第52巻 p.583 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
三月五日 曇 寒
○上略 十二時第一銀行ニ抵リ、佐々木氏ト共ニ浦賀船渠会社重役ニ面会シテ将来営業ノ方針ニ付種々ノ意見ヲ交換ス○下略


(浦賀船渠株式会社)事業報告書 第三三回大正二年七月 刊(DK520082k-0003)
第52巻 p.583-584 ページ画像

(浦賀船渠株式会社)事業報告書 第三三回大正二年七月  刊
    第参拾参回事業報告書
           神奈川県三浦郡浦賀町字谷戸六番地
                     浦賀船渠株式会社
大正弐年壱月壱日ヨリ同年六月参拾日ニ至ル上半期間、当会社ニ於テ施行シタル業務ノ要領及計算ヲ精査シ、株主各位ニ報告スルコト左ノ如シ
      株主総会及庶務報告ノ件
一大正弐年壱月拾八日 東京市京橋区西紺屋町拾九番地東京地学協会ニ於テ株主臨時総会ヲ開ク、出席株主(委任状共)参百七名、此権利総数壱万弐千弐百七株ニシテ、大正元年拾弐月弐拾壱日株主臨時総会ニ於テ仮決議ヲ為シタル議案ノ全部ヲ承認可決シタリ
○中略
一大正弐年四月拾壱日 去大正弐年壱月拾八日ノ株主臨時総会ニ於ケル議決ニ基キ、当会社資本金ヲ減資シテ金参拾八万円ト為シタルニ
 - 第52巻 p.584 -ページ画像 
付、所轄横須賀区裁判所浦賀出張所ヘ申請シ其登記ヲ終了シタリ
一大正弐年六月弐拾参日 東京市京橋区山城町壱番地日本工業協会ニ於テ臨時株主総会ヲ開ク、出席人員(委任状共)九拾七名、此権利総数九千弐百弐拾九株ニシテ左記ノ如ク決定セリ
一大正弐年壱月拾八日株主臨時総会ノ決議ニ基キ当会社資本金ニ対シ金四拾弐万円ヲ増資シテ金八拾万円ト為スニ付、右増資新株式ノ募集並ニ引受及払込ニ関スル事項ニ就テハ監査役其報告ヲ為シ承認可決ス
一取締役及監査役報酬ノ件ハ壱ケ年金壱万参千円以内ト定メ、其分賦額ハ取締役会ニ一任スル事ニ決セリ
一取締役及監査役改選ノ件ハ、出席株主中ヨリ其指名ヲ株主男爵渋沢栄一氏ニ乞フコトヲ提議シ、全会一致ヲ以テ之ヲ可決シ、同氏ノ指名ニ依リ左ノ諸氏選定就任ス
   取締役 大木治吉  山口辰弥  赤松範一
       土岐僙   町田豊千代
   監査役 日下義雄  松尾寛三
 追テ取締役互選ノ結果左ノ通リ決定ス
   取締役社長 町田豊千代
   常務取締役 大木治吉
     減資ニ付財産減価報告ノ件○略ス
     増資ニ付報告ノ件
前項株主臨時総会ニ於テ同時ニ可決シタル増資金四拾弐万円、此株式数八千四百株ニ就テハ男爵渋沢栄一外拾壱名ヨリ株式引受ノ申込ヲ受ケ、大正弐年五月拾日額面金額即チ壱株ニ付金五拾円宛払込ノ手続ヲ了シ、直ニ該金額ヲ株式会社第一国立銀行当座預金《(衍)》ヘ振換ヘタリ
  ○大正元年十二月二十一日開催ノ当会社株主臨時総会ハ、ソノ出席人員法定数ヲ欠キイルヲ以テ仮決議トシテ大略左ノ如キ整理案数項ヲ可決セリ
    (1)資本金九十五万円ノ内五十七万円ヲ繰越損失金ノ補塡及資産勘定ノ減価償却ニ充当スル目的ヲ以テ減少スルコト(一万九千株ヲ七千六百株トスル)
    (2)右ノ減資適法ニ終了セル上ハ更ニ金四十二万円ヲ増資シ、結局資本額ヲ金八十万円トナス
     右増資ニ対シテハ当座借越金ノ壱部ヲ振換ヘ其払込ニ充当スルコト
    (3)増資手続終了後直ニ臨時総会ヲ開キ、取締役及監査役ヲ改選スルコト(同会社事業報告〔第三二回大正二年一月〕ニヨル)


浦賀船渠株式会社株主総会決議録(DK520082k-0004)
第52巻 p.584-585 ページ画像

浦賀船渠株式会社株主総会決議録
                 (浦賀船渠株式会社所蔵)
    株式申込証
一浦賀船渠株式会社株式参千株
今般貴会社資本増加ニツキ拙者ニ於テ前項ノ通リ増資ニ対スル株式引受可申候也
  大正弐年五月六日  住所 東京市深川区福住町四番地
                株式申込人 渋沢栄一
 一会社ノ商号 浦賀船渠株式会社
 一増加スヘキ資本ノ総額 金四拾弐万円
 - 第52巻 p.585 -ページ画像 
 一資本増加ノ決議年月日 大正弐年壱月拾八日
 一第一回払込ノ金額 金五拾円
 一向フ弐ケ月以内ニ資本増加ノ登記ヲ為サヾルトキハ株式ノ申込ヲ取消スモノトス 以上
    浦賀船渠株式会社
           御中
  ○右ノ外同日付株式申込証十一通アリ、之ニヨレバ増資新株引受人氏名及ビ引受株数左ノ如シ。
    渋沢栄一    三〇〇〇株  石井健吾   二〇〇株
    日下義雄    一〇〇〇株  山口辰弥   二〇〇株
    土岐僙     一〇〇〇株  松尾寛三   一〇〇株
    佐々木勇之助  一〇〇〇株  大木治吉   二〇〇株
    尾高次郎     五〇〇株  赤松範一   二〇〇株
    佐々木慎思郎   五〇〇株 (合計)一二人
    町田豊千代    五〇〇株        八四〇〇株
   之ニヨリ総株数一六、〇〇〇株中栄一ノ持株数三、一四四株トナリタリ。(大正二年十二月末)


浦賀船渠六十年史 浦賀船渠株式会社編 第一四一―一四六頁昭和三二年六月刊(DK520082k-0005)
第52巻 p.585-588 ページ画像

浦賀船渠六十年史 浦賀船渠株式会社編  第一四一―一四六頁昭和三二年六月刊
 ○第三編 第三章 町田社長の改革
    二、損失金調査委員会
 町田社長の就任した明治四十五年上期は十二万四千六百八十六円余の損失金を計上、前期までの分を合わせて累計三十万七千九百六十一円余の欠損となつた。この決算案は大正元年八月三十日の定時総会において議決承認されたが、右欠損について原因調査を行うことになり株主調査委員を設け、早川熊吉・細谷安太郎・緒明圭造・浮島虎吉・小林九蔵・三次六兵衛・宮部久・平沢道次・平野善太郎・関幸太郎・鈴木安次郎の十一名が委員を依嘱され、関幸太郎が委員長となり、損失金の原因究明に当り、その調査の結果を同年十一月十九日町田社長に提出し、株主にも配布した。
 調査委員の報告書要旨は左の通りである。
      損失理由
  (一)この損失の大部分即ちそのうち八万六千六百七十一円余は、町田社長において野田丸の製作にあると説明したが、野田丸製作工事費の調査は困難につき、調査を打切つた。
  (二)野田丸の損失中三万五千円はそれ以前の木津丸製造のころにおける損失である。
  (三)従つて野田丸の実損は五万一千六百七十一円である。
  (四)本年上半期損失中、東京瓦斯会社汽缶手直金三千円があるが、この工事は後期に属するものである。
  (五)本期損失金のうち野田丸の損失とした八万六千六百余円と、瓦斯会社汽缶手直金三千円とを差引いた残額三万五千余円は如何なる項目に属する損失であるか明瞭でない。
  (六)右により、本年上期の損失は野田丸の実際損失五万一千六百七十一円と、野田丸以外の損失三万五千十六円との合計八万六千六百八十七円であつて、これを十二万四千六百八十六円とした
 - 第52巻 p.586 -ページ画像 
のは過当である。
  (七)しかし、木津丸の工費と瓦斯会社関係の費用とは早晩顕わるべき損失であるから、現重役の責任は唯事実に反する計算報告を為したるに過ぎずして、新たに本社に損害を蒙らしめたものではない。
      意見
   それ毎期損失の原因を尋ぬるに、大概新造工事にありて、修繕工事にあらず。これ修繕工事は予算も作業も共に簡単容易なれども、新造工事は予算作業共に複雑困難なる故に、其人を得るにあらざれば為すこと能わざるなり。抑も野田丸における損失たるや第一の原因は予算の杜撰にありと雖も、第二の原因は当路者の不注意にあり。而してその不注意は不忠実に起り、その不忠実はすなわち其人を得ざるに帰す。
   今や本社の現状を見るに、負債は既に百数十万円に上り、その利息は一カ月一万円を要す。また近来事務員を増し、その俸給を増し、また分工場を増したるがため、本社の経費は頗る増加せり。而して本社の事業は更に発展せず。従てその収益は一カ月一万円に過ぎず。且つ本年下期も亦損失を免れざる状態にあり。故に現状のままに進行せんか、本社は近き将来倒産の悲境に陥るを免れず。
   要するに本社今日の状態は野田丸請負時代の状態に異ならず。収支償わざること明白なるを以て、速かにこれが整理方法を講ずるにあらざれば、必ず後日千悔及ぶべからざる窮境に陥るべし。この故に委員は急速株主諸君に対し、これを報告すべき必要を認む。よつてこの報告のため、特に臨時総会の開催を社長に請求したる次第なり。
    大正元年十一月十九日      調査委員(連署)
     株主各位御中
    三、借入金整理と減増資
 町田社長の整理案 右の調査委員の報告に待つまでもなく、町田社長はこれより先、しばしば債権者と懇談し、大正元年八月五日には日本工業協会に株主協議会を開き、当社の資本金および借入金整理の件を協議する等、当社の再建案を練り、大正元年十二月二十一日東京市京橋区西紺屋町東京地学協会に臨時総会を開き、第一号議案の減資および増資、第二号議案の株主調査委員調査報告の件を付議可決した。第一号議案の要旨は左の通りである。
 一、資本金九十五万円のうち五十七万円を減資し、三十八万円の資本とする。
 一、減資の目的は繰越損失金の補塡および資産勘定の減価償却に充当する。
 一、減資の手続が終了した上は、さらに四十二万円を増資して、資本金額を八十万円とする。右増資に対しては当座借越金の一部を振替えて、その払込に充当する。
 右減資および増資案の趣旨について、役員会は大要左の通り株主に
 - 第52巻 p.587 -ページ画像 
訴えている。
  当浦賀船渠株式会社は累年損失を重ね、為めに繰越欠損高は莫大の金額に上り、随つて多額の債務を負うの不幸に立至り候段、時運の然らしむるところとはいえ、遺憾至極に存候。私共一同取締役及び監査役に就職以来、工場の刷新聊かその緒に就き、大いに昔日の面目を改めたるも、今日の如く莫大の債務を負い、欠損を繰越居候ては、世上の信用薄弱にして営業上の障害少なからず、従業者も亦意気銷沈して奮励心を阻害致候のみならず、債務に対する利子の支払に追われ、聊か利益を挙げ得るとするも、利子の支払の為め損失の計算と相成、欠損は即ち債務となり、益々債務の増加を来すに過ぎず。
  依て幾分にても利子の支払を免れ候方法を講じ度、債権者に対し懇請の結果、株金を減少して現在の欠損を消却し、建物・機械を減価償却して、財産の基礎を鞏固ならしむるに於ては、債権の一部を株金に振換ゆることに同意する旨快諾を得たるに付、各位に対し御気の毒に存候得共、他に好適の方法も無之、別紙議案作製仕候儀に有之、此段各位に於ても債務に対する整理案御決定被成下度
 整理の実現 十二月二十一日の臨時株主総会では原案に対し、資本金を六十万円に減少し、第一銀行の担保付債権六十万円を株式に振替えて、資本金を百二十万円にする説なども出たが、町田社長は原案を固執して譲らず、次いで株主関幸太郎氏より、議案に対する委員を設け、債権者に交渉すべしとの動議があり、委員を設けるかどうかにつき決をとつたところ、大多数をもつて委員設置を否決した。次いで原案に対し決をとるに当つて、株主中退席するものがあつて、定款改正に対する法定の人員を欠いたので、やむを得ず仮決議をした。
 総会後、同月二十五日町田社長は右決議に関し、第一銀行に対して左の覚書を提出して、四十二万円の増資に援助方を要請した。
      覚書
  株主総会に於て当社資本金を三十八万円即ち十分の四に減資し、更に四十二万円を増加して八十万円の資本に訂正候事を決議し、適法に之を実行仕候上は何卒左記の通り右増資に対し貴行当座借越金の内を以て株式に御振替被成下度候
   一、当座借越金八十余万円の内四十二万円を増資に振替へ、株式に御引直し相成度
   一、工場担保借入金六十万円(二十七銀行共同債権二十五万円もそのまま)はそのまま現状に据置くこと
  右に付減資趣意書及び収支計算書を提出し、懇願仕候也
 次いで大正二年一月十八日東京地学協会に臨時総会を開き、大正元年十二月二十一日の臨時総会で仮決議をなした議案の全部を承認可決した。けれども第一銀行の当座借越のうち四十二万円を優先株に振替える件は銀行の承諾が得られず、その代り渋沢栄一の尽力により、増資新株式八千四百株は渋沢栄一の三千株をはじめとして、日下義雄・土岐僙・佐々木勇之助各一千株、尾高次郎・佐々木慎思郎・町田豊千
 - 第52巻 p.588 -ページ画像 
代各五百株、石井健吾・山口辰弥・赤松範一・大木治吉各二百株、松尾寛三一百株の引受が決定し、同年五月十日払込を完了、増資払込金はそのまま第一銀行当座預金に振替えた。
   注 株式引受人と当時の第一銀行との関係は、渋沢栄一は同行頭取、日下義雄・佐々木勇之助・同慎思郎は取締役、土岐僙・尾高次郎は監査役、石井健吾は営業部支配人であつた。
資本金減少について取締役会の審議決定した資産勘定の減価償却額と減資額は別表○略スの通りである。
 役員改選 監査役渡辺忻三は大正二年二月辞任し、次いで資本金八十万円へ増資の手続が完了して間もなく、五月十六日全役員が辞表を提出したので、同年六月二十三日臨時株主総会を開催、取締役および監査役の改選を行い、株主渋沢栄一の指名により、取締役に大木治吉・山口辰弥・赤松範一・土岐僙・町田豊千代の五名、監査役に日下義雄・松尾寛三の二名が当選就任し、取締役社長に町田豊千代、常務取締役に大木治吉が互選された。○下略
  ○右ハ刊行ニ際シ追補ス。
  ○明治四十二年度以降、大正二年上期マデノ営業利益(損失)金左ノ如シ。
   (当会社事業報告書ニ拠ル)

           資本金(全額払込)    利益金(×損失)   配当率
                 円            円
    明治四二上 九五〇、〇〇〇・〇〇〇      七七〇・〇〇〇  〇
      四二下  〃          × 一三、七九二・〇〇〇  〇
      四三上  〃          × 三三、一三六・〇〇〇  〇
      四三下  〃          × 三一、〇二九・〇〇〇  〇
      四四上  〃          ×  六、六四〇・〇〇〇  〇
      四四下  〃          ×一二一、三六五・〇〇〇  〇
      四五上  〃          ×一二四、六八六・〇〇〇  〇
    大正 元下  〃          × 三二、二七四・〇〇〇  〇
       二上 八〇〇、〇〇〇・〇〇〇   三四、一一一・〇〇〇  〇