デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
8節 鉄鋼
1款 日本鋼管株式会社
■綱文

第53巻 p.18-21(DK530003k) ページ画像

大正3年11月21日(1914年)

是日、栄一、当会社工場ヲ参観シ、同夜帝国ホテルニ於テ開カレタル晩餐会ニモ出席ス。


■資料

日本鋼管株式会社創業二十年回顧録 今泉嘉一郎著 第一六八―一六九頁昭和八年一二月刊(DK530003k-0001)
第53巻 p.18 ページ画像

日本鋼管株式会社創業二十年回顧録 今泉嘉一郎著
                     第一六八―一六九頁昭和八年一二月刊
    第七章 作業会計の開始
○上略
 十一月二十一日○大正三年 には渋沢子爵其他会社の創立に後援されたる三十余名の諸氏を招待して、工場の参観を乞ひ、次で其夜帝国ホテルに於て晩餐会を催し、感謝の意を表した。此日渋沢子爵は工場参観の際、マンネスマン穿孔機の作業を眺めながら、感歉《(歎)》して予に向はれ
 「一昨年会社創立の御運動中に、貴下より、マンネスマン穿孔機を以つて鋼塊に孔を開ける方法に就て、繰返し御説明を願つたが、幾度聞いても了解出来なかつた。実は今日仕事の実際を見るまでも不安であつたが、今日見て居る間に、間断なく炉から引出さるる鋼塊が相次で中心に孔を明けられ、夫が又次のロールに掛つて長い管となつて行く有様は、手品の様な早や業で何の雑作もない。誠に巧妙を極めた仕事である。今にして彼の時の愚問を思へば、自分ながら笑止だが、当時貴下は定めて頭の良くない奴だと御考へになつた事ならん」と述懐された。
○下略



〔参考〕大川平三郎君伝 竹越与三郎編 第三七三―三七六頁昭和一一年九月刊(DK530003k-0002)
第53巻 p.18-19 ページ画像

大川平三郎君伝 竹越与三郎編 第三七三―三七六頁昭和一一年九月刊
    第二十一、製鉄事業
 大川君の関係せる製鉄業の主なるものは日本鋼管・東海鋼業・大島製鋼所の三株式会社で、大川君は其の何れにも社長として力を尽して居る。そして此の三者共に我民間製鉄業の最も有力なるものである。
 日本鋼管株式会社の創立は明治四十五年で、当時日本には未だ鋼管製造を企つるものないのは、実に国家産業の重大欠陥であつて、営利
 - 第53巻 p.19 -ページ画像 
計劃としても惜むべき事であるとの説が起り、元政府の八幡製鉄所技師長であつた今泉嘉一郎(現鋼管会社取締役)氏から白石元治郎君を勧誘し、白石君は更に之を大川君に相談したのが起原である。抑も此の鋼管事業なるものは目下国内至る所多量且豊富に存在し、其処分消化の途さへ無い古鉄屑を原料の骨子とし、之に少量の銑鉄を加へて熔解し、之を適当の鋳型に込めたものを鋼塊と称し、之を赤熱になるまで加熱して、オーストリヤ人マンネスマン氏の発明考案に成れる穿孔機に掛くる時は、極めて奇異な二個大ロールの組合せ角度の働に依つて鋼塊の中心に孔を穿つのである。之を圧延機に掛けて引延ばして造るといふ、比較的簡易な工程に過ぎないのである。要するに製管の働は巧妙なる機械作業に竣つものであつて、工人の技術に拠る処は多からずといふものである。
 八幡製鉄所は十数年間政府の間断なき忍耐支持に依つて、技術は既に大に進み、工字型・丸棒・平鉄・板鋼に至る迄、悉く製出せらるゝのであるが、管類に至つてはまだ着手せられて居ない。大川君は今泉君の主張を聞き計数上首肯すべき処であるといふので、大橋新太郎・太田清蔵・岩原謙三・岸本吉右衛門の諸氏を始め、財界の友人を説いて参加を求め、更に進んで静岡・名古屋・大阪・京都の知人を随所に集めて勧誘に努め、漸く弐百万円の資本を集め得て、白石君を社長に押し、会社創立は首尾克く完了したのである。
 此の時大川君の主張は「製管といふ技術は新奇のものであるから、当初は幾多の困難と損失に遭遇する覚悟が必要である。此の最初の練習時期の損失を予算し、熟練なる独逸技師を要部要部に配置する給料に振向ける方針を採り、五人でも十人でも引連れて来る必要がある。
是れ吾輩が屈し難き意見である」といふのであつて、随分頑強に之を主張して、遂に白石社長をして同意せしめたそうである。
 工場建設は首尾克く進行して、愈々製造に取り掛ると、技師長独逸人シユミツド氏が居るにも拘はらず、マンネスマン機の穿孔作業に故障があつて進まず、そこで大川君は其の現場に現れてその作業を見、直に技師長更迭説を持出したが、不思議にも其の夜からマンネスマン機が活動し初めた。之れで一統が胸撫下したといふ珍談もあつた。斯くして事業開始後相当の成績を挙げて経過する中に、大正三年欧洲大戦が勃発したために、該社の事業は俄然として隆興の一路に向ひ、毎月巨額の収益を生むに至つた。
○下略



〔参考〕日本鋼管株式会社創業二十年回顧録 今泉嘉一郎著 第二二二―二四四頁 昭和八年一二月刊(DK530003k-0003)
第53巻 p.19-21 ページ画像

日本鋼管株式会社創業二十年回顧録 今泉嘉一郎著
                      第二二二―二四四頁
                      昭和八年一二月刊
    第九章 当社の外貌(昭和八年八月)

 ○資本 資本金(公称)   一六、八〇〇、〇〇〇円
     払込資本(公称)  一一、〇二五、〇〇〇円
     同(実際)     二五、七二五、〇〇〇円
 ○用地 川崎本工場用地     約一六〇、〇〇〇坪
      内
 - 第53巻 p.20 -ページ画像 
       構内工場敷地    約一四四、六〇〇坪
       構外雑用地      約一五、四〇〇坪
     電気製鉄所工場      約三〇、〇〇〇坪
     大阪分工場        約一〇、〇〇〇坪
     大阪鋼管製造所       約一、五〇〇坪

 ○川崎本工場生産設備
    製鋼工場 平炉三十噸九基、合計一ケ月製鋼能力三万噸
    分塊工場 一ケ月圧延能力二万噸
    型鉄(中形)工場 形鋼・丸鋼・角鋼・平鋼
             其他製造
    第一製条(小形)工場 丸鋼・角鋼・平鋼・     各種鋼材
               スケルプ其他製造      年産能力
    第二製条(小形)工場 第一製条工場に同じ     合計三十万瓲
    第一製管工場 継目無鋼管、径六吋以下二吋迄製造
    第二製管工場 継目無鋼管、径二吋以下製造
    第三製管工場 鍛接鋼管、径一吋半以下製造
 ○川崎本工場附帯設備
    亜鉛鍍工場・継手管工場・ジユート巻工場・苦灰石工場・塗料工場・コンパウンド(旋盤油)工場・工作工場・電機修繕工場・水圧試験工場・各種理化学的試験工場・汽缶庫・倉庫病院其他事務所用諸建物等。
 ○電気製鉄所生産設備
    合金鉄工場 合金炉(容量百五十瓩乃至四千瓩)合計十六基及特種鋼用電気炉(三噸)一基、毎時使用電力合計一万キロワツト、各種合金鉄年産能力合計
         二万瓲
 ○大阪鋼管製造所生産設備
    鋼管牽延工場(牽延機四台及附帯設備一切)
○中略
    第十二章 当社営業成績及資本の推移
      〔一〕営業開始(第五期)以来の各期に於ける損益率の概要
○中略
 之を要するに、欠損期及低率利益期を合計したる二十八期間の不況は、十期間の高率利益によつて優に補償されたことになる。兎も角本項を見る場合に於ては、過去二十年間の財界波瀾状態を想起することが出来ると同時に、此種の事業と云ふものが、斯かる変化多き時代に継続する以上、仮令一時の消長はあつても、長い間には適当に均衡が取れて行くことが了解さるゝのである。
○中略
      〔五〕創立以来の資本金増減調

 年 月 日       払込金    一株ニ付キ      払込金累計     公称資本金     株式
                   円   円            円          円       株
明 四五、五、七     五〇〇、〇〇〇 一二・五〇    五〇〇、〇〇〇  二、〇〇〇、〇〇〇  四〇、〇〇〇
 - 第53巻 p.21 -ページ画像 
大  二、五、五     三〇〇、〇〇〇  七・五〇    八〇〇、〇〇〇
〃  二、八、五     二〇〇、〇〇〇  五・〇〇  一、〇〇〇、〇〇〇
〃  二、一〇、一〇   二〇、〇〇〇〇  五・〇〇  一、二〇〇、〇〇〇
〃  三、九、二六    二〇〇、〇〇〇  五・〇〇  一、四〇〇、〇〇〇
〃  四、二、二五    二〇〇、〇〇〇  五・〇〇  一、六〇〇、〇〇〇
〃  四、一二、一五   四〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇  二、〇〇〇、〇〇〇
〃  五、三、一五    七五〇、〇〇〇 一二・五〇  二、七五〇、〇〇〇  五、〇〇〇、〇〇〇 一〇〇、〇〇〇
〃  六、六、一     四五〇、〇〇〇  七・五〇  三、二〇〇、〇〇〇
〃  六、九、一     六〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇  三、八〇〇、〇〇〇
〃  六、一二、一  一、二〇〇、〇〇〇 二〇・〇〇  五、〇〇〇、〇〇〇
〃  七、四、一   二、七五〇、〇〇〇 一二・五〇  七、七五〇、〇〇〇 一六、〇〇〇、〇〇〇 三二〇、〇〇〇
〃  七、九、一   一、六五〇、〇〇〇  七・五〇  九、四〇〇、〇〇〇
〃  七、一二、一  二、二〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇 一一、六〇〇、〇〇〇
〃  八、五、一   二、二〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇 一三、八〇〇、〇〇〇
〃  八、七、一   二、二〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇 一六、〇〇〇、〇〇〇
〃  八、九、一五  二、〇〇〇、〇〇〇 二〇・〇〇 一八、〇〇〇、〇〇〇 二一、〇〇〇、〇〇〇 四二〇、〇〇〇
〃  八、一二、二〇 一、〇〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇 一九、〇〇〇、〇〇〇
〃  九、二、二八  一、〇〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇 二〇、〇〇〇、〇〇〇
〃  九、六、一   一、〇〇〇、〇〇〇 一〇・〇〇 二一、〇〇〇、〇〇〇
〃 一〇、一〇、二七 減資              一〇、五〇〇、〇〇〇 一〇、五〇〇、〇〇〇 二一〇、〇〇〇
〃 一〇、一一、一五 二、六二五、〇〇〇 一二・五〇 一三、一二五、〇〇〇 二一、〇〇〇、〇〇〇 四二〇、〇〇〇
〃 一一、一一、一  一、〇五〇、〇〇〇  五・〇〇 一四、一七五、〇〇〇
〃 一三、七、一   一、〇五〇、〇〇〇  五・〇〇 一五、二二五、〇〇〇
昭 六、一一、二八  減資               四、二〇〇、〇〇〇 一六、八〇〇、〇〇〇 三三六、〇〇〇
 以後                        一一、〇二五、〇〇〇 一六、八〇〇、〇〇〇 三三六、〇〇〇