デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
10節 化学工業
1款 大日本人造肥料株式会社
■綱文

第53巻 p.150-156(DK530027k) ページ画像

大正12年6月29日(1923年)

是日帝国ホテルニ於テ、三会社合併披露会開催セラル。栄一出席シテ、演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第四二二号・第五八頁 大正一二年七月 ○大日本人造肥料会社合併披露会(DK530027k-0001)
第53巻 p.150 ページ画像

竜門雑誌 第四二二号・第五八頁 大正一二年七月
○大日本人造肥料会社合併披露会 大日本人造肥料・関東酸曹・日本化学肥料三会社の合併成立せるを機とし、六月二十九日午後五時帝国ホテルに於て同合併の産婆役たる青淵先生を始め、大倉男・馬越恭平浅野総一郎氏等実業界の有力者並に岡野法相其他官界の名士を招待して披露会を催し、二神専務取締役の挨拶及び青淵先生の演説等ありて極めて盛会なりしと云ふ。
 因に青淵先生の演説○後掲左の如し。
○下略


渋沢栄一筆 扇面(DK530027k-0002)
第53巻 p.150 ページ画像

渋沢栄一筆 扇面       (大日本人造肥料株式会社所蔵)
 功成於合同
  右書以贈肥料会社祝其合同
  大正癸亥一月
            青淵 渋沢栄一
                   

 - 第53巻 p.151 -ページ画像 

渋沢栄一筆 扇面(DK530027k-0003)
第53巻 p.151 ページ画像

渋沢栄一筆 扇面       (大日本人造肥料株式会社所蔵)
 郊原一望緑相連 南陌東阡雨後天
 須識農家培育効 衘滋吐秀兆豊年
  右一首録贈肥料会社以祝其合同
            青淵 渋沢栄一
                   


大日本人造肥料株式会社関東酸曹株式会社日本化学肥料株式会社 三社合併披露会主賓演述 大日本人造肥料株式会社営業部編 第一―二六頁刊(DK530027k-0004)
第53巻 p.151-155 ページ画像

大日本人造肥料株式会社関東酸曹株式会社日本化学肥料株式会社 三社合併披露会主賓演述
       大日本人造肥料株式会社営業部編 第一―二六頁刊
    三社合併披露会主賓演述
               大正十二年六月二十九日帝国ホテルに於て(余興場にて)
      専務取締役二神駿吉氏挨拶
 今夕は閣下並に各位には極めて御多用の処、斯く御多数御来臨を蒙りました事は、冥加身に余る光栄と感謝致します。来賓各位に対する御礼は、後刻席を代へ、田中社長より改めて御挨拶を申上ぐる筈で御座いますから、私は是れにて省略致します。
 只私は此機会に於て、御来賓各位に対し、御紹介旁々一つの敬意を表したい事があるので御座います。どうか御許しを願ひます。
 此度三会社の合併は成立致しました。此合併に就きましては、背後に偉大なる力が潜むで居ると言ふ事を御承知を願ひたい。それは此処に居られます渋沢子爵閣下の多大の御配慮が、此合併を生み出されたので御座います。閣下の御力が無かつたならば、或は此合併は無かつたと言ふ事を記憶せねばなりません。
 私此会社の一員となりまして満二ケ年、就任の当時は丁度戦後経済界の混乱、事業界の沈衰、我肥料界も其渦中に巻き込まれ、同業各社通して非常なる傷痍を受けて居り、それに元来此人肥界は戦争中事業勃興の際、非常の勢を以て新会社の設立、事業の拡張があり、是が為めに生産能力は実需要の倍額以上となつて居る有様で、各社の窮状は其極に達してゐる丈けに、如何に是を立直して行くか、如何に会社を復興して行くかと言ふ事に就きましては、相当考慮を致した次第で御座います。
 爾来、購買の聯盟、販売の協定、或は需給の調節と言つた様な順序で、同業者共存の方法も取つて進んだので御座いますが、何分にも各社従来の行きがゝり上、各々の歴史と立場とが違ふ為めに、十分なる効果が挙げられなかつたので御座います。玆に於て大局の帰する処は資本の合同即ち会社の合併と言ふ事が、最も必要なる事と感じて居つたのでありますが、幸にも関東酸曹会社の田中社長即ち現に当社の社長で居られます田中栄八郎君は、私と同様の考を抱いて居られたので確か昨年の十一月四日と記憶致しますが、両人会見の時に何れから言ひ出すともなく、話がこの合同談に移りました。玆に情意投合と申しませうか、意見の合致を見出したので御座います。殊に其時田中氏の御話としては、君は大合同と言ふが、若し外が応じないとしたら、我
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我二社丈でもやると言ふ覚悟があるかと言ふ事迄、念を押されたので御座います。多く纏まればそれ丈の効果はあるが、若し出来ないとした所で、二社は二社丈の利益があると言ふ事を以て答へました。双方の間には相当堅い諒解が出来たので御座います。其後田中社長と同伴関西へ参り、有力なる他の会社へも当つて見ましたが、未だ時機が到来致しません。其内で日本化学肥料会社の竹原社長に会見致しました時は、待つて居つたと言はぬばかりに、双手を挙げて此合同参加に共鳴せられたので御座います。即ち三社合併が此時に出発したので御座います。其後三社間に於きましては、互の資産状態を取調べ、紆余曲折、協議に協議を重ねましたけれ共、矢張銘々の主張の加はる為めに僅かな差ではありますが、話が行詰つて解決が出来ない事になりました。併し其間にも、此際の合同は絶対必要であつて、どうしても成立させねばならぬと言ふ事の意志は、互に強固に認められて居つたので御座います。玆に於て当事者は、何人かに其裁定を仰ぐと言ふ事に一致致し、それには渋沢子爵閣下の御裁定を俟つと言ふ事になり、十二月二十二日、三社の当局者相携へて飛鳥山の御邸へ参り、色々懇願を致しましたので御座います。閣下には快く御引受になり、国家産業上の見地から此解決の任に当ると言ふ事を御承知になつたので御座います。私共も一刻も早く御裁定を得たい為めに、色々御縋り申した為め閣下は歳末年首御多用の時であるに不拘、大晦日の夜分迄も兜町の事務所に吾々当局者を御集めになると言ふ様な有様で、十分御調査の上此一月の十二日に、御自身筆を取られた所の裁定書なるものを、我々三社当局者へ御下渡しになつたので御座います。此裁定書は現に当社の保存書類の重要なるものとなつて残つて居るので御座います。私共は此裁定書を頂き、御守札の様に是を正面真向に振りかざして、株主其外関係者の間に説明を致し、一月三十一日の三社の総会、――合併附議の株主総会は各社一人の反対者もなく、無事に合併案を認めたので御座います。其時予定の合併期日五月十一日も無事に経過し、同月末の報告総会に於て新役員の選挙も終り、此月に入りまして合併会社の登記手続も結了したので御座います。即ち結納から結婚、入籍の手続迄終つたと言ふ順序で御座います。
 斯くの如く渋沢子爵閣下の御尽力に依つて、此合併は出来上つたので御座いますが、これと同時に、閣下は当会社の前身である東京人造肥料会社の創立者でゐられる事は、皆様の御記憶にもある事と信じます。明治二十年の頃、高峰博士の研究されたる過燐酸肥料を、当時会社組織として是れを事業化せられたのは全く閣下の御力であつて、即ち是が我国に於ける人造肥料業の元祖で御座います。故に我が肥料界に於きましては、此創始者たる閣下に対し、大なる尊敬を払はねばならぬ次第で御座います。斯かる意味から、特に当会社に取り未来永遠に忘却する事の出来ない大恩人で御座います。今回の合同は、合同に依つて肥料界に裨益する所があり、又国家産業上幾分たりとも好影響があるとするならば、閣下に対する感謝は、独り吾々一会社のみに止まる事ではないと信じます。尤も閣下の崇高なる御人格に於ては、何等謝意を求めらるゝ方でないと言ふ事は申す迄もない事で御座います
 - 第53巻 p.153 -ページ画像 
が、私共と致しましては如何なる言葉を以て謝意を表すべきか分り兼ます。仮りに言葉がわかつたとしても、吾々如き匹夫野人の口から、彼是を申上げる事は反つて失礼と存じます。
 斯かる御縁故の深い間柄と致しまして、本日の合併披露には、合併前後の事情、其他当会社に対する御感想の御発表を願ひたいと御願ひ申上げました処、閣下には是亦快く御引受け下さいまして、玆に一場の御演説が御座います。何卒御清聴を煩はします。

      子爵渋沢栄一閣下演述
 臨場の閣下諸君。只今二神君の御紹介の通り、私は此肥料会社に最も縁故の深い一人として、今夕の此意義ある会合に出席することを、衷心からのよろこびとして参つた次第であります。
 扨て三会社合併の事は、昨年の十二月二十二日、三会社幹部の諸氏が打連れて飛鳥山の拙宅へ参られて、詳細に現下の事情を陳述せられそれ迄に三会社の当局者は屡々会合の上、各自意見を交換して折衝を試みたが、何分最後の解決が出来ないと言ふので、私に其裁断を求められたのであります。依て私は種々事情を質問して見ましたが、当時の事業界の大勢、並に各社の経済情態とを考察するのに、此儘に放任して置く時は、国家産業上悪影響を及ぼすものと認め、挺身其局に立つと決心をして是を引受けたのであります。其時の解決要件は四項目であつて、即ち併合の方法、新会社の資本金額、新会社重役の員数並に各会社割当数、及併合の比率、でありました。爾来私は、三会社から寄せ来つた各種の調査書類を精査して、詳密に比較考量し、更に第一銀行の佐々木君、及三井銀行の池田君を煩はして、再参の審議を尽して、中正至公と思惟する裁定案を作成して、三会社の需に応じたのであります。
 三会社に於ては幸に私の裁定を基礎として、和衷協同玆に芽出度合併が成立し、社長には田中栄八郎君、専務には二神駿吉君、其他重役の方々が御就任になつた事は、媒妁と申しませうか、産婆役と申しませうか、私としては誠に面目ある欣ばしいことゝ思ふのみならず、三会社の為めにも無上の幸福と断言するのであります。
 臨場の閣下諸君は、旧三会社の経歴は御承知とは存じますが、それぞれ古い歴史を持つて居ります。大日本人造は、明治二十年に私が故高峰博士の主唱に同意して、故蜂須賀侯爵・益田男爵・大倉男爵其他知名の方々と創立致した、我が国で始めて過燐酸肥料の製造を致したのであります。爾後三十有六年、幾多の変遷を経て今日の発展を見る事は、私の身には殊に感慨無量であります。又関東酸曹会社は、遠く明治十八年の創立で、当初印刷局のものであり、それが明治二十九年に酸曹会社となつたのであるが、それ以来も既に三十年近くの星霜を経て居ります。此会社は元来薬品製造が主であつて、人造肥料は十五六年前に副業として始めたものであるが、私が東京人造肥料に居つた頃は硫酸の供給から酸曹会社とは随分密接な関係を持つてゐました。又日本化学肥料会社はそれ自身としては比較的新らしく、即ち大正九年に日本人造と大阪化学との合併に依つて出来たものであるが、其源
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に遡れば、会社の一部を為してゐる元の日本舎密会社は、明治二十二年に工業薬品の会社として起つたものであります。即ち大日本人造肥料は肥料としての権威者、酸曹と日本化学との両会社は薬品の権威者であつて、兼て肥料に於ても有力のものであつた、それが今度の合併に依つて打て一丸となつたのであるから、向後は此三個の勢力を真面目に道理正しく活動して、従来の信用と名声とを、弥が上にも挙げる様にされたいと希望するのであります。
 現今我国に於ける経済上種々なる問題の中でも、農村問題と食糧問題とは、朝野力を合せて解決の途を講じなければならない重大なるものであります。而して肥料事業は、此問題に緊要なる関係を持つてゐるのであるから、当局者は常に国利民福を念として、此事業の発展を計られん事を切望して已まぬのであります。
 最後に一言申添ますが、事業の合同は動もすれば独占の弊を生ずる恐れがあります。現に米国に於けるトラストの弊害の如き、其著しい例でありますが、これは事業の収益のみを企図して公益を無視するから生ずる処の弊であつて、合同其物の罪ではなく、其運用を誤つた為めであるから、努めて之を避けなければならぬことであります。
 今夕御披露の此合同に付てもかゝる弊に行き走らぬ様、然も合同の長所は益発揮する様致さなければならぬのであります。而して此目的を達するには各位の如き有力なる方々が外に在つて監視し、又会社当局の人々が内に在つて鋭意努力するの外ないと信じます。故に御臨場の各位の御力添を御願申上げ又会社当局の精励を特に希望致します。
 今般私の媒妁致しました新夫婦の会社が、今後一層発展して立派な家庭を維持して、子孫益繁昌して参りますには、各位の御援助に俟つ事が多いと存じますから、繰返して諸君の御引立を御願申上げて置きます。

                     (食堂にて)
      取締役社長田中栄八郎氏挨拶
 閣下並に各位。本夕は三社の合併成立を御披露致し、同時に此機会に於て従来御引立の御礼を申上げ、併せて将来の御愛顧を願ひ度と存じ御招き申上げました処、御多忙中を斯くの如く多数御来臨を得ました事は、本会社に取り誠に光栄の至りでありまして、有難く御礼を申上げます。
 三社合併前後の事情に付ては、先刻二神専務から説明があり、又三社の過去並に将来に就きましては、渋沢子爵閣下から特に御懇篤なる御演説が御座いましたから、それ等の事に就きましては、重ねて此処で申上げるのを略し、渋沢子爵閣下の御配慮に対し拝謝の意を表すると同時に、此際閣下各位の御諒解を得たい事があるのです。
 是も先刻の行届いた渋沢子爵閣下の御話の中に御座いましたが、世間では此合併即ち事業の合同に対しては、直に独占の弊を言ひ立てまして、真の合併に依る一般の利益、真の大目的を知らない方があるのを遺憾とする事であります。
 事業の合同整理に依つて利益を得るのは、即ち独り事業者側のみで
 - 第53巻 p.155 -ページ画像 
はなく、一般需要者も亦其為め非常に利益な立場に置かれるといふ事を知つて頂かないと、私共の此折角の苦心も、誠につまらないものになつて仕舞ふのであります。
 第一合同整理に依つて経費を節減するといふ事、――これは申迄もない事であります。原料の仕入れも多量となれば経済的にまゐりますし、多数の工場を経済的に働かして大量生産をなし、我社の如き地方の需要者に対しては、工場が内地各所に散在してゐる地理的優越から運賃を減少し、其外色々な利益は、結局優良な製品を安価に供給するといふ事になるのであります。と同時に、会社は優越した力を以て販売に努力し、薄利多売の方法で、相当なる利益を挙げ得る事となるのであります。
 私共は自分の事業が国民生活に重大なる使命を持つて居ると言ふ事を考へて、常に国利民福を念とし、又同業各位に対しては、共存共栄の方針の下に進んで参りました。どうか是等の点はよろしく御諒解下さる様御願ひ申上げます。
 今日この合併が成立つた事は、是を一軒の工事に譬へて見れば、漸やく地形が出来上つた丈の事であつて、作事はこれからであります。即ちこれから柱を立て、屋根を葺き、内雑作をして、塀も作り、門も立てなければならず、場合に依ては又建増しもせねばならぬのであつて、是が一軒の住宅となるまでには、まだまだ色々な仕事があるのであります。
 私共は出来る丈け此家を丈夫なものにして、どんな風雨にも煩はされず、そして立派なものにする決心で居ります。しかしこれは独り私共丈けの力でなし遂げ得るものではなく、皆様の御指導と御力添へがなければ出来るものではありません。今夕此処に御集りの方々は、いづれも現代日本に於ける朝野の御有力者であつて、私共は今後斯くの如き御有力者の御援助がある事を実に心強く思ひ、さうして此新築家屋の工事を進める決心で御座います。どうか将来共、直接間接に、一層の御指導御後援を賜はりますやう只管御願申上げます。
 今夕は態々御来臨を仰ぎましたに拘はらず、丁度合併成立匆々取込中の事とて、何事も行届きませず、何とも恐縮の至りに存じます。これも併せて御詫びを申上げる次第で御座います。
 右社長の挨拶に対し、男爵大倉喜八郎閣下の発議に依り、司法大臣岡野敬次郎閣下は来賓を代表して、渋沢子爵閣下への謝意をも表され、極めて懇篤適切なる答辞ありたり。 (終)


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK530027k-0005)
第53巻 p.155-156 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二十七日 曇 寒
午前七時半起床○中略田中栄八郎・二神駿吉二氏来訪、人造肥料会社ノ事ヲ談ス、大阪住友家ノ中田錦吉氏ヘ書通ノ事ヲ依頼セラル○下略
   ○中略。
三月四日 半晴 軽寒
○上略 人造肥料会社ノ書類ヲ調査ス、但、転地中閲覧シテ更ニ為ス事アルカ為メナリ○下略
 - 第53巻 p.156 -ページ画像 
   ○中略。
三月九日 半晴 軽寒
○上略 三時、白石喜太郎来ル、東京ノ近状ヲ聞知シ、曾テ調査シタル人造肥料会社販売合同ノ件ニ付、住友家中田錦吉氏ヘ一書ヲ作リ送付スヘキ筈ナルニ付、其原稿ヲ白石ニ付与シ、清書発送セシム○中略
高橋農相ト中田錦吉氏ニ送ルヘキ書状ノ事ハ株式取引所又ハ人造肥料会社ノ墾請《(懇)》ニ任セ執筆セシモノニシテ、自署ノ筈ナリシモ病ノ為メ他ニ浄書ヲ托シタレハ、其事ヲ附記スヘキ旨ヲ申添フ
○下略
   ○栄一、三月二日ヨリ大磯ニ滞留、同月二十日帰京ス。


(増田明六)日誌 大正一四年(DK530027k-0006)
第53巻 p.156 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一四年      (増田正純氏所蔵)
三月廿六日 木 晴
○上略 同所○工業倶楽部ニ於て小倉正恒氏と会見す、予て渋沢子爵より住友家中田錦吉氏宛肥料共同販売会社ニ同家肥料部の加入方を勧誘(大日本肥料会社々長田中栄八郎氏の依頼)したるニ対して、均しく同家重役たる小倉氏をして小生を経て子爵ニ回答せしめん為めの会見なり
小倉氏は住友家の別子銅山の銅鉱ニ含む硫酸を取るハ鉱毒問題(此鉱毒補償金年額参拾五万円を関係町村ニ支出して厳敷契約を締結しあるが、三年毎ニ之を更改する約なりと云ふ)より無余義ニ出でたる次第(琉酸《(硫)》を煙として出すハ、即鉱毒を多く吐出するものなりと為し、契約毎ニ製煉数量を減するを以て無余義硫酸を取るニ至りし由なり)ニて、決して肥料を予め製出する策ニあらさる旨を弁解して、此量ハ向後年々増加すべきを以て此共同販売ニ加入する事を得す、但最低値段を協定して濫売を防く事ニ致度旨懇々話られ、之を子爵ニ伝言する様依頼あり
○下略
   ○中略。
四月二日 金《(木)》 晴
○上略
午後五時、大日本人造肥料会社ニ於田中同社長其他重役《(て脱)》と会し、去月廿六日小倉正恒氏と会話の件を談話す
○下略
四月三日 金 神武天皇祭
朝飛鳥山邸ニ子爵拝訪、前日田中社長等と会見の次第を報告す
○下略


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK530027k-0007)
第53巻 p.156 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
二月五日 晴 寒
○上略 午飧後兜町事務所ニ抵リ、田中栄八郎氏ノ来訪ニ接シ人造肥料会社営業ノ要点ニ付種々ノ報告アリ、且将来増資ノ意見ヲモ説明ス○下略