デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
15節 倉庫
1款 渋沢倉庫株式会社
■綱文

第53巻 p.527-528(DK530099k) ページ画像

昭和5年1月1日(1930年)

是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、当会社社員一同ヨリ年頭ノ祝賀ヲ受ク。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和五年(DK530099k-0001)
第53巻 p.527 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和五年        (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 晴 寒厳ナラス
午前八時起床直ニ身体ヲ清メ、朝食ヲ畢リテ後、家人ノ年賀ヲ受ク、事務所員・倉庫会社員等多人数来リテ新年ノ賀詞ヲ述フ○下略


竜門雑誌 第五二五号・第四三―四四頁昭和七年六月 父の思ひ出の断想 渋沢篤二(DK530099k-0002)
第53巻 p.527-528 ページ画像

竜門雑誌  第五二五号・第四三―四四頁昭和七年六月
    父の思ひ出の断想
                      渋沢篤二
○上略
      ○人から嘱望されるやうに
 私は中年になつても、余り仕事をしなかつたのでありました。それと云ふのも青年の頃から身体が弱く、尤も不勉強のせいでも勿論あるが学校も中途にしてしまいました。そして兎に角実業界へ出ました時には、父から佐々木勇之助さんによく話して頼んでくれたのでありました。で最初は深川の家に倉庫がありましたのを利用して、実業に従
 - 第53巻 p.528 -ページ画像 
事する手始めの稽古をする積りで、渋沢倉庫部として倉庫業を創めました。其の時父は特別に私に対して教訓はされなかつたが、たゞ「重役になる以上一通りは自分でやつて見て置く必要がある、そして何事も人から嘱望されるやうにならなければならない」と云はれ、「伴食重役ではいけない」とて、他の方面へ私を頼んで、特に重役にすると云ふやうなことを決してされませんでした。
○下略



〔参考〕竜門雑誌 第五六六号・第一八頁昭和一〇年一一月 青淵先生遺芳(DK530099k-0003)
第53巻 p.528 ページ画像

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