デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
1款 三本木渋沢農場
■綱文

第54巻 p.100-102(DK540031k) ページ画像

明治43年2月10日(1910年)

是日栄一、当農場長金子熊一ヨリ同地農業及ビ養馬ノ状況ヲ聴取シ、前年度決算及ビ本年度予算ヲ検閲ス。爾後毎年金子上京シテ報告ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK540031k-0001)
第54巻 p.100 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
二月十日 晴 風寒
○上略 八時半朝飧ヲ食シ、後書類ヲ一覧ス、三本木農場主任金子熊一来リ、同地農業・養馬ノ状況及昨年度ノ営業決算、本年度ノ予算ヲ一覧シ、向後ノ経営ニ関シ要点ヲ訓示ス○下略


竜門雑誌 第二六三号・第一―六頁明治四三年四月 ○予が土地に放資せざる理由(DK540031k-0002)
第54巻 p.100 ページ画像

竜門雑誌  第二六三号・第一―六頁明治四三年四月
    ○予が土地に放資せざる理由
 本欄に掲ぐる所のものは、本誌記者が親しく青淵先生に就きて教を乞ひ、随て聴き随て筆し、特に先生の親閲を煩はしたるものなり、乃ち尋常の説話と其撰を異にせるを知るべきなり
                      記者識
○中略
      ○南部産の名馬渋沢号
更に奥羽若くは北海道に開墾地を持つて居る。是れ又一種の国家経済的意念、即ち試験的に馬匹の改良を主として、傍ら土地の開墾を年々少々づゝやつて居る。近頃おひおひ発達して良い馬が出来るやうになつた。現に去年抔は二千円余の価値ある馬が出来た。三年に一遍位づつソウ云ふ馬が出来る。一昨年旅行かたがた行つたときにも千何百円の馬が出来た。渋沢号と云つて今でも奥州出の名馬と称へられて居る但し一年に漸く三十頭か四十頭其中に稀に出来て来る位のもので余り儲かりませんが、兎に角南部の本場丈けあつて時々良い馬が出来る。
○下略


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK540031k-0003)
第54巻 p.100 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 曇 寒
午前八時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後三本木金子熊一氏来リ、農場ノ状況ヲ報告ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四四年(DK540031k-0004)
第54巻 p.100-101 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四四年     (八十島親義氏所蔵)
 - 第54巻 p.101 -ページ画像 
一月廿二日 快晴 暖 日曜
○上略 三本木ヨリ上京中ノ金子熊一氏来訪、九時半ヨリ二時半ニ至ル、昼飯ヲ饗ス、氏ハ倍々趣味ヲ感シ愉快ニ勤務スルモノヽ如ク、新株地ノ開墾造林等モ着々進歩シ、且年々旧株地ノ収支モ氏ノ就任以来三・四年間ハ至テ好成蹟ヲ呈スルニ至レルハ、全ク人撰宜シキヲ得タルモノト言ハサルヘカラズ○下略
  ○中略。
一月二十五日 快晴 暖
○上略 昼兜町、青淵先生ハ目下上京中ノ三本木農場長金子熊一氏ノ為ニ午餐会ヲ被設、若主人・尾高・八十島及増田陪席ス、三木本事業モ近年ニ至リ聊整理ノ緒ニ就キ、前途ニ曙光ヲ認ムルニ至レリ
○下略


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK540031k-0005)
第54巻 p.101 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
九月三日 晴 冷
午前六時半起床入浴シテ朝飧ス、青森人某来リ、故広沢富次郎氏ノ事ヲ談シ、且馬匹改良談ヲ為ス○下略
  ○中略。
十月四日 雨
○上略 午飧後事務所ニ抵リ、金子熊一ヨリ申出タル三本木農場ニ関スル《(件ニ付脱カ)》事務所ニ於テ、八十島其他ト処分ノ事ヲ評決ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四五年(DK540031k-0006)
第54巻 p.101 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治四五年    (八十島親義氏所蔵)
一月廿二日 晴
○上略
金子三本木農場長一両日前上京セルモ、余多忙ニシテ未タ緩々報告ニ接スルノ遑無シ○下略
一月廿三日 晴又ハ曇
○上略 兜町ニ出テ○中略 又夜ハ居残リテ金子熊一ヨリ三本木昨年度ノ報告及本年度予算等ノ事ヲ聞ク○下略
  ○中略。
三月十五日 曇
○上略 正午原熙・金子熊一両氏ヲ兜町ニ被招午餐ヲ饗ス、予等モ陪席ス
○下略


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK540031k-0007)
第54巻 p.101 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年         (渋沢子爵家所蔵)
三月十六日 曇 寒
午前○中略 金子熊一氏来リ、近日帰任ノ事ヲ告ク、将来ノ経営ニ付種々ノ訓示ヲ与フ○下略


渋沢栄一 日記 大正二年(DK540031k-0008)
第54巻 p.101-102 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正二年          (渋沢子爵家所蔵)
一月三十日 晴 寒
○上略 午後二時事務所ニ抵リ○中略 午後四時原熙氏来ル、金子・八十島・増田諸氏ト三本木農場ノ報告書ヲ一覧ス、金子ヨリ詳細ニ説明アリ、
 - 第54巻 p.102 -ページ画像 
畢テ夜飧ヲ共ニス、食後又農場ノ将来ニ付意見ヲ交換ス○下略


集会日時通知表 大正二年(DK540031k-0009)
第54巻 p.102 ページ画像

集会日時通知表  大正二年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿二日 月 午前十時 広沢氏来ル(兜町)


渋沢栄一 日記 大正三年(DK540031k-0010)
第54巻 p.102 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正三年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十七日 曇
○上略 午後五時、三本木農場主任金子熊一、十勝開墾会社農場長吉田氏等ト共ニ夜飧ヲ食シ、両農場ノ景況ヲ談話ス○下略
  ○中略。
二月七日 快晴 寒気厳ナラス
○上略 午前十時三本木農場長金子熊一氏来リ、農場ノ前季決算書及本年ノ予算書ヲ持参ス、一覧後ニ種々ノ質問ヲ為シ、且本年ノ施設ニ付要旨ヲ指示ス○下略


渋沢栄一書翰 植村澄三郎宛(大正三年)八月一八日(DK540031k-0011)
第54巻 p.102 ページ画像

渋沢栄一書翰  植村澄三郎宛(大正三年)八月一八日   (植村澄三郎氏所蔵)
○上略 又三本木之農場ニ付而も、御一覧之上何か御助言被下候事共有之候ハヽ重畳之事と期待罷在候、右等ニ付而も未熟疎放之武之助ニハ思慮も意見も可相生筈ハ無之義と存候得共、所謂練習之為め何なりとも一案相立候様御誘掖之程奉願候
○中略
  八月十八日              函根小湧谷ニ於て
                       渋沢栄一
    植村賢台
       坐下
○下略


渋沢栄一 日記 大正四年(DK540031k-0012)
第54巻 p.102 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十九日 晴
午前○中略 金子熊一氏来話ス○下略
  ○中略。
二月八日 晴
○上略 兜町ニ抵リ三本木農場ノ昨年経営ノ顛末ヲ金子熊一ヨリ報告アリ種々ノ質問ニ対スル説明アリ、馬匹飼養ノ事ヲモ協議ス、畢テ夜飧ヲ共ニシ、尚談話ヲ継続シ、夜十一時半帰宿○下略